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物語

はまなすの実

原作/田野呵々士

第二章 再会そして融合

 北の海の広い砂浜。その薄茶色の砂の上には人影が一つ二つあるだけで、遠くは白く霞んでいる。その上を覆っている初夏の夕空には、潮騒の音だけがゆったりと鳴り響いていた。
浜茄子の花  その波打ち際と平行して小さな砂丘が横たわっており、その上は緑と赤紫で鮮やかに彩(いろど)られている。浜茄子(はまなす)が群生していて、ところどころに花を咲かせているのだ。
 その砂丘の頂上に、木の桶を片手にさげた百姓の娘が一人、海の方を見ながら立っていた。正面から西日を浴びているので、片手を額(ひたい)にかざして軽く背伸びをしながら、何かを探すようにして広い水平線を見渡している。
 その細面(ほそおもて)の顔は小麦色に日焼けしており、豊かな長い黒髪は髷(まげ)も結わず、背中の中ほどで一本に束ねているだけだ。浜茄子の根から取れる染料(せんりょう)で淡い茶色絞り染めした麻の小袖に、ところどころ擦り切れて色褪(あ)せた茜色(あかねいろ)の帯を締め、水仕事か何かの途中らしく麻で編んだ荒縄(あらなわ)で襷(たすき)をしている。その格好を見ると、この辺ではごく普通に見られる貧しい百姓のようだったが、その細い首には、色とりどりの貝殻を連(つら)ねた小振りの首飾りをしていた。
 それは、年頃の娘へと成長したシャガの姿であった。
 しかし、外見はどんなに変わっても、彼女の心の中は今も変わらなかった。あのときの少年がまた戻って来るのではないかという期待を捨てられぬ彼女は、三年前の夏以来こうして毎日水平線を眺めるようになっていたのである。
夕焼  鏡のような夕凪(ゆうなぎ)の海に陽が落ちゆくにつれて、この世は橙(だいだい)色から淡い茜色へと徐々に塗り替えられていく。そのありさまを見ていると、誰だって何となく甘くせつない気分になってくる。今、そのシャガの頭の中にも様々な想念が駆け巡っているところであった。
『……もうあたしのことなんか忘れて、今頃誰かとこの夕陽を見てるのかも知れない……。』
 そう思った途端、彼女の胸の奥は疼(うず)き、目には涙が込み上げてきた。しかし、自分が身に着けている首飾りのことを思い出した彼女は、その思いを強く否定した。
『いえ、そんなことないわ! もしあたしのことを忘れるんだったら、わざわざこれをつくって置いていくはずがないじゃないの!』
 シャガが前向きな気持ちになって涙を堪(こら)えたそのとき、背後で中年女の困ったような声がした。
「水を汲みに行ったはいいけど、また海を見てたの? シャガ。」
 シャガが後ろを振り向くと、砂丘の下には上品な柄の小袖を身にまとい町で流行(はや)りの髷を結った、小柄で色白の女性が立っていた。義理の母のトクだ。
 トクは砂丘の下からシャガを見上げてこう言った。
 「あなた、ウミヒコのことは、いい加減諦めたらどう? あの子はどうせ海賊の子なんだから。
  早く家に戻って手伝いしてちょうだい!」
 シャガの実の母親はシャガが五歳のときに病死し、その二年後にこのトクが新しい母親として町からやって来た。言葉や習慣など様々な点が自分たちと違ってはいたが、父が好きになった人なのだからと思い、幼いシャガは懸命になってこの新しい母親のことを理解しようと努めた。
 しかしシャガは、この人がよく口にする「あの人は何々なんだから」という人を決め付けた言い方に、いつまでたっても慣れることができなかった。
『漁師にだって侍にだって、悪い人もいれば良い人もいるでしょう。海賊だってそれと同じことだわ。』
 シャガは、トクがああしてウミヒコのことを悪く言うたびに、心の中でそう思っていた。
 トクに連れられて裏口から家の中に入ったシャガは、手に持っていた海水の入っている桶をトクに手渡すと、洗いかけの里芋が入った水桶の前にしゃがんだ。彼女はその中の芋を洗いながら、横に並んで芋の皮を剥き始めたトクに向かってこう言った。
「お母さんは『海賊海賊』って言うけど、他人の土地やそこで働く人たちを奪い合ってる大名だって、その『海賊』のしてることと大して変わらないじゃないの。」
 それを聞いたトクは、シャガに向かって教え諭(さと)すように言った。
「シャガ、良くお聞き。お大名様のしてらっしゃることは、天下を治めるための大事なお仕事なんですよ。それを海賊と一緒にしてはなりません。」
 シャガは、それに納得がいかなかったので、不服そうに言った。
「それじゃぁ、お母さん。もし海賊が大名に勝って天下を治めるようなことになったらどうなるの? 海賊だってその大事な仕事とやらをしたことになるんじゃないの。」
 トクはやや困った顔になって言った。
「そういうのを屁理屈(へりくつ)と言うんです。海賊が天下を取るなんてことが許されるわけないでしょう。海賊は何をしようとも海賊でしかないんですから。」
 シャガは、なかば呆れたような表情になって言った。
「お母さん、そっちの理屈の方が変だよ。それじゃ海賊と大名の違いって何なのよ?」
 トクも、呆れ顔になってこう言った。
「そんなの決まってるでしょう! 海賊の家に生まれた者が海賊で、お大名様の家に生まれた者が、お大名様なんじゃないの!」
「それなら最初の海賊って誰から生まれたの? 最初の大名は?」
 トクは、眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて言った。
「また屁理屈を言う! 人様のものを盗んだ者が海賊になり、戦(いくさ)に勝ち抜いた者が、お大名様になられたんでしょう。」
 シャガは笑って言った。
「ハハハ! ほら、そうでしょ? 最初はどっちも『者』だったんじゃない。それがいつの間にやら海賊と大名とに分かれて、結局どちらも同じようなことしてるだけなんじゃないの。それじゃ、海賊と大名の違いなんて、あってないようなもんだわ。
そもそもウミヒコたちは、この村から何一つ物を奪ってないじゃない。それどころか、たくさんのお土産(みやげ)を持って来て珍しいお話しも聞かせてくれたし、最後には黄金(こがね)まで置いて行ったんじゃないの。そのウミヒコたちのことを海賊呼ばわりするのは間違ってるし、もしそう呼ぶんなら悪く言うのは筋違いだよ。」
 トクは更に困った顔になると嗜めるようにして言った。
「これ! また屁理屈を言う! そうやって親に口答えするもんじゃありません!」
 今年満十五歳になったシャガが大人を相手にしてこのような議論をすることは、何も不思議なことではない。現代とは違って、この時代の女の十五といえば、世間ではもう大人として扱われているからだ。それはまた、もう結婚してもいい年頃だということも意味している。現に彼女には、つい最近縁談が来たところだった。北の町の侍の妾(しょう)にならないかという話しだ。これは江戸時代以降の妾(めかけ)とは違い、財産などの相続権を持っている。
 この十日ほど前、トクは自分が織った布を売るため、厭がるシャガに無理やり化粧をほどこして綺麗(きれい)な着物を着せ、北の町で開かれる市(いち)へ連れて行くということがあった。そのとき偶然その露店の前を通りかかったある侍が、店番をしていたそのシャガの姿を目にとめてしまったのである。ただでさえ美しい年頃の娘に、侍が好むような化粧をほどこし綺麗な着物を着せるのだから、このような結果になるのは無理もないことであった。
 そしてつい三日前、使いの者がこの家に来て、「シャガを妾にしたい」というその侍の意向を伝えたところだったのだ。しかし、この村のほとんどの者が、この縁談をあまり喜ばなかった。なぜならこの村は、昔からその町の侍によって迫害されてきたからだ。
 シャガのことを好いていた村の若者たちも、当然この縁談を快く思っていなかったのだが、相手が侍ともなれば百姓の自分たちには全く太刀打ちできないので、みな早々とシャガのことを諦めてしまっていた。
 それでもシャガの胸の内を知る身内の者は、この縁談消滅の望みを捨てずにいたのだが、その中にはこのような例外もいた。
 シャガにやり込められそうになったトクは、芋の皮を剥きながらここで話題を変えた。
「……それはそうとシャガ。あのことはどうするの?」
 トクの横に並んで芋を洗っているシャガは、俯(うつむ)き加減のまま浮かぬ顔をして言った。
「ああ、あのこと? 断わってよ。あたし厭だから。」
 トクは責(せ)めるような口調で言った。
「あら悪い子ねー。この村から町のお武家に行くなんて、滅多にない誉(ほま)れなのよ。あなたの将来のためなのに。」
 シャガは、うんざりしたような顔になると、普段思っていることをそのままトクに向かって言ってしまった。
「好きでもない人の妾になることが、なんで誉れなの? お母さんは、あたしのことじゃなくて、自分の誉れと自分の将来のことしか頭にないんじゃないの?」
 どうやらトクは心の内を見透(みす)かされたようで、一瞬顔色を変えて言葉を失ったが、今度はシャガをキッと睨み付けるとこう言った。
「親に口答えするものじゃありません! なによ、色が黒いくせに!」
 シャガとの口論で返答に困ると、トクが必ず口にするのがこの言葉だ。
 この時代の日本の貴族や武士の婦女は、その身分が高くなるに従がって、日光に曝(さら)される時間が少くなる。なぜなら、その召し使いの数が多ければ多いほど、外仕事をその者に任せた分、本人は安穏(あんのん)として日の当たらない屋内にいることができたからだ。そのため、日焼けしていないことが女性の身分の高さの証(あか)しだと、少なくとも町の人たちは思っていた。
 そのような価値観を持って嫁に来たトクは、海女(あま)の仕事を厭がって夏でも海に潜らず、機織をしていかばかりかの収入を得ていたので、日に焼けているこの村の者を露骨に蔑(さげす)んでいた。
 トクはまた、子供たちが自分の価値観からはずれると、「悪い子」とか「駄目な子」のような否定的な言葉で、その心に烙印を押した。着物に接ぎ当てがあれば「みすぼらしい」と言うし、体に砂が付いていれば「汚い」と言う。
 シャガの実の母親が生前に、「物を大事にしなさい」と口癖のように言っていて、服があちこち擦り切れても修繕しては着ていたことをシャガは今でもよく覚えている。その母を敬い、その行いを見習っている自分の気持ちが、あのようなトクの言葉によって無残にも踏み付けられているようにシャガには感じられた。
 そして、生まれたときからずっと、潮騒や潮の香りと共にシャガを優しく包んできた浜の砂。手の平に付いた濡れた砂に目を近付けてよく見てみると、それは一粒一粒の色も形も違っていて、まるで夜空の星のように美しいのに。そう思ったシャガは、トクの言葉に対して「なぜ砂がきたないの?」と問い掛ける。すると、トクの返答はいつも決まってこうであった。
「土とか砂は足の下にあるんだから、汚いに決まってるじゃないの!」
 トクにしてみれば何気ないそのような一言一言に、シャガの幼い心は今までどれほど傷付けられてきたことだろう。表面は母親のふりをしてはいるが、あるがままの自分を受け入れてくれないこの人のことを、シャガは心底信頼することができなかった。
 これに対して実の父サブの方が、娘に対する理解がはるかにあり、シャガもそんな父のことをそれなりに信頼していた。
「シャガが厭だと言ってるんだから、無理に嫁がせることもないさ。その侍には、『他に好きな人がいます』なんてことは言えないから、『うちの娘、実(じつ)のところ不治の病(やまい)を患(わずら)うておりまする』とかなんとか言って諦めてもらうんだな。ハハハハ!」
 この家の中央に拵(こしら)えてある炉(ろ)の向こう側で胡坐(あぐら)をかき、トクとのあいだにできた末の息子をあやしているサブがそう言って笑った。藍(あい)でただ染めただけの、色褪せた麻の小袖を着ている彼も髷を結ってはおらず、長い髪は背中の中ほどで束ねているだけだ。
 その父の言葉を聞いたシャガは、赤くなって言った。
「もぅ、父ちゃんたら!」
 一方、炉のそばでこの二人の会話を聞いていた、シャガの腹違いの弟の太助(たすけ)と、その妹のキョウが心配して立ち上がると、裏口を入ったところで芋を洗っているシャガのそばに来てしゃがんだ。そして、その顔を覗き込むと代わる代わるに尋ねた。
「シャガ姉ちゃん病なの?」
「だいじょうぶ?」
 シャガは気を取り直すと、その弟と妹に向かって優しく言い聞かせた。
「父ちゃんは、からかってるんだよ。でも、まるでほんとの病みたいだね。自分では治すことができないんだから……。」
 それを言い終えた彼女は寂しそうに微笑んだ。キョウが尋ねた。
「だれになら、なおせるの?」
 シャガは、開いている裏口から外を見て言った。
「あの海の彼方(かなた)にいる人……。」
 トクに対しては、家族にすら本心を見せることがないという点でも、反発を感じていたシャガであったが、好きになったウミヒコとの三年前の遣り取りでは、自分が思わず心にもないことを言ってしまったので、そのことをとても悔やんでいた。そのため、言葉は飾らなくとも誰とでも誠実に接するよう、彼女は普段から心掛けるようにしていた。もちろん、トクの生んだ子供たちに対しても分け隔てしなかったので、腹違いの弟や妹もそんなシャガのことをとても慕っていた。
 このとき、やはりその炉端(ろばた)から、老女のしわがれた声がした。
「断わるのは簡単さ。『この家は代々長女が継ぐことになっている。シャガは長女なので嫁には出せぬ。』と言えば済むことだ。
……だが、シャガよ。」
 その声の主は、先ほどからずっとこちらに背を向け、黙々と何かをしながら座っていた白髪の老婆だ。先ほどサブが捕って来た魚をさばいて串に刺し、塩をして炉に焚かれた火で焼き始めた彼女の名はタネ、シャガの実の母の母親であり、この家の家長だ。
 この家では昔から、長女は婿を取り家を継いで、男は婿に出るのが習わしで、それはこの村に古くから伝わる風習であった。近頃では武士に倣って男が継ぐ家も出てきたが、村長も先々代までは女性であった。
「お前、戻って来るあてのない者をいつまでも待ち続けてると、オレのようなババアになって、誰も相手にしてくれなくなるぞ。それでもいいのかい?」
 五十を超えたばかりのタネは、背はさほど高くなさそうだが、わりとがっしりした体付きをしている。その広い背中で束ねている長い髪の多くは白髪になっているが、顔はまださほど老けてはいない。浜茄子の根から取れる染料で全面濃い茶色に染めた麻の小袖に紺の帯を締め、首にはこの時代では珍しく勾玉(まがたま)を連ねた立派な首飾りをしている。その大きめの勾玉は、濃い赤色の石でできていた。
 シャガは、その祖母タネの背中に向かって言った。
「婆ちゃん、あたしね、近いうちにあの人と会えるような気がするのよ。なんとなく……。」
 しかし、その言葉の語尾は弱々しくなった。
 三年前三人の旅人と共に姿を消したウミヒコは、「この村に戻って来る」という約束をシャガと交わしたわけではない。自分でつくった貝殻の首飾りを、眠っている彼女の枕元に置いたまま、黙って去って行っただけだ。しかしシャガは、自分自身を励ますかのようにして、胸のその首飾りに片手を当てながら話しを続けた。
「……ウミヒコが置いていったこれ、これは、『俺のことを忘れないでくれ』っていう意味だと思うの。『いつかまた会いに来るから』っていう……。」
 そこまで言うと、それまで堪えていた涙が堰(せき)を切ったようにシャガの目から溢れ出した。彼女は片手に持っていた芋を水の入っている洗い桶に戻して立ち上がると、裏口から外へ飛び出して先ほどの砂丘を駆け登っていった。
 その後ろ姿を目で追いながら、トクが溜め息混じりに言った。
「困った子ねぇー……。」
 シャガが砂丘を登り詰めると、その目の前には彼女にとって見慣れた夕暮れの海が広がった。陽は、たった今水平線に沈むところで、足元ではいくつもの浜茄子の花がその光に輝いている。
『あの人が去ったとき、浜茄子は実を付けていた。この花が実になれば、あれから丁度三年になるんだわ。それまでは待とう。
でも、もしそれまでにあの人が現れなければ、仕方ないけど誰かと夫婦(めおと)になろう。これ以上婆ちゃんを心配させてはいけない……。』
 シャガはそう決心すると、すぐ家に戻った。
 裏口から家の中に入ると、炉に焚かれた火がまずゆらゆらとにじんで見え、次にトクがそこに土鍋を掛けているのが目に入ったので、シャガは頬を伝う涙を手の甲で拭いながらも、しっかりとした口調で言った。
「お母さん、手伝いを途中でやめてしまってご免なさい。」
 シャガは、次にタネの背中に向けて言った。
「……婆ちゃん、あたし浜茄子が実を着けるまで待ってみて、あの人が現れなければ、そのときはこの家を継ぐために誰かと夫婦になることにするわ。」
 それを耳にしたトクが、シャガの方を向くと不満げに言った。
「あらそう……。漁師の家を継ぐより、お武家にお嫁に行った方が、ずっと幸せになれるのに……。」
 このとき、炉端に座っていた一人の娘が、裏口を入った砂の上に立っているシャガのところに駆け寄ると、その耳元で囁いた。
「……お姉ちゃん、ウミヒコさん早く帰って来るといいね。」
 シャガのすぐ下の妹トヨだ。彼女は三年前のウミヒコのことを今でも覚えていて、子供ながらにこの事態の本質を見抜いていたのだった。ところが、小声で言ったはずのその言葉は、炉端にいたトクの耳にも入ってしまった。
「トヨちゃん、そんなこと言うもんじゃありません。あの子は海賊の子なのよ!」
 トクは顔色を変えてそう言うと、自分とは血の繋がりのないこの娘のことをキッと睨んだ。姉とお揃いの絞り染めの麻の小袖を身にまとっているトヨは、祖母タネの背後に逃げ込んで隠れると、ベーッと舌を出した。
 夫のサブがトクに向かって、宥(なだ)めるような口調で言った。
「シャガも結婚すると決心したことなんだし、まあ良かったじゃないか。」
 そうは言ったものの、サブのその口調には、なんとなく力がなかった。
 明々と炉に焚かれた火の横に、串に刺した魚を並べ立てて焼くタネは無言だったが、その両方の頬には涙が流れていた。『このままでは、この家のあと取りが婚期を逃してしまう』という自分の気持ちを汲み、好きな男のことを諦めようとしている孫娘のいじらしさに、思わず涙せずにはいられなかったのである。
 やがて魚が焼け、雑穀と芋も煮えたが、ちょっと気まずい夕餉になった。この時代、米の飯(めし)を日常的に食べていたのは百姓から年貢米(ねんぐまい)を取り立てている武士たちで、当の百姓はと言えば、よほど裕福でない限り日頃から米など口にすることはできなかった。
 夕餉の後は、みな言葉少なく早々と床に就いた。

 その夜中、誰かに呼ばれたような気がして、シャガはふと目を覚ました。
 家族はぐっすりと寝ているようで、周囲からは大小様々な寝息が聞こえている。その闇の中で身を起こし、寝床から抜け出た彼女は、開いている裏口から一人外に出た。
 空には満月があり、家の周辺の風景は、光の銀と陰の黒の二色が織り成す、昼とは打って変わった神秘的なものになっている。浜から聞こえて来る絶え間ない潮騒(しおさい)は、まるで大勢の人の歌声のようだ。彼女はその音に引き寄せられるようにして、家の裏の砂丘を登った。
月夜  それを登り詰めると、そこから見下ろす広々とした黒い海原(うなばら)も、やはり月の光にきらめき、浜に寄せては返す波が白く浮き出ていている。
 浜に下りたシャガが波打ち際に立つと、寄せる波の先がその素足に時折り優しく触れ、ザーッという音と共に海に帰って行った。
 それらは、彼女が物心(ものごころ)付いてからというもいの、辛いとき悲しいときにいつも癒してくれてきた感触と音であった。
 シャガはそこを歩きながら、この村にいつとも知れぬ頃から伝わる歌を口ずさんだ。

故郷(ふるさと)遥(はる)か遠く 闇の波間を漂(ただよ)い
今宵(こよい)は月の浜辺 流離(さすら)う浜茄子よ
風 梅の香(か)運び 山の根雪溶かす頃
砂に抱(いだ)かれ安らげば 芽を出(い)だす時来たれり

日の光 時を超え その葉に慈(いつく)しみ注げば
日の如き 明(あか)き実を 稔らすは浜茄子

そよそよ風に吹かれ 故郷の浜の空に
ゆくゆく巡り来たる 妙(たえ)なる芽を出だす時よ
ゆらゆら波に揺られ 故郷の浜の砂に
ゆくゆく帰り来たる 愛しき浜茄子よ
愛しき浜茄子よ

満月  それを歌い終えたシャガは、故郷を離れて侍のところに嫁に行く自分の姿を想像してしまい、恐ろしさで思わず身震いしてしまった。そして月を見上げると、心の中でこう言った。
『ウミヒコ。あんたは今どこにいるの? もし、今もあたしのこと覚えててくれてるんなら、早く戻って来て! ウミヒコ……。』
 シャガの頬を涙が一筋流れた。やがて、顎の先から滴(したた)り落ちたその銀の雫(しずく)は、彼女の足元の白い波の上に落ちると、月に輝く海へと運ばれて行った。この世界を一つに繋(つな)げている大いなる海原へ……。

 時間を少しさかのぼること、それと同じ日の朝。シャガの身の上にそのような問題が降り掛かっていることなど露知(つゆし)らず、ウミヒコことハヤテは初夏の東シナ海を疾走する大きな帆船(はんせん)の上にいた。
 白鷹丸(しらたかまる)という名のこの船は、ガレオン船などの造船技術を取り入れて建造されており、乗組員は通常で八十人、戦闘員を含めると二百人は乗れるから、当時としては大きな船と言えるだろう。二本の帆柱には、それぞれ大きな帆が二枚ずつ付いている。甲板(かんぱん)は三層あり、下から二層目からは、たくさんの櫂(かい)を船外に出して水を漕げるようになっていた。
 当時のヨーロッパ船と和船との、構造上の最も大きな違いは、竜骨(りゅうこつ)の有無にあった。それは、船首から船尾にかけて船底に通っている一本の太い丸太のことで、これがあるのとないのとでは船体の強度に格段の差が生じる。白鷹丸はこのような構造を取り入れているために、外洋の多少の荒波など物ともせずに航海することができるのである。
 その白鷹丸は、先ほど一艘の大きな和船を襲撃して拿捕(だほ)したところだった。さる大名が所有するこの船には武装した侍が多数乗っており、ハヤテたちはその者全員を捕えて来ると、一人一人を拷問に掛けて彼らが所属している水軍の情報を聞き出した。
 そして今、彼らに刀と甲冑(かっちゅう)を再び身に着けさせたハヤテたちは、一人一人を後ろ手に縛り、舳先(へさき)から一人ずつ槍(やり)で突付(つつ)いて海に落としているところだった。海上に落ちたその武士は、ブクブクとあぶくを立てながら、進行する船の右舷か左舷のいずれかに沈んでゆくのだが、それが右側に沈むか左側に沈むかによって船上では賭けが行なわれており、勝った方は歓声を上げて配当金を受け取っていた。
帆船  武士の象徴である鎧兜(よろいかぶと)は、源平(げんぺい)の時代にその装飾の隆盛を極めたが、この時代ではそれがかなり簡素化され実用的になってはいた。しかし、それですら海上の実戦では邪魔になった。帆船の甲板には綱が多数張り巡らされており、装飾の多い兜(かぶと)や長い刀はそれに引っ掛かって邪魔になるし、太刀(たち)と脇差(わきざし)という二本の刀を腰に帯びている武士は、海上に転落してもその重みで浮くことができないからだ。
 一方この白鷹丸の兵隊たちは、長く伸ばした髪に鉢巻だけして、藍で染めた小袖と四幅袴(よのばかま)という軽快な服装だった。また、彼らが腰に帯びている刀は脇差一本だけだったので、船から船へと身軽に移動することも可能であったし、万が一海に落ちても、その重みで沈んでしまうことはなかった。
 そのハヤテたちが今行なっていること、即ち、誇りにしている武具の重みのために海に沈んでいく武士の姿に興じるという、武士にとって屈辱的な行為をするのには、それなりの理由があった。
 その昔、日本沿岸各地には、合戦時(かっせんじ)に船を操(あやつ)って戦闘を行なう武装集団、いわば「海の侍」が多数存在していた。室町時代に入ってからそれらが次第に統合され組織化されていくと、やがて独自に海外との交易も行なうようになる一方、航行する他の船から通行料を徴収したり、ときには海賊行為も行なったりして、次第にその勢力を拡大していくこととなった。その中でも、瀬戸内海の芸予諸島に本拠地を置く村上水軍と、津軽に本拠地を置く安東水軍は、その規模の大きさと活動範囲の広さから特に有名である。しかし、そのような水軍も戦国時代になると、徐々に「陸の侍」即ち大名の支配下に置かれるようになっていった。
 またその一方で、大名の立てた策略によって財産を奪われた末、組織を壊滅させられた海の侍たちもいた。その被害者やその遺族たちは、自衛の必要に迫られたということもあり、あるとき一致団結して、大名に復讐するための海賊組織を結成した。
一、人ヲ人ト思ハヌ者、此レ我ラガ仇ナリ。仇ハ討ツベシ。
(人を人間扱いしない者は俺たちの仇(かたき)だ。仇はやっつけるべきだ。)
 これは、彼らがそのときに掲げた趣旨の中の一つだ。ハヤテ父子の所属していた集団も、ある大名の立てた計略によって二年前に壊滅させられ、その際ハヤテの父のカヂは命を落としていた。なんとか生き残った者は、その後このような趣旨を掲げた組織があることを知り、各々(おのおの)の家族らと共にその仲間に加わったのであった。
 この時代、大名に裏切られた弱者は、その大名と敵対している別の大名側に組(くみ)して、その力を借りて仇を討つのが定石(じょうせき)であった。しかし、ハヤテが入ったこの組織は、いかなる大名とも一切(いっさい)手を組もうとはしなかったところに、その最大の特色がある。陰謀や裏切り行為を平然と行なっている戦国大名という存在そのものに対して、彼らは疑問を抱いてしまったのである。言い方を変えれば、人を利用するだけ利用しておいて、用がなくなれば使い古した道具のように処分するという権力者のやり方に辟易し、その力に依存することをやめてしまったというわけだ。
 その発足当初は、瀬戸内海沿岸各地の小規模な集団の寄せ集めでしかなく、一過性(いっかせい)のもののように思われたが、権力に従うことを拒(こば)んだ紀伊半島の雑賀衆(さいかしゅう)の一派も加わり、和人(わじん)だけでなく、同じ境遇の周辺諸国の人々と連帯するに及ぶと、その思想を維持しながら軍事経済共に優れた組織へと成長をとげていくこととなった。
 そのため、彼らが襲撃する対象は、ただの海賊や倭寇(わこう)のそれとは異なっていた。一般人に手を出すことはなく、海上でも陸に上がっても、襲うのは決まって大名とその家臣や官人が所有する船や屋敷だったからだ。
 そんな彼らの存在を、大名配下の水軍は薄々勘付くようになっていた。この海賊たちが捕らえた敵をみな殺しにしているのは、ただ単に復讐のためだけではなく、情報の漏洩(ろうえい)を防ぐためでもあったのだろう。
 敵の始末が終わり、みながそれぞれの部署に戻ると、本拠地がある瀬戸内海目指して、海賊船白鷹丸は更に船足(ふなあし)を速めた。

 どんよりと曇った蒸し暑い夏の朝。
 海沿いに並ぶ茅葺き屋根の家々と、それに沿った細い街道という、見覚えのある景色がまずハヤテの目に映った。その道沿いの丘の斜面の木々からは、無数の蝉の声が急(せ)き立てるように降っている。
 ハヤテが次に目にしたのは、その街道に大勢の村人が立ち並び、白い立派な着物を身に着けた一人の娘を見送っている場面だった。彼女は家族に付き添われながら、街道を北へ向かって静々と進んで行く。その娘がシャがであることにハヤテが気付いたのは、その家族の顔ぶれを見てからだ。それほど彼女は、ハヤテの記憶にある姿よりも大人びて見えた。
 その道端の浜茄子は、以前ハヤテがこの村にいた頃と同じような赤い実を付けている。
 次にハヤテが目にしたのは、北の丘を浜に向かって降りて来る人々だった。折烏帽子(おりえぼし)を被って、素襖(すおう)と長袴(ながばかま)で正装した侍三人が馬に乗り、その後ろには駕籠(かご)かき二人が一つの駕籠を担(かつ)いでいる。
 やがて、その一行がシャガ一行の手前に来て止まると、駕籠かきは踵(きびす)を反(かえ)して駕籠を下ろし、侍たちは馬を回して町の方を向いた。
 馬上の侍の一人が、シャガに向かって駕籠に乗るよう笑顔で勧めているのが見える。しかし、それとは対照的にシャガの表情は極めて暗く、こんなに美しく悲しげな女の姿をハヤテは今まで見たことがないと思った。
 シャガは駕籠の横まで来ると、一旦それを背にして海の方を向いた。そして、別れを惜しむかのようにその灰色の水平線の端から端までを見渡すと、その目頭を袖で押さえた。
 彼女は駕籠に向き直ると、身を屈めてその簾(すだれ)を上げ、中に入ってからそれを下ろした。先ほど駕籠に乗るように言った侍が馬を進めると、駕籠かきはそれに続いて駕籠を持ち上げて歩き出した。それに続いてシャガの家の者と親戚一同が、そして残る二人の侍の馬が次々とその後に続いた。
 一行が北に向かってしばらく進むと、駕籠の中から小麦色の細い手が出て、持っていた何かを道端に落とした。ハヤテがよく見ると、それはなんと三年前自分がこの村を出る際にシャガの枕元に置いてきた、あの貝殻の首飾りではないか!!!
 ハヤテは思わず身を起こした。
 荒い息をしながら周囲を見回せば、そこは暗い部屋の中で、こげ茶色の木の壁のところどころには、小さな明かりがゆらゆらと揺れているのが見える。それを目にしたハヤテは、ここが大海原(おおうなばら)を疾走する白鷹丸乗組員の船室であり、先ほど自分が見ていた光景は夢であったということに初めて気が付いた。
 ザザーッという船が波を切る単調な音に加えて、闇の中のあちこちからは仲間たちの立てる鼾(いびき)が聞こえている。それらはハヤテにとって平和の象徴のような音と映像であり、普段なら微笑ましく感じるのであったが、今の彼には憎らしく思えてきた。そんなことを思う自分自身に対する嫌悪さえ感じたハヤテは、この場に居たたまれなくなって寝床から立ち上がると、戸を開けて船室の外に出た。
 シャガの夢を見るたびに、彼女のことを思い出して無性に会いたくなるハヤテだったが、単独行動が許されない組織の一員となった今では、それを実現させることが以前にも増して困難となっていた。
 その夢を見るまでの間隔は、日ごとに長くなってきており、近頃では一ヵ月のあいだ一度も見ないようなこともあった。そのため彼は、『こうして人は新たな恋をするのだろうか?』と思うようにすらなっていた。
 普段ハヤテが見るシャガの夢は、彼女が村の女たちと共に浜で貝を採っていたり、小川から汲んで来た水で洗濯などをしているというような生活に密着した場面が多かった。ところが今夜の夢は、今までに一度も見たことがない場面であった。それが彼の心の中に、「不安」と「焦り」と「苛立(いらだ)ち」と「歯痒(はがゆ)さ」を一挙に発生させた。
 ハヤテは一人、真っ暗闇の階段を手探りで登ると、月に明るく照らされた甲板の上に出た。船首が波を切るザザザザーッという音が絶え間なくしており、帆綱が風を切るヒュウヒュウという音も時折り小さく聞こえる。
 暗闇の中から、突然鋭い声がした。
こら! 今時分(いまじぶん)なんばしちょうとね!
 それとほとんど同時に、ハヤテの目の前にスッと黒い影が立ちはだかった。
 それは今夜の見張り番の中の一人で、ハヤテより三つほど年上の仲間だった。その長い髪は夜風にはためいており、それと向き合うヤテの長い髪も、やはり同じ向きにはためいている。
「変な夢見て、寝れんようになりよったんじゃ。」
 その声を聞いた見張りは、すぐに緊張をとくと、穏やかな声になって言った。
「……おぅ、ハヤテ。女子(おなご)の夢とね?」
「……まぁそげな夢じゃ。」
月夜  二人は、船べりに並んで肘を着くと、月の光に照らされてキラキラと輝く海を眺めた。ハヤテは、目まぐるしく現われては消えゆく光の粒を見詰めながら、その仲間に今までの経緯を簡単にまとめて話した。三年前、北の海で遭難した自分は、島の村人に助けられ、そこに住む一人の娘に恋をしてしまったということと、たった今見たその娘の夢のことをだ。
 それを聴き終えた仲間は、ハヤテと同じように光の粒を見詰めながら、静かな口調でこう言った。
「……嫁入り行列でなかとね? そん娘、侍んとこば嫁に行きよっとよ。」
 それを聞いたハヤテは黙り込んでしまった。彼の記憶の中のシャガは、いつまでも子供のままであったが、当時の現実の世界では、一般の女は時期が来れば結婚して当たり前であった。彼は今ようやく、そのことに気が付いたのだ。
 ハヤテが何も喋らなくなってしまったので、その仲間が尋ねた。
「今も惚れよっとね?」
 ハヤテは少し考えてからその問いに答えた。
「……わからん。ようわからんが、侍の嫁なんぞにさせとうない。」
 その仲間は、ハヤテの方を向くと笑ってこう言った。
「ハハハ、完璧に惚れちょる証拠ばい!」
 ハヤテは、やや困ったように言った。
「どげんしたら、ええんじゃろう?」
 仲間は、真剣な口調になってこう言った。
「諦めて忘れる、会いに行くの二つに一つとよ。」
 ハヤテは、また黙ってしまった。よく考えれば、確かに彼の言う通りだ。
「ま、よう考えんしゃい。おい見張りの仕事中じゃき……。」
 その仲間はそう言うが早いか、現れたときのようにしてスッとまた闇の中へ消えてしまった。
 ハヤテは、依然として光の粒を見ながら考えた。
 もしさっきの夢が正夢だとすれば、シャガは嫁入りまで首飾りを大事に持っていたということだ。とすると、自分の「好きだ」という気持ちは伝わっていて、彼女はそれを受け入れていたということになる。そのような女を、どうして諦められよう。
 しかし、あの村は遠い。時間を掛けてたどり着いたとしても、彼女は既に嫁に出た後かも知れぬ。また、もしこれが正夢ではないのなら、シャガ自分のことなどもうとっくに忘れて、既に誰かの妻になっているかも知れぬ。それなら苦労してあの村まで行っても、無駄な骨折りになってしまう。
 そう思った途端、光の粒がまるで無数の涙のように見えてきて、ハヤテ自身も胸が痛んで涙が出そうになった。するとハヤテは、自分の臆病を隠すための口実を、自分で無意識のうちに探しているということに気が付いて、とても恥ずかしくなった。
満月 『ここまで想うとるんなら、会うてわしのこの気持ち伝えないけんわ。後に悔いを残さんためにも……。』
 満月を見上げたハヤテはそう思った。
 十七歳になったハヤテは、この組織では既に一人前として扱ってもらってはいるが、大きな船を持って独立するまでには、それ相応の知識と経験、そして財力が必要だった。それらを得るまでには、これから途方もない時間が必要となるのだろうが、今はそんな悠長(ゆうちょう)なことなどしてはいられない。
 彼が今置かれている状況の中であの遠い北の島へ行くのには、誰かの船に頼み込んで乗せてもらうか、誰かから船を借りるしかないだろう。そのためには、まず今回の仕事を無事終了させ、シャガに会いに行くことをこの組織の頭(かしら)から認めてもらわねばならなかった。
 船室に戻り自分の寝床へは入ったが、今度はそれらのことで頭が一杯になったハヤテは、やはり眠ることができなかった。

旗 五色旗  白鷹丸が、その本拠地のある瀬戸内海西部の小さな島に帰り着いたのは、それから五日後の午後のことだった。
 入港に際してその帆は既に畳まれており、前の帆柱には組織の紋を染めた大きな旗が、後ろの帆柱には戦いが勝利したことを示す五色の旗が、それぞれてっぺんに掲げられている。それらは初夏の青空を背景にして緩(ゆる)やかにはためいていた。
 左右両舷合わせて六十挺(ちょう)の櫂によって漕がれた白鷹丸は、港のある入り江の中へゆっくりと入って行った。その両側の岸は、いずれも高さ二間(けん)ほどの切り立った岩磯になっており、その上には緑の木々が生い茂っている。
 この入り江は湾曲しており、海底の地形がかなり複雑になっているので、これを把握している者が操舵しなければ、大きな船ならたちまち座礁してしまう。また、その奥にある港は外海を航行する船からは見えないので、海賊の秘密基地としては格好の場所となっていた。
 この島の山の頂上にある見張り台から、白鷹丸が帰って来たという情報を得た港では、船が勝利して戻ったことを知らせる半鐘(はんしょう)が賑やかに打ち鳴らされ、桟橋(さんばし)は出迎えの者で溢れて、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
 白鷹丸が港に入って来ると、その桟橋から十隻余りの大きな伝馬船が一斉に漕ぎ出した。この港は水深があまり深くなく、大型船はその途中までしか入れないため、そこから先の物資や人員の運搬は、この伝馬船の往復によって行われるのだ。
 それまで白鷹丸を漕いでいた櫂が動きを止めると、船はしばらくゆっくりと惰性で進んでいたが、太い綱に結び付けられた大きな錨(いかり)が、船首から投げ下ろされてしばらくすると、船はようやく止まって櫂が収納された。
 船を漕ぎ終えたハヤテには、最後の力仕事が待っている。船倉から甲板の上までずらっと並んだ仲間たちの列に加わったハヤテは、戦利品などの物資を次々と甲板の上に送り出していった。それらの物資はある程度まとめられると、甲板の上に据え付けられている大きな木製のクレーンによって吊られ、白鷹丸の周りを取り囲んでいる先ほどの伝馬船の上に次々と移されていった。その中で特に目立ったのは、かなりの数の木の樽(たる)であった。その中身は火薬のようだ。また、大小様々な木箱もあり、こちらの中身は中国製の陶磁器と見受けられる。いずれも、日本の大名が交易によって得た物だ。
 大勢の出迎えの者と数名の幹部が見守る桟橋では、伝馬船に積まれた戦利品が次々と陸揚げされていった。それら一つ一つは、係りの者が台帳に記入して集計し、頭(かしら)を筆頭とする幹部らの判断によって、今回の航海と戦闘の功労者に分け与えられる。そして、余った物は村が共有する財産として蔵の中で保管されることになるのだ。
 伝馬船を何往復もさせて、積荷の陸揚げと全ての乗組員の上陸が完了すると、海賊たちは桟橋を降りたところの砂浜に、山と積まれた戦利品を取り囲んで集結した。これから、その分配という、彼らが最も楽しみにしている時間が始まるのだ。
 やや緊張した空気の中で、大きな手柄を立てた者から順に名前が呼ばれていき、その功労に応じた戦利品と報酬の銀が手渡されていった。
 この組織に加入してから実戦の経験がこれで四度目の若いハヤテが呼ばれたのは、最後から五番目だったが、それでも中央に花と鳥の絵柄が華やかな瑠璃(るり)色で描かれた一抱えもある陶製の大皿を貰った。それに続いて、今回の仕事の報酬である銀も彼に手渡された。
 この時代の日本の銀貨は、近代以降の貨幣のように一定の形をしていたり、額面が記載されているようなものではなかった。その目方(めかた)は何種類か決まっていたが、発行される地方によって形は様々だった。
 貰った大皿を一旦足元の砂の上に置いたハヤテは、大きな仕事を一つ終えて緊張がとけたせいか「ふーっ」と息を一つ吐くと、懐から紐の付いた巾着を一つ取り出して、報酬の銀をその中に収めた。そして、汗でびっしょりと濡れた小袖を脱いで上半身裸になると、その小袖の汗を絞って肩にひょいと引っ掛けた。そのハヤテの首には、先ほどの巾着の他に、もう一つの物が掛かっている。それは琵琶を弾くときに用いる撥(ばち)の柄に紐を通したものだったが、そのいわれについては、また後日の話しとすることにしよう。
 足元の大皿を拾い上げて小脇に抱えたハヤテは、他の仲間たちと共に出迎えの人ごみの中に入って行った。
ハヤテ兄ちゃーん!
お帰りー!
 背の高いハヤテの姿を人ごみの中からいち早く見付けた彼の弟や妹たちが、彼の元に駆け寄って来た。五人兄弟の長男であるハヤテは、自分を取り囲んだ彼らに向かって嬉しそうに微笑んで言った。
「おう、今戻った。おかあも達者(たっしゃ)か?」
 その問いには、すぐ下の弟のリョウが答えた。
「おう、さっきまで、浜で宴(うたげ)の支度しちょったわ。」
 間もなく人ごみの中から、小柄で細身の女性が現れた。普段は海女の仕事をしているようで、その顔は真っ黒に日焼けしており、丸みをおびた額が初夏の陽射しを白く反射させている。長い黒髪を背中で束ね、藍(あい)で絞り染めした涼しげな柄の小袖に、洗い晒(ざら)しの紅色(べにいろ)の帯をした彼女は、水仕事か調理の途中らしく、白い紐で襷(たすき)をしていた。彼女はハヤテを見付けると笑顔になり、片手を振りながら大きな声で言った。
ハヤテ! よう戻った!
 ハヤテの母キクであった。ハヤテは今貰ったばかりの大皿を両手で高々と差し上げて見せた。
おかあ! これ貰うたわ!
 キクが近くに来ると、ハヤテはその皿を自分の胸の前に立てて彼女に見易いようにした。その絵柄をしげしげと眺めながらキクが言った。
「おお、こりゃまた大きゅうて美しい皿じゃのぅ!」
 ハヤテは微笑んで言った。
「多分、明国のもんじゃろう。」
 末の妹アカネと、その下の弟ショウが、歓声を上げながらそのハヤテと母の周りを回り始めた。
「わーい! 大きい皿じゃ! 美しい皿じゃ! 大きい皿じゃ! 美しい皿じゃ!」
 父亡き後の一家の稼ぎ頭であり、頼りにしているこの兄が無事に帰還したので、彼らは嬉しかったのだろう。
「あんたが無事に戻りゃったけん母ちゃん安心した。また宴の支度しに戻るわ。」
 キクは笑顔でそう言うとアカネの手を引いて、港の横にある浜の宴会場へと戻って行った。漁にしても海賊の仕事にしても、この村では男たちが海から戻ると、その食事の支度(したく)で女たちの方が忙しくなる。
 兄が無事戻ったことの嬉しさに顔をほころばせながらも、ハヤテの何らかの変化を敏感に察知した、彼のすぐ下の妹ナミが言った。
「兄ちゃん、なにやら少し変わったのぅ。なんかこう、前にも増して凛々(りり)しゅうなったような……。」
 男の割りには内気で心優しい兄なのだが、その彼を傷付けぬよう「前にも増して」という言葉を添えた兄思いのナミであった。
 そう言われたハヤテといえば、惚れた女に遠路はるばる会いに行くという決心をしただけで、自分の外見までもが変化していたということに、いささか驚いていた。しかしそのことは言わずに、彼女の耳元で声を落としてこう言った。
「……シャガに会いに行こう思うとるんじゃ……また後で話す……。」
 次に普段の声に戻って、彼はこう言った。
「この皿、家に置いて来るわ。これから宴会じゃけんのぅ。」
 そしてハヤテは、二人の弟を従えると、早足で自宅へと向かった。驚いて目を丸くしていたナミは、ゆっくりと頷きながら、兄の背中に向かってこう言った。
「……わかった。その話し、また後で聞くわ……。」
 そして彼女は、宴会の支度の続きをするために、母と妹の後を追って浜へと向かった。
 以前からハヤテは、家族の中でこのナミにだけは、シャガのことを話して聞かせていた……。

入道雲  港がある浜では、海賊たちの宴たけなわとなっていたが、それを途中で抜けて来たハヤテは、村はずれにある自宅の裏の浜で、砂の上にどさっと仰向けになって寝転んだ。シャガに会いに行く方法を考えなければならないため、宴会どころではなかったのだ。酒は少し飲んだがまだ酔ってはいない。青い空に湧き起こっている真っ白い入道雲を見詰めながら、ハヤテは物思いにふけった。
 しばらくすると、妹のナミもこの家に帰って来た。ハヤテが宴会から抜け出すときに、離れた席にいた彼女に目配せして来たのだ。彼女は少し息を切らせながら言った。
「兄ちゃん……待たせた。」
 ハヤテは上半身を起こして彼女の方を向くと、やや申し訳なさそうに言った。
「いや、急(せ)かせたのぅ。」
 ナミは片手を横に振って、それを否定するように言った。
「ううん、今度忙しゅうなるのは片付けのときじゃ。今あの場におっても飲んで食う他(ほか)ないけんのぅ、それももう入らん。ハハハ!」
 ナミはそう言って笑うと、ご馳走で膨れた腹をポンポンと叩いて見せたので、ハヤテは苦笑いして言った。
「なんじゃ、食い過ぎて息切らせとったんか。」
 ナミはやや真剣な表情になると、その兄に向かって尋ねた。
「シャガさんに会いに行くて、ほんまか?」
 ハヤテも真剣な表情になって言った。
「おう。シャガが嫁入りする夢見てしもうたんじゃ……。」
 砂の上に胡坐をかいて座り直したハヤテは、シャガと会う決心をした経緯についてを語った。
 その横に腰を下ろして話しを聞き終えたナミが、感慨深げに言った。
「ほうかー……。もしその夢が正夢で、シャガさんが嫁入り前までその首飾り持ってなさったんなら、やっぱしシャガさん兄ちゃんのこと好きなんじゃろう……。
婿取りなさるか、嫁に行きなさるかは知らんけど、その時期来たらそのことで悩みなさるけん、たとえ正夢違うても会いに行かないけんわ。これ、贈り物渡した男の責任じゃ。うちはそう思う……。」
 そこで一旦言葉を切った彼女は、何かを思い出したようにこう言った。
「……そういやぁさっき、うちがお給仕しに行ったら、頭(かしら)たちが蔵に貯まった戦利品、どこぞへ売りに行くかどげんするかちゅう話ししちゃったぞ。」
「売りに行くはええが、どこへ売りに行くんよ?」
「北の方とか聞いたぞ。」
 それを聞くなり、ハヤテは目を輝かせて叫んだ。
「何と! こりゃ急に運が付いてきたげじゃ!」
 着物に付いた砂を掃(はら)いながら立ち上がったハヤテは、ナミに向かって元気良く言った。
「ありがとうナミ! わし、やっぱしまた宴会に戻るわ!」
 彼はそう言うが早いか、会場へ向かって浜を駆けて行った。

 その宴会では、戦闘の報告などが終わったのに、頭たち数人の幹部同士が珍しく真面目な長話しをしているようだった。西日を浴びて暑いので男は上半身裸になりながらも、その場の老若男女はみな、その話しに熱心に耳を傾けていた。
 頭の留守中にとんでもない情報が飛び込んで来たので、そのことを議論していたのだ。
 この海賊初代から数えて三代目である、現在の頭の名は喜助(きすけ)という。髪は黒々と背中で波打ち、浅黒い顔の大きな両眼の上の太い眉は、多少頑固ではあるが大らかな性格を表わしていた。日焼けした大きな上半身には、歴戦を物語る傷がいくつか刻まれている。中でも、右腕の肘から手の甲に掛けての大きな刀傷は一際(ひときわ)目立っていた。
 その喜助の額には、この組織の頭であることを示す、貝紫(かいむらさき)で全面鮮やかに染められた鉢巻が巻かれている。
鉢巻  貝紫とは、ある種の巻貝が持っている色素を取り出してつくられる染料のことを言う。紀元前千六百年頃では、地中海東岸を中心に栄えていた古代国家フェニキアの特産品だったそうだ。
 日本においては、佐賀県吉野ヶ里遺跡から発掘された弥生時代の二枚貝製の腕輪に、貝紫で染められた布の断片が巻き付いていたということが確認され、その原料となるアカニシの貝殻も多量に出土したのだそうだ。ところが現在の日本では、三重県志摩や長崎県五島の海女(あま)が使用する衣類に用いられている程度に留まっているということだ。
 このようにして、貝紫の一般での使用が廃(すた)れてしまった原因は、一つの貝から採れるそれはごく微量なので、布をちゃんと染めるためには大量の貝の採集を必要とし、それは非常に手間の掛かる作業となるからである。そのため、採集に比較的手間の掛からない紫草(むらさきぐさ)から採れる染料に、その座を奪われてしまったのだそうだ。
 しかし、日光に当てても色褪せせず、紫外線を吸収して発色するという、貝紫で染めた布独特の輝きは、人を引き付ける不思議な魅力を放っている。
 ハヤテはこの宴会場の中に、自分と同い年であるヤスの姿を見付けた。ハヤテと共にこの組織に加入した古くからの親友である。ハヤテはその横に座ると、彼の脇腹を肘でつっついて尋ねた。
「おいおい、何の話しぞ?」
「おおハヤテ、雪隠(せっちん)にでも行っとったんかいな。何の話しって、刀狩(かたながり)と海賊禁止令のことは、お前も知っとるじゃろう。」
「おう。」
「それが、ここへも来よるかわからんけん、どげんするかっちゅう話しじゃ。」
「ほうか。わしらの行く末も、いよいよ危(あや)ういのぅ。」
「鉄砲も刀も取られりゃ手も足も出ん。漁師か商人(あきんど)になる他はなかろう。」
 その近くに座っていたやはり彼らと同い年のケンが、その話しに加わりながら手足と首を縮込めた亀の真似をして、 「その前に打ち首じゃーっ!」
 と言ったので、二人は思わずどっと大笑いしてしまった。
 笑い声を耳にした頭の喜助は、その若者たちの方を向くと、大きな目を更にカッと見開いて、悪戯(いたずら)小僧でも叱るような口調で怒鳴った。
こらーっ! 人が真面目に話ししとるのに、何を笑うかーーっ!!
 三人の若者は一斉に縮こまって俯くと、互いに目を見合わせて笑いを堪えた。その姿を見た頭の側近を務めるロクがわざと真面目な口調で言った。
「……まあ、笑えるうちに笑うとくがええわ。じきに笑いとうても笑えんような世になりよるけん。」
鉢巻  それを聞いたその周囲の海賊たちがどっと笑った。
 ロクも喜助同様長身だが、痩せ型で穏和な顔立ちをしており、他の仲間同様やはり黒々とした長い髪を伸ばし、この組織の旗印を染めた鉢巻をしている。
 さて、この時代の各地の大名たちは、織田信長に次いで豊臣秀吉の支配下に続々と入っており、それは武士同士の優劣を決定付けるものであった。ところが、その頂点に立った者はそれだけでは満足しなかった。つまり、武士そのものの地位を不動のものとするため、身分を明確にしておく制度を設けようとしていたのである。信長の検地、それに次ぐ秀吉の検地は、その下拵(したごしら)えであった。
 また、秀吉はこの前年にあたる天正十六(一五八八)年七月に刀狩(かたながり)令というものを出した。
「一、諸国百姓等、刀、わきざし、弓、鑓(やり)、鉄砲、其外(そのほか)武具のたぐい所持候事(しょじそうろうこと)、かたく御停止候(ごていしそうろう)……」の条文で始まるこの法令の主な狙いは、武装しているのが当たり前だった当時の百姓から武器を取り上げることによって、武士と農民の区別を明確にし、一揆(いっき)などを封じ込めることにあった。
 また、当時中国大陸を支配していた明王朝からの要請による「倭寇の取り締まり」という名目で、秀吉は海賊禁止令というものを既に出していたのだが、昨年七月になってそれが再び発令された。ところが今回の場合は事情がやや異なっている。中国は長いあいだ外国との貿易を明王朝によって独占されていたのだが、この二十年余り前に一般人の貿易も認める政策に転換していた。それによって、それまで倭寇で生計を立てていた者が次々と貿易商に転職しており、この当時の倭寇は既にかなり下火になっていたはずだ。だから、秀吉が今回出した法令は、倭寇というよりも、むしろ日本国内の海賊取締りのためのものと見て良かろう。
 このような状況で喜助たちが海賊行為を今後も継続すれば、討伐の対象となることは確実だった。喜助は厳しい表情で言った。
「前の禁止令は、備後と伊予とのあいだの島々で派手にやっとる衆に向けてじゃろうが、今度の令はわしらみたいに地味なもん取り締まりたいっちゅうんが、その腹の内じゃろう。」
「……いずれにせよ、ここに侍か役人が来よる前に、蔵ん中んもんどうかしとかないけんぞ。」
 そう言ったのは、今回部下と共に安芸(あき)に渡って数日前に戻った権次(ごんじ)という名の仲間であった。安芸では、近頃勢いを増してきた毛利輝元(もうりてるもと)という武将が、太田川下流の扇状地に大きな城を築き始めたという噂が流れたので、それを確かめに行ったのである。これは後に広島城となる城だ。その際、役人がこの島にも来るかも知れぬという、今議論している情報を仕入れて来たのだった。
「こりゃぁやっぱし、本拠地を移転せにゃいかん思うがよ。」
「移転すりゃぁかえって目立つ。漁師ば成り済ましてここにおる方がよか。」
「移転する場所も当面見当たらんし、武器もいずれは見付かろうわい。組織の財産分配して、ひとまず解散ぞ、なもし。」
 既に先ほどから、様々な国の言葉で様々な意見が飛び交っていた。そこに、やや嗄(か)れてはいるが良く通る声が一際大きく響いた。
「待て待て。これでは堂々巡りじゃろうが……。」
 それは、先ほどからの議論を幹部席の隅の方で黙って聞いていた、白髪の老人の声だった。
 彼の名はモラ、この海賊の創設者の一人で初代の頭を勤めた猛者(もさ)だ。それを引退して顧問となってからは、実戦に参加することこそなくなったが、漁や野良仕事で毎日鍛えているためか、小柄だが筋肉質のその体は真っ黒に日焼けしており、七十歳を越えているとはとても思えない張りがあった。
 長い白髭は、一本の三つ編みにして背中に垂らしている。そして、その右目は大きな刀傷のために開けられることはなく、開いている大きな左目は普段物静かでかすかな憂いを帯びているが、時折鋭く光ることがあった。そんな恐ろしげな風貌には似合わず、モラは穏やかな口調で言葉を続けた。
「……ここに役人が来よるにしても来んにしても、蔵ん中の刀や鉄砲は売って金銀に替えてしもうた方が良かろう。合戦(かっせん)なき世で、わしらんような稼業(かぎょう)は、もはや成り立たん。ほんなら別の生業(なりわい)早めに探しといた方がええ思うがのぅ。」
 その言葉が終わると、会場が一瞬静かになった。その発言には、それなりの説得力があったからだ。
 蔵の中の品物には、刀や火縄銃(ひなわじゅう)などの武器弾薬が数多く含まれている。苦労して集めたそれらの物品を、役人に没収されて武士の手に返すくらいなら、自分たちと同じように武士と戦う者によって使われた方がいいに決まっている。
 また、たとえ役人が来なくとも、天下が統一され戦のない世の中になれば、このような武器を武士以外の者が売買することは、今よりももっと困難になることは間違いない。今のうちにそれを金銀に替えておくのが得策であろう。
 さらに国内の情勢は、この組織が発足した当初とはかなり様相(ようそう)を異(こと)にしている。瀬戸内海の小規模な水軍のほとんど全てが既に強大な水軍によって吸収されており、毛利や長宗我部(ちょうそがべ)などのような大名に仕える立場となっていた。そして、その毛利も長宗我部も、今は関白秀吉の支配下に置かれている。今後天下が完全に統一されれば、そのような水軍から集められた情報によって、権力者の目は必然的にこのような海賊に対して集中するに違いない。
 近隣の一般人に対してこの海賊たちは、半農半漁を主としてたまに商売などしているように見せ掛けてはいるが、大名の放つ忍びの目まで誤魔化すことはできないだろう。そして、その情報を得た権力者は、いずれ掃討に乗り出して来るに違いない。この海賊たちがいくら勇敢で、船の性能がどれだけ優れていても、日本全国の大名を正面から敵に回せばまず勝ち目はない。
 その後の協議の末、蔵の中の武器弾薬は全国で一揆の機運が高まっている地域の首謀者たちに売り、それで得た金銀で最新式の大型船をもう一艘つくろうということになった。いざというときには、家族もろとも落ち延びることができるようにするためだ。
 そして当面は、地道(じみち)に田畑を耕し、漁と商いに精を出しながら、世の中の動きを見ていこうということになった。彼らのみな誰もが、そのいずれかを心得ていたので、それはかなり現実的な選択であった。
 武器弾薬行商の出発の日取りも決まった。明後日の早朝だ。頭と幹部を除く中堅以上の乗組員や兵隊たちは、今回留守役だった者と入れ替わることになったが、若手は再び起用されることとなり、ハヤテもその中にちゃんと入っていた。彼がこの幸運を喜んだことは言うまでもない。
 このようなことが決まると議論はようやく終わり、それに続いて宴会もお開きとなった。

 その二日後の未明、準備万端整えた海賊船白鷹丸は本拠地の港を出港した。その要所要所には、この時だけ明かりがともされ、船を曲がりくねった入り江の出口へと誘導した。
 その翌日の昼頃に白鷹丸は、早くも関門海峡に差し掛かっていた。このあたりの水軍は強大で、よその船が航行しているところを発見すると、通行料の納入を迫って来ることもある。その際、積荷の武器弾薬が発見されて横取りされては困るので、海賊たちは夕闇に紛れてこの海峡の通過を行うことにした。そのため彼らは帆を畳み、船を停めて日暮れを待った。
 やがて夕闇迫ると、彼らは再び海峡へ向けて船を進めた。
 彼らはここの地形をよく把握していたので、船は座礁することも水軍に発見されることもなく、無事に海峡を通過することができた。
 その後、響灘を経て日本海に出た白鷹丸は、進路を東北東に変えると、日本海沿岸の大きな港に寄港しては武器弾薬の密売をしていった。一揆の首謀者の中には、兵隊を集めるために資金を使い果たしている者もおり、そのような場合、不足分をそれ相応の馬や砂鉄などで支払いたいという申し出もあった。馬は今後何かにつけて必要になるだろうし、砂鉄は武器だけでなく農器具や釣り針の製造にも欠かせない資源となるので、喜助はそのたびにそれを快(こころよ)く承諾した。
 そのようにして「商品」を売りさばいていった一行は、最終目的地の南部でそれらを完売すると、早速帰路に就くことにした。来た航路を逆戻りして津軽海峡を抜けた白鷹丸は、再び日本海に出た。
 帆船というものは、風が吹かなければ櫂を使って人力で進むか、どこかの港に寄港して風を待たなければならない。しかし、一度帆が風を捉えて船が疾走を始めれば、もちろん櫂を使う必要もなくなるし、それが浅瀬の多い海域でない限り、操舵、見張りなどの一部の者を除いて、乗員はある程度自由な時間が持てるようになる。
 この日は朝から天気も良く、白鷹丸は初夏の日本海を西南に向かって順調に進んでいた。待望の追い風になったので、手の空いた者は上の甲板に出て、魚釣りや賭博などに興じ始めた。右舷前方には、薄っすらとした陸が見えている。
 先ほどから中型の鯖(さば)を十数尾も釣り上げた頭の喜助は、それに満足した様子で、左舷前方の船べりにもたれながら、他の者が魚を釣り上げる様を見るとなしに見ていた。個人的な話しをする絶好の機会だ。
 ハヤテは、その喜助の前に来ると、軽く頭を下げてからこう言った。
「頭。ちぃとお話しがありますが、よろしいですかのぅ。」
 喜助はハヤテの方を向くと、快(こころよ)くそれに応じた。
「おぅ、ハヤテ。ええぞ、言うてみぃ。」
「わし、三年前の時化(しけ)で船から落って、あこの島の村のもんの世話になっとったことがありました。」
 ハヤテはそう言って右舷前方の陸を指差した。喜助は、そちらにちらっと目を向けてから言った。
「おぅ、その話し、いつぞや聞いたことあるわ。」
 ハヤテは、やや俯(うつむ)くと頬をやや赤くして言った。
「ほいでわし、その村の一人の女子(おなご)のこと、忘れられんようになってしもうたんです。」
「ハハハ、そりゃようあることじゃわい……。」
 明るく笑ってそう言うと、察しの早い喜助は言葉を続けた。
「……そいで、その女子に会いに行きたいっちゅうことじゃな。」
 顔を上げたハヤテは、照れながらも嬉しそうに言った。
「ハハハ、まあ、そげなことです。」
 喜助は太い眉を寄せて、優しくもちょっと困った顔になった。
「ハヤテや。お前のその気持ちようわかるがのぅ、私用のために船止めたり進路変えたりするわけにはいけんのじゃ。そりゃお前もよう知っとることじゃろう。」
 ハヤテは、真剣な表情になってこう言った。
「はい、知っとります。仲間に迷惑は掛けません。伝馬を一隻貸してもらえりゃぁ、そっからは自力で行きますけん。」
 船には伝馬船が数隻積んである。緊急の場合を除けば、その全てが使用されることはないので、一隻ぐらいなら何とか都合が付はずだ。喜助も真顔になって尋ねた。
「伝馬を貸すのはええよ。じゃが帰りはどげんする? 本船は止まらんぞ。」
「何日掛けてでも、自力で本拠地に戻って見せますけん……。」
 ハヤテの口調は少し頼りなくなった。確かに伝馬船を漕いで本州沿岸をこのまま進めば、やがて関門海峡を抜けて瀬戸内海にたどり着けることだろう。しかしシャガとの再会を果たしたとしても、彼女が海賊である自分のところへ嫁に来てくれるという望みは薄い。増してや彼女の家が女系なのを知っているハヤテの心の中には、『もし自分が婿に行くとなると話しがもっとややこしくなってくる』という危惧が生じた。
 そのようなハヤテの思いを敏感に察した喜助の目付きが、やや険(けわ)しくなった。
「そのまま戻らんちゅうことも、あるんじゃろう。」
 ハヤテは慌てて彼のその言葉を否定した。
「いえいえ! わしには母と妹弟おりますけん、そげなことまずありません!」
 ハヤテの家族構成と、彼の性格をよく把握している頭の喜助は、彼の言葉に偽りはないと思った。しかし、いくら親孝行な息子であり妹弟想いの兄ではあっても、一般社会の娘に惚れてしまったこの一途な若者の行動を、喜助は大体予測することができた。彼は軽く頷くと、話しをまとめるようにしてこう言った。
「よしゃ、ほならこうせんか。水の補給ちゅうことで、半日だけその村の近くへ船を停泊させるわ。水を補給する仲間五人と共に、お前も陸に上がるんじゃ。世話んなったもんに礼するのはわしらの流儀じゃけん、そのためにお前がその村に寄ること許すわ。
但し、日ぃ沈む前にゃぁ仲間の元へ必ず戻らないけんぞ。戻らんときは、どげんなるかわかっとるじゃろう?」
 喜助の口調は穏やかではあったが、その言葉の背後に立ちはだかっている黒い鉄の壁を感じ取ったハヤテは思わず身震いした。その壁とは、この組織を抜ける者や裏切る者に与えられる「死」という掟(おきて)であった。
 この時代、このような組織から抜ける者の中には、敵に情報を売り渡す者が少なからずいたからである。本拠地に家族がいるハヤテがそのようなことをするとはまず考えられないが、捕まって拷問を受けた際に絶対に口を割らないという保障は持てないだろう。
 もしそれで本拠地の在り処が敵に知られれば、そこは攻め込まれ、自分たちの命はもちろんのこと、家族さえも犠牲にすることになりかねない。そのため、外出の際彼らは、仲間同士でお互いを監視し合い、もし誰かがいなくなれば刺客となって、その者の死をはっきりと見届けるまで追い続けるのである。
 これは「掟」と言うよりもむしろ、人との信頼を何度も覆えされてきたがため、今までに身に付いてしまった悲しい習性と言うべきなのかも知れない。しかし、ハヤテは目を輝かせた。若手の彼に対して頭が採ったこの処置は、かなり寛大なものであったからだ。
「頭! かたじけない!」
 深々と頭を下げて礼を述べ、顔を上げたハヤテの目には、早速舵取りの者に陸へ寄ることを伝えに行く、頭喜助の黒く日焼けした広い背中が映った。
 間もなく、それまで右舷前方に見えていた陸が、次第に舳先(へさき)の方に移ってきた。船が進路を西南から西へと変えたためだ。
 やがて、今まで平たく淡い色をしていたその陸が、大きさと高さを増して色も濃くなってきたのがわかると、ハヤテの胸も次第に高鳴ってきた。それまで雲をつかむようであったシャガとの再会が、これではっきりとした形になってきたのだ。
 その陸は、西に長く突き出た半島だったようで、その先端の岬をぐるっと回った白鷹丸の進路は、今度は東に変わった。岬と入り江がいくつか連なる緑の海岸線を右舷間近に見ながらしばらく進んだところで、目的地が近いことをハヤテが喜助に告げた。
 その喜助の指示で帆が畳まれた白鷹丸は、櫂で進んで小さな入り江に入った。この東側にある小高い丘を一つ越えれば、そこはもうシャガが住む村の入り江になる。このような大きな船で直接そこに乗り入れると、地元の住民に無用な恐怖や誤解を与えることになるので、海賊たちは敢えてこのようにしたのだ。
 停船して船首から錨が下ろされると、空(から)になった大きな桶が何個か積み込まれた二隻の伝馬船が、それぞれクレーンで吊られて海面に下ろされた。漁師に変装した五人の仲間とハヤテは、二手に分かれてそこに乗り込んだ。ハヤテも変装しようとしたら、「その娘とその家族に真の姿を見てもらえ」と喜助から言われたので、彼だけは海賊の姿のままでいた。
 間もなく、二隻の伝馬船が陸目指して漕ぎ出した。
 このあたりの海底の地形のことは、ハヤテが一番詳しい。三年前にこのすぐ近くに住んでいて、毎日のように漁の手伝いをしていたので、それは当然のことだった。そのため彼が案内役となった。
 入り江の砂浜に伝馬船を着けた一行は、早速そこに上陸した。
 この入り江の北側を流れている川の水はとても澄んでいたので、水を補給する係りの者はそれを汲むことにした。
 ハヤテは、その仲間たちに向かって言った。
「わし、昔世話になったもんに礼言うて来るけん、待っとって下さい。」
 以前この島の村人から助けられたハヤテが、その礼を言いにその村へ寄るということを頭から既に聞かされていたので、みなは快く言った。
「おう。日暮れまでには戻って来いや!」
 ハヤテは、にっこり微笑んで頷くと、踵(きびす)を返して丘を登って行った。

 ハヤテが丘を登り詰めると、広々とした青い空と白い雲がまず目に入った。
 そこから左下に目を移すと、薄青い海が水平線まで続いており、真下を見れば薄茶色の広い砂浜が北に向かって伸びている。その右側には、浜と並行して緑の丘があり、その下を細い街道が、やはり浜に沿うようにしてずっと遠くの北の丘まで続いている。その中ほどの浜とのあいだに、十数軒の萱葺(かやぶ)き屋根が立ち並ぶ村が、初夏の昼下がりの空気に霞んで小さく見えた。
 ハヤテにとっては三年ぶりに目にする風景であったが、何もかもあの頃のままだ。シャガはもちろんのこと、老婆キヌや村長などの顔も脳裏に浮かぶ。
 しかし、浜はなぜか閑散としていた。男たちは遠くへ漁に出て、女たちは村の背後の丘の畑に行き、子供と老人は昼寝の最中なのであろうか。
 ハヤテは丘を下ると、左手に波の音を聞きながら、村へと続く細い街道を北に向かって走った。人通りのないその路上にはゆらゆらと陽炎(かげろう)が立ち昇っており、走るハヤテの足元からは砂埃が舞い上がった。丘の斜面の木々からは、無数の蝉の声が降っている。
 やがて、村の入り口に差し掛かったハヤテは、走るのをやめて早歩きになった。
 シャガの家は、村の真ん中からやや北寄りのところにある。今まで何度も心に描いてきた、その苔(こけ)むす茅葺き屋根が間近に迫ると、ハヤテは慎重にあたりを窺いながら、歩く速度を更に落としてそれに近付いた。
 その家の前へ来たハヤテは、母屋の横を忍び足で通ると、浜に面した裏手に回った。そこには裏口があり、開いているその中から人の話し声が聞こえて来る。ハヤテはその手前の砂の上に立ち止まると、その暗闇の中にじっと聞き耳を立てた。
「……関白(かんぱく)の考えていることなんざーわかってるさ。この世の全てを自分の物にしてーんだ。そんなことしてりゃそのうち、とんでもないバチが当たるよ!」
 それは、聞き覚えのあるシャガの祖母タネの声だったが、その口調からすると、どうも酒に酔っているようだった。
「お母様、そんなこと言うもんじゃありませんわ。関白様のようなご身分の方が、バチの当たるようなことをなさるはずがないじゃありませんか。」
 今度はシャガの継母トクの声がしたが、ハヤテはちょっと厭な顔をした。彼もシャガ同様、人の行いの良し悪しをその身分によって決め付ける、このような言い方が好きではなかったからだ。その直後、誰かが怒って何か言おうとしたのをさえぎり、わざと子供っぽく甘えているような若い女の声がした。
「父ちゃん、浜に出て貝殻拾いしよう! ねぇ父ちゃん!」
 それは、紛れもなくシャガの声であった。ハヤテは思わずスッと息を吸い込んだ。今まで会いたくてもずっと会えなかった彼女が、この薄っぺらい土壁の向こう側にいるのだ。しかし、このただならぬ状況は一体何なんだろう。彼は家の横に移動して、引き続き様子を窺(うかが)った。
「関白がなんだ! 侍がなんだっつーんだ、ばかやろー!」
 その叫び声と共に裏口からよろけながら飛び出したのは、シャガの父サブであった。その足取りからすると、かなり酒に酔っている様子だ。その後に続いて、質素な着物を着た二人の若い娘が次々と飛び出した。シャガと、その妹のトヨだ。
 二人とも、三年という月日を経て、それなりに成長していた。特にシャガは、かなり大人びていたので、それまでハヤテが覚えていた少女の面影との接点を探すのが、いささか困難だったほどだ。
 そのシャガが父の右手を、トヨが左手をそれぞれ引きながら、浜茄子の花が咲く小さな砂丘を登って行った。三人とも、家の横から顔を覗かせているハヤテには全く気付かずに、砂丘の向う側へと姿を消した。ハヤテは、ゆっくりとした足取りでその後を追った。
 波打ち際の手前の、藻などが帯状になって打ち上げられている場所まで来たシャガは、その中から何かを拾い上げると、それを父の目の前にかざして言った。
「父ちゃん、ほら! こんな綺麗(きれい)なの見付けたよ!」
 それは、美しい紫色をした二枚貝の貝殻だった。それまで吊り上がっていたサブの目は、シャガの手の平の上のそれを見るなり、少し緩んだ。彼は、穏やかな口調で言った。
「……うん、なかなか綺麗だ。」
 今度はトヨが、不規則な螺旋(らせん)状の巻貝の殻を拾って見せた。
「父ちゃん、これおもしろい形だよ。」
「おお、ほんとだ……。
よーし、俺も見付けるぞーっ!」
 サブの顔にいつもの笑顔が戻り、彼は童心に返って貝殻拾いを始めた。父がすぐに機嫌を直してくれたので、二人の娘はホッとして互いに笑顔を見合わせた。
 これで父を連れて帰れると思って、何気なく家の方に顔を向けたシャガは、そのままの姿勢で動かなくなり、思わず手に持っていた数個の貝殻をパラパラッと砂の上に落としてしまった。
 シャガの目が捉えたのは、砂丘の上に立ってこちらを見下ろしている、一人の背の高い若者の姿だった。真っ直ぐに伸びた髪は黒光りして胸の下にまで達し、額には中央に何かの模様を染めた鉢巻をしている。身に着けている麻の小袖と四幅袴は藍一色で染められており、腰には短めの刀を一本帯びているが、足には履物を履いておらず素足のままだ。
 そんな風変わりな出で立ちであっても、それがウミヒコだということがシャガにはすぐわかった。しかしあまりにも突然の再会だったので、彼女はすぐに言葉を発することができなかった。シャガのその異変に気付いたトヨも、間もなくウミヒコの存在に気が付いた。
 ウミヒコは、やや緊張した面持ちで砂丘を降りると、彼女たちのそばまで来て立ち止まった。そして、その二人に向かって、小声だがはっきりとした口調でこう言った。
「ウミヒコじゃ。覚えとるか。」
 シャガとトヨは、それぞれ遠慮がちに小さく頷き、シャガの目からは涙が溢れてきた。
 貝殻拾いに熱中していたサブも、さすがにその声でウミヒコの存在に気付いたようだ。サブは何やら奇声を発すると、ウミヒコの前まで駆け寄って砂に膝(ひざ)を着いた。そして、逞しくなったウミヒコの両腕をつかんでそれを激しく揺さ振ると、日焼けしている上に酒で更に赤黒くなっている顔に満面の笑みを湛え、ウミヒコの顔を見上げながら叫んだ。
おお、夢か現(うつつ)か幻(まぼろし)か! ウミヒコ! よくぞ戻って来てくれた! おお、ウミヒコよーっ!
 その大袈裟(おおげさ)な喜びぶりに、ウミヒコはちょっと照れながら言った。
「サブさん、その節はお世話になりました。」
「ウミヒコ! うちのシャガの婿になってくれないか。なあ、ウミヒコよ!」
 サブが笑顔でそう言うと、その後ろにいたシャガの顔が見る見る真っ赤になった。その横に立っていたトヨは、それを見て眉を寄せると、サブに近付き嗜めるように小声で言った。
ちょっと、父ちゃん!
 彼女は父の着物の袖を引っ張りながら、今度はウミヒコに向かって微笑んで言った。
「ウミヒコさん、久しぶりに会えたのに、父ちゃんがわけのわからないこと言ってごめんね。酔っ払ってるもんで……。」
 彼女は再び父に向かって小声で言った。
……父ちゃん、ここは二人っきりにしてあげようよ、ね。
 そしてトヨは、またウミヒコに向かって笑顔でこう言った。
「あたし、父ちゃん連れて一旦家に戻ります。それじゃ、後ほど……。」
 そう言いながらトヨが催促するように着物の袖をつんつんと引っ張ったので、娘のその言動の意味をようやく理解したサブも、ハッとしてからこう言った。
「……そうそう、それがいい。ハハハ、今日は飲み過ぎた……。ウミヒコ、さっきのことは気にしないどくれ!」
 サブはそう言い残すと、トヨと共に自分の家の方へと砂丘を登って行った。「気にするな」と言われても、事が事だけにウミヒコとしては気になってしまう。しかし、それまで赤くなっていたシャガが気を取り直して話題を変えた。
「……あの時あたし、ほんとはあんたと話しがしたかったのに、あんたはあたしの顔を見ようともしないで、怒ったような返事しかしなかったから……。」
 ウミヒコは、その言葉を途中でさえぎってこう言った。
「そりゃ悪かった。あんときゃぁわし、言葉のことで、みんなからからかわれとったけん、自信のうてまともに話しできんかったんじゃ。」
 ウミヒコの愁いを帯びた瞳を見詰めたシャガの目に、再び涙が溢れてきた。
「そうだったの……。『喋り方が変だ』なんて言ってごめんね。」
 ウミヒコは、軽く首を横に振って微笑むとこう言った。
「済んだことじゃけん、もうええわ。
それより、それ着けてくれとったんじゃのぅ。」
 彼が自分の首に掛かっている首飾りに目を遣ったので、シャガは嬉しそうに微笑んで言った。
「やっぱりあんたがくれたのね。そう思って、ずっと大事にしてたのよ。」
 ウミヒコは顔をやや赤らめて海の方を向くと、小声で照れ臭そうに言った。
「わし、あの頃は毎日お前のこと思うとったんよ。」
 シャガもやや照れながら、そのウミヒコに向かって言った。
「あたしもよ……。
あんた随分背ぇ伸びたね……。」
 そう言ったシャガは大きく潮風を吸い込んで、ちょっと眩しそうにウミヒコの横顔を見上げた。ウミヒコはそのシャガを見て言った。
「お前も大きゅうなったのぅ。ほいで……」
 彼はその後に「美(うつく)しゅうなった」という言葉を続けるつもりだったが、それをそんなありふれた言葉で言いたくないと思ったので、全く別のことを言った。
「……わし、お前の嫁入りの夢見たんじゃ。
ま、座らんか。」
 ウミヒコはそう言って海の方を向くと、砂の上に腰を下ろした。シャガも、その横に並んで腰を下ろした。
 ウミヒコは、この前の満月の夜に船で見たその夢のことをシャガに語って聞かせた。
 それを聞き終えたシャガは、目を丸くして驚いた。
「えー!? 不思議だわ! あたしもこの前の満月を見ながら、あんたに『戻って来て』って、心の中で叫んだのよ!」
 そして彼女は、丘に咲く浜茄子の花を見て、誰かと結婚することを決心したわけを説明した。
「……だから、あんたがこうして来てくれなければ、あたしは家を継ぐために誰かを婿に取るか、侍の妾(しょう)になるところだったの……。」
 深刻そうにそう語り終えたシャガは、赤くなって俯(うつむ)いてしまった。それを見たウミヒコも赤くなったが、彼女に向かってきっぱりとこう言った。
「わしが現われたけん、お前はもう侍なんぞの妾にならんでもええ。わしと一緒になるんじゃ!」
 それを聞いたシャガの顔は再び明るくなり、それをウミヒコに向けてこう言った。
「あんたのその言葉、ずっと待ってたのよ、ウミヒコ!」
 続いて彼女は、また真剣な表情になると、ややきっぱりとした口調で言った。
「……でも、『なんぞ』は余計だわ。」
 海の方を向いたウミヒコは、シャガのことを横目でチラッと見ると、やや不機嫌そうな口調になってこう言った。
「なんで余計なんじゃ。お前、侍が好きなんか?」
 シャガも海の方を向くと、首を横に振ってからそれに答えた。
「ううん。好きとか嫌いとかなんじゃなくて、『侍だから』とか『百姓だから』とか、そういう決め付けたような言い方を、あんたの口から聞きたくないだけ。」
 そして彼女は、再びウミヒコの方を向くと、こう言った。
「悪い侍もいるだろうけど、良い侍もいるはずだから、『侍なんぞ』っていう言い方は良くないわ。」
 ウミヒコもシャガの方を向いたが、やや興奮した口調でこう言った。
「そりゃ確かに、お前の言う通りかわからんよ。じゃが、わしらを雇っておった大名は極悪じゃったぞ!」
 シャガが『どう極悪だったの?』と問い掛ける目付きになったので、ウミヒコはそれに向けて説明した。
「その大名、『何処(どこ)そこの敵を討ち取りに行く。』言うて、わしらの村に水軍を差し向けよったんじゃ。わしら、『いつものようにお供すりゃええんじゃろう』ぐらいに思うとったら、その水軍、突然陸(おか)に上がって来よって村と船に火ぃ放ち、村人を殺し始めよったんじゃ。
相手が味方思うとったけん、もう武器取って戦う間(ま)ぁもなかったわ。けど、わしの親父は金銀入れる木箱に爆薬入れて、わざと目立つように大声上げて走った。敵がそれを追うとる間に、そげんしてわしら家族のもん逃がしよったんじゃ。その後、親父は取り囲んだ敵諸共(もろとも)吹っ飛んで死んだわ。
生き残った敵の奴ら、わしらの蔵ん中の財産みな持って行きよったけん、極悪の盗人(ぬすっと)じゃ!」
 怒りに燃えた目でそう語り終えたウミヒコは、懐から何やら取り出すと、それに付いている紐を首から抜いた。そして、驚きの余り言葉を失っているシャガにそれを手渡しながらこう言った。
「……これ、その親父がいつも使うとった琵琶(びわ)の撥(ばち)じゃ。」
 その、しゃもじの丸い部分を逆三角形にしたような物を手に取ったシャガは、声を詰まらせて言った。
「そうだったの……。それは惨(むご)いことを……。」
 それを両手で握り締めた彼女は、さめざめと泣いた。
 三年前、二人の男と共にウミヒコの父がこの村を訪れたときのことを、彼女は今でもはっきりと覚えていた。村で催された宴会の席で彼が吟(ぎん)じた琵琶の弾き語りは素晴らしく、それを思い出すと殊更(ことさら)に悲しみも大きくなった。
 やがて泣き終えたシャガは琵琶の撥をウミヒコに返すと、袖口で涙を拭いて海の遠い彼方(かなた)を見詰めながら、今までになく静かな口調でこう言った。
「……大昔、あたしたちの先祖は、今の北の町があるところに住んでたの。ところが、海を渡って来た侍に追われて、この地へ移り住んだと聞いてるわ。だからあたし、あんたのその気持ち、わかるような気がする……。」
 それ見たことかと言うような口調で、ウミヒコは言った。
「ほれ見ぃ! そうじゃろうが! この世で我がが一番偉い思うとる奴は、一番悪い奴じゃ。今の世の中、侍が一番偉うなろうとして、人を身分に縛り付けとるけん、侍は悪い奴じゃ。そりゃ他の身分でも同じ事じゃ。坊主が一番偉うなりゃ坊主が一番悪うなる。商人(あきんど)が一番偉うなりゃ商人が一番悪うなる。漁師が一番偉うなりゃぁ……そげなことまずないけどのぅ。」
 気は多少荒いが、策略を用いて人を支配するというような、陰湿で面倒なことを好まない漁師気質(りょうしかたぎ)をよく知っているこの二人は、思わず顔を見合わせて微笑んだ。
 シャガは、再び真剣な表情になると、こう言った。
「侍がみんな悪いとあたしは思わないけど、身分の違いで人の良し悪しを決めたり、人を騙して物を奪ってるような人たちは、悪いと言われてもしょうがないわね。」
 ウミヒコは何を思ったのか、ここで急に表情をやや硬くすると、シャガの褐色の瞳を見てこう言った。
「シャガや。誰にも言わんと誓えるか。」
「うん。」
 やはり真剣な顔でそう答えたシャガに向かって、ウミヒコは言った。
「実はわし、ただの漁師ではないんじゃ。」
 しかしシャガは、平然としてこう言った。
「海の忍術使いなんでしょ?」
 顔色を変えたのは、むしろウミヒコの方だった。
「なぜ知っとった!?」
 シャガは、彼を安心させるように微笑んでからこう言った。
「村長(むらおさ)の宗吉さんが、多分そうじゃないかって言ってたのよ。でも、お土産もたくさんくれたし、黄金(こがね)まで置いてってくれたあんたたちのこと悪く言う人、この村にはいないよ。」
 そう言い終えたシャガは、やや顔を曇らせると、言いにくそうにして言葉を付け加えた。
「……あんたのことを『きっと海賊の子に違いない』って言ってる、うちのお母さん以外はね……。」
 それを聞いたウミヒコは、仕方なさそうに言った。
「……トクさんのことはわしも知っとる。けどシャガや、それが世間の考え方なんじゃ。どげんしようもないわ……。」
 彼は、やや寂しそうに微笑むと話しを続けた。
「……『きっと海賊の子』どころか、おとうが死んだ後、わし正真正銘の海賊になったんじゃ。……こりゃぁそこの旗印(はたじるし)じゃ。」
鉢巻  ウミヒコはそう言って、自分が絞めていた鉢巻の中央に染められている交差した逆S字の紋を指差した。ウミヒコは、今度こそシャガが怖がるかと思ったが、彼女は再びその予想に反して微笑むと、穏やかな口調でこう言った。
「あんたが忍術使いであれ海賊であれ、あんたを思うあたしの気持ちは変わらないわ。」
 それの力強い言葉を聞いたウミヒコは、真剣な表情になってシャガの目を見詰め直した。
「……シャガ……。」
 ウミヒコはここでシャガを思い切り抱き締めたいという衝動に駆られたが、それは思い留まった。先ほどから気になっていたことを、その前に是非とも彼女と話し合っておく必要があったからだ。
 彼は遠回しに尋ねた。
「……サブさん、えろう酔うてみえたが、何かあったんか?」
「そうなのよ。実はね……。」
 シャガは語った。
 今朝、町の役人が数名の武士を引き連れて珍しくこの村を訪れた。その役人はシャガの家に来るなり、家長のタネに向かってこう言い放った。
「『百姓武具のたぐい所持すること固く禁ず』との関白様のご命令のことは既に存じておろう。」
 そして、ずかずかと家の中に土足で入って来ると、この家の家宝の一つである剣を有無を言わさず持ち去って行った。この家に剣があることや、その置き場所など役人が知るはずもないので、きっと誰かが告げ口でもしたのだろう。
 その銅でできた剣は、緑青(ろくしょう)を全面に噴いており、かなり古い物だということが見て取れた。また、ちゃんとした刃が付いていなかったので、そもそも人を切るためにつくられた道具ではなさそうだ。
「そんな『武具』じゃねぇもんまで取り上げるなんて!」
 祖母タネが憤慨してそう言っていた。
 役人が帰るのと入れ違いに、今度はシャガを妾にしたいと言っている北の町の侍の使いの者が現われてこう言った。
「殿は、『百姓より武家へ嫁ぐは誉(ほまれ)であるぞ』と申されておる。ただちに娘を差し出すように。」
 その催促(さいそく)に、タネはこう答えた。
「今すぐ返事はできない。浜茄子が実を付けるまで待っとくれ。」
 その言葉で使いの者が素直に帰ったのは良かったが、タネは落ち着かなかった。長女が受け継ぐことになっている家宝の一つを先ほど失ってしまったし、もしそのシャガが嫁に出ることになれば、この家に代々続いてきた家宝としきたりが、自分の代で一度に途絶えてしまうことになるからだ。その屈辱と不安を少しでも紛らわそうとしたタネは、サブを相手に昼間から酒を飲み出したのであった。
 一方その相手となったタネの娘婿のサブは、そのようなしきたりには無頓着(むとんちゃく)であったが、自分の家の家宝が無理やり持ち去られたのと、手塩(てしお)に掛けて育てた娘を北の町の侍の妾に出さねばならないというような状況になってきたので、かなりむしゃくしゃしていた。そのためタネと意気投合して、あのような有り様になったのであった。
 シャガがここまで語り終えると、ウミヒコが納得したように言った。
「ほうか……、ほいであげに喜ばれて『婿に来てくれ』言いなさったんじゃのぅ。」
「そうなのよ。どう? 来れそう?」
 シャガは、期待と不安の入り混じった眼差(まなざ)しでウミヒコを見たが、彼が何も言わず少し悲しそうな顔をしたので、彼女はすぐに目を伏せると、やはり悲しそうにこう言った。
「きっとあんたんちは、長男のあんたが継ぐんでしょ。だから婿には来れないんだよね……。」
 ウミヒコは、やや困ったような声で言った。
「確かにわしゃ長男じゃが、後を継ぐような立派な家なんぞない。そげなことじゃのうて、わしらにゃ組織から抜けたらいけんちゅう厳しい掟があるんじゃ。これを破ったもんの命はない……。
ほなわけで、仲間があの丘の向うで待っちょうけん、日暮れまでには戻らんならんのじゃ……。」
 最後は悲痛そうに声をかすれさせると、ウミヒコはシャガの顔から目をそらせた。
「えー! そんなー! ゆっくりしていってくれるんだと思ってたのにー!」
 彼女はそう言って両手で顔を覆うと、肩を震わせて激しく泣き出した。
「……こんなに長い年月待って、せっかく会えたのに……またどこかへ行ってしまうの……?」
 シャガは泣きじゃくりながらそう言った。
 とにかくまず彼女の涙を止めなければならぬと思ったウミヒコは、一瞬『彼女を連れてどこかへ逃げたらどうなるだろう……。』と思った。しかし、そうすると彼は仲間を裏切ることになるし、二人とも家族を捨てることになる。そのようなことは、仲間や家族を愛する自分にはとてもできないことだったし、それはシャガとて同じことであろう。彼は、その無謀な思いを心の中で打ち消してからこう言った。
「シャガや。わしと一緒に、わしの家に来んさい。」
 シャガは泣きながらも、すぐにかぶりを振って言った。
「……だめだわ。それは婆ちゃんを悲しませることになるから……。」
「ほんなら、お前の家んもんみなが、わしんとこの村に来るのはどうじゃ。みなでわしらの仲間に入って、わしはお前の婿になるんじゃ。ハハハ。」
 ウミヒコはそう言って軽く笑ったが、この案はここへ来るまで考えに考え抜いた末の切り札であった。
 シャガは泣きやむと袖で涙を拭きながら言った。
「……あたしが海賊に? やめてよ、ハハハ……。」
 涙を拭いて彼女も笑ったが、満更でもないという感じでウミヒコを見た。このとき目が合った二人は、極めて真剣な表情になって見詰め合った。
 自分のこの案をシャガが受け入れてくれるだろうという確信を持ったウミヒコは、それまで手かせ足かせのようにして自分の心を縛っていた鎖が、一挙に断ち切れたことを感じた。
 一方シャガは、ウミヒコが自分の手を握ってくるに違いないと予感した。
 しかし、そのシャガの予感は見事に外れた。ウミヒコは、彼女の背に片腕を回して抱き寄せると、優しくしっかりとその体を胸に抱き締めたからだ。
 彼が思ってもいなかったようなことをしてきたので、シャガは軽く「あっ」と声を漏らして彼の体を押し退けようとしたが、ウミヒコの腕の力にはかなわなかった。
 やがて、ウミヒコのその行為を許すかのように、シャガの腕が彼の背中へそっと回された。このとき、二つの深い呼吸が一つになった。
 ウミヒコは、自分がこの世に生を受けてからずっと捜し求めていたものを、今この瞬間ようやく捕まえることができたのだと思った。一方シャガは、ずっと心の中にあった漠然とした空白がハヤテによって埋められた喜びを噛み締めていた。
 初夏の午後の陽(ひ)はゆっくりと傾いていった…………。
 やがて、愛の昂(たか)ぶりが一旦収まったこの若い二人の心の中には、先ほどのような別れに対する焦りはもう微塵(みじん)もなかった。
 片手でシャガの背を抱いているウミヒコは、もう片方の手で彼女の頭を優しく撫でながら静かに言った。
「陽は沈んでも、わしの心はもうどこへも行かん。」
 ウミヒコの胸に頬を寄せていたシャガは、キラキラと光る海を見ながら呟いた。
「……明日を照らすために陽は沈む……。」
 ウミヒコはやや尊敬したような眼差しになると、胸の中のシャガに向かって言った。
「お前、うまいこと言うのぅ……。」
「……あたしが考えた言葉だって言いたいんだけど……。ほんとはね、この村に伝わる諺(ことわざ)なの。」
 そう言ったシャガは、ウミヒコの顔を見上げて微笑むと、再び彼の胸に頬を寄せて光る海を見詰めた。

 一方、家に戻ったサブは、みなに向かって「ウミヒコが帰って来た!」と言ったが、トクだけはその言葉を信じなかった。サブは多少むきになって言った。
「嘘じゃねぇ本当だ。ウミヒコはちゃんと帰って来たんだ。……なあ、トヨ。」
 トヨも興奮気味で言った。
「うん。あたしもはっきり見たし、声も聞いたもん!」
 サブは重ねて言った。
「嘘だと思うんなら、その目で確かめて来りゃいいんだ。裏の浜にシャガと二人でいるはずだから。」
 二人から相次いでこのように言われたトクは、やがて仕方なさそうに言った。
「……その必要はないわ。酔っ払ってるあなただけじゃなくて、トヨちゃんがそこまで言うんだから、きっと本当なんでしょう……。」
 トクが残念そうなのに対し、それまで不機嫌だったタネは、まるで水を得た魚のように見る見る元気になった。
「ハハ、そうか、そうか。こりゃ不幸中の幸いだ! 今夜はうちに泊まってもらえばいい……。
サブよ、飲み直すぞ! 酒盛りの支度だ! トヨ、支度ができたら、ウミヒコを呼びに行っとくれ!」
 トヨも嬉しそうに応えた。
「わかったよ、婆ちゃん!」
 やがてウミヒコを迎える支度が出来上がると、トヨは家の裏の浜へ彼を呼びに走った。浜茄子の咲く小さな砂丘を越えた彼女の目に映ったのは、浜に座り海を見ながら寄り添っている、ウミヒコと姉の姿だった。トヨは心の中で呟いた。
『……良かったね……。お姉ちゃん……。』
 今までの三年間、待ちに待ち続けた姉のことを考えると涙が溢れてくるトヨだったが、それを袖で拭くと、そこに向かって明るい声を投げ掛けた。
ウミヒコさーん! ささやかですが、うちで一杯やりませんかー。支度はできてまーす!
 その声に二人は振り返り、シャガは立ち上がりながら言った。
「ウミヒコ、日暮れまでにはまだ時間があるわ。うちへ寄ってってよ。」
 ウミヒコも立ち上がると、服に付いた砂を掃いながらシャガに向かって言った。
「おぅ。ほんなら、その前に村長(むらおさ)の宗吉さんと、キヌ婆さまの家へ顔出して来るわ。」
 村長に礼を言いたいのはもちろんだが、一人暮らしの老婆キヌは、ウミヒコがこの村に滞在しているときに、親代わりになって面倒を見てくれていた人だ。ウミヒコは、砂丘の上のトヨに向かって、片手を上げながらこう叫んだ。
よしゃ、わかったー。村長とキヌ婆さまの所へ顔出してから行くわー。先にやっとってくれんかのぅ。
はーい!
 トヨは、ウミヒコに向かってそう言うと砂丘の上から消えた。
 家に引き返すなりトヨは、そのウミヒコの言葉をタネに伝えた。それを聞いたタネは、頷いてこう言った。
「そりゃ尤(もっと)もなことだ。
よし、そんなら天気も良いし浜でやろう。そうすりゃウミヒコもみんなと会える。」
 そう言って早速腰を上げた。
 間もなく飲み会の会場がシャガの家の裏の浜に移され、タネはその中央に火を焚いた。
 やがて、イカの一夜干や魚の干物、酒の入った瓢箪(ひょうたん)などを手に持った、村長と老婆キヌをはじめとする数名の村人が、ウミヒコを伴なってそこに現れた。
 ウミヒコの横を歩いているキヌが、海賊の旗印を染めた鉢巻を見上げながらこう言った。
「……それにしてもウミヒコ、ほんとに立派になったねぇ。さっきあんたが戸口に立ったとき、どこのあんちゃんかと思ったよ。いやいや驚いた。」
 その近くを歩いていた漁師の男が言った。
「こんな小さな村のことを覚えていて、また良く来てくれたもんだ。」
 別の誰かが囃(はや)した。
「そりゃ、ウミヒコにはシャガがいるもん。忘れるわけないよ。なあ、ウミヒコよ!」
 それに対してウミヒコは赤くなりながら、こう言った。
「『違う』言うたら嘘になるけん、『はい』言うておきます。」
 その言葉で一同は陽気に笑った。
 タネの家の宝剣が、役人に取り上げられたということを耳にした村人たちは、恐れ慄(おのの)きと同時に、激しい憤(いきどお)りも覚えていた。そのため今日は誰も外に出ず、家の中でひっそりとしていたのだが、ウミヒコが帰って来たということと、彼を交えてタネの家の裏の浜で飲み会をするという噂(うわさ)が村中に広まると、以前からウミヒコに好意を持っていた者が続々とここに集まって来た。
 莚(むしろ)がぐるりと二重(ふたえ)に敷かれた浜の会場の真ん中には、既に火が明々と燃えており、そこで三人の幼い孫たちと共に魚を焼いているタネに向かって、村長の宗吉が声を掛けた。
「おお、こりゃまた立派な会場を拵(こしら)えてくれたもんだ……。タネよ、今朝はとんでもない目に遭ったが、ウミヒコが来てくれたんで、不幸中の幸いになったな。」
 自分の実の兄にあたる彼に向かってタネは言った。
「そうなんだよ。それで、今度はウミヒコも交えて飲み直そうと思ってな。あの子もみんなに会えるだろうし、ここでやることにしたのさ……。」
 集まった一同に向かって、タネは元気良く言った。
「さあ、みんな! まずは座っとくれ!」
 火を囲んで宗吉、キヌ、ウミヒコとタネ一家が胡坐をかいて座り、それを取り囲むようにしてその他の村人たちが座った。その莚の前には、既にいくつかの大きな素焼きの鉢が並んでおり、その中には干物や漬物などの食べ物が盛り付けてある。
 トヨが酒の入った大きな瓢箪を持って歩き、莚に座った者の杯に酒を注いで回った。それが一通り行き渡ると、タネがみなに向かって言った。
「今日は災難から転じて目出たい日になった! あり合わせの物しかないけど、さあ、みんな飲んで食ってくれ!」
 みなが飲み食いを始めると、ウミヒコは立ち上がって、まずここで世話になっていたことに対する礼を述べた。
「わしが今こうしておれるのも、あのときみなさんが、わしを介抱してその後も面倒見て下さったお陰です。ほんに有り難うございました。」
 宗吉がみなを代表して言った。
「いやいや、俺たちは人として当たり前のことをしたまでだよ。」
 ウミヒコは、懐から小振りの巾着を一つ取り出すと、宗吉の席に歩み寄ってこう言った。
「宗吉さん、こんなもん役に立つかどうかわかりませんが、村のための何かにでも使うて下さい。」
 ウミヒコからそれを受け取った宗吉は、その巾着をシャッシャッと振りながら尋ねた。
「何が入ってるんだ?」
「白玉(しらたま)です。」
 ウミヒコはそう答えると、自分の席に戻って座った。
 白玉とは真珠のことで、現在のような養殖の技術が発達していなかった当時では、金銀や宝石などと同等か、それ以上に価値のある宝物(ほうもつ)だ。
 宗吉は重ねて尋ねた。
「見てもいいか?」
「どうぞ。」
 ウミヒコが微笑んでそう言ったので、宗吉は巾着の紐をほどき、中身を少し手の平にあけて見た。
「おお、俺はこんな見事な白玉見るのは初めてだ。一体どうしたんだい?」
 ウミヒコは答えた。
「わしの国の方では、その大きさが普通です。この日のために、仕事の合い間に潜っては貝を捕って集めましたが、たったそれだけにしかなりませんでした。」
 そうは言ったが、その量は大人の片手に一杯ほどもある。みなもそこに集まって来てそれを覗き込むと口々に礼を言った。
「ありがとうよ、ウミヒコ。」
「採るの大変だっただろう、ありがとうよ。」
 そのみなが席に戻ると、宗吉がウミヒコに微笑んで尋ねた。
「ところでウミヒコ、あの琵琶の上手な父さんはどうしてるんだい?」
 ウミヒコは寂しそうに微笑んで言った。
「わしがこの村を去って一年ほどしてから、然(さ)る大名の策略によって還らぬ人となりました。」
 それを聞いた一同は、みな悲鳴のような声を上げた。
「えー!?」
「ほんとかい!?」
 ウミヒコは、引き続き寂しそうな表情で答えた。
「ええ、聞かれたから言いますけど、それはほんまのことです。」
 宗吉は袖で目頭を押さえて言った。
「……そりゃひでぇ話しだ。なんでそんなことになっちまったんだい?」
 ウミヒコはそれに答えた。
「わしら、あちこちで商売して儲かっとる思うとったんでしょう。敵が引き上げた後で見に行ったら、どの家の蔵もみな空(から)になっとりましたけん。」
 それを聞いた村人たちは大いに憤慨した。
「大名は昔から偉そうだったが、その上ずるいときてるから手が付けられないよ、まったく!」
もののふの道は立派なものだと思うけど、それは所詮もののふ同士の奇麗事で、俺たち百姓からは物を掠(かす)め取ろうとしてるんだからね!」
「世の中が変わっていくんだから、それにつれて侍の考え方も変わらなきゃ駄目だよ。」
 ウミヒコが言った。
「侍同士で争い合うとるだけならまだええんです。関係ないもん争いに巻き込んで、わしらのような弱いもんの命を何とも思うとらんちゅうことが、わしには許せんですよ。」
 村人たちは口々に叫んだ。
「そうだ!」
「そうだよ!」
 ウミヒコは、その村人たちに向かってこう言った。
「ほんでわしら、もう大名とは手ぇ組まんことにしたんです。」
 宗吉が感心したように頷いて言った。
「うん、そりゃぁ大したもんだ。」
 タネが心配そうに言った。
「でも、それじゃ何かと大変だろう。自分の身は自分で守らなきゃならないんだから。」
 するとウミヒコは、不敵な笑みを見せてこう言った。
「そうです。でも、今んところそれでなんとかなってますよ。鉄砲もあるし大きな船もあるし。」
 シャガが目を見張って言った。
「へー! その船はどれほど大きいの?」
「そうじゃのぅ……。」
 ウミヒコは座ったままで少し背伸びをすると、周囲をさっと見回してこう言った。
「……おう、この砂の丘の半分ほどの長さじゃ。」
 一同は、ウミヒコが指差したその村と浜とのあいだに横たわっている砂丘を見ると、誰もが感嘆の声を上げた。
「へー! そいつぁー立派だ!」
「ここらの殿様がもってる船よりも、ずっと大きいよ!」
 シャガが嬉しそうに尋ねた。
「そんなに大きな船があるんなら、きっと見知らぬ遠い国にも行けるんでしょうね!」
 ウミヒコは優しく微笑んで言った。
「おう、行けるとも。わし、琉球(りゅうきゅう)にも行ったし震旦(しんだん)の近くにも行ったぞ。」
 シャガは目を輝かせて言った。
「すごーい! ねえねえ、琉球ってどんな国なの?」
 ウミヒコも嬉しそうに言った。
「ぬくうて冬でも海に入れるし、果物は旨いし、珊瑚は美しいし、ええことずくめの国じゃ。」
 村人たちは目を輝かせて口々に言った。
「へー! そりゃいいね!」
「珊瑚って、話しには聞いてるけど一度見てみたいもんだね。」
 やがて宴もたけなわになってから、日暮れまでには仲間の元へ戻らねばならないということをウミヒコが告げると、人々は残念そうに言った。
「なんだ、ゆっくりしていくんじゃなかったのか……。」
 ウミヒコも残念そうに言った。
「ほんまはそうしていきたいんですが、約束がありますけん、残念です……。」
 宗吉が、寂しそうに微笑んで言った。
「……そうか、それなら仕方あるまい……。
まあ今日は、タネんちの家宝が一つ失われたが、逞しくなったウミヒコに会えたんで良かったよ。」
「その家宝を取られてしもうたちゅう話し、先ほどシャガから聞きました。何かいわれのある剣(つるぎ)なんですか?」
 宗吉とタネを交互に見てウミヒコがそう尋ねると、タネがそれに答えた。
「いわれったって、大したもんじゃないが……。」
 タネは語った。
 遥か昔、日本は今よりももっと細かい国に分かれていた。その中に代々女が家を継いでいく習慣のある国がいくつかあり、その中の一国がこの村の前身だった。その女王の証(あかし)として受け継がれていたのが、この家に伝わる三つの家宝だったのである。その三つとは、銅の鏡、タネが今身に着けている赤い勾玉(まがたま)の首飾り、そして今回取り上げられてしまったその銅の剣だった。
 彼らは元々、今の北の町がある場所に永いこと住んでいたのだが、鎌倉に幕府ができた頃、海を越えてやって来た武士の集団に力ずくで追い出されたので、仕方なくこの浜に移ったのであった。
 それ以来、彼らはその武士の支配下に置かれ、村の人口も徐々に減ってしまったが、この家の家宝と女系の習慣だけは、いまだに残っていたのであった。
 タネの話しが終わると、宗吉がそれを補足するようにこう言った。
「つまり、ここんちの家宝は、この村の宝でもあるってわけだ。」
 それらを真剣な表情で聞き終えたウミヒコは、タネと宗吉に向かってこう言った。
「なるほど、そりゃとんだ災難でしたのぅ。ほんなら、その宝剣を取り戻さないけませんな。」
 タネが寂しそうに微笑んで言った。
「そりゃ、取り戻せるもんなら取り戻したいさ。けど、相手は関白に命じられた町の役人だ。オレたちの力じゃどうすることもできないよ……。」
 タネはここで急に真剣な表情になると、ウミヒコに向かって恐る恐る尋ねた。
「……ところでウミヒコよ……。あんたがわざわざうちのシャガに会いに来てくれたから言うんだけどな……、あんた、シャガの婿になってくれる気はないかい?」
 それを聞いた途端、ウミヒコの表情は晴れやかになり、待ってましたという勢いで答えた。
「あります、あります! その話し、さっきシャガとしましたけん。但し、わし自分の村から出て暮らすことは許されません。タネさんちのみなさんがわしんとこへ来て下さるんなら、それはできますけど。」
「あんたがシャガの婿になってくれりゃぁ、オレはどこに住もうと構やしないよ!」
 即座にそう言ったタネは、ウミヒコのことがよほど気に入っているようだ。
「婆ちゃんとお姉ちゃんが行くんなら、あたしも行く!」
 トヨがニコニコしながらそう言った。
「俺も行く!」
「あたしも行く!」
「おれもいく!」
 三人の幼い弟と妹も、歓声を上げながら次々にそう言った。
「それなら俺も行かなきゃな。」
 サブが笑顔でそう言うと、タネの叔母にあたるキヌが冗談を言った。
「ついでにオレも行こうかね。」
「村中みんなで引っ越すか。ハハハハ!」
 宗吉がそう言って笑うと、一同も一緒になって笑った。
 このとき、このように言う中年女の声がした。
「私は厭ですわ!」
 飲み会が始まってからずっと口を噤(つぐ)んでいたシャガの継母トクだった。会場はどよめいたが、トクはそれには構わず言葉を続けた。
「私はこの家が、古(いにしえ)の女王の末裔だと聞いたのでわざわざ町から後妻に来たのです。素性の知れぬ者の村になど行くことはできません。シャガもせっかく町のお武家様のところへ行けるはずだったのに……。」
 そう言い終わると、トクは恨めしそうな目でウミヒコを見た。
「まあ、まあ。シャガは、ほんとに好きな相手と一緒になれるんだから、良かったんじゃないか……。」
 ちょっと困ったような声でそう言ったのは、トクの夫のサブだった。
 一方タネは、トクの言葉など気にせず、ウミヒコに向かってこう尋ねた。
「その村は、こっから遠いのかい?」
 ウミヒコは微笑んでそれに答えた。
「はい。遠いですが、わしらの船なら早うて七日もあれば着きます……。」
 そう言って海の方を見たウミヒコは、真っ赤な太陽が水平線の上に差し掛かっていることに気が付いた。仲間との約束を守らなければ、シャガと一緒になれるどころか、とんでもないことになってしまう。
 ウミヒコは席から立ち上がると、みなに向かってやや早口でこう言った。
「みなさん、時が来てしもうたけん、とりあえずわし仲間の元へ戻ります。今日はご馳走になりました。」
 そして彼は、タネに向かってこう言った。
「タネ婆様、今度は迎えに来ますけん、それまでにどげんするか決めといて下さい。」
 タネも席から立ち上がると、それに応えた。
「わかった。待ってるよ、ウミヒコ。」
 みなも立ち上がると口々に言った。
「ウミヒコ、元気でな!」
「元気でな。ウミヒコ!」
 ウミヒコはシャガの手を握ると、真剣な表情になって言った。
「今度は近々必ず迎えに来る。それまで待っとってくれや。」
 シャガも真剣な表情でウミヒコの目を見ながら頷いた。
「わかったわ。」
 くるりと向きを変たウミヒコは、一旦街道に出ると、南側の丘目指して走った。丘の向うからは一筋の煙が上がっている。きっと仲間たちが火を焚いているのだろう。
 ウミヒコことハヤテが丘を越えると案の定、五人の仲間たちが岩の上で火を囲んでいるのが見えた。彼らは焼いた魚をたった今食べ終えたところだった。
「おう、ハヤテ。よう戻った。どうじゃったん?」
 丘を駆け下りて来たハヤテに向かってそう尋ねたのは、この一行中最年長で立派な黒髭を生やしている、モズという名の男であった。
「みんな達者ではおったんじゃが……。」
 ハヤテは息を切らせながら、事の顛末(てんまつ)を要約して話した。以前世話になっていたことへの礼を村人たちに述べ、自分がこの村にいたとき好きになった娘と夫婦(めおと)の契(ちぎ)りを交わすことができた。ところが、その娘をかねてから妾にしたいという侍がおり、彼女が将来継ぐべき家宝の宝剣が、誰かの密告によって取り上げられてしまった……と。
 それを聞いて興奮した仲間たちは、激しい口調で口々に言った。
「夫婦の契り結べだはええが、家宝取られたのは災難じゃ!」
「謀(はかりごと)じゃ!」
「陰謀(いんぼう)とよ!」
「家宝を取り戻さんか!」
 モズが、やや冷静な口調でこう言った。
「まずは本船に戻らんか。ほいで、この話しは頭に報告せんか。」
 その言葉によって彼らは、水を積み終えて浅瀬に浮かんでいる二隻の伝馬船まで泳いだ。そこに乗り込んだ彼らは、それぞれの錨を上げると、白鷹丸目指して船を出した。

 血のような色の夕焼けを背にした頭(かしら)の喜助は、モズからの報告を甲板上で聞き終えると、その黒く太い眉をしかめてこう言った。
「そりゃぁ紛れもなく陰謀じゃ!」
 彼の一族の者も大名の陰謀によって財産を奪われ、挙句の果てにそのほとんどの者が殺されていた。
 神を崇(あが)め、人と人互いに慈しみ合うこと尊しと父母から教えられてきた彼らにとって、権力や土地や財産をめぐって争い合っている戦国大名は、明らかに異質の物の考え方をしているように見えた。そのような権力者たちは、血を分けた親子兄弟同士でさえ、策を弄して殺傷し合っている。そのように親戚同士で合い争っているだけならまだしも、無関係な弱者の財産を取り上げたりするようなことを、彼らとしては許すわけにはいかなかったのである。
「頭! どげんするや?」
 喜助の横でこの話しを聞いていた、彼の側近ロクが急き込んで尋ねると、喜助は冷静な口調でこう言った。
「まずは、ハヤテの事情を聞いてみんか。
ハヤテ。その娘、わしらんとこに来てもええ言うとるんか?」
 その喜助の問いに、両眼に夕焼けをキラキラと映しながらハヤテが答えた。
「はい。その娘の名はシャガ言います。シャガは婿取りの家の長女ですが、その家んもんは大方こちらに来てもええ言うとるけん、仲間に入りやる思います。」
 喜助は言った。
「そんなら、そのシャガと家族のもんを迎えに行くのはもちろん、その家宝も取り戻さないけんのぅ。」
 ハヤテはその提案に応じた。
「はい。こりゃぁわしの許婚の家の災難ですけん、できるんならそうしたいです。宝剣は、今はまだ町の役人の倉にあるはずですけん、取り戻すんなら早い方がええ思います。
わし、北の町に出たことはありませんが、倉の場所はシャガの家んもんが知っとるはずです。但し、ここらの城主は昔から互いに仲が悪うて小競り合いが多いけん、町の南側の入口に一つ、警護のための詰め所があると村のもんから聞いたことあります。」
 ハヤテのその言葉に、喜助は快く決断を下した。
「よしゃ、わかった! 仲間に入りたい言うとるもんを拒まんのがわしらの流儀じゃ。そいで、仲間の許婚の災難は仲間の災難と変わらん。」
 喜助は、周囲の仲間たちを見渡して叫んだ。
「シャガとその家族を船に連れて来て、宝剣を取り戻すんじゃーーーっ!!!。」
 甲板に集まっていた海賊たちは、みなそれぞれ拳を振り上げ、威勢良くそれに応えた。
 「おーーーっ!!!」
 喜助は、自分の立てた作戦の説明をみなに向かってした。
「大人数ではかえって目立つけん、先ほどの六人の他は武装した八人だけにする。
まず、先ほどの六人は漁師に変装し、武装した八人と共に伝馬船に馬十二頭を積んで村へ行く。武装したもんは姿を隠し、他の六人は村に入る。そのうちハヤテともう一人は、仲間に入りたい言うとるもんを無事に船に連れて来ること。モズと他の十一人は馬で町へ行く。その際、シャガの家の男衆を案内に立てるんじゃ。武装した八人は万が一のことに備えて、村のもんに見られちゃいけんぞ。
町の入口で二手に分かれる。モズ他四人と案内人は、役人の倉に忍び込んで宝剣を奪い返す。危のぅなったら狼煙(のろし)を一発上げる。その際、町の入口で待つ八人が援軍として駆け付ける。
どうじゃ?」
 夕闇の中、頭の喜助はそう言って仲間たちを見回した。実戦の経験が豊富で勘も鋭い彼は、ハヤテの話しを聞いている最中から既に頭の中で作戦の組み立てを開始していた。それに無駄な補足を加えようとする者は誰もいなかった。
 喜助は作戦の指示を締めくくった。
「武装する八人の人選と現地での指揮は、モズに任せる。出発は丑の刻。それまでに夕餉済ませて休んどきんさい。」

「おい、行くぞ。」
 昼間村で飲んだ酒のせいでぐっすり眠っていたハヤテは、今回の作戦の指揮官であるモズに揺り起こされた。
 間もなくハヤテは、明かりを手にしたモズと共に一番上の甲板に出た。
 白鷹丸は、いつの間にか村がある広い入り江の北寄りへと移動していた。月に照らされたその甲板には、今回の作戦の人員の黒い人影が次々と集まって来た。既に馬を積んだ数隻の伝馬船が白鷹丸周辺に浮かべられており、漁師に変装した先ほどの五人とハヤテ、そして武装した八人の海賊が、分かれてそこに乗り込んだ。誰もがみな無言だった。
 準備が整うと、伝馬船はハヤテの案内で浜に向かって漕ぎ出した。上陸した一行のうち八人は、町へ向かう道の茂みの奥に馬を繋いで隠れた。
 一方ハヤテたち六人は、伝馬船から馬を下ろして浜に上げ、それに馬を繋いだ。そのうち四人はそこで待機し、ハヤテともう一人が海辺の街道を歩いてシャガの村へと向かった。
 村に入った二人は、シャガの家の裏に回った。そこで仲間を待たせたハヤテは、開いている裏口から中に入った。闇の中でシャガを探し当てたハヤテは、彼女を揺り起こしながら声をひそめて言った。
「おい、シャガや!」
「……うーん、……あ、ウミヒコ? 来てくれたのね?」
 シャガは思わず、ウミヒコことハヤテのその手をしっかりと握り締めた。ハヤテはその手をギュッと握り返すと、やや早口で言った。
「しー! 夜這(よば)いに来たんでのぅて迎えに来たんじゃ! 時間ないけん急がないけんぞ! 一緒に来るもんは誰と誰じゃ?」
「うん。今起こすわ。」
 シャガは急いで起き上がると、家の中央にある炉の残り火に小枝をたくさん乗せて火吹き竹で風を送った。すると間もなくめらめらっと火が起こり、家の中が薄っすらと明るくなったので、彼女はタネとサブとトヨを次々と揺り起こした。三人の幼子は起こさずに、サブとシャガとトヨがそれぞれ抱いた。着替えや日用品などが既に入れられている大きな葛篭(つづら)はハヤテが背負った。最後にタネが火の始末をすると、一行は裏口から外に出た。
 二人の海賊に先導されたシャガの一家は、月に照らされた浜を北へ向かって歩いた。
 前を歩くハヤテに向かって、シャガは小声で言った。
「村のみんなは一緒に行きたいって言ってたわ。笑ってたけど半分本気みたいだったから、『いつか迎えに来る。あたしが来れなければ代わりの者が来る。』って言ったの。」
 シャガの横に並んだハヤテは、歩きながら同じく小声でそれに応えた。
「そうか、わかった。
……トクさんやっぱし、よう来んのか。」
「うん、それがね、あれから姿が見えないのよ。きっと町の実家にでも帰ったのかも知れないわ。」
 そのシャガの言葉を聞いたハヤテは、実の母と生き別れになることも知らずにぐっすりと寝ている、シャガに抱かれたトクの子供をちらっと見てから呟いた。
「不憫(ふびん)じゃのぅ……。」
 この仕事でハヤテと同じ役割分担になった彼の親友のヤスが、すぐ後ろを歩くハヤテに向かって心配そうに声を掛けた。
「誰かおらんようになったんか?」
 ハヤテはそれに答えた。
「おぅ。この子らの母親じゃ。
……けど仕方ないわ。『来たい』言うとるもん置いてくわけにもいけんし、『来とうない』言うとるもん無理に連れ出すわけにもいけんしのぅ……。」
 ハヤテは、自分のすぐ後ろを歩いているサブに向かって声を掛けた。
「ところでサブさん、町の役人の倉の場所どこか知っといでになりますか?」
「ああ、知ってる。案内するよ。」
 幼子を抱いて歩いていたサブは、即座にそう答えた。海賊たちが宝剣を取り戻そうとしてくれているということを、どうやら機敏に察したようだ。ハヤテはまた、サブに向かって言った。
「ほんなら、わしと、このヤスの二人が船にみなを送り届けますけん、サブさんは宝剣取り戻すもんと一緒に町へ行ってもらえませんか?」
 月明かりの中、サブはやや緊張した声で答えた。
「よし、わかった。」
 やがて一行は、先ほどの伝馬船のところに着いた。ハヤテはサブに向かって、自分の横に立っているモズを紹介した。
「これが指揮官のモズです。こっからは、このもんの指示に従うて下さい。」
 立派な黒髭を生やしたモズは、サブの緊張をほぐすように、月明かりの中で微笑むとこう言った。
「あなたにとっては初めてのことになりましょうが、こげなことに慣れたわしらが付いとりゃぁ案ずることはありません。そのために、わしらとは、くれぐれもはぐれんようにして下さい。」
 サブは、やや緊張を解いて言った。
「わかりました。サブと申します。よろしくお願いします。」
 モズをはじめとする四人の海賊たちは、船に繋いであった四頭の馬の縄をほどくと、それにまたがった。
 日没後から姿が見えない妻のことが気になっているサブは、しばらく村の方を見ていたが、この場に及んで探し回るわけにもいかない。諦めた彼は、自分が抱いていた子供をそっとタネに預けると、馬に乗ったことがないので、モズの手を借りてそこに同乗させてもらった。
 その五人はすぐに町へと向かった。その後、その途中に潜んでいた八人の海賊も馬に乗り、少し距離をおいてその後を追った。
 一方ハヤテとヤスの二人は、シャガとその家族を伝馬船に乗せて、白鷹丸へ無事に連れて来ることができた。
 サブを除けば女子供だけのこの一家には、特別に船首上部にある六畳ほどの広さの個室が与えられた。
「……よしゃ、これでひとまず安心じゃ……。」
 そう言ったハヤテはその扉を開けると、真っ暗なその中に明かりを持って入り、その後に続くタネ一家に向かって言った。
「ちぃと狭いかわからんが、ここで堪忍(かんにん)して下さい。」
 室内に入ったタネは、行灯の揺れる明かりに照らされた、木の天井や壁を見渡して言った。
「いや、ちっとも狭かないよ。小奇麗(こぎれい)な部屋なんだね。」
 タネ一家がみな室内に入り終えると、ハヤテは入り口を挟んで左隅に置いてある柄杓(ひしゃく)が乗った瓶(かめ)と、右隅に置いてある蓋の付いた桶(おけ)を順に指差しながら言った。
「この瓶の中に飲み水が入っとって、あっちの桶は雪隠です……。」
 現代の豪華客船ならいざ知らず、この時代ではいくら大きな船でも、水道や便所が船室の中に常設されていなくて当たり前であり、どうしても必要な場合には、このようにして水瓶や桶などが用いられた。
 ハヤテは説明を続けた。
「……それと、何か用あったら、この鐘叩いて下さい。明かりは敵に見られて困るのと、船が揺れて何かに燃え移るのを防ぐため、わしがこの部屋出るときに持って出ます。
ほいで、若い女子がおるっちゅうことで、万が一のことあってはならんけん、この部屋の鍵は閉めてわしが預かります。不自由させますがどうか堪忍して下さい。」
 持っていた手提げ行灯(あんどん)を床に置いたハヤテはそう言って、片手で持てる小さな鐘と木製の撥(ばち)をタネに手渡した。
「いろいろと済まんね。夜が暗いのには、みんな慣れてるから大丈夫だよ。ありがとよ、ウミヒコ。」
 タネがそう言うと、ハヤテはちょっと目を伏せて、言いにくそうな口調で言った。
「タネ婆さま、……今まで隠しとって済まんかったですが、わしのほんまの名はハヤテ言います。これから後(のち)はそう呼んで下さい。」
「なんだ、そんないい名前があったのかい。わかったよ、ハヤテ。」
 家族水入らずになって緊張がほぐれたせいか、揺れる行灯の明かりに照らされたタネの顔は笑顔になった。
 ハヤテは、二人の娘に向かって言った。
「シャガや。トヨや。欲しいもんあったら、なんぼでも言うてくれ。あるもんしかよう出さんけど。ハハハ。」
「ありがとう……ハヤテ。」
「……ありがとうハヤテさん。」
 呼び慣れない名前に、二人のその返事はちょっとぎこちなかったが、みなで手分けして布団を敷くと、ようやく気持ちが落ち着いたせいか、この二人も屈託のない笑顔を見せるようになった。
 船内での規律や食事の時間などを、ハヤテが冗談などを交えて説明していると、上の甲板がにわかに騒がしくなってきた。
「何かあったげじゃのぅ……。
後でまた来ます。」
 ハヤテはそう言い残すと、火を消した行灯を持って船室を出た。扉の鍵を閉めた彼は、月明かりに照らされた甲板に出ると、近くにいた仲間に向かって尋ねた。
「狼煙でも上がったんかや?」
 その仲間は、やや心配したような声で答えを返した。
「おぅ……。一発のぅ。」
 この時代の狼煙と言えば、空に向かってゆっくりと上がっていく煙だが、彼らの狼煙は煙ではなく、爆発音のない打ち上げ花火のようなものだ。そのため、夜間でも瞬時にして遠くに情報を伝えることができる。それを一発だけ上げるということは、現代で言う「SOS」のことを意味している。ということは、モズたちが宝剣の奪還にてこずり、武装した仲間を呼んだということになる。
「お前たち、馬で様子見て来るんじゃ。」
 喜助が近くにいた二人の仲間にそう命じると、先ほどハヤテたちが乗って来た伝馬船に馬二頭が積まれ、その二人はその船に乗り込んで岸に向かって行った。
 間もなく、北側の丘の向こうにある町の方から、何発かの銃声が微かに聞こえた。
 それからしばらくすると、そのあたりの空が幾分赤くなってきた。建物か何かに火が放たれたのだろう。その直後、白鷹丸の船上にいた者は、それまで全く予期していなかった物を目にすることとなった。
 北側の岬の向うから突如(とつじょ)として、小型の軍船三隻が次々と姿を現わしたのだ。それらは船上に明々と明かりをともしており、その両舷から出たたくさんの櫂によってこちらに漕ぎ進んで来る。しかも勇ましい鬨(とき)の声が上がっているではないか。
 それらが近付くにつれて、次第にその船上の様子が明らかになってきた。乗っている武装した侍は、総勢で百人はいるだろうか。威嚇のために何本かの火矢がこちらに向かって放たれたが、まだまだ白鷹丸に届く距離ではなく、それらはみな海上に落ちては、すぐに消えた。
 喜助の横に立っていた側近ロクが、これを見るが早いか急き込んで言った。
「頭! どげんするや!?」
 喜助は、落ち着いた口調でそれに答えた。
「戦(いくさ)の支度じゃ。敵は三隻の和船に乗った侍百人。射手(いて)イ組ロ組弓矢の用意。右舷大砲打ち方用意。大砲の玉は散弾じゃ。舳先を右へ振って止めよ。」
「よしゃ!。」
 ロクは威勢良く返事をすると、甲板の櫓(やぐら)に据えられている大太鼓で、それらの命令と情報をリズムにして叩き出した。
 使用頻度が多い命令や情報は、太鼓の叩き方によって判別できるよう、彼らは予(あらかじ)め取り決めをしている。無線や船内放送などのないこの時代に、これは画期的な情報伝達の手段だと言えよう。
 その太鼓の音による空気の振動は、白鷹丸の船体をビリビリと震わせて、広い船内各所に伝わって行った。
 間もなく白鷹丸の船首左の錨が上げられて両舷から櫂が下ろされると、船はゆっくりと向きを変え、三隻の軍船の進行を丁度さえぎるようにして止まった。船首右の錨は下ろされたままだ。船上ではイ組ロ組の八人ずつ計十六人の射手が、既に弓に矢を番(つが)えて待機している。
 この船の一番上の甲板には、船首に一門、船尾に一門、左舷と右舷にそれぞれ三門ずつの、計八門の大砲が備えられている。大型船に大砲を搭載することは、この時代のヨーロッパでは既に一般的になっていたが、日本ではまだそれほど普及してはいなかった。
「右舷大砲撃ち方用意できました!」
 その報告が入ると喜助はそれに応えた。
「よし。合図するまでみな待っておれ。弓と大砲の指揮は、わしが直接取る!」
 松明(たいまつ)を明々とともして近付いて来る敵の軍船上の侍たちは、橙色(だいだいいろ)の炎に鮮やかに照らされて、盛んに勇ましいときの声を上げている。その一方、月明かりに薄青く照らされた白鷹丸甲板上には、敵の動向を見守る海賊たちの動かぬ黒い姿があった。
 白鷹丸にぐんぐんと近付いて来た敵の三隻は、火矢が届く距離、即ち敵の顔の表情が識別できるくらいのところまで来ると、海賊船と平行の縦一列に並ぼうとしていた。
 それを見た喜助が呟いた。
「ふん、阿呆(あほ)な奴らめが……。」
 今度は仲間たちに向かって、喜助は大声で指令を発した。
「右舷一番は上の船の侍、同じく二番は中の船の侍、三番は下の船の侍を狙えーっ!」
 敵船は、並び終えるとその動きを止め、白鷹丸に向けて一斉に火矢を射掛けてきた。
 それを見た喜助は、即座に号令を発した。
放てーっ!
 それまで音もなく闇の中にたたずんでいた、白鷹丸右舷三門の大砲が、轟音と共に一斉に火を噴いた。
 この大砲に込められているのは特別製の弾だ。今で言うビー玉ほどの大きさの鉄球十数個が硬い粘土で丸く固められてあるもので、これが大砲から発射されると空中で分解しながら飛んで行くようになっている。三門の大砲からそれが何度も発射されるのだから、敵はたまったものではない。
 敵船上の侍の甲冑(かっちゅう)は粉砕され、真っ赤な血飛沫(ちしぶき)や肉片諸共(もろとも)、次々と周囲の海面に飛び散っていった。敵船上のかがり火に照らし出され、白い硝煙(しょうえん)の隙間から見えるそのありさまは、まさに業火(ごうか)の煙から垣間見るようにして描かれた、地獄絵図そのものであった。
 喜助はロクに向かって叫んだ。
「おいロク! 手ぇ空いとるもんに、船に刺さった火矢ん火ぃ消すよう伝えるんじゃ!」
 ロクがそれを伝えに走ると、船べりから次々と水が掛けられ、その火はたちまちにして消された。
「大砲放つのやめーっ! 射手イ組ロ組、敵に向かって矢を放てーっ! 一人も生きて帰すなーっ!」
 勝ち目はないと判断し、重い甲冑を脱ぎ捨てて海に飛び込む侍一人一人の背中を、今度は矢が情け容赦もなく射抜(いぬ)いていった。
 しばらくすると、海上を点検していた者が喜助の元に来て報告した。
「頭! 敵はみな死んだようですけん!」
 それを耳にした喜助が言った。
「よぅし。弓を置けーっ!」
 無人となった敵の軍船の上は、ごろごろと死体が転がり、その中央に立っている屋形(やかた)に、かがり火の火が燃え移ったようで、三隻ともパチパチと音を立てながら激しく炎上を始めていた。その光に照らされた周辺の海面には、破れた幟(のぼり)、矢の刺さった死体、そして夥しい数の真っ赤な肉片が、そこから染み出た油の淡い虹色の中で、力なく漂っていた……。

 大勢の男たちが叫ぶ勇ましい声が遠くから聞こえて来たかと思うと、今度は大きな太鼓を独特の拍子で打つ音がすぐ近くで聞こえた。暗闇の中でタネが呟く低い声がした。
「……おや、今度は太鼓だ……。祭りかね。こんな夜更けに……。」
 その後間もなく、頭上や床下のあちこちから、バタバタといういくつもの足音が聞こえ、それと共に緊張した男たちの声が飛び交った。
「敵じゃ!」
「戦(いくさ)じゃ!」
「相手は百人じゃと!」
 ここは先ほどの白鷹丸の船室で、今の声はその船員たちのもののようだった。
 遠くから聞こえて来た先ほどの勇ましい声は次第にこちらへと近付いて来る。今度は、下の方からゴトッゴトッという重たい音がいくつも聞こえたかと思うと、それはギーーッという木の軋む大きな音に変わった。すると、船がゆっくりと向きを変え始めた。
 同じ暗闇の中でシャガの声がした。
「船が回ってる……。」
 やがて太鼓の音がやむと、今度はトヨの声がした。
「……船が止まった。」
 しばらくすると、すぐ近くまで来ていた大勢の人の声も急にやんでしまった。一瞬、遠く下の方から聞こえてくる、波が船体を洗うチャプチャプという音だけになったが、間もなく船べりを何かで叩くようなトントンという無数の小さな音が、壁を伝わって響いてきた。その直後、上のほうからドドドン! という大きな音がした。
「うわー、雷だー。」
 そう叫んだ三人の女たちは、暗闇の中で互いに身を寄せ合ったようだ。この騒ぎによって末っ子の平次が起きたようで幼子の泣き声がした。
「エーン、エーン!」
 ドドン!ドン!
「おや、また落ちたよ……。
そうかそうか起きちゃったんだねー。よしよし。婆ちゃんがいれば、雷なんて怖かないよ。」
 タネはそう言って平次を寝床から抱き起こし、彼の口に鱈の干物の切れ端か何かを含ませたようで、泣き声がやんだ代わりに、それを噛んで吸っているチューチューという音がした。
 ドン! ドン! ドン!
 タネが呆れたように言った。
「おや、また落ちたよ。それにしても、変な雷だね。一度に三つも落ちるよ。」
 既に起きていたようで、太助とキョウの元気な声がした。
「婆ちゃん、俺にも干物くれ!」
「あたしにも!」
 彼らは寝床から立ち上がったようだが、このときまた大きな音がした。
 ドン!……ドン! ドン!
「うわー、怖いよー!」
「婆ちゃん助けてー!」
 ほとんど同時にそう叫んだ二人は、血の繋がりはないが優しいこの祖母にしがみ付いたようだった。
「よしよし。こうしてりゃ大丈夫だよ。」
 落ち着いた声でそう言ったタネは、二人の孫を抱き締めてやったようだ。
 家の中とは様子が違うことに気が付いた兄の太助が、クチャクチャと音を立てて干物を噛みながらタネに尋ねた。
「……ねえ、ここどこ?」
 タネは、それに答えた。
「大きな船の中だよ。」
 ドン!…………ドン!……ドン!
 どうやら鼻をつまんでいるようで、トヨの鼻声がした。
「婆ちゃん、何か変な匂いがしてきた。」
「ほんとだ。船に雷が落ちて、なんかが燃えてるんじゃないかい?」
 さすがのタネも少し不安になってきたようだ。そのとき、船室の扉の外で声がした。
「おーい。ハヤテじゃ。入ってもええか?」
 ホッとしたような声でタネが言った。
「おお、入っとくれ! 入っとくれ!」
 鍵を開ける音がして扉が開くと、そこから明かりを持ったハヤテが入って来た。寝床から立ち上がったシャガは、彼のそばに駆け寄ると不安げに訴えた。
「ねえ、ハヤテ! 雷が落ちて何かが燃えてるみたいだよ!」
「ああ、この匂いは硝煙(しょうえん)言うてのぅ、海賊が魚焼くようなもんじゃけん気にせんでもええ。ハハハ。」
 ハヤテはそう言って笑うと、扉を閉めて持っていた行灯(あんどん)を床の上に置き、その前に胡坐をかいて座った。シャガも彼に寄り添ってそこに座った。
「雷、やんだみたいだね。」
 太助がそう言った。
「ああ、ありゃぁのぅ、大砲言うて、まあそうじゃな、雷みたいなもんじゃ。悪いことした大人に海賊が落とす『地獄の雷(いかずち)』。」
 床に置かれた行灯の揺れる明かりによって、下から照らされているハヤテの表情がやや真剣になったので、太助とキョウは少し怖くなり、口を揃えて尋ねた。
「子供には落ちないの?」
 ハヤテは元の笑顔になってその問いに答えた。
「悪い子供なんぞ、この世におらんけん、子供にゃぁまず落ちん。」
「でも、お母さん、俺のこと『悪い子だ』って言ってたよ。」
 太助がそう言うと、キョウもそれに続いて言った。
「あたしもそう言われた。」
「そりゃ、お母さん大幅に間違うとるな。太助もキョウも、どこも悪うないがな。最初から悪い子なんぞ、この世におらん。大人が良くも悪くもさせるんじゃ。
子供はみな、裸で生まれて来よる。そこに『侍』じゃ『百姓』じゃいう衣(ころも)、本人に無断で着せよるのはみな大人じゃけん、大人の方がよほど悪うできとるわ。」
 ハヤテのその言葉の意味を、この二人の子供はしばらく黙って考えていた。「自分たちは悪いんだ」と思い込んでいるこの二人にとって、ハヤテのこの考え方をすぐに理解することはできなかったが、何か新鮮な風がその心の中に流れ込んだようだった。
 キョウが言った。
「とうちゃんは、あたしのこと『いい子だ』って言ってたから、やっぱりわるくなかったのかな?」
 その妹の言葉で、両親の不在に気付いた太助が尋ねた。
「……ねえねえ、シャガ姉ちゃん。父ちゃんと、お母さんどこ行ったの?」
「父ちゃんは、お仕事が済んだら戻って来るよ。お母さんは、一緒にお出掛けしに行くの厭なんだって。」
 シャガがそう答えた。
「そんなこと言わないで、一緒に来ればいいのにねぇ。」
「いまごろ一人でさびしいんじゃないかなぁ。」
 太助もキョウもお婆ちゃん子であるためか、動揺することもなく口々にそう言ったので、ハヤテは内心ホッと胸を撫で下ろしていた。
 その後、あちらでの生活習慣の違いや、仲間同士の決まり事などを、微かに揺れる小さな行灯の明かりの前でハヤテが説明していると、再び太鼓の音が響いてきた。ハヤテは話しをやめて、しばらくそれに聞き耳を立てていたが、間もなくスッと立ち上がるとこう言った。
「船を出すそうです。わし漕ぎ手ですけん、話し途中でやめてすんませんけど仕事に戻ります。もう、明かりともしても大丈夫ですけん、これここに置いていきます。」
 ハヤテは明かりをそこに置いたまま船室を出て戸締りをすると、自分の部署に戻って行った。

おーい! 浜から伝馬が戻りよるぞー!
 それまで海面に向かって神経を集中させていた白鷹丸船上の者は、突然頭上から降ってきたこの声に驚いて、みな一斉に帆桁(ほげた)の上の暗闇を見上げた。このとき、タンタン タタタン! と浜の方で何発かの銃声がした。
「伝馬船のもんが、浜に向けて鉄砲撃ちよったげじゃ!」
 見張りの声が再びその暗闇の中から降って来た。
 その後しばらくすると、陸戦隊の全員が白鷹丸の甲板に帰還し、戦利品の馬と自分たちの馬、そしてそれらを積んで来た伝馬船全てが回収された。帰還した海賊たちの中に数名の怪我人がいたが、いずれもみな軽傷だった。サブはというと、真っ青な顔をして膝をガクガクと震わせている。どうやら人が殺されるところを目の前で見てしまったようだ。それは彼にとって生まれて初めてのことだったので、その衝撃は大きかったが、ともかく宝剣を奪還することもできたので、これで今回の彼らの任務の全てが終了したわけだ。
 モズから手短に結果報告を聞いた喜助は、ロクに向かって号令を発した。
「よーし! 船を出すぞ! 錨を上げよ。取舵(とりかじ)いっぱい。沖に出て風が出るまで全速じゃ!」
 その指令がロクの叩く太鼓によって伝えられると、白鷹丸は錨を上げて櫂によって進み始めた。
 その後次第に速度を上げながら、船は大きく向きを変えて陸を後にした。
 村がある入り江の北の岬を過ぎると、何かが燃えている大きな炎が遠くに見えた。その背後の山から下りて来る小さな光の帯は、多分城から出た兵が手に持っている明かりなのだろう。ロクに案内されて、甲板から家族がいる船室へ行こうとしていたサブは、それを目にして何となく厭な感じがしたが、その後に起こることの予測まではできなかった。
 やがて、東の空が白んでくると風が出てきた。
「帆を張れーっ! 櫂を収めよ! 進路は西!」
 喜助のその指令を伝える太鼓が鳴り響く甲板では、負傷者の手当てが終わったところだった。
 陸を離れた白鷹丸は、やがて追い風を捉えて快調に進み出した。こうなると、普通の和船でこの船に追い付くことはできなくなる。船体の構造や帆の形状など、この船には従来の和船に対して様々な改良が施されているからだ。
 下の甲板から上がって来た漕ぎ手や戦闘員たちは、前後に二本ある帆柱のうち後ろの帆柱を囲んで次々と腰を下ろした。モズたち陸戦隊の報告を聞くためだ。また、料理係の男たちが、厨房から酒と魚料理、大鍋に入った雑穀(ざっこく)の粥(かゆ)や蒸した芋、煮豆などを次々と運んで来て、みなはその配給を受けた。
 それらがみなに行き渡ると、帆柱を背にして立った頭の喜助が、長い髪を朝風にはためかせながら、目の前に座っている大勢の仲間たちに向かって言った。
「戦(いくさ)の話し聞く前に、まず新入りの紹介する!」
 先ほど船室から家族を連れて出て来て、喜助のそばに控えていたサブに向かって喜助が促(うなが)した。
「さあサブ。」
 その言葉にサブが立ち上がって一歩前に出ると、その後ろの家族たちもみな立ち上がった。
「私は漁師のサブといいます。このたびは、うちの家宝を取り戻して頂き、ありがとうございました。これからみなさんの仲間に入れてもらうことになりますが、家族共々よろしくお願いします。」
日の出  サブはそう言って四方に向かって一礼ずつすると、自分の家族一人一人の紹介を始めた。遠ざかる島影の右横からは太陽が姿を現わし、その光に染まった美しいシャガが、ハヤテの許婚として紹介されると、仲間たちはハヤテに向かって一斉に手を叩いて歓声を上げた。ハヤテは大いに照れた。
 喜助は、みなに向かって言った。
「ハヤテも許婚連れて来れたし、仲間も増えて良かった。早くも役人の倉を破ったサブは、これで立派な海賊じゃ! ワッハハハハ!」
 彼が豪快に笑うと、サブも嬉しそうに笑った。
 喜助は、そのサブに向かって言った。
「ここんもんは、あんたんとこと同じで元漁師が多いけん、みな気さくじゃ。あんたらもすぐ慣れるじゃろう。
ところで、その家宝の剣(つるぎ)とやらを、ちぃと見せてもらえんかのぅ。」
 サブは、タネが持っていた宝剣を彼女から受け取ると喜助に手渡した。
 喜助は、それを朝日にかざして見ると、感心したようにこう言った。
「ほう! こりゃ珍しい型(かた)じゃ。わしゃ今まで、明国、朝鮮国、シャム、南蛮の武器を見てきたが、こげんのは始めて見るわ。
刃ぁ付いとらんところ見ると、何かの儀式に使うたげじゃのぅ……。」
 喜助はそれをサブに返し、サブがそれをタネに返すと、挨拶を終えたサブ一家は甲板に腰を下ろした。
 喜助は再びみなに向かって言った。
「さて、次はモズから戦の話し聞くとしよう。
さ、モズ。まずは一杯やりんさい。みなも飲んで食うてくれ。」
 そう言った喜助は、自分の隣りの席のモズに向かって、瓢箪(ひょうたん)に入っている酒を勧めると、自分もそこに腰を下ろした。
 今回の陸戦隊の指揮官を勤めた髭面のモズは、長い黒髪を朝風にはためかせながら、まずその酒を嬉しそうな顔でぐっと飲み干してから言った。
「いや-、港にも大勢人おったし、町の南側の入口の見張りも思うたより多て難儀(なんぎ)したぞ。ハハハハ!」
 彼は、時おり肴(さかな)を摘(つま)み、酒を飲みながら語った……
 あれから馬に乗って村の浜を後にした一行は、二ほどの街道を町目指して飛ばした。
 町の手前の緩やかな丘の上から様子を窺うと、港には火が焚かれ、真夜中なのに人の往来が激しかった。また、町の南側の詰め所にも明々とかがり火が焚かれ、数人の侍が見張っていることもわかった。そこで一行は、ここから一旦山に入って馬を隠し、そのまま徒歩で町の東側へと迂回することにした。
 サブは町の地理にかなり詳しかったので、一行は月明かりの下でも迷わず役人の倉にたどり着くことができた。しかも幸いにして、そこの警護はたった四人の侍だけだった。漁師に変装している海賊たちは、闇の中で懐から吹き矢を取り出して口にあてがうと、その侍たちの首に向けて吹き放った。その矢の先端には猛毒が塗られていたので、四人は倒れてしばらくもがいていたが、やがて音もなく息を引き取った。
 一行は倉の錠前を壊して中に入った。先ほど侍から奪った明かりでそこを照らすと、百姓から没収したであろう武器が山になっていた。その中から自分の家の宝剣を探し出したサブは、それを着物の下に隠した。
 倉の外に出た五人が帰ろうとしてしばらく裏通りを歩いていると、見回りの侍二人組に運悪く見付かってしまった。五人は酔っ払いの振りをしたが、手荒な尋問を受けた結果、サブが隠し持っていた宝剣が発見されてしまった。
 その侍の一人が、サブに向かって尋ねた。
「百姓の分際(ぶんざい)で、斯様(かよう)なる物を服の下に隠し持っておるとは、いかなることぞ?」
 怯えたサブは、しどろもどろになってその問いに答えられなかったので、侍たちはサブたちを詰め所に連行しようとした。四人の海賊は隙を見て小刀を抜き、手分けして二人の侍を襲ったが、そのうちの一人が絶命する際に呼子(よぶこ)を吹いたので、海賊たちも援軍の必要を感じて、その場で狼煙を上げた。
 呼子の音と狼煙を打ち上げる音に続いて、けたたましい馬の蹄の音で目を覚ました沿道の住民は、戸を恐る恐る開けて外の様子を窺った。月明かりの中で彼らが目にしたのは、松明を持って馬に乗った五人の侍が、数名の漁師を取り囲みながら、詰め所の方に向かって静々と通りを進んでゆく光景だった。その状況によって事の成り行きを察した住民たちは、そのとばっちりが来ることを恐れたのか、途端にバタバタッと戸を閉めていった。
 一方、町の南側の詰め所の外では、三つの大きなかがり火を背にした四人の侍が、並んで椅子に腰掛けて番をしていた。暗闇の中から次第にこちらへと近付いて来る馬の蹄(ひづめ)の音がゆっくりしていたので、先ほどの呼子の件は収まったのだと早合点した彼らは、馬に乗って犯罪者を連行して来る自分たちの同僚が詰め所のすぐ近くまでやって来ても、椅子から立ち上がろうとさえしなかった。それが彼らの命取りとなった。
 こちらへ向かって来る先頭の馬上の者の顔が、かがり火の光によってはっきりと照らし出される直前、この四人の侍たちの顔面に、猛毒を塗った吹き矢の雨が降り注いだ。徒歩で連行されている数名の漁師も、馬に乗っている五人の侍も、実は全部海賊だったのである。
 先ほどの呼子の音を耳にして詰め所から駆け付けた五騎の侍は、地理的な理由でそれよりも若干早くその場に来ていた八人の武装した海賊に待ち伏せされてたちまち始末されてしまった。
 しかし、海賊が上げた狼煙は、きっと詰め所に残っている他の侍にも見られているに違いない。この五騎(き)がすぐに戻らないとなると、異変を察知して本格的な援軍が来ることになるだろう。そうなっては困るので、一行は詰め所を奇襲してそこを強行突破することにした。海賊たちは殺した侍の装束(しょうぞく)を手早く剥ぎ取り、その死体を道の両脇にある溝に隠すと、五人が侍に変装して馬に乗り、残りの仲間を連行するように見せ掛けて、悠々(ゆうゆう)と通りを進んで来たのであった。その後のことは先ほど述べた通りだ。
 番をしていた四人を難なく始末したのは良かったのだが、ここで想定外のことが起きた。詰め所の中で寝ていた者の一人が、外の異変に気付いて窓から顔を出した。すると、椅子に座っていたはずの四人の同僚全員が、地面に倒れてピクピクと痙攣している姿に驚き、大きな叫び声を上げたのだ。その途端に詰め所の中は騒然となった。
 それを知った武装した海賊たちは、かがり火の火を携帯式の銃の火縄に移した。他の四人は、二人掛かりで大きなかがり籠を持ち上げると、それを詰め所の窓から次々と中に投げ込んでいった。するとそのたびに、鉄製の籠が硬い木の床に転がる、ガンガラガラガラという凄まじい音がして、窓や出入り口から濛々(もうもう)たる灰神楽(はいかぐら)が立ち昇った。
 煙に燻(いぶ)し出され、出入り口や窓から慌てて飛び出した丸腰(まるごし)の侍たちは、次々と海賊の銃弾と刀の餌食になっていった。そのあいだ、漁師に変装した海賊たちは、詰め所の裏に繋いであった馬を牽いて来た。先ほどの五頭と合わせて十三頭にすると、残りは縄をとき尻を叩いて放した。
 サブは再びモズの馬に同乗し、残り一頭に詰め所の裏にあった馬草を積めるだけ積むと、海賊たちは馬で町を後にした。
 町を出てすぐの海沿いの丘の上から、その背後にある山に入った彼らは、先ほど隠しておいた自分たちの馬を連れて来ると、それらと秣(まぐさ)を積んだ馬を牽き、南の村がある浜に向かって駆けた。
 途中の高い丘の上に差し掛かって振り向くと、町の入口あたりの空が赤くなっているのが見えた。きっと先ほどの詰め所が炎上しているのだろう。その一方、村がある入り江では、明かりのともった三隻の軍船に向かって、白鷹丸が大砲を撃っている姿も見えた。後から様子を見に行った仲間の二騎とその地点で合流した一行は、村のある浜に駆け下りた。一行は乗って来た数隻の伝馬船に馬と秣を積めるだけ積むと、自分たちもそれに乗って本船目指して浜を後にした。
 生き残って追って来た侍四騎が、このとき水際からその伝馬船に向かって矢を射掛けてきた。海賊たちは銃で応戦したが、船が波に揺れているため、それは侍には当たらなかった。その一方、侍が放った矢のうちの一本が一人の海賊の胸に命中した。しかし彼は、侍から奪った甲冑を身に着けていたので、幸いにしてほんの軽傷で済んでいた。
 侍は、それ以上追っては来なかった。
 モズが話しを終えると、頭の喜助がまず賞賛(しょうさん)の声を上げた。
「みな、ようやった!」
 予想外に厳しい敵の警護の中、勇敢に戦って任務を遂行(すいこう)した彼らを、他の仲間たちも手を叩き声を上げて賞賛した。
 その一方、右舷の大砲の砲手らが、芋などを口に頬張りながらも、先ほどまで武器の手入れをしていたので、モズは喜助に向かって言った。
「ここでも戦があったげじゃのぅ……。」
「そうなんじゃ。ロク、話して聞かせてやってくれや。」
 喜助にそう言われて、ロクが先ほどの海戦のありさまを詳しく語った。下の甲板にいてそれを見ることができなかったた漕ぎ手たちも、その話しを熱心に聞いていた。
 それが終わる頃には、既に船上のあちこちが初夏の陽射しにきらめいていた。
 一連の報告を聞き終えた喜助は、杯(さかずき)をスッと干してから眉をしかめて言った。
「……それにしても、町の南側の入口の厳重な警護といい、三隻の軍船といい、わしゃぁどうも腑(ふ)に落ちん。」
 ロクも眉を寄せて言った。
「村のもんの誰かが、わしらのこと侍に告げ口しよったんかわからんぞ。」
 それに対して、ハヤテがきっぱりと断言した。
「わしの知る限り、あの村のもんが、そげなことするはずない。」
 そして何かを思い出したようになると、サブに向かってこう問い掛けた。
「……そういやぁ、トクさんの姿が夕方から見えんかったそうじゃが……?」
 サブは納得したように大きく頷くと、その婉曲な問いの先を読んでこう言った。
「うん、そうだな。トクが告げ口したかも知れない。……いや、多分あの女の仕業だろう。侍が好きで、漁師や海賊が嫌いだったから。」
 それに対してハヤテは、呆れたような苦笑いをして尋ねた。
「ほんなら、なして漁師の家へ後妻に入りんさったんです?」
 サブがそれに答えた。
「話せば少し長くなるが……。
まず、トクと知り合ったのは町の飲み屋だった。そこで働いていたあの女は、以前一度商家に嫁いだが、子ができる前に離縁したって噂があった。でも、そんなこと俺にはどうだって良かった。俺はこの女の自分にはない上品さに憧れてたんだ。
ある夜、俺は酔っ払ってつい口が滑り、『うちは今は漁師だが、代々女が家を継いでゆく、古(いにしえ)の女王の末裔(まつえい)だ。家宝に剣と鏡と勾玉がある。お前が後妻に来て、時が来ればそれはみなお前の物になる。』と言っちまったんだ。
この村には古くから、『この家宝のことを村の外で口にするな』っていう戒(いまし)めがある。それを俺は破っちまったんだ。」
 そう言ってサブが近くに座っていたタネの方を向くと、彼女は『その通りだ』と言うようにして頷いた。サブはまたハヤテの方を向いて話しを続けた。
「……トクの家は貧乏じゃなかったが身分は低かったんで、あの女は高い身分に憧れてた。でも、都(みやこ)に住んでるならともかく、それはかなわぬ夢だった。でも、隣の村の俺の家に嫁ぎゃぁ、それが簡単に手に入ると思ったんだろう。実に浅はかな考えだが、あの女にしてみりゃぁ子供の頃からの願いがかなうわけで、すぐこの話しに飛びついて来たってわけさ。
トクが嫁に来てからその家宝を見せたら、『この切れない剣とちゃんと映らない鏡は何よ! お母様がいつも身に着けておいでになる勾玉の他はガラクタばかりだわ! これじゃただの貧しい漁師と変わらないじゃないの!』って怒ってた。
その後、秀吉が関白になるとトクは、『これからは武士が一番偉い世の中になるのよ。』と言い始めた。」
「ほいで今度は、シャガを武家に嫁がそうとして町へ連れて行ったんですか?」
 ハヤテがそう尋ねると、サブは頷いてそれに答えた。
「その通り。」
 タネの隣りの席に座っていたシャガは眉を寄せると、納得がいかぬという口調で言った。
「あたしには、そんなこと一言も言わなかったよ。『綺麗な着物を着たり、お化粧したりすることは町の娘のたしなみです。』って言うから、『町の娘じゃないあたしが、なんでそんなことしなきゃならないのよ?!』って言ったら、『町へ行くからにはそうしなきゃ駄目です。郷に入らば郷に従がえって言うでしょ。』って言っただけで。」
 その隣りのタネが、鼻で笑って言った。
「……フン、あの女の口からその言葉が出るとは思わなかったね。」
 そして、サブに向かってこう言った。
「……おい。うちに剣があるって役人に告げ口したのも、あの女かも知れないよ。」
 それを聞いたサブは、後悔するような口調で言った。
「やれやれ、そうみたいだな。村で他に思い当たる者はいないし……。
戒めを破った俺が悪かったよ……。『家宝のことを村の外で口にすると災(わざわ)いが起こる』ってのは、嘘じゃなかったんだ。」
 ここで喜助が、太い眉をしかめて苦笑いしながら言った。
「戒めが真(まこと)であったこともあろうが、いやいや、世の中とんでもない女子(おなご)がおるんじゃのぅ。」
 タネは、喜助に向かって微笑んで言った。
「海賊の頭(かしら)のあんたに、そこまで言わせるんだからね!」
 そう言われた喜助は、首を縮めて頭を掻きながら言った。
「あいやー、これはやられた!」
 それを聞いた甲板の一同は、みな大笑いした。
 酒を酌(く)み交わし料理で腹が膨れると、若い娘がいることもあって、海賊たちは大いに盛り上がった。歌を披露する者、笛や太鼓を持ち出して演奏する者、それに合わせて踊り出す者まで現れた。
 それらに興じつつ、頭たち数名の幹部は、冗談を交えながらも仕事の話しをしていた。
「今までと違うて、武器売って得た金銀の他は、砂鉄と馬しかあらせんど。」
「わしらは腹一杯じゃが、船倉(せんそう)は腹減った言うて泣いとろうわい。」
「土産(みやげ)なんもないき、母ちゃんに怒られるがよ。」
「馬と侍の装束あるぞえ。」
「馬は土産になろうが、侍ん装束ば持ち帰っても、欲しがるもん誰もおらんとよ。」
「侍の装束に仕事させて、土産持って帰りゃええんじゃろうが!」
「そりゃええ考えじゃ。馬も陸(おか)走りとうてブルブル言うとるがな。」
「もう一暴れせんか。」
「そうせんか!」
 話しが盛り上がってきたところ、いつもの調子で喜助が言った。
「よーし、そんなら、こげんしたらどうじゃ!」
 一同が静まり、視線が喜助に集中したところで、彼は話しを始めた。
「……途中、敦賀(つるが)に寄ることにする。港には入らず近くに泊めて、侍に成り済ました四騎が伝馬船にて上陸する。四人は港へ馬走らせて、侍がたむろす料理屋に入り、港にどげな船が入っちょるかを聞き出す。この四人の顔ぶれを日替わりにして、土産になりそうな物を積んだ船がわかるまで毎日繰り返すんじゃ。
適当な船が見付かりゃぁ水夫が留守んところを襲うて船ごと頂く。荷物積み替えたら、その船に大砲で穴開ける。ハハハ、どうじゃ?」
「ほう、そりゃ面白そうじゃ。」
「そりゃ敦賀ならできるじゃろう。」
 敦賀は昔から、海と陸の交通の要衝であった。そのため、海賊たちが侍に変装して互いに諸国の言葉で酒を酌み交わしていても、特別怪しまれることはない。船を港に入れないで人目に付きにくいところに停泊させるのにも、それなりの理由がある。白鷹丸のような大型船はとかく人目を引き、何の用で何日も停泊しているのかを港の役人に聞きに来られてはまずいからだ。
 料理屋に酒は付き物だ。酒を飲めば侍であろうと口が軽くなるので、思わぬ情報が入って来ることだろう。四人の顔ぶれが日替わりなのは、店の者に顔を覚えられないようにするためと、なるべく多くの者に手柄を取る機会を与えるための配慮だった。
 最後に船に穴を開けて浸水させるのは、証拠隠滅のためもあるが、船足の遅い旧式の和船を分捕っても、かえって足手まといになるからだ。本当は沈めたいところなのだが、この時代の船の船体は、ほとんど全てが木製なので、重い積荷がなければ沈まない。
 その夜寝る前、ハヤテはシャガたちの船室を訪れた。奥の床には壁に沿って既に人数分の布団が敷かれており、各自その上に座って雑談しているところだった。
 ハヤテは、床に置かれた行灯の明かりの前に座ってこう言った。
「途中もう一仕事しに、敦賀に寄ることになりそうじゃ。但し、陸に上がれるのは仕事するもんだけじゃが……。」
「ツルガ……?」
 シャガたちはその地名を知らなかったので、ハヤテはその説明をした。
「そこには大きな港がある。都にも近いし、日本のあちこちから物が集まって来よる。そこから異国へ行く船もある。」
 シャガとトヨは目を輝かせると、口を揃えて言った。
「へー、見てみたいな!」
 太助とキョウ、平次がそれに続いて元気良く言った。
「俺も見たい!」
「あたしも!」
「おれも!」
 ハヤテは微笑んで言った。
「天気良けりゃぁ、船から港見えるやもわからんぞ。」
 それまで船室の壁にもたれて目を閉じ、じっとこの会話を聞いていたタネが、突然ハッと目を開けると、珍しくうろたえたような口調で言った。
「……おお、ハヤテよ。あんたにこんなことを言っていいものかどうか……。」
「どうしました? なんなと言うて下さい。」
 ハヤテは笑顔でそう言ったが、タネは真剣な表情でこう言った。
「今度は死人が出るぞ。」
 ハヤテは、きょとんとして聞き返した。
「は?」
 タネは、自分とハヤテのあいだの宙を見詰めながら、なかば独り言のように言った。
「雨んなか、鉄砲の音がして、人が何人か縄梯子から落ちるのが、たった今見えた……。」
 シャガは困った顔になると、そのタネに向かって嗜(たしな)めるように言った。
「もう、婆ちゃんたら!」
 続いてハヤテに向かって、今度は申し訳なさそうに言った。
「ハヤテ、ごめんね。うちの婆ちゃん、たまに変なこと言うのよ。それが当たることもあるんだけど……。でも、あまり気にしないでね。」
 サブも同じように言った。
「ハヤテ、気にするな。」
「わかった……。忘れるわ。
わし、寝に帰るけん、ほんじゃ、お休み。」
 ハヤテは立ち上がりつつ笑顔でそう言ったが、このことは頭の片隅に残ることとなった。

 その三日後の夕方、海賊船白鷹丸は敦賀近郊の入り江の中に停泊した。その後五人の海賊が侍に変装して伝馬船で上陸し、馬を使って敦賀の港にある老舗(しにせ)の料理屋へと赴いた。その晩は成果を得られなかったが、毎日通った結果、作戦開始から三日目の晩に、大名の所有する風待ちの船が二艘あることを突き止めることができた。米を積んで西へ行く船と、家具や衣類、日用雑貨などを買って東へ行く船だ。荷物は既に積み終えてあるようだ。
 海賊たちにとって米は魅力的だった。普段の彼らの主食は、芋と雑穀を混ぜた粥であり、米を口に出来るのは、祝い事のような特別の場合だけに限られていたからだ。
 しかし、彼らは後者の船を襲うことにした。なぜなら、大名から米を奪うと、そこの領地の年貢の取立てがその分厳しくなり、大名は痛くも痒くもなく、結局その害を被るのは百姓になってしまうからだ。その一方、家具や衣類、日用雑貨を買ったのは大名とその家臣だが、それらをつくった職人には問屋(とんや)から既に賃金が支払われているはずだ。このような物を土産に持って帰れば、自分たちの暮らし向きが少しでも良くなるだろうと、喜助たちは判断したのである。
 翌日は大雨になったが、雨音に紛れて仕事をすることができるので、海賊たちにしてみれば、この方がかえって好都合だった。
 夕方薄暗くなるのを待ってから、伝馬船に乗り込んだ十人の海賊たちは、激しい雨の中を敦賀の港の中に入って行った。目標の船の下にたどり着くと、彼らは先端に鈎の付いた縄梯子を投げ上げてその船べりに引っ掛け、偵察のためにまず一人だけがこれを登って行った。
 しばらくしてから、その縄梯子が「ツンツン」と二度引っ張られた。「登って来い」という合図だ。
 この和船の水夫たちはみな、これからの長い船旅に備えて思い切り遊んでおこうと、遊郭(ゆうかく)か賭場(とば)にでも行っている様子だった。その船内に侵入した海賊たちは、船倉でたむろして酒を飲んでいた警護の侍数人を、毒の吹き矢によってあっという間に始末した。
 再び船の上に出た彼らは、内側を白く塗った桶を船べりの上に横に置くと、その中に明かりをともして港の外の方に向け、その桶の口の前に板を立てては外し立てては外しという動作を、同じ間隔で何度も繰り返した。
 一方、港の外で待機していた白鷹丸の帆柱の見張りは、降りしきる雨の中に、その点滅している明かりを発見するが早いか、甲板に向かって大声で言った。
「おーいっ! 準備完了じゃーっ!」
 間もなく錨を上げた白鷹丸は櫂を使って動き出し、大雨の降る中、その明かりを頼りに港の中へと入って行った。風がないのでもちろん帆は畳んである。
 やがて、大名の和船に近付いた白鷹丸は、元来た方にくるっと向きを変えた。
 白鷹丸の櫂同士は、それぞれが金具で縦に連結されており、更にその左舷と右舷の組が、前後二箇所で横に連結されている。ということは、全ての櫂が連結されているということなので、漕ぎ手全員が同時に同じ動きをすれば、前進する場合において極めて効率の良い構造になっている。また、左舷の組と右舷の組とを連結させている金具のピンを引き抜くことによって、その連結を解除することができるようになっている。これによって左右の櫂の動きを正反対にすることが可能となり、船は高速で向きを変えることができるのである。
 その白鷹丸の船尾から、和船の上の明かりに向けけて太い綱が投げられた。和船の上でそれを受け取った仲間が、その先端を和船の舳先にくくり付けると、和船の錨綱が斧によって断ち切られた。
 やがて、伝馬船を収納した白鷹丸は、捕獲した和船を港の外へと静かに曳航(えいこう)して行った。周囲はもう、すっかり暗くなっている。
 二艘の船が完全に港の外に出ると、船同士を繋いでいた縄が解かれ、白鷹丸は舳先を沖に向けたまま和船の右舷にその左舷を寄せた。間もなく先端に鋭い鉄の鉤(かぎ)の付いた太い綱が、白鷹丸船首と船尾からそれぞれ一本ずつ和船の船べりの中に投げ込まれると、それらは手繰(たぐ)り寄せられて、和船は白鷹丸にしっかりと横付けされた。その両方の船上に明かりがともされると、海賊たちは早速和船の荷物の積み替えを開始した。細かい物はまとめて木箱に入れてあったので、運び出すのは楽だった。
 それでも、まだ半分も積み替えぬうちに、激しく叩かれる半鐘の音が、雨音に掻き消されそうになりながらも港の中から聞こえて来た。船が盗まれたことが発覚したのだ。急がねばならない。
 間もなく帆桁の上の暗闇から、見張りの者が張り上げる怒鳴り声が小さく聞こえた。
「おーい! 船が来よるぞー!」
 笠を被り蓑(みの)を着て、白鷹丸の甲板の上で指揮を執(と)っていた喜助が、その闇を見上げて叫んだ。
軍船かー!?
 見張りの叫ぶ声が、再び小さくそこから聞こえた。
「明かりの様子からして大きな船じゃーっ! 風がのぅても進んできよるけん多分軍船じゃろーっ!」
 船上で立ち働く仲間たちを、喜助がせかした。
おーい! 軍船が来よったぞーっ! 急がんかーっ!
 喜助は、同じような出で立ちで自分の横に立っている側近のロクに向かって尋ねた。
「おい! 積荷はどれほど運んだかや?!」
 その問いを受けたロクは、和船の船倉に下りてそれを確認して戻って来るなりこう報告した。
「半分以上は運び出したわ。あと、木箱と葛篭(つづら)大小合わせて百個ほどじゃ。」
 喜助は頷いて言った。
「よし、わかった。」
 そして彼は、頭上に向かって大声で問うた。
おーい! 軍船との距離はなんぼじゃーっ!
 それに答える見張りの叫び声が小さく降って来た。
「雨でようわからーん! 半里ほどじゃろうかーっ! ぐんぐん近付いて来よるぞーっ!」
 やがてその船の明かりは、明かりがともっているこちら側の船上にいる者の目でも確認できるようになった。それを見た喜助が、大声で指令を発した。
ロク! 戦(いくさ)の支度じゃ!
敵は大型の軍船、船尾左舷寄りへ接近中! 距離半里弱! 鉄砲イ組ロ組ハ組と左舷大砲船尾大砲狙えーっ! 漕ぎ手の者は位置に着けーっ!
手ぇ空いとるもんは、引き続き荷物の積み替えじゃーっ!」
 ロクが太鼓で指令を発した。敵はもう、すぐ近くまで来ている。帆柱の見張りの、切迫した声が小さく聞こえた。
「敵が向き変えよるぞーっ!」
 それ聞いた喜助が呟いた。
やる気じゃのぅ……。
 彼は、ロクに向かって再び指令を出した。
「荷物積み替えやめーっ! 船に火ぃ放って、みな本船に戻るんじゃーっ!」
 ロクによって、その指令の太鼓が鳴らされた。
 太鼓から戻ってきたロクに、喜助がやや苛立たしそうな口調で尋ねた。
「鉄砲の用意、まだなん?!」
 ロクは、雨に濡れている鉄砲隊の方を指差して言った。
「雨避けの唐傘(からかさ)立てておるんじゃが、火縄(ひなわ)がしけっとって、着火に手間取っとるようじゃ。」
 その一方、敵船を見ると、その上に並んでいる明かりの様子からして、見張りの者の言うように大きな軍船と見て取れた。それが和船の左舷に近付いて来たので、和船を中にして三艘が丁度川の字になるような格好になってきた。そのとき。
 軍船上の中ほどの複数箇所で火花が散り、タタタタタタタタン! と銃声がしたかと思うと、和船への放火が手間取って逃げ遅れていた何人かの仲間が、白鷹丸の左舷に掛けられている数本の縄梯子を登る途中で、ドタドタッと下に落ちた。喜助が叫んだ。
怪我人を収容し、手当てするんじゃーっ!
 伝令が次々と喜助の元に飛び込んで来た。
「船尾大砲用意できました!」
「鉄砲全組用意できました!」
「怪我人を収容し、全員退避しました!」
「左舷大砲用意できました!」
 しかし、再び敵の銃撃を受け、今度は白鷹丸甲板上の一人がうずくまり、一人が後ろに倒れた。すぐさま近くにいた者がその二人を介抱した。
 喜助が、待ちに待った指令を発した。
「敵の甲板上の明かりを狙えーっ! 鉄砲隊イ組ロ組ハ組、順に放てーっ!」
 それによって、今度は海賊が反撃に出た。鉄砲隊のイ組が撃ち終わるとすぐ後ろに下がって鉄砲に弾を込める。すかさずとロ組みが前に出て撃ち、今度はハ組と交代する。ハ組が撃ち終わるとまたイ組が撃つということを繰り返すのである。このため白鷹丸からは、比較的短い間隔で銃が火を噴くということになる。
 その反撃によって、敵船上の明かりが次々と消えていった。これは、撃たれた敵が手に持っている明かりを船べりの下に落としているということだ。喜助は続いて指令を発した。
「和船を切り離して船を出すんじゃーっ! 全速前進!」
 二つの船の船首と船尾とを繋(つな)いでいた二本の綱が、それぞれ斧(おの)によって絶ち切られ、白鷹丸はゆっくりと前に進み出した。その直後、ゴスーンという大きな鈍い音がして和船が大きく揺れた。敵の軍船が、和船の左舷に横付けしたのだ。それと同時に、軍船の右舷から縄梯子(なわばしご)がいくつも垂らされ、「わーっ!」というときの声と共に、陣笠(じんがさ)を被った大勢の兵が和船の上に降りて来た。
 それを見た喜助は、新たな指令を出した。
「鉄砲の標的! 和船上の敵に変更! 取舵少々!」
 白鷹丸から銃が発射されるたびに、和船上の兵の何人かが次々と倒れたりうずくまったりしていった。次第に速度を上げて和船から離れていく白鷹丸は、少し左を向いた。
 白鷹丸からの銃撃は続いた。和船から白鷹丸へ鉤の付いた太い綱を投げようとしていた何人かの兵が倒れた。その直後、敵の軍船がゆっくりと前へ動き出した。どうやら、白鷹丸を追跡することにしたようだ。
「鉄砲放つのやめ!
左舷大砲、敵の船体を狙え! 船尾大砲は和船の船体を狙えー! 共に放て-ーっ!!」
 喜助のその指令によって、今度は大砲の砲撃が始まった。砲弾の発射とほとんど同時に、バーン!という木材が割れる大きな音がした。それが何回か繰り返されると、喜助はまた指令を発した。
「よし、左舷大砲放つのやめーっ!」
 船尾の大砲は引き続き和船を狙って砲撃していたが、距離が開いてきたので、喜助はその砲手にも砲撃の停止を命じた。
「船尾大砲放つのやめーっ!」
 追跡してきた軍船は次第に引き離され、それまで点々と水平に並んでいた船上の明かりが急速に手前に傾いて、ぽとぽとと海面に落ちていった。その後ろの和船の火もゆっくりとではあるが、やはり同じように傾き始めた。それを見た上の甲板の海賊たちは、雨に打たれながらも、みな口々に歓声を上げた。
やったーっ!
やったぞーっ!
 喜助は、太鼓のそばにいたロクに向かって言った。
「敵船浸水!」
 その情報が太鼓によって伝えられると、漕ぎ手たちの上げる大きな歓声が下の甲板からも聞こえて来た。

雲  夜が明けるに従がって、雨上がりの空にたなびく雲が、薄紫から次第に橙色へと変わってゆき、白鷹丸の甲板から撒かれた米や酒などが風に散りつつ、黒い海原へと吸い込まれていった。
「……払いたまえ、清めたまえー……。」
 祝詞(のりと)が唱えられる中、彼らの旗印を染めた幟(のぼり)によって、それぞれ石の錘と共に包まれた三つの遺体も、次々とその海原へと吸い込まれていった。髪を朝風になびかせながら甲板に集まっていた一同は、それに向かって静かに手を合わせた。
 彼らは、何か特別なことでもない限り、海上で戦死した仲間の遺体を水葬することにしている。そして、遺族には故人の遺髪や遺品のみが届けられる。冷凍庫などないこの時代、どうしても遺体を持ち帰りたければ、腐敗を防ぐため塩漬にするしかなかった。武士の世界では、戦に勝った方が負けた方の大将の首を塩漬にして持ち帰るようなことは、よくあることだ。
 しかしこの海賊たちは、塩漬けになった自分の醜い姿を家族の前に曝すよりも、家族の記憶の中に生前の自分の笑顔を留めたまま、海の肥やしとなって魚介類を養う方を望んだ。その肥やしは巡り巡って、生き残った者の食卓を少しでも潤すことになるからだ。
 祝詞が終わってからしばらくのあいだ、甲板の上には深い沈黙が流れた。
 やがて水平線の上に朝陽が姿を現すと、頭の喜助は紫色になってきた海原を見詰めながら、そっと呟いた。
済まんことしたのぅ……。
 喜助は、その場の一同に向かって静かに言った。
「直会(なおらい)の支度じゃ。」
 この戦闘での死者は三名、怪我人は四名、うち二名は重傷だった。
 祭壇に備えてあった酒と魚などを神主役の者が下ろすと、みなは甲板に座って三人の戦死者の思い出話しなどを始めた。
 やがてそこに料理係の者が、酒と魚料理、芋や粥、煮豆などを運んで来て、弔いの直会が始まった。今回死んだ三人の分も、生きている者の分と同じように配膳されており、杯(さかずき)には酒が満たされ、皿には料理が盛り付けられている。海賊たちは、あたかもその席に人が座っているかのように振舞(ふるま)っていた。
 やがて酒が進み、普段の宴会と大差なくなっきても、戦死した三人の霊もその場にいるということを、この場の誰もが意識していた。
「……今度の敵は敵らしい敵じゃったのぅ。その前の戦(いくさ)で圧勝したけん、こっちも気ぃ抜いとったんもあったが。」
「前のんは、普段陸(おか)歩いとるもんが、俄かに船に乗ったげぇじゃったが、今度のんは立派な水軍じゃ。」
「鉄砲の数も多かったのぅ。」
「船大きい割りに、えらぁ速かったのぅ。」
「あれなら漕ぎ手は八十人は下らんな。こっちに大砲なかったら、あっという間に追い付かれて今ごろ獄門(ごくもん)じゃ。」
「どこの水軍とね?」
「和船の火ぃ雨でなかなか大きゅうならんかったけん、敵の幟(のぼり)まではよう見えんかったわ。」
「その分、鉄砲弾に当たって縄梯子から落ちよったもん助けるにゃぁ都合良かったけぇものぅ。」
 この言葉が耳に入った途端、ハヤテは思わず立ち上がった。ハヤテの横にいた親友のヤスが、そんな彼を見て尋ねた。
「おいお前、血相変えて何したん?」
 ハヤテは興奮して叫んだ。
仲間が縄梯子から落ちよるの、何日か前に見たもんがおりゃる!!!
 その言葉によってそれまで賑やかだった会場が静まり、喜助が訝(いぶか)しげな顔をハヤテの方に向けて尋ねた。
「誰じゃそれは?」
 ハヤテは、少し離れた席に座っていた、ある人物を指差して答えた。
「シャガんとこのタネ婆様じゃ! わし、それ聞いた後にはすぐ忘れたが、今の話し聞いてそんときの婆様の言葉思い出したんじゃ。そっくりじゃ、今の話しと……。」
 戦闘中ハヤテは漕ぎ手だったので、実際にその光景を見てはいない。そのため、それを見た誰かの話しを今しがた耳にした途端、そのときのタネの言葉を思い出したのであった。
 家族と共に座っている、そのタネのもとに一同の視線が集中したので、説明の必要を迫られた彼女は口を開いた。
「……あのときは、ハヤテがしてた『敦賀へ寄る』って話しを、目を閉じて聞くとなしに聞いてたんだ。そしたら、目の前が急に暗くなって大雨になった。すると、火事みたいな炎に照らされて、人が何人か縄梯子を登ってるのが見えたんだ。でも、後ろから、タタタタタン! て鉄砲の音がしたかと思ったら、その人たちは次々と下に落ちちまった。」
 すると、甲板のあちこちから「おー!」という驚きの声が上がった。これはまさに、今回の戦場で起こっていた一場面そのものであり、実際にそれを見た者でなければ、このようにして語ることができないはずだ。そのときタネを含めた女子供が船室にいたことは誰もが知っている。再び会場が静まるまで少し時間が掛かったが、そうすると彼女はまた口を開いた。
「……そのうちの何人かは死ぬんだなと思った。こんなこと縁起でもないし、口にするもんじゃないとは思ったが、ハヤテには伝えたのさ。『今回は死人が出るぞ』って。」
 その言葉によって、また会場がざわめいた。それが静まると、タネの隣の席に座っていたサブが言った。
「うちのこの婆さんは、昔からこうなんだよ。」
 みなの視線は、今度はサブに注がれた。彼は話しを続けた。
「でも、この人の母さんがもっと凄かったらしい。夜中に津波が来ると言って村のみなを起こして回ったんで、半信半疑でみんな丘の上に逃げたら、ほんとに津波が来て、何軒かの家が波に持ってかれたが、村の者は全て命拾いしたってことがあったんだそうだ。」
 それによって会場がまた湧いた。喜助が、感心したように相槌を打った。
「ほう、そりゃ大したもんだ!」
 その言葉によって会場が静まったので、サブは話しを続けた。
「その血を引いたこの婆さんだけど、当たることもあるが、外れることもあるんだ。だからあのときハヤテには、『気にするな』と言っておいた。」
 喜助の側近ロクが、サブに向かって興味深そうに尋ねた。
「外れることとは?」
 サブはロクに向かって答えた。
「あれはまだ、この婆さんが娘だった頃、朝から津波が来るって言ったとき、前の津波のことがあったんで、みんな今度はすっかりその言葉を信じた。ところが、持てる物持って丘の上に逃げたけど、いつまでたっても津波は来なかったそうだ。」
 タネは澄まして言った。
「ああ、あのときね、あれは外れたんじゃなくて、みんなの心掛けが良かったから、津波が遠慮したんだよ、きっと。」
 それが可笑しかったので、会場からは笑い声が上がった。それが静まると、サブの隣りの席のシャガが言った。
「でも、大時化(おおしけ)のときは、本当にそうなったよね。」
 サブがそれを引き継いだ。
「ああ、あのときはそうだったな。真夏の朝、晴れた空の下で大時化になるって婆さんが言ったけど、津波で外れてたんで、最初は誰も信じなかった。でも、万が一のこともあるだろうと、男たちはその日の遠出の漁は見合わせた。すると昼頃から急に空が曇り、風が吹いてきてほんとに大時化になった。あれで漁に出てたら誰も戻らなかっただろう。」
 それを聞いた一同は、タネに向けて再び感嘆の声を上げた。
おーっ!
 会場が静まるとサブは言った。
「……この不思議な力は、その娘である俺の前の女房にもあったんだ。」
 ここで、察しの早い喜助が言った。
「なるほど。あの家宝から見るに、昔あんたんとこは女王でもあったろうが、巫女(みこ)も兼ねとったげじゃのぅ。ほいで、巫女をやめた今でも、その血筋(ちすじ)のもんには、その力が残っとるっちゅうことじゃろう。」
 サブもそれに同意した。
「多分そうでしょう。」
「ちゅうことは、シャガとトヨにも、その力があるっちゅうことじゃのぅ?」
 並んで座っている二人の娘に向かって喜助がそう言うと、姉のシャガは手を振りながら言った。
「いえいえ、トヨはどうかわかんないけど、あたしには、きっとそんな力があっても大したことはありませんよ……。ただ、近頃ではこんなことがありました。
ある満月の夜、あたし、ハヤテに『戻って来て』って心の中で叫んだんです……。」
 興奮が収まって腰を下ろし、話しを聞きながら飲み食いしていたハヤテだったが、彼女のその言葉の後を引き継いでこう言った。
「……ほいで同じ月の夜、わしがシャガの嫁入りの夢見て、『こりゃ放っちゃおけん、会いに行かないけんわ。』思うたんじゃ。」
 それを聞いた会場の一同は、再び感嘆の声を上げた。
 それが収まると、喜助が興味深そうに言った。
「うーん、これが偶然ではないとすりゃぁ、巫女とはまた違う力じゃのぅ。巫女は己(おのれ)が何かを見よるが、シャガのは人に何かを見せる力じゃけん。ほいでハヤテにも、その思いを感じる力があるっちゅうことになるのぅ。」
「それもあろうが、こりゃ二人の愛の力も大きいぞ。」
 誰かがそう言ったので会場は暖かい笑い声に包まれ、ハヤテとシャガは大いに照れた。
 それが収まると、喜助はタネに向かって真剣な表情で言った。
「タネさんや。もしまた何か見えたら、次からは遠慮せんとわしらに言うて下さらんか。タネさんのその力がありゃぁ、死人出さずに済むようになるかわからん。」
 そう言った喜助は、彼の近くにあった人のいない三つの席を示した。みなも口々に言った。
「そうじゃ。」
「そうじゃわ。」
「タネさん、頼みます。」
 タネは頷いて言った。
「わかった。今度見たら、はっきりと言うようにするよ。外れるかも知れないけど……。」

 白鷹丸が本拠地へ帰り着いたのは、それから五日後の昼だった。
 彼らの組織の旗は、いつも通り前の帆柱のてっぺんに掲げられていたが、後ろの帆柱の五色の旗は半旗(はんき)になっている。これは、戦いには勝ったが、死人が出たということを表していた。そのため、出迎えの者はお祭り騒ぎはしなかった。その代わりに、弔いの儀式と、その直会(なおらい)の支度がなされた。
 港に入った白鷹丸が錨を下ろすと、桟橋から漕ぎ付けた伝馬船にまず積まれたのが、死者の遺髪と遺品だった。続いて重傷者を始めとする四人の負傷者が移された。その後は普段通りの、戦利品の積み替えと人員の輸送が始まった。
 最初の伝馬船が港の桟橋に着いて戦死者の名が伝えられると、出迎えていた人垣の中で、その家族の者が次々と泣き崩(くず)れた。彼らに故人の遺髪と遺品が手渡され、その周りにいる者はみな口々に、彼らを慰める言葉を掛けた。
「この村のもん誰も彼もがみな、多かれ少なかれ戦(いくさ)によって、肉親を失うとるんじゃけん……。」
「中には、もっと惨(むご)い目に遭うとるもんも、おるんよ。」
 そのような言葉は、『自分だけがこんな目に遭っているのではない』という思いにさせて、遺族の孤独感を少しは和(やわ)らげることができる。しかし失われた者は、どんな慰めの言葉を掛けられても帰って来はしない。そのため、戦によってこれ以上死人が出ることを望まぬ者が、女子供や年寄りを中心として日毎に増加していることも事実であった。
 やがて、いつものように戦利品の分配と報酬の支給が始まった。まず真っ先に貰えるのは、三人の戦死者の遺族、次いで負傷者だ。彼らは戦利品の中から好きな物を選ぶことができた。
 今回は馬もあれば、金箔(きんぱく)を施した華麗な漆(うるし)塗りの箪笥(たんす)や鏡台もある。また、質の良い反物(たんもの)や衣類、鍋、釜、果ては墨と硯(すずり)、筆や上質の紙まであった。
 今回ハヤテは漕ぎ手としての功労もあったが、仲間に入る者を無事船に連れて来るという任務を成しとげたということもあり、幹部たちの決定によって同じ任務を果たしたヤスと共に褒美(ほうび)を貰うことになった。それぞれ報酬の銀と共に、小さな漆塗りの箪笥を幹部から受け取った二人は、互いに顔を見合わせ微笑んだ。
「ハヤテ、やったのぅ!」
「お互いにちぃと出世じゃのぅ!」
 貰った銀を懐の巾着の中に収めて箪笥を肩に担いだハヤテは、桟橋で待っているシャガたちを迎えに戻った。
 それに続いて初仕事のサブは、鉄製の鍋と報酬の銀を貰って来た。村では土器で調理し、銀などほとんど手にしたことのない彼ら一家にとって、これはちょっとした文明開化だった。
「最初からこんなに貰っていいのかな? しかも、自分ちの家宝を取り戻す案内をしただけなのに!」
 サブが目を丸くしてそう問い掛けると、ハヤテは微笑んで言った。
「いいんです。誰でも最初からそうじゃけん。それに、サブさん案内してくれたお陰で、馬が手に入ったんもあるし。」
 それを聞いたサブは、安心したように微笑んで言った。
「そうか、それじゃ遠慮なく頂くことにするよ。」
 そのサブを始めとする一家の者に向かって、ハヤテは言った。
「みなさん、長旅お疲れさんでした。」
 そして海鳥が鳴き交わす中、自分の背後にある村を指し示して言った。
「ここが、わしの住む村です。」
 それを見渡したタネが、感心したように言った。
「へー! こりゃまた立派な村だ!」
 港の右手には蔵が立ち並び、その手前には見張りの櫓(やぐら)が高々とそびえている。
 正面から左手にかけては、刀鍛冶、鉄砲鍛冶、桶屋、瓶屋、炭屋、紙屋、油屋、笠屋、石工、材木屋、家大工、船大工と見られる様々な店や工房が軒(のき)を連(つら)ねている。
 そして港からは、幅が広く緩やかな坂道がその中心を貫いており、その両側にはたくさんの板葺きの民家が立ち並んでいた。また、ここからは見えないが、この坂の上の広場周辺には、診療所、読み書きや学問を教える塾、剣術の道場、そして集会に使われる大きな建物まであるのだ。
 これはもう、村ではなく「町」と呼んでも差し支えないかも知れない。
 更にその周囲には、棚田と段々畑が広がっており、そこには稲や雑穀をはじめ、芋、豆、野菜、茶などが青々と植わっている。
 その背後の切り立った岩山の中腹に見えている小さな砦からは、船に積んでいるものよりも更に大きな大砲が四門、黒光りしながら海の方に砲口を向けていたが、今それらが収納されているところだった。もし、白鷹丸が敵に占拠されていたとしたら……。そこまで想定した島の者は、先ほどまでなんと自分たちの船に狙いを定めていたのである。
「さあ、こちらです。」
 そう言ったハヤテが、桟橋を陸に向かって歩き始めたので、サブ一家もそれに続いた。シャガは、ハヤテの横に寄り添うと、歩きながらやや不安げに言った。
「……あんたが婿に出るって言ったら、あんたのお母さんびっくりするだろうね……。」
 ハヤテは、屈託のない笑顔を彼女に向けると、こう言った。
「いや、うちのおかあ、そげなこと一切気にせん性質(たち)じゃけん心配ご無用じゃ。」
 やがて人ごみの中から、いつもの歓声が聞こえて来た。
ハヤテ兄ちゃーん!
 幼い妹と弟たちが、ハヤテを見付けて駆け寄って来たのだ。
 間もなく、妹のナミ、弟のリョウ、そして母のキクも人ごみを掻き分けて現れた。今回は犠牲者が出ているのでキクは大声は出さず、かなり近くまで来てから普通の音量で言った。
「よう戻った。」
 ハヤテも、いつもとは違った静かな声で、先ほど貰った箪笥を母に見せた。
「これ貰うたわ。」
 キクは、目を見張って言った。
「おお、こりゃ小ぶりじゃが見事な箪笥貰うたのぅ! 小間物入れるもん欲しかったけん、丁度ええかったわ。」
 いつもならここではしゃぎ回る妹のアカネと弟のショウだが、母と兄の様子から状況を敏感に察すると、ハヤテに向かって小声で口々に言った。
「なあなあ、ハヤテ兄ちゃん。死人が出ても戦に勝った言うん?」
「嬉しげにしとるもん誰もおらんのぅ。」
 ハヤテはそれに応えた。
「おう、勝つことは勝った。こっちは三人じゃが敵はもっと死んだろうし、敵の船は穴開いて水入りよったけん。」
 それを聞いたショウが、眉を寄せて言った。
「ほんなら、悲しい勝ちじゃのぅ。」
「まあ、そういうことかのぅ。」
 ハヤテがそう言うと、今度はアカネが泣きそうな表情で言った。
「ハヤテ兄ちゃん生きて戻って、ほんにええかった……。」
「おぅ……生きておって、ほんにええかったわ……。」
 ハヤテはしみじみとそう言ってから、後ろにいたシャガの方を一瞬振り返り、今度はちょっと照れながらキクに言った。
「わし、夫婦(めおと)の契(ちぎ)り交わして、そのもんと、その家族のもん連れて来た。」
 キクは、そのハヤテの視線の先を一瞬見ると、目を丸くしてハヤテの方に向き直り、声をひそめて言った。
「あれまあ、そりゃなんとも急なことじゃのぅ。……どこんもんぞえ?」
 ハヤテはその母に向かって、シャガとのいきさつと彼らの家のしきたりのことを手短かに説明した。また、婿に行っても自分の稼ぎはちゃんと母に渡すということも付け加えた。キクが海女をやって得る収入だけでは、一家を支えていくことが困難だったからだ。
「……ほうか、ほんならその娘さんにゃぁ急なことではないわ。三年も待たせて不憫なことしたのぅ。漁師ならうちと一緒じゃけん、話しも合うじゃろうし。お前が婿に行って稼ぎがのうなりゃ困るが、それもあるっちゅうし、住まいも同じ村じゃ。ほんならうちも淋しいことない。まずはええかったわ。」
 嬉しそうにそう言ったキクは、タネ一家に近付くと、頭を下げて挨拶した。
「みなさんようおこしぃ。キクと申します。息子が遭難した折には大変お世話になったそうで、ほんに有難うございました。」
 キクは頭を上げてから、微笑んでこう言った。
「話しは今、息子から聞きました。
長旅でお疲れでしょう。弔いまでまだちぃと間(ま)ぁあるし、どうぞ、うちの家で休んどくりゃんせ。ご案内しますけん、さ、どうぞこちらへ。」
 それに続いてナミも笑顔で言った。
「妹のナミと申します。兄がお世話になりました。
……リョウや、お荷物かいたりんさい。」
 ナミにそう言われた彼女のすぐ下の弟リョウも、タネ一家に向かって微笑んで言った。
「弟のリョウと申します。お荷物持ちますけん……。」
 そして彼は、タネ一家の唯一の荷物である、着替えなどが入った大きな葛篭(つづら)を背負った。
 太助とキョウと平次の三人は、恥ずかしがってシャガとトヨの後ろに隠れていたのだが、アカネとショウはそこに駆け寄ると、アカネが屈託のない笑顔をその三人に向けて言った。
「珊瑚(さんご)見たいかえ?」
 それは、以前ハヤテが仕事の帰りに持ち帰った、大きな珊瑚の塊りのことだった。三人の子供たちは、二人の姉の背後から飛び出すと、アカネに向かって目を輝かせ、口を揃えて言った。
「見たーーい!!!」
 珊瑚のことは、大人同士の会話を横で聞いていて知ってはいたが、北国育ちの彼らは、その実物をまだ目にしたことがなかったのだ。その三人に向かって、ショウも元気良く言った。
「裏ん浜にあるけん、付いて来んさい!」
 たちまち一つになった五人の子供たちは、人ごみをすり抜けると、ハヤテの家目指して海沿いの道を勢い良く駆けて行った。
 この村では、今回のように他の地域から新たに仲間が加わるということは珍しいことではなかったので、日本各地に言葉や文化の違いがあるということぐらい、小さな子供でも知っている。そのため、ハヤテがシャガの村で味わったような排他的な出来事は起こり得なかった。
 子供たちに続いてハヤテたち一行も、村はずれにあるその家を目指した。
 海沿いに建っているハヤテの家の母屋(おもや)の裏は、すぐ浜になっており、その軒下には縁台が設けられている。キクに先導された一行がそこに着くと、彼女はタネ一家に向かって笑顔で言った。
「さ、どうぞお掛け下さい。」
 そこに腰を下ろしたタネたちは、穏やかな瀬戸内海を眺めながら、誰彼となくホッと溜息を漏らした。
 鉄道や大型客船による現代の旅行でさえ疲労が伴うのに、風任せの航海による当時の旅は、現代人の想像を絶する苦労があったことだろう。しかも今回彼らは二度も戦闘を体験していたので、まさに命懸けの旅の終点に、今ようやくたどり着いたところであった。
 タネ一家の自己紹介が済むと、キクはまず大人に茶を勧めた。
「この島のもんですけん、できはあまり良うありませんが、どうぞ。」
 そして、浜で珊瑚の塊りを一心に見ている幼い子供たちに目配せすると、ナミに向かってこう言った。
「これをあの子らにのぅ。」
 キクが素焼きの水差しに入った水と五つの湯呑みをナミに手渡すと、ナミはそれを子供たちのいる浜に持って出た。
 町で口にしたことのあるサブ以外で茶を飲むのは、タネ一家の者は生まれて初めてのことだった。タネは一口飲んでから言った。
「へー、こりゃ不思議な飲み物だ。何て言うんだい?」
 キクがそれに答えた。
「茶と言います。」
「苦いけど、なんだか癖(くせ)になりそうだ。」
 タネが手に持った湯飲みの中を覗き込みながらそう言うと、ハヤテがその説明をした。
「眠たいときに飲むと目ぇ冴えるし、食べた後に飲むと、口ん中すっきりします。まあ、薬のようなもんですわ。」
 そのような当り障りのない会話が丁度一段落した頃、間隔を置いてゆっくりと連打する半鐘の音が、港の方から聞こえて来た。
「弔い始まるけん、さあ、行きませんか。」
 キクがそう言って立ち上がりみなを先導して歩き出すと、みなも縁台から立ち上がってそれに従った。浜で遊んでいた五人の子供たちも、その後に続いた。

 港に隣接している浜には、海を背にして大きな祭壇が設けられており、その前には明々と火が焚かれていた。それを半円形に取り囲むようにして大勢の老若男女が集まっており、弔いの儀式が始まったところだった。
 神主の唱える祝詞(のりと)の後、人々は列をなして祭壇に玉串(たまぐし)を奉納した。
 儀式が終わると、今度は会場に酒と各種の料理が運ばれて直会が始まった。そこでは、祭壇に供えられていた酒を人間が頂くことになるのだが、それは通常の宴会のように生きている人間だけのための飲酒とは異なっていた。
 人や獣は死ぬと、その霊は肉体から抜け、霊を宿す肉体は空(から)になる。だから肉体は、体(からだ)と言われるという説もあるほどだ。その後、霊は『黄泉(よみ)の国』と言われる死後の世界へ行き、そこで生きているときと同じようにしていると彼らは信じていた。
 この死後の世界は、生きている一般の者が見ることはできないが、そこでの死者の霊は、生きている者がその存在を思い出すことによって活力を得ることができる。そのため、死んだ仲間の霊を慰めて活力を与えることが、生きている者の役割であると言うこともできる。
 このような考え方から、彼らの弔いの後の直会は、ただ儀式の打ち上げをするというのではなく、死んだ者の霊と共に楽しむというところに本来の意味がある。人と人が飲食を共にするということは親睦を深めるということになるし、酒を飲むことによって人は己(おのれ)を曝(さら)け出す。生きている者同士はもちろん、死んだ者に対しても腹の底から交流を深めるということは邪気を祓う行為であり、本来酒とはそれに必要な聖なる飲み物であったのだ。
 飲酒によって引き起こされる事故や事件は、酒そのものが悪いのではなく、それを飲む人間の精神状態の良し悪しによるものだ。酒を「聖なる水」にするか、「気違い水」にするかは、その人の飲み方次第なのである。
 さて、飲み食いが始まると、まず船上で行われたのと同じようにして、戦死者の過去の戦功の数々が語られた。
 それが終わると、中央の火の近くに座している幹部たちの中から、喜助の側近ロクが、今回の陸と海での三つの戦闘について詳しい報告をした。そして、敦賀沖の海戦での三人の戦士の最後の有様を語った。今後これらの話しは、戦死者の遺族や親しかった者のあいだでも、末永く語り継がれていくこととなるのである。
 話しが一段落すると、それまで幹部たちの一番端で黙って座っていた顧問役のモラが始めて口を開いた。
「喜助や。」
 幹部たちの中央で胡坐をかいていた喜助が、珍しくうなだれて返事をした。
「はい。」
 喜助には、モラが何を言わんとしているのかが既にわかっている。モラは言葉を続けた。
「今度はちぃとやり過ぎたのぅ。この前の話しでは、船には乗っても海賊やめて、漁と商いすることに決まっとったに。」
 その口調は穏やかだったが、開けられている彼の左目には、僅かながらも鋭い眼光が宿っていた。
 大柄な喜助が縮こまって頷いた。
「…………」
「ほいで、もののふから武器弾薬奪うんならまだしも、積荷が箪笥や鏡台果ては反物などと初めからわかって奪うとは、この村始まって以来のことじゃ。わしらはもののふには恨みはあるが、その妻や子に恨みはないはずじゃ。違うか。」
 モラのその言葉を耳にした喜助は、顔を上げるとモラに向かってこう言った。
「違わん。けど顧問、こりゃその妻や子から奪うたもんではない。これを銭(ぜに)出して買うたんは侍じゃけん、わしらの村んもんの暮らし、ちぃとでもええなるように思うて、この積荷に決めたんじゃ。」
「ほうか、ほんなら女子供から奪うたんではないにしても、物が増えることがええ暮らしと思うのは違うぞ、喜助。そげな暮らしなんぞわしゃ要らん。こりゃぁそこの三人が死をもってわしらに知らしめてくれた大事なことじゃけん、みなもよう聞くんじゃ。」
 人のいない三つの席を示したモラが、やや皺がれているが良く通る声でみなに向かってそう言うと、それまでざわめいていた会場がしーんと静まり返った。モラは穏やかな口調で話しを続けた。
「武器持ったわしらが、もののふを真似たような暮らしすりゃぁどげんなる。それこそ、もののふになってしまうではないか。我がの身ぃ守るため、今までどれほどの数のわしらのようなもんが、気ぃ付かんうちにそげんなっていったことか。今の世を見りゃぁ、そのことがわかるじゃろう。」
 確かに、戦国大名に召し抱えられた忍者や海賊などの武装集団は、やがて苗字や領地を与えられて武士となっていくことが多かった。モラは話しを続けた。
「わしゃ、もののふへの恨み晴らすために、仲間集めてこの海賊の集まりつくった。ほいで、大勢のもののふ殺して物奪うたら、確かにその恨みは晴れよった。
じゃが、ただそれだけでは世の中一向に良うならんと思うようになった。わしらの代はええよ。しかし、世の中そのものが変わらにゃぁ、わしらの孫や曾孫の代になって、また同じ苦しみ味わうもんが必ず出て来よる。これでは同じことの繰り返しじゃ。ほいで、まずは今は亡き二代目に頭の座を譲ったんじゃ。」
 彼の言う二代目とは、既に戦死してこの世にいない喜助の先代の頭のことだ。モラは話しを続けた。
「わがでこの集まりつくっといて、こげなこと言うのも筋違いかわからんけどのぅ、武力を頼りにするような生き方は、もう要らん。これからのわしらにゃぁ、海賊でもなく、もののふでもない生き方、暮らし方が要る。」
 モラが目指している「生き方、暮らし方」とは、どうやらこの戦乱の時代の一般的な価値観とは異なる考え方によって実現されるもののようだ。
 しかし、今はまだそれを理解することができていない喜助は、モラに向かって反論した。
「けど、顧問。坊主で長刀(なぎなた)持って、ええ暮らししよるもんもおる。商人(あきんど)で大名のような、ええ暮らししよるもんもおる。わしらも海賊や漁師の心を捨てずに、ええ暮らしできんことない思うが、いかがじゃ?」
 モラは、この村の者の中でも特に質素な生活をしている。その彼がそれに答えた。
「確かにええ暮らしは、それが真(まこと)のもんならしても良かろう。じゃが、間違うたええ暮らしは人の心を腐らせる。一度味をしめりゃきりがのうなるけんのぅ……。
上(かみ)つ世では、身分が上のもんも下のもんも、土器(かわらけ)で煮炊きしよったと聞く。そのうち身分が上のもんは銅(あかがね)使うようになった。ほいで今の世は鉄(くろがね)じゃ。銅も鉄も、土の下の石、川や海の砂から取り出すんじゃ。
山の獣見てみぃ。虫がようけたかりゃぁ、そのうち弱って死ぬるじゃろう。今のもののふの暮らし見てみぃ。まるで、その獣にたかる虫のようなもんではないか。銅や鉄得るために、獣の血ぃ吸うて腸(はらわた)抉(えぐ)っておるようなもんじゃけんのぅ。
ところが、血ぃ吸うだけ吸うて腸抉るだけ抉って、それっ切り。この大地にゃぁなんも返しとらん。いつしか主である大地が、血ぃ吸い尽くされ、腸抉り尽くされて死ぬりゃぁ、そんときゃぁもののふも、この大地もろとも死に絶えるしかないじゃろう。
真のええ暮らしとは、わがの代(だい)だけではのうて、千代万代後(のち)の世まで、人が快(こころよ)う暮らせる暮らしのことじゃ。
今のもののふの暮らしは、真のええ暮らしと違う。そんなまがい物の暮らし真似てどげんする。」
 それに対して喜助は言った。
「わしゃ、何も侍の暮らし真似ようなどとは言うとらん。物大事にする心がありゃぁ、ええもん持っとっても真のええ暮らしできるっちゅうとるんじゃ。」
 モラは微笑んで言った。
「ほんなら、お前、もし誰かがお前の刀より、ええ刀持っとったらどげんする。自分はそれよりも、ええ刀持ちたい思うじゃろうが。」
 喜助がそれに答えた。
「そりゃ、そう思うじゃろう。」
 モラは笑って言った。
「フフフ、ほんでええ刀持ったら、今度はまたその誰かがそれよりええ刀持ちよる。この繰り返しになる思わんか?」
 喜助は言った。
「そりゃ当然じゃ。そげんして、よりええ刀がつくられていくんじゃろうが。」
 モラは言った。
「ほなら、その刀買い換えるために暮らしは、ええなる思うか?」
「うーん……。」
 喜助は唸ったまま黙ってしまった。モラの言うことには、ちゃんと筋が通っているからだ。モラは言った。
「ええもん得るためにゃぁ金銀稼がないけん。それでも人のすることは、みな同じ。働いて飯食うて糞して寝るだけで、上つ世となーんも変わらん。物が良うなっとるだけで、人そのものは変わっとらんのじゃ。これで、その『ええ暮らし』が、ただの幻(まぼろし)に過ぎんちゅうこと、わかるじゃろうが。」
 喜助はしばらく唸ると、深く納得したように思い切り良く言った。
「うーん、わかった! そげん言われてみりゃぁ、確かに顧問の言う通りじゃ!
そんなら、どげんするや。奪うたもん、今更返すわけにもいけんじゃろうし……。」
 モラは言った。
「貰(もろ)うて使うが良かろう。但し、それを見るたびに死んだ三人の顔を思い出し、戒(いまし)めとして使うんじゃ。わしらにとって、こげに華(はな)やかなりし物は災いを招くとのぅ。」
 戦国大名の数々の行いを常に冷静且(か)つ批判的に見てきた彼らの中で、モラのこの意見を理解できる者は少なくからずいた。確かに良い暮らしをしようと思えばきりがない。高価な茶碗を競い合えばきりがないし、美しい服を競い合えばきりがない。また、便利な機械を求めることも、きりのないことだ。
 しかし、どれだけそのような物の質が高まって身の回りに増えて行っても、それを使っている人間そのものの質が向上するわけではない。むしろ、人間の欲望や快楽を満たすような物に囲まれた生活によって、人々の健康がどうなって行くのか。そのような生活によって、ものの考え方や社会のあり方がどうなって行くのか。そのような物を所有する競争が高(こう)じて、人々のあいだに争いが生じれば、その結末はどうなって行くのか……。
 これから四百年以上経った、今の日本をよく見てみればいい。モラの言葉が、少なくとも間違いではないということを、私たちは知ることができるだろう。このあたりに、「物質文明」の本質が隠れているのかも知れない。
 モラのその言葉の中には、そのような物を所有する欲望によって生じる、仲間同士の争いが暗示されているということを、幹部を始めとする多くの者が敏感に察知した。喜助もまた然(しか)りであった。その彼は、ちょっときまり悪そうに頭を掻きながら笑って言った。
「ハハハ! 一本取られたわ!」
「フフ。まあ、わしが達者でおる間(ま)のことじゃ……。
ところで、仲間に入ったもんがおると聞いたが……。」
 モラの目から鋭い眼光は消えて話しの進行を促したので、立ち上がった喜助は、白鷹丸の船上で行われたのと同じようにして、タネ一家を村のみなに紹介した。
 その後で、ハヤテとシャガの馴れ初めから始まり、近いうち、ハヤテがシャガの婿になるであろうということと、タネに予知能力があるということを喜助が話すと会場は湧いた。女系の家はこの村にも何軒かあるので婿入りは珍しいことではなかったが、シャガの辛抱強さとハヤテの一途(いちず)さが人々の胸を熱くしたのだ。また、この村には予知能力がある者も何人かいたが、タネのように天候や人の死などを、映像を見るようにして明確に予知できる者はいなかったので、みなはその能力を賞賛した。
 そして、タネ一家の住む家を急遽新築するということが、その後の幹部同士の話し合いで決まった。それまではハヤテ一家と同居だ。
 この時代の日本で、現在の日本家屋のような全室天井や床のある住居に住めたのは、上級武士や貴族、僧侶、豪農、豪商などといったごく限られた人だけだった。それでも地方の一般庶民のあいだには、天井がなく台所は土間だが寝場所には床が張ってあるというような住居が普及しつつあった。
 そのような比較的単純なつくりの住居なら、材木屋に材料の備蓄が揃っていさえすれば、できあがるのに十日も掛からなかった。人手と道具は充分にある。ハヤテとシャガの婚礼の日取りは、善は急げということで、その新居の完成の翌日に行われることとなった。

 弔いの翌朝ハヤテは、村の共同作業から暇(ひま)を貰い、キクも海女(あま)の仕事を休んで、タネ一家に村のあちこちを案内して見せることにした。
 夏の瀬戸内海の波は穏やかで、時折りチャプンと小さな音を立てるのみだ。その一方、裏山からは賑やかな蝉の鳴き声が聞こえている。
 食事を済ませたハヤテたち大人は母屋の裏の軒下でくつろぎ、五人の子供たちは近所の子供たち大勢と共に浜で戯れていた。
 縁台に腰掛けていたトヨが、手の平の上に何かを乗せて見せながら言った。
「ねえ、ナミちゃんとリョウちゃん、これ知ってる?」
 同じく縁台に腰掛けていた二人は、その数個の赤い玉を見ると口々に言った。
「知らん。」
「見たことない。」
 トヨは言った。
「これはね、浜茄子の実。あたしらの村の浜では、今頃あちこちで見掛けるんだよ。」
 リョウが尋ねた。
「食べれるんかのぅ?」
「うん、ちょっと酸っぱくて種が多いけどね。きれいな花を咲かすし、根っこは布を染めるのに使えるんだ。今、あたしが着てるこの小袖も、この根っこで染めたんだよ。」
 トヨはそう言って微笑むと、小袖の袖を広げた。それを見たナミは、穏やかな口調で言った。
「落ち着いた、ええ色じゃのぅ。」
「これ、あげる。」
 トヨはそう言って、手に持っていた赤い実を一つずつ二人に手渡した。二人はそれをちょっと齧ると口々に言った。
「おお、酸(す)い!」
「確かに酸うて種多いが、食べれんことないわ。」
 ナミが立ち上がりながら言った。
「砂に埋めたら、芽ぇ出るかわからんよ。やってみんか!」
 リョウとトヨも立ち上がりながら口々に言った。
「おう、やってみんか!」
「そうね。やってみよう!」
 三人はハマヒルガオなどの植物が生えている近くへ、それを埋めに行った。
 その一方、同じく縁台に腰掛けていたシャガは、その横に腰掛けているハヤテの顔をボーッと見惚れていた。そんなシャガに向かってハヤテが尋ねた。
「どしたん?」
 シャガは言った。
「……これからずっと、あんたのそばにいられるのかと思うと……なんだか夢みたいだなって思って……。」
「よしゃ、夢かどうか調べちゃろう。」
 そう言ったハヤテは、シャガの小麦色の頬に手を伸ばすと、それをキュッとつねった。
「あいたたた……、手加減ぐらいしてよ!」
 シャガはむきになってハヤテの頬をつねり返そうとしたが、彼はするりと身をかわして立ち上がった。
「夢でのうて良かったのぅ! ハハハハ!」
 ハヤテはそう言って笑いながら、港とは逆の方向へ波打ち際を走って逃げた。その先には大きな岩があり、その向うは人家のない小さな浜になっている。
もう悔しい! こらーっ!!!
 シャガはそう叫んで立ち上がると、ハヤテの後を追った。二人は長い髪をなびかせながら波打ち際を走り、その岩の向うに姿を消した。その後の二人がどうなったのかは、読者のみなさんのご想像にお任せすることにしよう。
 同じ軒下の縁台に腰掛けて涼みながら、その光景を見ていたシャガの父サブが、ぽつんと言った。
「仲いいなー、あの二人。」
 その口調は、ほんの少し羨ましそうで、ほんの少し寂しそうだった。その近くで同じようにして涼んでいた、ハヤテの母キクが言った。
「お母さんもお越しになりゃぁ、ええかったにのぅ。」
 サブは苦笑いしながら言った。
「いいや、あの人は来てもここには合わないだろう。丁度俺の生まれた村に合わなかったように……。」
「ほいでも、太助ちゃんとキョウちゃんと平次ちゃん、寂しいじゃろうに。」
「いいや、三人ともお婆ちゃん子だもんで、母親に会いたいと言って泣いたのは、今のところまだ一度だけ。『これからは、お母さんと離れて暮らすんだよ。』と告げたときだけさ……。
あの子たちは、今まで母親から事ある毎に『何々してはいけません。』『ああしなさい。』『こうしなさい。』と言われてた。それがここでは、そんなこと言う者は誰もいねぇ。
草の上に長いあいだ乗っていた石を退けてやると、黄色く縮んだ草の芽が現れる。何日かすると、それがためらうようにゆっくりと伸びていき、やがて緑に色付く。すると、その後は天に向かって自分の力でまっすぐに伸びて行く。今のあの子たちを見てると、その石を退けたばかりの草の芽のように見える。」
 サブはそう言うと、大勢の子供たちと共に一所懸命になって遊んでいる、我が子の姿に目を遣った。確かに三人の幼い子供たちは、少し年上のアカネとショウに色々と教えられて遊ぶ中、言葉や文化の違いに多少戸惑いながらも、少しずつこの村に慣れ親しんでいるように見える。サブは話しを続けた。
「これで良かったんだよ……。
俺は最初の女房を亡くしてから、悲しみを紛らわすために町の飲み屋に通い、そのうち町に憧れるようになった。
町には村にない物がたくさんあったからだ。茶屋もありゃぁ飯屋もある。焼き物は上薬が塗ってあって、つるつるしてるし、人も華やかだ。俺たちみたいに裸足じゃなくて、いつもちゃんと草鞋(わらじ)履いて、いい服着てるもんが多い。」
 キクは微笑んで言った。
「ほんなら、ここはあんたんとこの村と一緒じゃ。ええ服着て年中草鞋履いとるもんなんぞ誰もおらん。」
 その一方サブは、遠い空の彼方を見詰めて言った。
「うん。今になってみりゃそれでもいいと思う。でも、あの頃の俺は物の豊かさに憧れてた……。貧しい村で病のために死んでいった女房も、町の暮らしをしてりゃぁ死なさずに済んだかも知れないと思ってな……。
そんな中、飲み屋で働くトクと知り合ったんだ。俺は、この女の言葉づかいや、自分たちと違う考え方に憧れた。そして、トクと一緒になれば、それが自分にも身に付くと思ったんだ。」
 キクは真顔になると黙って頷き、サブは海に目を落として話しを続けた。
「……でも、いざ一緒になってみると、それがつくり物だってことがわかったんだ。トクは、同じ屋根の下で暮らしている俺にも我が子にも、自分の本心を見せることはまれで、何を考えてるんだか、さっぱりわからなかった。言ってることと、考えてることが合ってないんだ。俺は、そんな上辺だけ飾ったようなものに憧れていた自分の愚かさを知った。
そしてあの女は、今度のことで、俺たちと一緒に来ることを拒(こば)んだ。あの女は、俺たちのことを愛してたんじゃなくて、うちの家宝と、女王の末裔の地位が欲しかっただけだってことが、これではっきりしたんだ。
やっぱり、飾らない漁師がいいよ。そして、ここの村の人も……。」
 サブはそう言って何気なくキクを見たら、キクも丁度サブを見たところだった。偶然目が合ってしまったこの二人は、今度は申し合わせたかのようにして、ハッと目をそらせた。
 縁台の壁にもたれて、この様子を見るとなしに見ていたタネは、よっこらしょと立ち上がってから独り言を言った。
「……オレ、頭(かしら)に用ができた……。」
 そして縁台から下りたタネは、浜にいるナミに向かって大きな声で言った。
「おーい、ナミちゃんよ! 頭の家へ行きたいんで済まんけど案内してくれないかい?」
 ナミはタネの方を向くと、快くそれに応じた。
「ええよ。婆さま。」
 ナミの横にいたトヨが言った。
「婆ちゃん、あたしも一緒に行っていい?」
 タネは微笑んで言った。
「ああ、もちろんいいとも。」
 リョウが言った。
「ほんなら丁度ええ。その帰りに村ん中あちこち案内しますけん。」
 四人は港の方目指して浜を歩いて行った。

 その九日後。ついにタネ一家の新居が完成した。
 その翌日には、シャガとハヤテの婚礼が、村をあげて行なわれる予定になっていたのだが、そこにもう一組の婚礼も加わることとなった。それはなんと、サブとキクのものだった。キクのは既に明けており、たった数日ではあったが、一つ屋根の下で暮らした同じ年頃の男女の、自然の成り行きと言ってもいいだろう。
 両家の家族構成を聞いていた村人の中には、最初からこのような二つの吉事を予測していた者もいた。平和で医療が発達している現代とは違い、この時代では戦(いくさ)や病(やまい)のために若くして命を落とす者が多かった。その代わり、この村には新しく仲間に入って来る者も多かったので、このような家族ぐるみでの結婚も、さほど珍しいことではなかった。
 この若夫婦と熟年の夫婦の誕生を、村人たちの誰もが心から祝福した。
 先日タネが頭の家を訪れた用件は、新築される家の図面をもう一回り大きなものに書き直してほしいという要請だった。サブの後妻としてキクが子供たちを連れてやって来るということを、タネはあのとき既に予見していたのだ。
 さて、その婚礼の翌日、一つになった二家族は、元ハヤテの家の隣に新築された新居へと引っ越した。母屋(おもや)と納屋(なや)と厠(かわや)からなる質素な構成ではあったが、その母屋は比較的小さめだった元ハヤテの家の母屋の倍もあるかと思われた。しかし、他の家と比較して特別大きいというわけではない。
 現代のような避妊の方法や中絶手術などのなかったこの時代、一組の熟年の夫婦になら、子供が七人八人いても不思議ではなかった。また、四世代五世代の同居も珍しくなかったので、最年長のタネを筆頭にして、最年少の平次までの三世代十人という人数は、現代の感覚からすると多いが、この当時ではむしろ少ない方だ。
 引越しが終わると、タネは何やら、うやうやしく新居の母屋の玄関から中に入り、玄関と裏口に塩を撒いて清めた。次に彼女は台所の水瓶と流しと竃(かまど)の縁にそれぞれ一つまみの塩を置いた。そして一旦外へ出ると、厠の戸を開けて、その中にも塩を一つまみ置いた。
 再び母屋の中に入った彼女は、その中央に設けられている大きな囲炉裏(いろり)の縁の四隅にも塩を置いて、うやうやしく祈りを捧げると、囲炉裏の中に杉の葉や小枝などを入れ、火打石(ひうちいし)をカチカチと鳴らして火を起こし始めた。元ハヤテの家の炉(ろ)から火種(ひだね)を持って来ればいいのにと思うのだが、新居の新しい炉に入れる火は一から起こすというのが、タネの家に古くから伝わるしきたりであった。
 母屋の裏では、男たちが西日に染まりながら、たむろして雑談していたが、壁の上に開けられている煙抜きの穴から一筋の白い煙が上がるのを見たサブが、嬉しそうな声を上げた。
「おーっ! 来た来た!」
 それを見た、ハヤテ、リョウ、そして引越しを手伝ってくれたハヤテの親友のヤスとケンも、みな一斉に感嘆の声を上げた。
「おーっ!」
 やがてその煙は、次第にもくもくと太さを増していった。この家に初めて火が焚かれたのだ。
 ガスや電気などで瞬時に火が使える現代とは違い、この時代の人にとって「火」というものは、人間の力を超えた神聖な存在であった。タネの村の習慣では、自分の家の「火」を起こし、それを守っていくのは、その家の家長である女性の仕事であった。そのタネが男たちに向かって、裏口から大きな声でこう言った。
おーい! 火も起きたことだし、ちょっと早いが夕餉にするよ! ケンとヤスも食べてってくれ!
 ケンは、ハヤテの妹ナミの許婚(いいなずけ)になっているのでまだわかるが、ヤスは今回帰還してからというもの、なぜか毎日のようにハヤテに会いに来るようになっていた。午前と午後それぞれ一回ずつ来たことさえある。
夕陽  サブとハヤテとリョウは、母屋の裏にある納屋から筵(むしろ)を何枚か出して来ると、それを海に向かってコの字型に敷いた。そして、その中央に薪の束が置かれると、新居の囲炉裏から火種を持って出て来たタネが、その何本かを組んで火を移し始めた。
 他の女たちは、母屋の裏口から次々と食器や飲み物食べ物などを運んで来ては、その莚のコの字の内側に並べていった。五人の幼い妹弟たちはみなやや興奮しているようで、歓声を上げながら、その周りをぐるぐると駆け回っている。
「ケン、ヤス、今日は助かった。ありがとう。さあ、座ってくれ。」
 サブは二人にそう勧めると、自分もケンの隣りに座った。
「我がの家の宿替えしたようなもんじゃけぇ、そがぁに礼など言われても困るぞ。」
 ケンは少し照れながらサブにそう言った。彼はナミの夫として、近々この家に来ることになっている。
 ハヤテも、自分と同い年の友人であるその二人に向かって言った。
「あり合わせのもんしかないようじゃが、その分遠慮せんと腹いっぱい飲んで食うてくれ。ハハハ!」
 そう言って笑ったハヤテがヤスの横に座ろうとしたら、たまたま後ろを通りかかった妹のナミに肩をポンと叩かれた。
あれ兄ちゃん、ほんに気ぃ利かんのぅ。ここは指定席じゃのに。
 小声で嗜められたハヤテは、何を言われているのかわからず一瞬怪訝そうな表情になったが、ここに座るべき人物は他にいるのだということだけはわかったようで、ともかく立ち上がって三歩下がってみた。このとき裏口から、イカの刺身が盛られた大皿を両手に持ったトヨが出て来たのを見たナミが、自分より二つ年下の彼女に向かってこう言った。
「トヨちゃん、あとはうちが運ぶけん、刺身に蝿付かんように見とってくれんかのぅ。」
 トヨからその大皿を受け取ったナミは、ハヤテの目の前の莚に一旦ひざまずくと、その皿をヤスの前にサッと置いた。そして自分はまた家の中へと急ぎ足で入って行った。
 トヨはどこからか葉の付いた木の枝を持って来ると、ヤスの隣りに座って身を屈め、刺身にたかろうとする蝿を追った。その際必然的に、彼女の着物の袖がときおりヤスの膝に触れてしまう。すると、まだ酒を飲んでもいないのに既に赤くなっているヤスの顔が、ますます赤くなった。
 それを見たハヤテは、近頃ヤスが頻繁(ひんぱん)に訪れるのは、自分に会いに来ているのではないということがようやくわかった。すると、先ほど自分に向けられた妹ナミの言葉の謎も解けた。
 その彼は、再び笑顔になってこう言った。
「ケン、ヤス! まあ飲めや。今日はめでたい日じゃけん、リョウも飲んでみぃ。」
 ハヤテは、大きな瓢箪に入った酒を、その三人の男たちの杯に注いで回り、サブと自分のものにも注ぐと、それを立ったままでぐーっと一気に飲み乾した。
「あーっ、今日はよう回りよるのぅ!」
 西日を浴びたハヤテはそう言って夕空を仰ぐと、ぶるぶるっと頭を振った。それを見たトヨは蝿を追いながら、さも可笑しそうに言った。
「お兄ちゃん、そんな飲み方すれば、よく回って当たり前だよ。ハハハ!」
 そして今度は、向かいに座っているリョウの顔を見るとこう言った。
「あら、リョウちゃんもう赤くなってきた。」
「わし、普段は酒飲まんもん。」
 リョウは淡々としてそう言った。彼はまだ十三だったし、兄とは違って酒はあまり強い方ではない。
 トヨは次に、自分の横でなぜか硬直しているヤスの顔を間近に覗き込むと、なかばからかうような口調でこう言った。
「ヤスさんは、もう真っ赤ね。」
 鼻息を荒くしたヤスは、また一段と赤くなった顔をハヤテと同じように空に向けるとこう叫んだ。
今日は、ほんによう回りよるぞーっ! ガハハハハーッ!!!
 嬉しくて堪らないというように大口を開けて笑った彼のこめかみには、青筋さえ浮き出ている。
 それを見たサブとケンは顔を見合わせて、自分たちもぐーっと杯を乾し、口々に言って笑った。
「今日は良く回るなー。 ハハハ!」
「良う回りよるわ。 ハハハハ!」
 それを見たトヨが、肩をすぼめて言った。
「変なの!」
 魚を焼いていたタネが、男たちに向かってなかば呆れたような口調で言った。
「あんたたち何やってんだよ、まったく!」
 だが、その目は笑っている。
 やがて食事の準備が整うと、キクとシャガとナミ、そして幼い妹弟たちも座って、引越しの打ち上げを兼ねた楽しい夕餉が始まった。

 タネ一家が新居で迎えた初めての夜が明けた。
 家の玄関と裏口は元より、窓という窓の全てが開け放されており、裏山で鳴く蝉の声が爽やかに聞こえている。やがてその山から陽が昇ると、家の中にもその光が差し込んで来て更に明るくなった。
 まだ暗いうちから漁に出ていた男たちが海から戻って来て、捕って来た魚をさばくと、女たちがそれを刺し身にして皿に盛り付けた。そして、大きな囲炉裏を囲んだ家族揃っての、賑やかな朝餉が始まった。
 並んで座っているサブとハヤテとリョウの向かい側には、囲炉裏を挟んでショウが座っていたが、何かの会話が一段落したところで、彼は極めて真剣な口調でこう言った。
「……ハヤテ兄ちゃんと父ちゃん、二人とも目ぇ真っ赤じゃが、何しんさったん?」
 ハヤテは食べながらそれに答えた。
「……二人とも、よう寝れんかったからじゃろう。」
「なんで、よう寝れんかったんよ?」
 ショウが追求してきた。新築と新婚の祝いを兼ねて、今日の朝食には雑穀ではなく米の飯が炊かれていたのだが、ハヤテは自分のご飯茶碗の飯を、なぜか照れ臭そうに箸で口に掻き込んでから口を大袈裟にもぐもぐさせながら答えた。
「……昨日寝るのが遅うて、今朝魚捕るのに早起きしたけんのぅ……。」
 しかしショウは、その答えでは納得がいかなかったようで、追求の手を緩めなかった。
「魚捕るのに早起きせないけんなら、なんで昨日遅う寝やったんよ?」
 それにはサブが、やはり照れ臭そうに飯を掻き込んでから答えた。
「……新しい大きなおうちで初めて寝るもんで、二人とも嬉しくなっちゃったのさ。」
「ふーん、二人とも子供みたいじゃのぅ。わしも新らしい大きな家になって嬉しかったが、早う寝れたぞ。」
 子供のショウから偉そうにそう言われた二人だが、それには腹を立てずに、なぜか赤くなった顔をご飯茶碗で隠すようにして、ひたすら飯を口に掻き込んでいる。
 リョウとアカネは、このようなハヤテとサブの言動から、この二人が何かを隠しているということだけは察知し、事の成り行きを無言で見守っていた。一方、最年少の平次は、これらの会話は全く耳に入っておらず、好物の刺し身を食べることにひたすら専念している。
 漬物の入った鉢を自分の左隣の席のシャガに回しながら、タネが興味深げに小声で尋ねた。
「……おい、新居だと違うのかい?」
 ところがこの声は、そのまた左隣のナミとトヨの耳にも入ってしまったようで、二人は思わず互いに顔を見合わせ、それぞれが頬を染めて俯いてしまった。どうも各自が何かを想像しているようだ。それを見て赤くなったシャガは、タネに向かって小声ではあるが嗜めるような口調で言った。
もぅ、婆ちゃんたら、やめてよ! 朝から!
 ハヤテが急に自分の皿の刺し身を箸で抓みながら、わざと口調を改めて言った。
「……それはそうと父さん、この魚、あちらにはおらんでしょう。」
 サブも同じように口調を改めて、自分の皿の同じ魚を口に頬張りながらそれに答えた。
「……そうだね。似たのはいるけどな。味も少し違うようだ。」
 サブの故郷の北の海で、しばらく漁の手伝いをしていたことのあるハヤテだったので、近頃の二人は、よくこのような会話を交わしている。
 サブは、次に煮豆を口に放り込んだ。先ほどの一件でやはりちょっと赤くなっていたキクだったが、気を取り直して自分の味付けについての感想を尋ねた。
「味はどうじゃ? 甘いかえ? 辛いかえ?」
 サブがそれに答えた。
「丁度良いよ。美味しい。」
 サブに続いて、シャガとトヨ、ナミとリョウ、アカネとショウ、そしてキョウも口々に言った。
「美味しいよ、母さん。」
 こうして大人たちは話題を変えて、なんとかショウの無垢な追及から逃れることに成功した。今までの狭い家では、夫婦が夜することをするたびに他の者の目や耳を気にしなければならなかったが、今度の家ではある程度のプライバシーが保たれるようになったのだろう。
「キクは味付けがうまいね。」
 タネもそう言ってキクの味付けを褒めると、囲炉裏端の角に置いてある、小さな壷を指差して尋ねた。
「……ところで、さっきから気になってたんだが、こりゃなんだい?」
 キクがそれに答えた。
「ああ、その中身はのぅ、ナンバンじゃ。南蛮から来たけん、そげに言うそうじゃ。今までどこぞに失(う)せとったが、引越しのはずみで出て来よったけん、そこに置いたんじゃ。」
 タネはまた尋ねた。
「ここに置いたということは食べ物なのかい?」
 ナミが悪戯(いたずら)っぽい目をしてその問いに答えた。
「ハハハ! そりゃ食べれることは食べれるけど、辛いぞー!」
 その壷に手を伸ばして蓋を取ったハヤテが言った。
「これだけではのうて、漬物に入れたり何かに振り掛けたりして食べるんじゃ。」
 彼はそこに入っていた竹の小匙で、その赤い唐辛子の粉を自分の取り皿の煮豆の上に振り掛けて食べて見せると、首を震わせながら声を裏返してこう言った。
おーーーっ、辛!!!
 そして、タネに向かって嬉しそうに言った。
「けど、これがまた癖になるんじゃ!」
 リョウが真剣な顔になって言った。
「婆さま、初めからあげにせんと、試しに指にちぃとだけ付けて味見した方がええよ。」
「どれ、貸しとくれ。」
 タネがそう言って手を差し伸べたので、ハヤテはその壷を彼女に手渡した。それを受け取ったタネは、その中に入っている赤い粉を、右手の小指の先に付けて舐めてみた。その直後、彼女は目を剥いて叫んだ。
ヒーッ! 水をくれーっ! 水をーっ!
 キクが慌てて水差しの水を湯飲みに入れ、それを手渡されたタネは、水をごくごく飲んでから言った。
「……いやー、まだ辛い! ……ハヤテ、お前よくそんなにたくさん掛けて食べれるね!」
 ハヤテはニコニコして言った。
「これは慣れじゃ。わしも最初は婆さまと一緒じゃったわ。」
 タネはしかめっ面をすると、不機嫌そうに言った。
「オレは慣れなくってもいいよ! こんなもの!」
 彼女が壷の蓋をわざと乱暴に閉めたので、それを見た一同は大笑いしたが、太助だけはさっきから一言も喋らずに浮かない顔をしている。口直しに飯を頬張っていたタネはそれに気付いたので、口をもぐもぐさせながら尋ねた。
「……そりゃそうと、おい太助、どうしたんだい? ……お腹でも痛いのかい?」
「お腹は痛くない。」
 太助のその答えに、タネはまた尋ねた。
「それじゃ、どこが痛いんだい?」
「どこも痛くない。」
 タネは、訝しそうな顔になって尋ねた。
「それじゃ、一体どうしたんだい? 何だか元気がないよ。」
 太助はちょっと言うのをためらっていたが、やがて小さな声でこう言った。
「……俺、お母さんのいない子になっちゃったんでしょ?」
 それに対してキクが優しく言った。
「本当のお母さんはここにはおらんけど、うちをお母さんの代わりと思うてくれたらええんよ。」
 しかし太助は、暗い目付きをして言った。
「俺のお母さん、そんなしゃべり方じゃないし、豆だってこんな味付けじゃないもん。」
 それを聞いたサブは、珍しく大きな声で息子を怒鳴り付けた。
こら! 何てこと言うんだ!
 すると太助は、自分の皿の上にあった煮豆を一粒、囲炉裏の熾(お)きの中に投げ入れて立ち上がると、開けられていた裏口から外へ飛び出した。箸を置いて立ち上がったシャガが、その後を追った。
 囲炉裏に放り込まれた豆は、ジューッという音を立てて次第に黒く焦げていき、最後に白い煙を一筋上げると、ただの炭になった。それを悲しそうな顔で見詰めていたキクだったが、やがて困ったような笑みを浮かべると、立ち上がりながらサブに向かってこう言った。
「うちらが一緒になったんは、うちらの勝手じゃけん、子にとっては厭なこともあって当たり前じゃろう。ちぃと見て来るわ。」
 彼女がそう言い残して裏口から出て行くのを、サブを始めとするその場の一同は、やや心配そうに見送った。
 裏口を出たキクが、薄陽の射す浜を見ると、波打ち際に太助とシャガが並んでしゃがんでいる。キクが二人にそっと近付くと、波を見詰めている太助に向かって、シャガが優しく語り掛けている声が、穏やかな波の音に混じって聞こえてきた。
「……あたしとトヨのほんとの母ちゃんはね、あたしたちがまだ小さい頃に病気で死んじゃって、今はもういないんだよ。」
 その言葉を耳にした太助は、涙で濡れたままの顔を怪訝そうに姉の方に向けた。彼には、この言葉の意味が、すぐにはわかからなかったのだ。シャガは、念を押すような口調で言い直した。
「あたしたち、あんたのお母さんのことを、『お母さん』て呼んでたけど、ほんとはあんたのお母さん、あたしたちのほんとのお母さんじゃなかったの。……わかる?」
 それを聞くなり太助は、赤くなった目を見張って尋ねた。
「それ、ほんと?」
 シャガは微笑んで言った。
「ほんとよ。こんなことで嘘言ってどうすんのよ。」
「……知らなかった……。」
 太助はそう言って深く息を吐きながら、また波に視線を移した。
「そりゃそうでしょ。あんたがまだ小さかったんで、今までみんなそのことを黙ってたんだから。」
 その姉の言葉は耳に入っていたが、太助は言葉を失ってしまった。今まで考えもしなかったさまざまなことが、彼の頭の中を駆け巡っていた。
 しばらくして太助は、波を見詰めたまま不安げに尋ねた。
「それじゃあ、シャガ姉ちゃん?」
 シャガは優しい声で聞き返した。
「なぁに?」
 太助は、ためらいがちに言った。
「……シャガ姉ちゃんとトヨ姉ちゃんは、……俺とキョウと平次とは兄弟じゃなかったの?」
 シャガは太助に向かってにっこり微笑むと、首を横に降ってからその問いに答えた。
「そんなことはないよ。父ちゃんが同じだもん、立派な兄弟だよ。こういうのを『腹違いの兄弟』って言うの。」
 その答えによって、この大好きな姉と自分とが兄弟には違いないということがわかった太助は、安心した表情になって言った。
「……そうか……なるほど、お母さんのお腹が違うから『腹違い』か……。」
「そうそう。あんたはまだ初めてだけど、あたしなんか、これで二人目なんだよ。ほんとの母さんじゃない人のことを、『母さん』って呼ぶの。ねえ、母さん?」
 このときキクが太助の近くに来たので、シャガの言葉の最後は彼女に向けられた。キクが来たことを知った太助は、途端に表情を強張らせた。
「あんたなんかに、俺のお母さんの代わりができるもんか!」
 太助は涙声でそう言うが早いか、足元の濡れた砂を片手でつかみ、キクに向かって投げ付けた。砂の塊りは、立っていたキクの膝に当たり、キクの着ていた小袖は汚れてしまった。しかし、彼女はそんなことなど気にせずに、太助の斜め後ろの砂の上に横座りして優しく言った。
「そうじゃのぅ。お母さんの代わりにゃぁならんかわからんのぅ。砂、あんたの気ぃ済むまで投げたらええよ。」
 その言葉によって、太助の顔が反射的にキクの方に向けられた。その頬は涙に濡れてはいたが、表情は驚きに満ちていた。彼の実の母トクならこんなときは、『男の子が泣くもんじゃありません!』『親に向かってそんなことするもんじゃありません!』『そんな悪い子お母さんは嫌いです!』などと感情的に言って叱るのである。キクをそのようにして怒らせようと思っていた太助だったので、彼女が全く予想外の態度に出たことに心底驚いてしまったのだ。
 この二人の遣り取りを黙って見守っていたシャガは、そっと立ち上がってその場を離れた。キクになら、この弟を任せておいて大丈夫だし、むしろここは彼ら二人っきりにした方が良い結果を生むだろうと判断したからだ。
 涙が止まった太助は、また濡れた砂の塊りを片手でつかむと、今度はそれをキクに向かってそっと投げてみた。それはキクの素足に少しだけ掛かった。キクは先ほどと同じようにして優しく言った。
「ええ、ええ。気ぃ済むまでしたらええ。」
 太助はキクに暗い目を向けて言った。
「俺、悪い子でしょ?」
 キクは優しくそれに答えた。
「いや。あんたは、ちぃとも悪うないで。悪いのは、あんたの気持ちも聞かずにあんたの父ちゃんと一緒になったうちの方じゃ。」
 また予想外の答えが返ってきたので、太助は再び驚きの表情になった。しかし、幼い頃から彼の心の中に刻み込まれているものは、容易に消せるものではない。彼は再び暗い目付きになってこう言った。
「どうせ、俺のこと嫌いになったんでしょ?」
 太助が再び同じように問うと、キクもまた先ほどと同じようにして答えた。
「何言いよん。たかがそれしきのことで我が子を嫌う親なんぞこの世のどこにおろう。あんたが何しようとも、うちはあんたの味方(みかた)じゃよ。」
 このとき太助は、初めてキクの目を真っ直ぐに見た。その女性の目の中には優しくも力強い光があった。それを彼の実の母親の目に一度も見たことのなかった太助は、この女性が自分の実の母よりも、むしろ自分の父や姉と同質の人間なのだろうと思った。そして、その言葉は上辺の奇麗事ではなく、本心から出ているものだということを彼ははっきりと感じた。
 すると、太助の目から自然に涙がこぼれ落ちた。今度の涙は、先ほどまでの涙とは全然違う場所から出て来たように太助には感じられた。これは深い心の底から湧いて来た泉なのだと思った太助は、声を上げて思いっきり泣いた。美しい涙が止め処なくその頬を流れた。それを見たキクは、太助のそばに寄って彼をそっと抱いた。太助は少しためらってからキクの胸に顔を埋めた。泣きじゃくりながらも、彼が胸の中で一所懸命に言っているのがキクには聞こえた。
……ご……ごめん……なさい……お母さん……。
 キクは返事の代わりに、この新しい息子の背中を軽くポンポンと叩いてやった。
 『男の子は泣いてはいけません』と、実の母から言われ続けてきた太助だったが、自分はこのとき男の子として初めて本当に泣けたんだと思った。

 このようにしてみなそれぞれが、新しい家庭生活に少しずつ馴染んできていた、それから二日後の朝のこと……。
 外はまだ薄暗いが、もう蝉が鳴き始めている。タネは既に起きていて、家の中央にある囲炉裏の残り火を薪に移しているところだった。そこに起きて来たシャガが、両手で頭を抱えながら沈痛な声で言った。
「……ああー……、変な夢見たーーっ。」
 その姿を見たタネは、やや驚いたような声で言った。
「おや……、あんたも見たのかい?」
 タネは、この孫娘も自分と同じ夢を見たのだろうと直感したのだ。その言葉によって、この祖母が自分と同じ夢を見たのだということを直感したシャガも、やや呆然としたような口調で言った。
「なんだ……、婆ちゃんも見たの?」
 裏口の近くで雑穀を鍋に入れ、雑炊をつくるために洗っていたキクは、この会話を耳にしていたが、何の話しなのだかさっぱりわからない。
 やはり沈痛な面持ちで起きて来たトヨも、その会話に加わった。
「みんな泣いてたね……。」
 タネは、そのトヨに向かって呆れたように言った。
「なんだ、あんたも見たのかい。」
 そして今度は、極めて深刻な表情になると、こう言った。
「オレたち三人が同じ夢を見たってことは、きっと正夢に違いないよ。」
 その言葉を聞いたシャガとトヨは、しくしくと泣き出した。タネ本人も目頭を袖で拭った。
 ナミも起きて来たが、いきなりこのような状況に遭遇してしまったので、目を丸くしてキクに尋ねた。
「どしたん? みな……。」
 鍋を囲炉裏に掛けていたキクは、困った表情でそれに答えた。
「三人とも同じ悪い夢見んさったげぇじゃ。」
 そのキクに向かってタネが言った。
「……えらいことになった。頭(かしら)は家にいるかな?」
 キクがそれに答えた。
「昨日は漁に出やったようじゃが、今日は畑の草刈りするそうじゃけん、今ならまだ家に居りゃるじゃろう。」
「オレ、頭の家に行ってくる。」
 タネがそう言うと、シャガが涙声で言った。
「婆ちゃん、あたしも行く……。あたし、『迎えに行く』ってみんなに言ったんだから……。」
「おお、そうだったね。それじゃ一緒に行こう。」
 タネはシャガにそう言うと、トヨとナミとキクに向かって言った。
「悪いけど、後を頼んだよ。」
 彼女たちに朝食の支度を任せたタネは、シャガと共に頭の家へと向かった。
 その喜助の家は、港から延びる大通りの坂を少し登った左側にある。タネとシャガはその玄関先に立ち、その開けられている戸の中に向かってタネが声を掛けた。
「おーい! おはようさん。」
 中から喜助の妻サイが現れた。夫ががっしりとした長身であるのに対して、彼女は細身で小柄だ。そのサイも朝餉の支度の途中らしく、藍で染めた小袖に白い襷(たすき)を掛けている。その彼女が目を丸くして言った。
「おぉ、タネさんとシャガ。早うから血相変えて何しんさったん?!」
 タネは沈んだ声で言った。
「一大事があったんで、それを頭に話したいんだ。」
 サイは、早口の小声で言った。
「ほうか。なんかわからんが、ほんならまずは中に入りんさい!」
 二人は家の中に通され、囲炉裏のある部屋に案内された。喜助は丁度今起きたところのようだった。
 囲炉裏端でタネの話を聞き終えた喜助は、腕組みしながら唸るように言った。
「巫女の血ぃ引いとるあんたらが、三人とも同じ夢を見たっちゅうことは、正夢とみて間違いなかろう。ほんなら放っちゃおけんのぅ……。」
 シャガは袖で頬の涙を拭いながら言った。
「あたしたちが村を出ることになったとき村のみんなは、『行けるもんなら一緒に行きたい』って言ってました。顔は笑ってたけど、目は本気みたいだったんで、あたし、『必ず迎えに行く』って言ったんです。」
 喜助が尋ねた。
「村人の数はなんぼじゃ?」
 それにはタネが答えた。
「大人子供合わせて二百人足らずだ。」
「二百人か……。今の船には一度に乗れんこともないが、人を大勢乗せ船足が落ちたところで、万が一戦になったら難儀するし、時化(しけ)になったら浸水し易うなる……。
もう半年も待たんうちに、長崎の船大工に頼んである新しい船ができて来よる。今度のんは今のんの倍ほど大きい船じゃけん、それと二艘で行きゃぁ村人全てと家財道具一式一度に積んでもまだ余りあるじゃろう。」
 喜助がそう言うと、タネは慎重に考えながら言った。
「そうかい……。無理して大勢人を乗せたせいで、戦に負けたり時化(しけ)で船が沈んでは元も子もないしな……。かといって一度に連れて来ないと、残された者がまた何をされるかわからない……。
その新しい船ができあがるのを待った方がいいかも知れないね……。」
 シャガもそれに同意した。
「そうね、みんなには半年のあいだ、辛抱してもらうしかないわ……。辛いだろうけど。」
 喜助は言った。
「長崎に船を取りに行ったら、そのままタネさんたちの村へ寄って、みんなを連れて来るっちゅうことでどうじゃ? あんたたちさえ良けりゃ、それに同行しても構わん、ちゅうより、一緒に行ってもろうた方がええ思うわ。」
 タネが少し気を取り直して言った。
「そうだね。また何か見えて、それが何かの役に立つかも知れないからね。」
 喜助は力強い口調で言った。
「よし。そんなら出発の日取りが決まり次第知らせる!」
 タネとシャガの表情にほんの少し安堵の色が浮かんだ。
「よろしくお願いするよ、頭。」
「頭、よろしくお願いします。」
 二人は口々にそう言って立ち上がると、喜助の家を後にした。
 一方シャガの家では、ようやく泣きやんだトヨに向かって、ナミが尋ねていた。
「……それ、どげな夢じゃったん?」
 囲炉裏端に立ったまま、トヨは涙声で語った。
「……北の町の浜に、今まで見たこともないような長い木の台がつくられてたの。そして……。」
 陣笠を被って槍を持った番人が両側に二人ずつ立って見張っているその台の上には、十個の丸い物が同じ間隔に並べられていた。大勢の人々がそれを取り巻いて恐々(こわごわ)と眺めていたが、その中でトヨの村の者だけがみな大声を上げて泣き叫んでいた。それもそのはず、その丸い物とは、なんとトヨの祖父を始めとする村の主だった男十人の生首(なまくび)だったからだ!
 夢はたったそれだけだったのだが、あまりの強烈さに、その映像はトヨの脳裏に張り付いたまま剥(は)がれなかった。
 語り終えたトヨは、その場でワッと泣き崩れた。キクはその体を抱き止めると、声を震わせて言った。
「おお……、惨いことじゃ……。」
 そして、ナミとキクは思わず貰い泣きした。特にキクは、遭難して行方不明になっていた息子のハヤテを捜索するため、存命中の前の夫と共に三年前その村の近辺を訪れている。息子ハヤテを助けてくれた村の者の顔こそ知らぬが、たいそう恩義を感じていたので、それはただの貰い泣きではなかった。
 この騒ぎで子供たちが次々と起きて来た。
 間もなくサブとハヤテとリョウも魚を捕って海から帰って来たが、家の中のこのただならぬ状況に三人とも唖然とした。子供には刺激が強過ぎるため、ハヤテたち三人を外に連れ出したナミは、声を落として事の顛末(てんまつ)を話した。
……ほいで、婆様と姉ちゃんが、頭の家に話しに行ってくれとるんじゃ……。
 その話しを聞いていたサブとハヤテの顔色が見る見る変わった。リョウもその内容の凄惨さに顔を強張らせた。タネと自分の二人の娘の能力のことをよく知っているサブは愕然として呟いた。
「……正夢だな、これは……。」
 かつて自分が世話になていった村の人たちが、ただならぬ状況に置かれているということを感じたハヤテは、手の甲で涙を拭いながら言った。
「もし正夢なら、惨い。惨過ぎる!」
 彼らは家の中に入り、女たちは泣きながらも朝餉の支度を整えた。丁度その頃、タネとシャガが帰って来て、頭との会話の内容をみなに伝えた。
 大人たちのただならぬ様子に戸惑いながらも、子供たちは朝餉を食べたが、夢の内容を知る大人たちは、ほとんど食べ物に箸を付けることができなかった。

 天正十六年十二月十四日、今の暦(こよみ)に直すと一五八九年一月二十九日の未明、小雪がちらつく中、白鷹丸は長崎へ向けて本拠地の港を後にした。
 新しい船の乗組員となる者や、サブとハヤテはもちろんのこと、タネもこれに同行していた。
 既に身ごもり腹も目立つようになっているシャガも同行したいと強く申し出たが、今回の航海は冬の荒波に揉まれることになるので、お腹の子に障(さわ)るからと周囲の者に猛反対され、涙を呑んでそれを断念した。
 トヨも身篭っていたので、姉と同じようにせざるを得なかった。ヤスの子だ。その婚礼は、ヤスが今回の仕事から帰還してすぐにでも行なわれる予定になっている。この時代、若者が娘の家に夜這いに通い、子ができたので結婚するということは、庶民のあいだで特に珍しいことではなかった。
 長崎に到着した喜助たちは、白鷹丸を港に停泊させると、船を発注している船大工の元へと早速足を運んだ。
 当時の日本の外国との玄関口は、まず平戸であったが、それに続いて長崎にも外国船が来航するようになっていた。そのため、その地は外国の技術や文化の影響を徐々に受けるようになっていた。それは、造船の分野も例外ではなく、喜助たちが船を発注した船大工の集団も、南蛮船の構造を研究し、それに基づいた造船を行っていた。その船は、従来の和船に比べて外洋の荒波にも強く大型化することが可能だったので、あちこちの大名からの評判も非常に高かった。白鷹丸も、ここで建造された船だ。
 前回に引き続いて今回の発注でも、喜助は自分たちの素性は明かさなかったが、ここの船大工の棟梁(とうりょう)は敢えてそれを追求しようとはしなかった。喜助たちが侍や普通の商人ではないということを既に見抜いているのだろうが、仕事を請け負ったからには相手の身分の上下に関係なく、限られた予算の中で最高の船に仕上げるという職人気質(かたぎ)を感じることができた。
 既に完成して進水式を待っていた新しい船に案内され、そこに乗り込んだ喜助たち海賊の幹部一行は、そのできの良さに至って満足した。見事に鉋(かんな)が掛けられた真新しい船体の木材が、冬の陽射しに白く輝いている。帆柱は三本もあるし、甲板は四層もある。櫂は左右合わせて八十挺(ちょう)もあった。
「こりゃぁ立派な船じゃ。これなら村のもんみなを引き連れて、どこにでも行けるぞ!」
「大きい思うとった今までの船が、小そう見えるわい!」
「この船にも名前付けんならんのぅ。」
 今までの船にも白鷹(しらたか)丸という立派な名前があったのだが、普段は誰もそう呼ばなかった。個人が所有する漁船は「誰々ん船」、自分たちが共有する船のことは「船」とか「本船」と言えば仲間内では通じたからだ。しかし、共有する船が二艘になったこれからは、そうはいかなくなる。
「紫雲丸はどうじゃ。」
「鯱(しゃち)丸も強そうでええぞ!」
「大鷲丸!」
「飛龍(ひりゅう)丸!」
 いくつもの候補が上がったが、結局「飛龍丸」に落ち着いた。
 船に名前が付いたので、次は進水式だ。
 神主が連れて来られると、祭壇に供え物が置かれて祝詞(のりと)が上げられた。既に船内にご神体を埋め込まれている、船霊(ふなだま)という船の守護神に祈りが捧げられ、海賊たちはみな拍手を打った。
 神主が祝詞を上げながら大きな榊(さかき)の枝を振って船体を一周し、御神酒(おみき)を船首に振り掛けて船体を清めるといよいよ進水だ。たくさんの丸太のコロに乗っていた船は、陸に繋ぎ止めてあった太い綱が全て切られると、緩やかな坂を水面に向かって加速度を付けながら下っていった。間もなく大きな波しぶきを上げて無事に海に浮かんだ飛龍丸の勇姿を見た一同は、どっと大きな歓声を上げた。
 神主が引き上げると、海賊たちは金毘羅(こんぴら)様にも今後の航海の安全を祈願する祈りを捧げた。
 あらかじめ新しい船の乗組員と定められていた約百名の人員が乗り込むと、船大工の棟梁から説明を受けながら飛龍丸は湾内を軽く一周した。普通の和船の帆の構造なら、逆風になれば走行は全くできなくなるが、三角帆があればそれが可能となる。白鷹丸もそうだが、飛龍丸にもそれが標準で装備されている。
 水漏れも一切なく、操作性も白鷹丸に比べてはるかに向上している。白鷹丸が進水したのは五年前だったので、その間の技術の進歩の賜物(たまもの)だろう。
 船に満足した喜助は、港に帰ると船大工の棟梁に造船代の金銀を支払って船を引き取った。
 船の引き取りが済むと、海賊たちは二艘の船を一旦港の沖へ出し、飛龍丸に白鷹丸を横付けして、日用品、医療品、伝馬船、武器弾薬などの様々な物資を積み込んだ。その中で一番の大物は十二門の大砲だった。この新兵器の積み込みを部外者に見られることを防ぐため、わざわざ岸から遠く離れたのである。飛龍丸の厚い船べりの各所には、注文した通り大砲を出せるような窓が開けられている。大砲は、船首と船尾に一門ずつ、左右両舷に五門ずつ設置された。
 二艘の船を再び港に入れて、水や食料の補給を済ませた彼らは、これから冬の日本海の荒波を乗り切らねばならぬためなのか、まるでこの世との別れを惜しむかのようにして、南蛮の珍しい料理を食べたり女遊びをしたりと、みなそれぞれにとっての平和な時を過ごした。

 その翌日の早朝、飛龍丸と白鷹丸は、早くも長崎の港を後にした。
 途中で一度時化に遭い、近くの港に避難してそれが収まるのを待ったため、二艘の船は七日掛けてようやく目的地、双美ヶ島の沖にたどり着いた。真夜中の海は大きくうねっている。
 飛龍丸の作戦室中央の大きな卓の上には小さな行灯(あんどん)が一つ置かれてあり、それを取り巻く大勢の男たちの黒い影が、壁や天井に大きく映って揺れている。その行灯の前に広げられた海図を指差しながら、やや緊張した面持ちの喜助が、今回の作戦の指示をしているところであった。
「……夜明け前になったら、モズ、ハヤテ、ケン、ヤス、サブの五人は、伝馬でまず村の様子を見に行くんじゃ……。」
 名を呼ばれた五人が黙って頷くと、喜助は言葉を続けた。
「……村人の支度ができたら狼煙を二発上げよ。二艘は村がある入り江に移動し、伝馬を総動員して村人を迎えに行く。もし危険が生じて助けが要るなら狼煙を一発上げよ。地上戦に備えた兵隊を派遣する。現地での指揮はモズが取るように。」
 揺れる光に照らされながら、五人は再び頷いた。
 海上のうねりが収まってきたので、薄明かりの中、二艘の船は島に近付くと、村の南隣にある小さな入り江に入った。
 間もなく先ほどの五人が、伝馬船に乗って陸へと向かった。
 一行は上陸すると、まず村の南側の丘の上に登り、そこに腹這いになって村の様子を窺った。真冬の夜明けの薄青い光の中、十数戸の灰色の茅葺き屋根が遠く霞んで見えている。モズが言った。
「ハヤテとサブは、村に行って様子見て来るんじゃ。わしら三人は、ここでお前たちの様子見とるけん。危のうなったら狼煙上げや。」
 ハヤテとサブは口々に答えた。
「よしゃ。」
「わかった。」
 ハヤテの親友であり、今では義理の弟となっているヤスとケンが、ハヤテに向かって小声で口々に言った。
「おい、ぬかるなよ!」
「気ぃ付けてな!」
 ハヤテも小声でそれに応えた。
「おぅ!」
 そして、サブとハヤテは丘を下って行った。
 空は濃い灰色の雲に覆われていたが、その向こうでは陽が昇っているようで、少しずつではあるが、その色が明るくなってきた。丘を下って街道に出ると、サブは横を歩いているハヤテに向かって白い息を吐きながら言った。
「まず、俺の実家へ行ってみよう。」
「よしゃ。」
 ハヤテが声を震わせてそう答えたので、サブはやや心配したように尋ねた。
「寒いだろ?」
 ハヤテは微笑んでそれに答えた。
「おお、寒いことは寒いけど、それを忘れるほどの美しい眺めじゃ。」
 ハヤテが以前この村に滞在していたのは夏のことだったので、この地方の冬景色を見るのは初めてのことだった。四季を通じて比較的景観の変化が少ない瀬戸内海沿岸に比べると、この地方の夏と冬とではその差が極めて大きい。また、この当時の平均気温は、現在のそれよりも幾分か低かったので、現在の同じ地域の景観ともやや異なっている。
 空を覆う灰色の雲の下にそびえている山々は、全て純白の雪で覆われている。風は身を切るように冷たく、吐く白い息はそれに飛ばされてたちまち見えなくなってしまう。空からは、時折り雪が舞って来るが、これも吹き飛ばされてしまうためか、浜にはほとんど積もることがない。その代わり、砂の上の至るところに白い泡の塊りが散っている。
 遠くの岬は波飛沫(なみしぶき)で霞み、沿岸の海は薄緑に白を溶かしたような独特の色をしていて、たまに雲間から日が射すと、それは何とも言えず美しく輝いた。
 厳しい気候ではあるが、この清く凛(りん)とした冬景色を見ながら育ったシャガやサブたちが、ハヤテにはとても羨ましく思えた。
 よく見ると、浜のはるか遠くに人が大勢集まっている。どうやら大網が打たれて、それが引き上げられているようだ。
 やがてサブとハヤテは、村の南外れから二軒目にある、サブの実家へたどり着いた。二人はその戸口に立って、家の中の様子を伺った。
 中からは、幼い子供たちの戯(たわむ)れる声と共に、一人の老婆が歌う子守唄が聞こえて来た。

……日の光 時を超え その葉に慈しみ注げば
日の如き 明き実を 稔らすは浜茄子

そよそよ風に吹かれ 故郷の浜の空に
ゆくゆく巡り来たる 妙なる芽を出だす時よ
ゆらゆら波に揺られ 故郷の浜の砂に
ゆくゆく帰り来たる 愛しき浜茄子よ……

 サブの母トウの声だ。サブは戸の外から家の中に向かって声を掛けた。
「母ちゃん、サブだ。入ってもいいかい?」
 歌は途切れ、老婆の小声がした。
「おやまぁ! 丁度今、どうしてるのかと思ってたんだよ! 早く入りなよ!」
 サブは戸を開けて中に入ると一旦戸を閉めた。その中から、トウの嬉しそうな小声が聞こえて来た。
「おお、良く来た!」
 その声が小さかったのは、たった今幼子(おさなご)が眠りに就いたからのようだ。
「……どうやって来たんだい?」
「仲間たちと一緒に大きな船に乗ってな……。」
 サブがそう言うと、何人かの子供の歓声が聞こえた。
「サブおじちゃーん!」
 彼らはサブに飛び付いたのだろう、サブの嬉しそうな悲鳴が聞こえた。
「おーおー、みんな相変わらず元気だなー。」
 嗜めるようなトウの小声が聞こえた。
「おいおい! やっと寝たところなのに起きちまうよ!」
 しかし、その口調はやはり嬉しそうだった。
 やや口調を改めたサブの声がした。
「……外にウミヒコがいる。」
 トウは早口で嗜めるように言った。
「なんだ、それを早く言わなくちゃ。入ってもらいなよ!」
 サブが戸を開けて中から手招きしたので、ハヤテは中に入って戸を閉めた。
 家の中央の大きな炉には火が明々と焚かれており、屋内は意外に暖かだった。薄暗いその炉の周りでは、炎に照らされた十数人の幼い子供たちが、流木や貝殻などを玩具(おもちゃ)にして遊んでいる。
 その手前に座っている、小柄で白髪のトウに向かって、ハヤテは頭を下げて言った。
「ご無沙汰しとります。」
 トウは立ち上がると、目を見張って言った。
「おぉ、ウミヒコ。また一段と大人っぽくなったね。婿入りはもう済んだのかい?」
 ハヤテは照れながら答えた。
「はい。近々子が生まれます。」
 トウは嬉しそうに言った。
「おぉ、そうかい! そりゃおめでとう! いよいよサブは爺ちゃんで、タネは曾婆(ひいばあ)ちゃんだね!」
「ハハハ。母ちゃんから『爺ちゃん』なんて言われると、なんか変だなー。
ところで、みんなはどこ行った?」
 サブが家の他の大人の所在を尋ねると、トウはなぜかちょっと顔を曇らせて答えた。
「波が収まったんで、男は朝から網を打ちに出たよ。女はその仕分けに行ったとこさ……。
とにかく二人とも良く来た。さあ、座りな。」
 トウは、炉端の空いている場所を二人に勧めると、炉で暖めていた大きな素焼きの壷の中の湯を柄杓(ひしゃく)で汲み、二つの素焼きの湯呑みにそれを注いだ。そして、筵に座った二人にそれを勧めると、自分も莚に腰を下ろして言った。
「外は寒かっただろう。さあ、あったまりな。」
 サブとハヤテは口々に言った。
「ありがとう。」
「あ、どうもすんません。」
 早速湯を啜ったサブは、その湯呑みで手を温めながらトウに向かって尋ねた。
「……父ちゃんは元気か?」
 するとトウは、泣き出しそうな声でこう言った。
「あんたたちが行ってから、村は大変なことになったんだよ……。」
 彼女は涙を浮かべながら、その続きを語った。
 タネ一家がこの村を去った深夜、村人たちはまず大きな音で目を覚ました。それは、村の入り江の北寄りで行われている、大きな帆船と領主の軍船との海戦の音であった。村人たちは浜に出てその有り様を見ていたが、間もなく大きな帆船が圧勝して西の方へ去って行くのを、月明かりによって目にした。
 しばらくすると、今度は明々とともした松明を手にした大勢の侍が浜にやって来た。彼らは空が明るくなるのを待ってから、浜に打ち上げられている水軍の将兵の遺体の回収を始めた。それから少し遅れて何艘かの船でやって来た侍たちも、海に浮かんでいたり海底に沈んでいたりする遺体の回収に取り掛かった。
 その後またしばらくすると、新たに町から馬でやって来た侍の一群が村の大人たちを浜に呼び集めた。その中で一番身分の高そうな侍が、馬上から村人たちを見下ろしてこう言った。
「『この村の者海賊にさらわれたり』との通報がござった。また、昨夜の海戦の模様の取り調べも致すによって、村の主なる者十名、これへ出でよ。」
 そこで村長(むらおさ)の宗吉とお宮の神主、そして自分の夫を含む主だった者十人が前へ出て口々に言った。
「何かの間違いでしょう。」
「この村のもんで海賊にさらわれたもんなど、一人もおりません。」
 しかし、その侍はそれらの言葉に一切耳を貸さず、兵隊に命じてその十人に縄を掛け城へと引っ立てて行った。午後になっても彼らが村に帰らなかったので、おかしいと思った村人たちは城へ赴(おもむ)き、先の十人の取調べは済んだのかと門番に対して尋ねた。するとその門番はこう言った。
「取調べなどござらぬ。あれは海賊に加勢(かせい)した罪人(ざいにん)と聞いておる。」
 それを聞いてさらにおかしいと思った村人たちは、誰も海賊に加勢などしていないと主張して、十人を釈放するよう嘆願を行った。しかし、それは城主の耳に届かなかったのか、届いても聞き入れられなかったのか、拘束されていた十人は、それから半月後に斬罪(ざんざい)に処(しょ)せられ、見せしめのため町の浜で獄門に晒(さら)されたのであった。
 これを聞いたサブとハヤテは、思わず互いに顔を見合わせると、悲痛な表情になってがっくりと肩を落とした。トウは話しを続けた。
「……ところが、それだけじゃ終わらなかったんだ。それに追い討ちを掛けるようにして、殿様からお触れが出たんだよ。
『村人今後五日に一度、魚またはその干物五十を城に献上すべし。』 ってさ。この一度の量は、この村が二日間で食う魚の量と同じだ。貧しいオレたちにとって、これはとんでもなく重い税なんだ……。」
 父の無残な死が事実であったことと、それに追い討ちを掛けるようにして降り掛かったこの村の災難を知ったサブは、男泣きに泣いた。
「う……う……ひでぇ話だ……。」
 一方、自分が座っていた筵に両手を着いて頭を垂れたハヤテは、筵の上にポトポトと涙を落としながら呟いた。
……わ、わしのせいで、とんでもないことになってしもうた……。
 それを聞いたトウは、涙ながらにもハヤテに向かって、きっぱりと言い切った。
「いいや、あんたのせいじゃない! この村が海賊に加勢したなんて勝手に決め付けた、北の町の役人と侍が悪いんだ!」
 サブは泣きやむと、真剣な表情でこう言った。
「……実はな母ちゃん。獄門の夢を見た者がいたんで、俺たちはみんなを迎えに来たんだ。だから、土産も持たずに手ぶらで来たってわけさ……。」
 彼は、タネ、シャガ、トヨの三人の女たちが見た夢の話しと、大きな船の完成を待ってようやく迎えに来れた話しをした。するとトウは、涙を拭いながら幾分か穏やかな表情になってこう言った。
「そうだったのかい。宗吉はタネの兄さんだしな。タネたち三人に思いが伝わったのかも知れないねぇ……。
この村を出れるんなら、みんなもさぞかし喜ぶだろうよ。なんせ、子供たちの他は働き詰めで痩せ衰え、病人が出てる有り様だからねぇ……。」
 彼女は急にハッとして立ち上がると、サブとハヤテを見下ろして、嬉々とした口調でこう言った。
「そうとわかれば、ゆっくりなんかしてられないよ! 浜にいるみんなに、この話しをしに行こう!」
 そして、年長の子供たちに向かってこう言った。
「おい、あんたたち。ちょいと浜へ行ってくるから、後を頼んだよ!」
 早速出掛ける支度を始めたトウは、良く見ると確かに以前より痩せていることがサブにはわかった。
 サブとハヤテも筵の上に立ち上がった。そしてサブは、素朴ではあるがとても重要な質問をした。
「しかし母ちゃん、『この村の者が海賊にさらわれた』なんて言いに行ったのは、どこのどいつだろう?」
 トウは、やや言いにくそうにして答えた。
「……それがねぇ、それはあんたの女房の仕業だっていう話しなんだよ。」
 それを聞くなりサブは目を丸くして絶句した。トウは依然として言いにくそうに話しを続けた。
「……あの晩、町へ戻ったトクは、『娘を海賊がさらいに来た』って、あちこちに言いふらしたんだって。そして侍が大勢死んで夜が明けると、『武家に嫁ぐはずだった娘を海賊がさらうのを、この村の者が見て見ぬ振りした』ってお城へ言いに行ったんだってよ。その証拠に、トクはあの日以来この村には一度も姿を見せなくなったからねぇ。」
 上着を羽織っていたトウは、サブが何も言わないので何気なくそちらを見ると、彼は立ったまま両手を硬く握り締めてブルブルと震わせ、怒りのために顔は真っ青になっている。
……あ、あの女、もう許さん…………
 そして、低い声でそう言うのが聞こえた。人の好いこの息子がこんな怒り方をしているのを、トウは今まで見たことがなかったので、少しうろたえながらこう言った。
「おい、おい、サブよ! これはただの町の噂で、本当かどうかはわかんないんだよ!」
「ああ、わかってるよ。でも『火のない所に煙は立たぬ』と言うしな……。
さあ行こうか。」
 普段の顔に戻ってそう言ったサブが戸を開けて外へ出ると、家の中に冷たい風が吹き込んで来た。ハヤテとトウは涙を拭きながら、その後に続いた。
 それからしばらくすると、村中の家々では一斉に荷づくりが始まった。村人たちは、シャガか誰かがいつか迎えに来てくれるのではないかと心のどこかで信じていたし、今回の重税から逃れられるということもあって、口数は少なかったがみな嬉々として動いた。
 城へ献上するはずだった今朝捕った魚は、迎えに来てくれた者たちへの土産へと変わった。その他の干物や燻製などの保存食や山の畑の大根なども、次々と梱包されている。
 ハヤテは村に残り、サブは丘の上のモズたち三人のところへ戻って経過を報告した。
「……ということで、村人の支度ができたらハヤテが狼煙を二発上げるはずだ。それと……」
 サブはちょっと口ごもったが、何かを決心したようにこう言った。
「もし、前の女房が海賊のことを町で言いふらしたという噂が本当だとしたら……、親父を含む死んだ十人の仇(あだ)を討ちたい。頭の許しを貰いたいんで一旦船に戻るが、いいかい?」
 モズは快くそれを承諾した。
「おう、ええぞ。わしらここで待っちょるけん。」

 飛龍丸の船上から村の様子を見守っている頭の喜助が、何か考えごとをしているのか、やや空ろな口調で言った。
「ええよ……。」
 彼は背後に立っているサブの方を向くと、今度ははっきりと言った。
「ええけど、あんたらにそれができるかな?」
 そして、念を押すような上目遣いでサブの目を見た。
 一人伝馬船で飛龍丸に戻って来たサブから作戦の経過報告を聞いた喜助は、その後個人的な仇討ちの許しを乞われたのだが、人の好い性格のサブをはじめとする純朴なここの村人に、人を殺(あや)めることができるだろうかという疑問があったのだ。下手(へた)をして相手に騒がれれば、サブたちの方が命取りになる。
 しかしサブは、鼻息を荒くしながら珍しく激しい口調でこう言った。
「できます! あの女はここの村人の命を何とも思っていなかったんです。『人を人と思わぬ者、これ我らが仇なり。』……仇は討たねばなりません。俺か村の女たちがしなければ、他に誰がするんですか!!!」
 自分たち組織の趣旨を引用してそういい終えたサブの吐息は、火に掛けられた土瓶の湯気のように白く長く伸び、灰色の曇り空へと流れて消えた。
 確かにもし仇を討つとすれば、彼の言う通り村の外で家宝のことを口にしてはならぬという戒めを破り、災いの源(みなもと)を村に運んで来た責任を取るためにも、サブ本人の手で行うのが筋であろう。しかし相手は女性なので、実際に手を掛けるのは遺族の女たちになるかも知れない。
 いずれにせよサブの決意が固いと感じた喜助は、即座に決断を下した。
「よし。護衛を二人付ける。危のうなったら狼煙を一発上げよ。援軍を遣(つかわ)す。」
 サブは神妙な口調で喜助に礼を言った。
「ありがとうございます。」
 このとき見張りの叫ぶ声が帆桁の上から聞こえた。
「おーい! 狼煙が二発上がったぞーっ!」
 それを耳した喜助は、甲板の櫓に据えられている大太鼓に向かって大声で指令を発した。
「よーし。全速で船を出せーっ!」
 その太鼓に着いていた側近のイリによって、その指令がリズムになって叩き出されると、飛龍丸と白鷹丸の錨がほぼ同時に上げられた。そして、左右両舷から出されたたくさんの櫂によって漕がれた二艘の船は、小さな岬を迂回して、村がある広い入り江の中に入って行った。
 このイリは、色白で堀りが深く、どこか日本人離れした顔立ちをしている。数々の戦闘においての勇敢な戦いぶりが、以前から仲間内で評判だったので、彼はまだ三十代後半と若かったが、ロクの後任である喜助の側近として起用されていた。そのロクはといえば、白鷹丸の船長に昇進していた。
 やがて、移動を終えた二艘の周囲の海上に伝馬船が次々と下ろされ、それらは順次陸に向かって漕ぎ出していった。これを見ていた喜助の背後で声がした。
「おい頭よ。」
 喜助が振り向くと、そこには赤い勾玉の首飾りを着けているタネが立っていた。
「おぅ、タネさんか。何したん?」
 暖かい船室から出て来たばかりと見えるタネは、白い息を吐きながら寒さに声を震わせて言った。
「……さっき目を閉じてたら、馬に乗った侍が大勢この浜にやって来るのが見えた。その後、大きな船が三艘この入り江に入って来るのも見えたよ。」
「おぉ、そうか。」
 喜助はタネにそう言うと、今度は帆桁の上を見上げて叫んだ。
「……おーい! 船が見えるかーっ?!」
 間もなく、それに対する答えが頭上から小さく降って来た。
「北の町の近くに漁師の伝馬が二隻見えるが、他にはなんも見えーん……お! 北の丘の上から、煙が一筋上がり始めたぞ!」
「敵の狼煙かも知れん! 引き続きよう見とってくれ!」
 上に向かって大声でそう伝えると、喜助はタネに向かって言った。
「ありがとう。今来んでも後で来るかわからん。」
 そして今度は、太鼓に着いているイリに向かって言った。
「念のため二艘とも戦(いくさ)の支度じゃ。白鷹丸は北の丘近くへ移動するように。」
 イリは勢い良くそれに答えた。
「はい!」
 彼はまた太鼓を叩いて、喜助の指示の前半をこの船内と白鷹丸に伝えた。指示の後半は太鼓での伝達が不可能なため、仲間に頼んでそれを紙に書かせ、砂と共にそれを入れた巾着を、白鷹丸の船上に放り込ませた。

 立派な素襖と長袴を身に着けた一人の侍が、薄暗く冷え切った廊下にひざまずき、その目の前にある襖(ふすま)に向かって急き込んだ口調で言った。
殿! 丘の上から狼煙が上がっておるとの、見張りからの知らせが入りましてござりまする!
 その言葉によって襖が開くと、そこには大きな長火鉢があり、その向こうでは家来に肩を揉ませている、一人の太った殿様の姿があった。どうやら、この城の主(あるじ)のようだ。その城主は顔色を変えると、その侍に向かって言った。
「な、なんと! 敵船か?」
 侍は畏(かしこ)まって返答した。
「は! そのようにござりまする!」
 すると、城主は甲高い声で命令を発した。
水軍じゃ! 水軍を出すのじゃ!
「ははーっ。畏(かしこ)まってござりまするっ!」
 侍はそう言って立ち上がると、自分の居室に向かって廊下を小走りに駆け、早速城主の命令を紙に認(したた)めた。
 この地域一帯の領主であるこの北の町の城主は、昨年夏の海賊との戦いに惨敗したため、軍の参謀(さんぼう)を司(つかさど)るこの重臣の進言を受けて軍の強化を図っていた。まずは、この町と南の村との中ほどにある小高い丘の上に見張り台を設け、そこに見張りを常駐させた。そして、軍船を購入して傭兵を雇い入れ、小規模ながらも本格的な水軍を召し抱え、これも町の港に常駐させていたのである。
「伝令はおるか!」
 城主の命令を書き終えたその参謀は、駆け付けた伝令の者にその書簡を持たせると、それを水軍の隊長に届けるよう命じた。
 伝令は、町の背後の平山城(ひらやまじろ)から馬を走らせると、町を通り抜け、港の近くにある水軍の隊長の屋敷へと赴(おもむ)いた。
 屋敷に着いた伝令は、門の前で馬を降りてその脇に馬を繋ぐと、扉を激しく叩きながら叫んだ。
たのもう! たのもう!
 やがて、扉の脇にある覗き戸が開き、門番の目が現れた。
「お城からの御命令でござる! お通し下され!」
 その言葉とその見知った顔で、城からの伝令とわかった門番は、扉を開けてその者を中へ通した。
 その後間もなく先ほどの書簡は、この屋敷の主(あるじ)である水軍の隊長の手に渡っていた。それを読み終えた隊長は、伝令に向かって言った。
「……うむ、『承知つかまつりました』と殿にお伝えあれ。」
 そして隊長はこう続けた。
「丘の見張りからの報告が入るやも知れぬ。今しばらく待たれよ。」
 そして今度は、背後に控えている数名の自分の部下の方を向くと、隊長は声を張り上げて言った。
半鐘を鳴らせーっ! みなの者、戦(いくさ)の支度じゃーっ!!!
 間もなく、激しく打ち鳴らされる港の櫓(やぐら)の半鐘の音が、低く垂れ込めた灰色の厚い雲の下に響き渡った。
 やがて、それを耳にした宿舎の傭兵たちが身支度を整え、手に手に武器を取って港の桟橋付近に続々と詰め掛けた。丁度そこに、丘の上の見張り台の伝令が馬で駆け付けるなり大声で叫んだ。
水軍隊長殿! 二艘の大型軍船、南の村の湾内に突如として姿を現わし停泊致しました! 二艘からは伝馬船二十隻余りが続々と浜に向って漕ぎ出しておるところでござります! 尚、二艘のうち一艘は、昨年襲来せし海賊船ではないかとのことにござります!
 兵たちに囲まれてこれを聞いた隊長は、横で控えていた城からの伝令に向かって言った。
「『昨年の海賊、今度は二艘にて再来す。南の村の者と相通じ、上陸企てておる模様なり。』
急ぎ城へと戻りてお伝えあれ。」
 その伝令が早速馬に乗って城の方へ駆けて行くと、続いて隊長は居並ぶ数百人の部下に向かって叫んだ。
敵は昨年襲来せし海賊とのことじゃーっ! 今こそ彼(か)の雪辱(せつじょく)果たすべく敵を殲滅(せんめつ)するのじゃーっ! いざ参ろうぞーっ!
 それに対して将兵たちは、みな威勢良く気勢を上げた。
おおーーっ!
 そしてそれぞれが、三艘の軍船に分かれて乗り込んだ。いずれも中型の和船だったが、装備は新しかった。彼らの側からすれば、昨年の戦闘で死亡した百余名の仇(かたき)を討たねばならぬので、たとえ傭兵ではあっても闘志に燃えて当然だろう。
 雲の色が暗さを増して雪がちらついてきたが、城内の大広間には明々と明かりがともされ、金の屏風を背にして座する城主の前には、甲冑を身に着けた数十人の家臣がひざまずいていた。
 そこに、港から帰って来た伝令の知らせが飛び込んだ。それを聞いた参謀は、村へ陸戦隊を派遣するよう城主に進言した。城主は家臣の中で一番前にひざまずいている者に声を掛けようとしたが、参謀がそれを制した。
「殿、恐れながら申し上げまする。」
 城主が怪訝そうな顔をして参謀を見たので、参謀は立ち上がって城主の近くに寄ると、身をかがめてその耳元に何かを囁(ささや)いた。
「……斯(か)く斯く然々(しかじか)にて、この役はあの者が適任かと存じ上げまする……。」
 そして参謀は、広間の隅にひざまずいている、白髪混じりの頭をした小太りの侍を指差した。城主はそれに応えた。
「うむ、承知した……。」
 そして、その侍に向かって手招きをしながら言った。
「そち! 近う寄れ!」
 城主に呼ばれたその侍は、膝行(しっこう)にて城主の前まで進み出ると、頭(こうべ)を垂れて言った。
「畏まってござりまする!」
 城主は重々しく言った。
「これよりそちを、海賊討伐軍陸戦隊二百騎の隊長に任ずる。
海賊は南の村の者と相通じ、上陸を企てておる模様じゃ。まずはこれを討たんがため、そちは隊を率いて村に向かえ! 陸上の海賊を討ったなら、次いでは村民じゃ! 女子供といえどもみな悉(ことごと)く切り捨て、村全戸を焼き払うのじゃ!」
「ははーっ! ご命令しかと承(うけたまわ)りましたーっ! 大役を仰せ賜り有り難き幸せに存じ上げまするーっ!」
 その侍はそう言って平伏した。いまだかつてこのような役を命じられたことのなかったその侍は、緊張して思わず武者震(むしゃぶる)いをしていた。

 その頃、南の村の浜の波打ち際のあちこちでは、人や物資が伝馬船に積み込まれている真っ最中だった。
 その様子を飛龍丸の甲板に出て見守っていた海賊たちの上に、見張りの緊迫した声が降って来た。
おーい! 騎馬武者が大勢、北の丘を越えて来よったぞーっ!
 喜助は一瞬そちらを見てから、帆桁の上に向かって叫んだ。
数はなんぼじゃ!? 白鷹丸の様子はどうじゃ!?
今見えとるだけでも百騎はおる! 白鷹丸は錨上げよったーっ!
 白鷹丸も陸戦隊の襲来を発見し、その船長に就任していたロクが早速その対処を始めたところだった。

全速前進! 大砲の弾を散弾に変えるんじゃ!
 ロクのその命令が太鼓で伝えられると、白鷹丸は広い入り江を北へ向かって風に逆らいながら進み、北側の丘から浜に下りる道のあたりに接近した。そして、右舷を浜と平行になるようにして錨を下ろした。
 この白鷹丸の動向を街道から目撃するに及んで、鎧兜(よろいかぶと)に身を包んだ先ほどの小太りの隊長は、進軍する陸戦隊に向かって命じた。
「止まれーっ! 敵は待ち構えて攻撃する算段(さんだん)のようであるが、この距離では矢も鉄砲の弾も届くまい。我こそはと思う者は試しに浜に下りてみよ!」
 今彼らがいる道と白鷹丸とのあいだには大きな岩があるが、浜に下りれば、そのあいだを遮(さえぎ)る物は何もなくなる。しかし、そんなことには物怖じしない剛(ごう)の者四騎が、岩のあいだの細い坂道を駆け下りて浜に降り立ち、抜刀して気勢を上げた。
えい! えい! おーっ!
 この姿は敵の目にも入っているはずだが、その船は依然としてじっと同じところに浮かんでいるだけだ。それを確かめた隊長は高笑いして言った。
ハッハッハ! この入り江の水深を知らぬゆえに、座礁を恐れて矢の届くところまで入れぬものと見えるわ。愚かな海賊めが!
みなの者! いざ続けーっ!!

 隊長を先頭にした陸戦隊は進軍を再開した。
 ところが坂道を三十騎ほどが下って浜に降り立ったそのとき。海賊船の右舷三箇所が立て続けにパッパッパッと光り、そこから出た白い煙が風に乗って横に流れるのが見えた。その直後、ヒューヒューヒューという無数の不気味な音と共に、浜の人馬がまるで西瓜(すいか)でも割るようにして、真っ赤な血煙(ちけむり)を上げながら次々と砕け散った。
 隊長は目を血走らせて采配を高々と振り上げると、声をふり絞って叫んだ。
引けっ! 引けーーっ!!! 敵は大型の鉄砲を持っておるーーっ!!!
 生き残った浜の騎馬武者たちは、その命令によって、もと来た狭い丘の登り口に殺到したため、かえってそこが混雑してしまった。これを見た隊長は、自分が乗っていた馬から転がり落ちるようにして降りると、自分一人だけ這って近くの小さな岩陰に身を隠した。
 安全な場所に全員が退却するまでに時間が掛かっているところへ、二度目の砲弾が飛来した。血飛沫(ちしぶき)が飛び交い、血まみれの人馬がばたばたとのた打ち回る地獄が、そこに再び現われた。岩陰から這い出た隊長は、生き残った空馬を捕まえてそれに乗ると、人馬の山を踏み越えて、隊の残りが身を隠している岩陰へと退避した。
 昨年の海戦では、軍船の侍が全滅してしまったために、散弾を込めた大砲の恐ろしさを生きて伝える者が誰もいなかった。そのときの死体からは、大型の鉄球がいくつも発見されてはいたが、それがいかなる武器から、どのようにして発せられたものなのか、彼らには全く想像することができなかったのである。
 大砲に込められた散弾一個は、通常の鉄砲弾より数倍大きくその分重い。さらに、それら十数個をまとめて発射させる火薬の量は鉄砲の数十倍だ。そのため、この散弾は通常の鉄砲の弾をはるかに上回る距離を飛ぶのである。
 白鷹丸がこのようにして陸戦隊をくい止めているあいだ、村人とその荷物を載せた伝馬船は次々と浜を離れ、飛龍丸目指して漕ぎ出していた。まず、病人と子供と年寄りが運ばれた。続いて村人の所有する伝馬船に漁や農耕の道具が積まれ、家財道具と食料なども運ばれていった。
 空は更に暗くなり、雪が舞ってきた。それと共に海も荒れてきた。
 白鷹丸の帆桁の上から、再び鋭い叫び声が降って来た。
おーい! 前方より軍船が来よったぞーーっ!!!
 その直後、それは甲板上の者の目にも映った。北側の岬の向こうから、中型の軍船三艘が次々と姿を現わしたのだ。それは先ほど町を出港した水軍だった。前回の海戦でもそうだったが、町は大きな湾の奥にあるため、そちらの方から来る船の発見は、この村のある入り江の中にいると、どうしても遅れてしまうのである。
 白鷹丸船長のロクが叫んだ。
前方より敵船襲来! 船を左に回せ!
鉄砲イ組ロ組ハ組、敵船上の人を狙えーっ!
右舷大砲標的は敵船に変更! 弾は通常の弾に変えるんじゃーっ!

 それを聞くが早いか、ロクの側近モズの代役権次は、太鼓によってその指示を伝えた。ロクは続いて叫んだ。
船尾大砲用意! 弾は散弾じゃ! 岸の騎馬武者を狙え! 姿を現わしたらすぐに撃て!
 この命令の後半は太鼓での伝達が不可能なため、権次は砲手に直接口頭で指示した。
 敵船との距離は既にかなり近くなり、敵船の甲板の数箇所から白い煙が流れたかと思うと、何発かの鉄砲の弾が海賊たちの頭上をかすめて行った。
 白鷹丸の舳先が左に振られ、右舷が敵の軍船の方に向くと、三門の大砲からそれぞれ弾が発射された。その直後、そのうちの一発が相手の先頭の船の舳先の船べりに命中し、その部分を破壊した。木片が飛び散り、それに弾き飛ばされた何人かの侍が海に落ちていった。
「鉄砲用意できました!」
 待ちかねていた伝令が来たので、ロクはすかさず指令を出した。
鉄砲イ組ロ組ハ組、順に放てーっ!
 白鷹丸の甲板から鉄砲が八丁ずつ順番に火を噴き始めると、先頭の船に乗った侍が前の方から次々と倒れていった。
 大砲がまた発射され、敵の船体を破壊したが、いずれも浸水させるまでには至らなかった。海上のうねりが大きく、敵味方の船は交互に上下しているので、大砲の弾はなかなか思い通りの場所に当たらない。
 そうこうするうちに、白鷹丸は三艘の軍船に取り囲まれてしまった。
 この当時の鉄砲や大砲は、その構造上あまり下に向けることができないので、白鷹丸より低い船にここまで近付かれると全く使い物にならなくなる。その代わり、矢の射手十六人が手分けして、懸命に敵船上に攻撃を仕掛けていたが、敵は怯まず縄梯子をいくつも白鷹丸の船べりに掛けてきた。当時の海戦で使用されるこのような縄梯子の先端には太い鉄の鈎(かぎ)が付いており、斧でそれを切断することは不可能であった。敵兵がこれを伝って次々と登って来た。
 この隙に乗じて、足止めをくっていた敵の陸戦隊は浜に駆け下りると、村へ向かって突撃を開始した。それを見逃さなかった白鷹丸船尾一門の大砲の砲手が弾を撃ったが、今度は三、四騎倒しただけで、次の弾を込めているあいだに、陸戦隊は次々と浜に下りて順次村目指して駆けて行った。次の散弾は、最後部の二騎に命中してこれを倒しただけで、残りの騎馬武者の一団はこの防衛線を突破すると、小さな岬を回って村のある浜になだれ込んだ。
 その浜からは丁度、十人ほどの男女と荷物を乗せた最後の伝馬船が出たところだった。櫓はハヤテが漕いでいる。
 二十騎余りがずらずらっと波打ち際に並ぶが早いか、この伝馬船に向かって一斉に矢を射掛け始めた。ハヤテは懸命に船を漕ぎ、乗っていたもう一人の仲間もハヤテと共に櫓を握って漕ぎ始めたので、船足は幾分か速くなった。船上の村の男たちは、女たちを舳先の方へと移動させた代わりに自分たちは船尾の方へと移動し、その体を盾にして侍が放つ矢から彼女たちを守った。
 一方陸戦隊の生き残りは馬から下りると、村の家々一軒一軒を包囲しては人を切るためにその中に突入した。そして切る者がいないとわかると、次々に火を放っていった。しかし、それらの家々は既に住む人を失っていたので、それは全く無意味な行為となった。
 波打ち際で侍が放つ矢は、強い横風のため最初なかなか当たらなかったが、そのうちこつをつかんだらしく、何本かが伝馬船の船べりに刺さるようになった。
「この憎っくき海賊め……。」
 そう呟いて隊長自らも弓に矢を番(つが)えた。兜の中の脂ぎった顔を憎しみに歪め、彼は人一倍多くの矢を放った。以前、美しい娘を妾(しょう)にできると思って喜んでいた矢先、まんまと海賊に横取りされた彼の放つ矢は、その力と意気込みが違っている。彼こそ、シャガを妾にしようとしていた侍その人であった。
「ウッ!」
 船を漕いでいたハヤテが突然小さな声を上げると、胸を押さえてうずくまった。間もなく、もう一人の漕ぎ手の右肩にも矢が刺さった。漁師の中で勇敢な二人の男が代わりに漕いだが、間もなくその一人の腰ともう一人の脚にも矢は刺さった。侍たちは、まだ次々と射掛けてくる。
 今度は女二人が急遽負傷者と交替して櫓を操(あやつ)った。夏には海女として海に潜る彼女たちは、優しさと勇敢さを兼ね備えている。やがて矢が届かない距離になると、侍たちは伝馬船への攻撃を諦めて馬を返し、砂丘の向うへと姿を消して行った。そこに見えている十七戸の茅葺屋根からは、既に幾筋もの白い煙が、風に渦巻いて立ち昇っていた。
 一方白鷹丸では、矢を放つのに加えて、敵の頭上に熱湯や糞尿を浴びせたりして、懸命にその侵入を防いでいたのだが、相手の人数はこちらの十倍以上はいるので、それらはすぐに尽きてしまった。そして、次々と登って来た敵が、ついに甲板に降り立つまでに至った。こうなると同士討ちの危険性があるので、銃はもちろん弓矢も無闇に使えない。
 白鷹丸の漕ぎ手は、武装して甲板に出て来ていたが、このまま白兵戦になれば、数で圧倒されてしまうことが見て取れた。そのため、これ以上敵が上がって来るのを、ここで何としてでもくい止めねばならなかった。
 ロクが権次に向かって指令を出した。
錨を上げよーっ! 一番大きな帆を一枚だけ張れーっ! 取舵!
 『この強風で帆を張るなんて』と、権次は一瞬新任の船長ロクの顔を見たが、別段血迷った様子もなかったので、長年喜助の側近を勤めてきた彼の判断を信じ、その指令を太鼓で伝えた。
 白鷹丸の太い方の帆柱には上下二つの帆桁があるが、下の方の帆桁を何箇所か縛ってある縄が全て同時に解かれた。すると、バン! という大きな音と共に、瞬時にして帆が張られて風をはらんだ。すると、船体のあちこちを軋ませた白鷹丸は、ゆっくりと前進を始めた。陸戦隊が突破してしまったので、もはやこの場所に留まっている必要はない。
 間もなくその進路をさえぎるようにしていた軍船のうちの一艘の左舷に、ゴーンという大きな鈍い音を立てて白鷹丸の舳先が当たった。その衝撃で、その船の甲板にいた侍の何人かが海に投げ出された。白鷹丸は、その船を押し退け、見る見る加速しながら更に進んで行くが、甲板には既に十数人の敵兵が上がって来ていて、こちらの兵隊とのあいだで白兵戦が繰り広げられている。
 敵の三艘の軍船は白鷹丸の後を追ったが、距離は次第に離れていった。そのあいだに白鷹丸の甲板の上の侍たちは始末され、船体のあちこちに掛けられた縄梯子にしがみ付いている侍たちも槍で突かれて次々と海に落とされていった。海賊側にもかなり負傷者が出ていたが、仲間が早速その介抱をしていた。
取舵一杯! 帆をたためーっ! 漕ぎ手は元の位置に戻って船を左に回せーっ!
 白鷹丸が左に百八十度旋回する間もなく、ロクは新たな指令を発した。
ようそろー! 全速前進!
 ロクは次に、このような指示を出した。
左舷一番の大砲は上の軍船、同じく二番は中の軍船、三番は下の軍船を狙えーっ!
 この指令が伝えられてしばらくすると、縦一列になって追跡して来る敵の船団に対して、白鷹丸は互い違いの平行になりかかった。この瞬間ロクが叫んだ。
停船! 大砲放てーーっ!!!
 白鷹丸の櫂が下ろされたまま動きを止めると、船は進むのをやめ、それと同時に左舷三門の大砲が立て続けに火を噴いた。
 砲弾を食らった敵の三艘の船上では、今になってこちらの作戦に気付いたそれぞれの指揮官が、血眼(ちまなこ)になって采配を白鷹丸の方に振り向けていた。その指揮によって敵の軍船は、弾を避けるためにそれぞれが舳先を白鷹丸の方へ向け始めたが、時既に遅く、その船体にはそれぞれ大きな穴が次々と開けられていった。今度のその位置は、いずれも海面に近かったので、やがて軍船は次々と浸水して傾いていった。そこに積まれていた伝馬船に収容された者はごく僅かで、多くの者は、身が切れるように冷たい荒波に漂う、浸水した軍船の船体にしがみ付くしかなかった。
 大砲を用いた海戦の経験がない、敵の水軍の惨敗であった。
 この一部始終を飛龍丸の甲板から見守っていた者たちは、船べりを叩いて大歓声を上げた。
 側近のイリが、喜助のところに報告に来た。
「頭! 最後の伝馬が浜から戻りましたが、怪我人が少なからずおるようです。」
「そうか。まず怪我したもんの手当てじゃ。伝馬の収容が終わったら、狼煙を二発上げて船を出すんじゃ。」
 喜助のその指示にイリは返答した。
「わかりました。」
 間もなく、飛龍丸から狼煙が二発上がった。この合図によって船を出すということになっていたので、飛龍丸と白鷹丸の二艘は、この広い入り江を後にした。
 浜を見ると、敵の陸戦隊が放った火は強風に煽られて一つの巨大な炎となり、今まさに砂丘の向こうの村全戸を嘗め尽くしているところであった。その光は、浜に激しく打ち寄せる白い波飛沫(なみしぶき)さえも赤く染めてしまうほどに強烈なものであった。
 飛龍丸の広い甲板の上の二百人近い村人たちは、次第に遠退くその光景を誰も彼もが呆然と眺めていた。静かに涙する者も少なからずいたが、その表情はみな穏やかであった。今の彼らにとっては、生家が炎上していることよりも、領主の圧政から解放されることの方がずっと大事なことであったからだ。
 以前この浜に流れ着いたハヤテを助けたこの村人たちであったが、それは言葉の違い身分の違いなどの一切を超越した、裸の人間同士が行う、ごく自然な行為であった。しかしそのことが、このような村全体の移住につながるなどと、そのときの誰が想像し得ただろう。
 この島では、この少し前から銀山が盛んに開拓されており、そこでの職を求める人が多く移り住んで来るようになっていた。しかし、今のこの村人にとって、そのような賑わいはどうでも良いことだった。彼らにとって最も重要なのは、自分たちの命だったのだから。
 間もなく、真っ赤な勾玉の首飾りを首に掛けたタネが甲板に姿を現わした。そして涙を流しながら、叔母のキヌをはじめとする、村人一人一人を抱いて回ると、その喜びを実感した彼らは、互いの無事を確認し合い、始めて嬉し涙を流した。

 明々と明かりがともされ、大きな火鉢で暖められた飛龍丸の診療室では、先ほど浜から逃げる際に負傷した四名が、床に敷かれた布の上に横になり、船医から傷の手当てを受けているところだった。右胸に刺さった矢が抜かれ、傷口に血止めと殺菌のための膏薬(こうやく)を塗られたハヤテの周りを、彼と同じくらいの年代の若者数名が、ひざまずいて取り囲んでいた。
「ウミヒコ。あのときは悪かった。許してくれ!」
「ごめんよ、ウミヒコ!」
「すまんかった、ウミヒコ。許してくれ!」
 彼らは、涙を流しながら口々にそう言って許しを乞うた。三年余り前、ハヤテがこの村にいた頃、ハヤテを「よそ者」「捨て子」などと呼んで苛(いじ)めた当時の子供たちである。ハヤテは横になったまま、途切れ途切れに言った。
「……もうええ……。そのことは済んだことじゃ……。ハハハ……イタタタ!」
 笑った途端に傷が痛んだのだ。ハヤテは真剣な表情になると、彼らに向かって話しを続けた。
「……これから行く村のもんは、あちこちから集まって来たもんじゃけん……、あんたらの言葉違うても気にするもん誰もおらん……。案ずることないわ……。ほいで、今まで隠しとって済まんかったが、わしのほんまの名はハヤテじゃ……。これからはそう呼んでくれや……。」
 彼らの中の一番年長の者が、手の甲で涙を拭きながらこう言った。
「傷を負ってまでして、こんな俺たちを助けてくれたハヤテさんには、なんとお礼をしていいやら……。」
「……名前の後の『さん』は要らんし礼も要らん。……わしゃ、侍の圧政で苦しんどるもんの、力になりたかったまでのことじゃ……。」
 ハヤテのその言葉に、集まった若者たちの誰もが更に目頭を熱くした。

 荒れ模様の天気が静まった夕刻、夥しい数の負傷者や死体を積んで南の村から引き上げて来た数艘の運搬船が、北の町の港に入港し、先ほどまでその後始末のためにごった返していたのだが、それが終わった今はもう、人気の失せた桟橋には、青白い雪がしんしんと降り積もっているだけだった。
 その港の北側の浜に、小さな明かりをともした大きな伝馬船が一隻漕ぎ付け、そこから三人の漁師の男と九人の海女が降り立ったが、港の見張りの兵隊はそれを全く気に留めなかった。南の村の者は全て海賊と共に何処(いずこ)へと去って行ったと聞いていたので、どうせ北の村の者が正月前の買出しにでも訪れたのだろう、ぐらいにしか思っていなかったのだ。
 三人の男たちは、乗って来た伝馬船を浜に上げるとすぐに町へ入ったが、女たちはその船の近くで火を焚くと、それを囲んで小声で雑談していた。
 しばらくすると、先ほど町へ入った三人の男が浜に戻って来た。行きとは違い、一行の先頭の男が大きな麻の袋を肩に担いでいる。その男は浜に上げてある船にその荷物を積み込むと、他の二人の男と共に船を波打ち際まで戻した。焚火を消した女たちがそこに乗り込むと、男たちも船を出してそこに乗り込んだ。
 港を出たその伝馬船は、夕闇の海を南の方に去って行った。
 やがて、昼間は戦場となっていた南の村の浜に、その伝馬船が漕ぎ付けた。分厚い雲の向こう側では、既に陽が沈んだようで、立っている人の姿がようやく識別できるほどまで暗くなっている。浜に人気(ひとけ)がないことを確かめた船上の一行は船から降りると、乗って来たその船を浜に引き上げた。
 二人の女が、松の根の松明(たいまつ)二本に点火すると、男の一人が先ほどの麻の袋を船から下ろした。
 町では風がほとんどなかったが、地形の関係上こちらでは冷たい風が絶えず海から吹いて来る。今日は陽射しがほとんどなかったので、夜になっても陸風は吹かないのだ。
 全焼した村の廃墟(はいきょ)からは、まだ幾筋かの白い煙が渦を巻いて立ち昇っており、それは暗黒の空に吸い込まれていた。そして、まるでそれが冷却されて投げ返されたかのような白い粉雪が、時折り空から浜に向かって舞い降りていた。
 二人の男は船のそばに残り、麻の袋を担いだ一人の男と松明を持った二人を先頭にした九人の女は、村の北の入口付近の丘を目指して歩き出した。
 やがて、一行がその丘の中腹にたどり着くと、そこには高さ四余り、太さ三角ほどの先の尖った木が数十本、頭をあちこちに向けながら、暗がりの中に立っていた。その中で、十本一列に並んでいるまだ新しい木の前まで来ると、一行はようやく立ち止まった。
 男は、担いでいた袋を地面に下ろすと、二本の松明の明かりを頼りにして、袋の口を結わえている縄をほどき、袋の底を両手で持ち上げて逆さにした。するとその中からは、たくさんの布切れと共に奇妙な物が転がり出た。風に吹き消されそうな松明の明かりによって、そこに照らし出されたのは、猿轡(さるぐつわ)をされて縄で縛られている一人の小柄な女だった。
 男は、その女の猿轡を外し縄をほどいてから、こう言った。
「宗吉さんと俺の親父たち、獄門に曝された十人の村人の墓だ……。ここがお前の死に場所だ。」
 その男はサブだった。残り九人の女たちも、それぞれ打ち首となった者の遺族であった。伝馬船のそばに残っている二人の男は漁師に変装した海賊で、彼らの服の下は武装してある。サブと共に仇を町から連れ出し、九人の女たちを守る任務が彼らに与えられていたのだが、それを無事遂行したので、今は仇討ちが終わるのを待っているのだ。
 十本の墓標の前の枯れ草の上に座っているその女を、九人の女とサブは取り囲んだまま無言で見下ろしていた。その女は、顔に付いた糸くずを払いながら、サブのことを恨めしそうに睨み付けている。こちらは、サブの前の妻トクだった。
「あなたに私が殺せると思うの? 私はあなたの妻なのよ。」
 その表情に似合わない優しいつくり声で、トクがサブにそう言ったので、サブはやや呆れたような口調でこう言った。
「おい、よくそんなことが言えるな。うちの家宝のことを刀狩の役人に告げ口し、この村の者が海賊に味方したと思わせるような嘘を城へわざわざ言いに行くようなことは、俺の妻のすることか?」
「私がそんなことをするはずがないでしょう? 何の証拠があって、そんなこと言うんです?」
 つくり声でのその問いに、サブは冷静な口調で答えた。
「お前は、俺たちが去って以来、一度もこの村に姿を見せなかったっていうじゃないか。それがその証拠だ。」
 サブのその言葉が終わらぬうちに、トクはそれを撥(は)ね付けるようにしてこう言った。
「そんなの証拠にならないわ。」
「じゃあ、なんで村に帰って来なかったんだ?」
 サブがそう問い詰めると、トクは当然のことのような口調で答えた。
「家族がいなくなってしまった以上、こんなみすぼらしい村に居る必要がないですもの。それなら町の実家で過ごした方がいいに決まってるじゃない。」
「その、『みすぼらしい』という言葉にも、立派な証拠がある。お前はこの村の者を、何かにつけて絶えず蔑んでいた。それによって全ての村人と我が子の心までも深く傷付けていた。お前は自分の家族さえ愛していなかったんだ!」
 そのサブの語気は少し荒くなってきたが、それをまるで気にしていないかのように、トクは平然として言い放った。
「みすぼらしいものを、『みすぼらしい』と言って何が悪いの? 言われて悔しいんなら、お金をもっと稼いで戦(いくさ)にも勝って偉くなればいいんじゃない。
そもそも、女が家を継ぐなんて古臭い習慣だわ。古(いにしえ)の女王だなんて言うから少しは憧れたこともあったけど、そんな時代はもうとっくに終わっているんじゃないの。」
 サブは、彼女をじろっと見おろして尋ねた。
「それなら、今はどんな時代だってんだ?」
 トクは、何を聞くんだと言いたげに言った。
「決まってるじゃない! 殿方の時代、お侍の時代なんじゃないの。その秀吉様が、ついに関白にお成りになった……。そうして、天下統一が成されるお陰で、長い戦乱の世が終わり、平和になろうとしてるんじゃない。
これからの女は、その強いお侍にすがって生きていくのが定めなのよ! 政(まつりごと)も年貢の取立ても、みんなお任せして、女が殿方にお仕えする世の中になったのよ!」
 サブは努めて冷静な口調で、それに言い返した。
「その強い殿方たちの多くは、お山の大将になるために親兄弟で殺し合い、罪もない者を陥れ、その財産を取り上げ、その命を奪うことすら何とも思っていなかった。戦乱が終わるということは良いことだが、そんな血と涙の池に浮かんだ天下泰平なんて、いんちき臭い偽物(にせもの)だ!
そんな世の中では力の強い者、ずる賢い者が正しいとされ、それによって心優しい者は傷付けられ虐げられ、どんどん隅に追い遣られていく。そんな理不尽な世の中のどこが平和なんだ!?
それに比べて、女が長(おさ)となっている家には揉め事が少ない。国でも同じことだ。昔、女王が治めていたその国には、真の平和があったと聞いている。」
 しかしトクは、その言葉を鼻先で笑った。
「ふん、そんな弱々しそうな国、今はもうどこにもないじゃない。残ったのは、ただの貧しい村、女が海に潜る村だわ。」
 ここで、サブの横に立っていた一人の女が一歩前に進み出ると、トクに向かってこう言った。
「ちょっとあんた、さっきから黙って聞いてりゃこの村の悪口ばかり言ってさ! そう言うあんたは何様なんだよ?!」
 トクと同じくらいの年齢のサキという女だ。
 トクは、善良そうなつくり声でその問いに答えた。
「私は町の者です。」
 サキはまた問うた。
「町の者なら、この村の悪口を言ってもいいってのかい!?」
「悪口ではありません。本当のことを言ったまでです。
昔、町の者の先祖は、あなたがたの先祖との戦(いくさ)に勝って、あそこに住むようになりました。あなたがたより強かったからです。
そして今、町の者は村の者より良い服を着て、良い暮らしをしています。あなたがたよりもお金があるからです。それはあなたがたもよくご存知のことでしょう? だからあなたがたは、町の者から『みすぼらしい』とか『貧しい』と言われても仕方ないんです。そういう運命なのです。」
 トクがこの言葉を、薄笑いを浮かべて言ったので、サブたちは深く傷付き感情的になり掛けたが、サキは努めて冷静になると負けずに言い返した。
「そうかい……、あんたたちの考え方だとそうなるのかい……。でも、よく考えてみな。
他人より良い家に住んで良い服着ようとすれば、それだけお金が要る。気が付けば、その金稼ぎに明け暮れただけの人生で終わっちまうんだよ。それのどこが、良い暮らしだって言うんだい?」
 トクは顔色を変えると、眉間に皺を寄せてこう言った。
「ふん、海女の分際(ぶんざい)で何を偉そうに言うんです。」
 サブは一歩足を踏み出して悲しそうに言った。
「おい、お前のその言い方が、どれだけこの村の者の心を傷付けているかわかって言ってるのか!」
 トクの声は、それまでのものとは一転して怒声となった。
寄るな! この海人(あま)!
 サブは、鼻先で笑って言った。
「ふん、ようやく本性を現わしたな……。
その海人と子を三人もつくったのは、どこのどいつだ? その三人の子が乗った船に向かって侍に火矢を射掛けさせ、村人が海賊に加勢しているなどと領主に吹聴(ふいちょう)して罪のない十人を殺させたのは、お前だ! それが今の言葉ではっきりとわかった!」
 そして彼は、押し殺したような低い声でこう言った。
……俺たちは、これより親の仇(かたき)を討つ……。
 松明を手に持っていた二人の女が、それを目の前の地面にグサッグサッと突き刺したかと思うと、九人の女たちは各自懐(ふところ)から小刀を取り出して、それぞれがその鞘(さや)を抜いた。
 小心者の村人に人殺しなどできるわけがないと、たかをくくっていたトクだったが、これは単なる脅しではなく、本気なのだということがわかった途端、更に顔色を変えると、サブに向かって怒鳴った。
お、おい! あ、仇討(あだう)ちは、お侍のすることだよ! 百姓なら何を言われようとも、おとなしくしてるもんじゃないか!
 その一方、サブは冷徹な口調で言い放った。
「今の俺たちは、もう昔のような弱い村人じゃない。侍の世話にはならず、独り立ちすることにしたんだ。自分たちのことは自分たちの頭で考え、自分たちの身は自分たちで守り、罪のない仲間の死には死をもって報(むく)いる村人にな。」
 それを聞いたトクの顔は更に青ざめ、体がガクガクと震えだした。それでもトクは必死で怒鳴った。
そ、それなら、あ、あんた、お、男のくせに女を手に掛ける気かい? こ、この卑怯者!
 サブはまた、顔色一つ変えずに言った。
「いや、やるのは女たちだ。心配するな。」
「な、何さ! このろくでなし!」
 そう言い捨てたトクは四つん這いになると、立ち並ぶ墓標のあいだをぬって逃げ出そうとしたが、すぐ女たちによって取り押さえられ、十本の新しい墓標の前に連れ戻された。その中で最も気の強いサキが小刀を口にくわえると、すかさずトクの体を仰向けにして、その腹の上に馬乗りになった。
 トクは、掠れた声で悲鳴を上げながら、必死になって手で宙を掻いた。
ヒーッ! ヒーッ!
 しかし、サキはそれに怯むことなく、口にくわえていた小刀の柄を両手に握り締めた。そして、それを自分の頭上に振り上げると、トクの左胸に狙いを定めてこう言った。
「普段から魚をさばいてて、真っ赤な血は見慣れてるんだ。漁師をなめるんじゃないよ! 覚悟しな!」
 ところが、なぜか急に抵抗をやめてしまったトクの悲鳴は、不気味な笑い声へと変わっていった。
ヒーッ!
……ヒヒヒッ ヘヘへへッ ヒャハハハッ!

「うえっ!」
 今度はサキの方が悲鳴を上げると、彼女は思わずトクの体から飛び退いた。しかし、十本横に並んだ墓標が目に入ると、再び厳しい表情になり、またトクの腹の上にまたがった。しかしトクはもう逃げようともせず、サキのことも視界に入っていない様子で、暗黒の天を仰ぎ、口を大きく開けてひたすら笑い続けている。
ギャーハッハッハッハ! ヘヘヘヘヘーッ!
 小刀を握って振り上げていたサキの手首を、そのときそっと横から押さえた者がいた。
「もういいよ、サキ。」
 静かにそう言ったその手の主は、打ち首になった者の中の一人である、村長(むらおさ)宗吉の娘リンだった。その目には涙が溢れていた。この時代、狂人は神の遣いとされていたので、それが無闇に殺されることはなかったのだ。
「これもきっと神様の仕業だよ。」
「引き上げようよ。」
 他の女たちも口々にそう言った。頭に血が上っていたサキも、それらの言葉で冷静になって立ち上がった。俯いたその目からは涙がこぼれ落ちた。
 女たちは小刀を鞘に戻して懐に収めると、風に揺れる松明の明かりに浮き出ている十本の墓標の前に、サブと共に横一列に並んだ。そして、すすり泣きしながら、殺された十人の名を唱えて言った。
「……仇の一人は神の御業(みわざ)によりて、このようなありさまになりました。」
 手を合わせた一同は、しばらくそこを動かなかった。トクは相変わらず天に向かって、不気味な笑い声を上げ続けている。
 やがて風が激しくなり雪も本降りになってきたので、一同は引き上げることにした。
 九人の女たちと共に浜に戻ったサブは、狼煙(のろし)を二発上げると、伝馬船で待っていた二人の仲間と共に船を波打ち際に戻した。そこに女たちを乗せた三人の男たちは、吹雪の海にその船を押し出すと、自分たちもそこに乗り込んで、沖に向かって漕ぎ出した。
 間もなく沖の闇の中で明かりがともり、それはこちらの松明の明かり目指して上下に揺れながら近付いて来た。一旦この湾を後にした白鷹丸が、日が沈んでから明かりを消して戻って来て、暗い湾の中に潜んでいたのだった。
 廃墟となった村の墓地から上がるトクの笑い声は、風に乗って時折りまだ聞こえて来る。真っ暗な海の上のサブは、白鷹丸がともす暖かな光を目指して、黙々と櫓を漕いだ。

 サブたち十二人の男女が戻った白鷹丸は、飛龍丸と共に仇討ちの最後の仕上げをしに出掛けた。
 村人十人を斬罪(ざんざい)に処して首を獄門に曝(さら)した領主と敵対関係にある別の領主の城が、この島の大きな湾の対岸にある。二艘がその近海に停泊すると、白鷹丸から一隻の伝馬船が再び海に降ろされた。
 その伝馬船は、その城の城下町がある浜に漕ぎ着けると、漁師に変装した三人の海賊がそこから浜に降り立った。
 彼らは乗って来た伝馬船を浜に上げて行灯に明かりを灯すと、その中の一人が布に包まれた小さな漬物樽ほどの荷物を下ろして背負い、他の二人と共に松林を抜けて城下町に入った。
 彼らは警護の侍に気付かれぬようにして、侍屋敷が密集している一角に忍び込んだ。夜も深けており、天気も荒れているせいか、警護は手薄だった。
 立ち並ぶ屋敷の中でも一際(ひときわ)大きな屋敷の門の前に着くと、荷物を背負っていた男がそれを下ろして、包んでいた布を取り去った。そして、その樽の上部にある長い紐を伸ばし、その先端に行灯の火を着けると、その紐は白い煙を上げて火花を散らしながら燃え進んでいった。男たちはそれを確認すると、すぐさま浜の方へと走り去った。
 彼らがこの町を出る際、先ほど樽を背負っていた者が懐から長い布を取り出して、それを路上に落としていった。
 彼らが浜に戻って伝馬船を海に出し、それに乗り込んだ途端、町の上に低く垂れ込めている雲の下に閃光が走り、少し間を置いてから轟音(ごうおん)が周囲に轟(とどろ)き渡った。夜が明ければ先ほど路上に落としていった布が発見され、ここの城主はその所有者に対して何らかの報復を行うことになるだろう。それは、先ほどの白鷹丸での白兵戦のときに敵が残していった、家紋の染められた幟(のぼり)だったからだ。
 奇(く)しくもこの年、越後の上杉景勝が兵を出してこの島を平定した。この地域の領主同士による紛争が絶えなかったというのが、その出兵の主な理由である。
 その際、南の村人の仇である領主は自害して果て、南の村人の先祖をかつて町から追い出した侍の子孫も、みな悉(ことごと)く上杉勢に破れて町から追い出される破目になったと聞くが、先程の三人の行為がそれを助長させたかどうかは定かではない。
 任務を全て終了した白鷹丸は、沖で明かりをともして待っていた飛龍丸と合流し、二艘の船は深夜の日本海を一路本拠地へと向かった。

 その八日後、二艘の船は関門海峡を無事通過することができた。
 瀬戸内海に入ると、それまで荒れていた海と空が嘘のように穏やかになった。追い風を受けた二艘の船は、その翌々日の朝には本拠地のある島に帰り着くことができた。
 薄日が射して花びらのような小雪が舞い踊る中、港の右側に伸びている砂浜の端には、一五軒の真新しい家が立ち並んでいた。新たに仲間になる一九五人の村人のためのものだ。彼らの村が双美ヶ島にあったときの十六軒より一軒少ないのは、一人暮らしの老婆キヌが高齢となっているので、その姪であるタネ一家と同居することになったためだ。また、たった半月余りではあったが、キヌは過去にハヤテの親代わりになってくれたこともあるので、ハヤテも同居を望んでいた。
旗 五色旗
 飛龍丸と白鷹丸はいずれも、この村の旗と勝利を示す五色の旗とを、帆柱の上に高々と掲げて入港した。
 二艘が停船すると、飛龍丸からは四名の負傷者と五名の病人が、白鷹丸からは大勢の負傷者が、まず伝馬船に乗せられて桟橋に送り届けられた。出迎えに来ていた者は、その中から自分の身内の者を見付けると、次々とその元へ駆け寄った。
 身重なのでゆっくりと歩いて来たシャガであったが、伝馬船から桟橋へ上がったハヤテの胸に布が巻かれているのを見るなり、大きな叫び声を上げた。
ハヤテ!! 怪我したの!?
 妻に近寄ったハヤテは、彼女を安心させるように微笑むと、こう言った。
「おぅ、矢が刺さりよってのぅ。だが案ずるな。傷は薬のお陰で癒(い)えてきとる。」
 ところがシャガは、目に涙を浮かべて再び叫んだ。
あぁーっ! こんなことになるんなら、あんたも行かなければよかったんだわ!!
 両手で顔を覆ったシャガが泣き崩れそうになったので、ハヤテは左の腕でしっかりと彼女の体を抱き止めると、その耳元でゆっくりと静かに語った。
「わしの怪我の程度は知れとるけん案ずるな……。
それよりシャガ、お前の見た夢は残念なことじゃが、やっぱし正夢じゃったわ。」
 それを耳にしたシャガは、息を深く吸って身を強張らせた。十人の死は覚悟していたことではあったが、それが事実であったことを知ったことによる衝撃は、また新たなものであったからだ。そのシャガの背中をハヤテは大きな手で優しく撫でながら話しを続けた。
「……『海賊に娘さらわれるのを村のもんが見て見ぬ振りした』て、トクさん城に言いに行きやったけん、そげになったげじゃ。」
 それを聞いたシャガは更に身を硬くした。ハヤテの今の言葉の中の「娘」とは、きっと自分のことなのだろう。自分が自ら進んでハヤテの元へ行くことを決意したことは、トクもよく知っているはずだ。それをそのように曲げて言ったトクの人格に対して、改めて憤りを感じたからだ。
 ハヤテは更に続けた。
「……ほいで、死んだ十人の仇を父さんら村のもん十人が討とうとしやった。」
 それを聞いたシャガの身は微かに震え始めた。
「けど、トクさん途中で気ぃ触れやったけん、それまでにしたそうじゃ……。」
 ハヤテのその言葉によって、ホッと小さな溜息を吐いたシャガの緊張がほぐれた。
『それはきっと神様の仕業に違いない。』
 夫の腕に抱かれながら、シャガはそう思った。
 今まで継母(ままはは)トクから散々心を傷付けられてきた自分だったが、彼女はやはり自分をここまで育ててくれた人であることに変わりはなく、そのトク自身こそ本当は可哀想な人だったんだということに、シャガはたった今、始めて気が付いた。トク自信が抱えていたその心の問題は、最後にそのような形となって現れたのだろうともシャガは思った。
 すると、トクが村人に対して行なってきた数々の良くない言動を許そうという気持ちになり、それによってシャガの心の動揺は徐々に治まってきた。そのことを感じたハヤテは、彼女を更に元気付けるような口調になって言った。
「ほれシャガ、よう見てみぃ。お前の故郷の村の人は、一人残らずここに連れて来れたぞ!」
 それを聞いたシャガは、自分の顔を覆っていた手の指を少しだけ広げて、少し背伸びをしてみた。すると、その隙間からハヤテの肩越しに見えたのは、桟橋の上に次々と上がって来ている、故郷の人たちの懐かしい姿であった。それで彼女の心の動揺は更に治まってきた。それを感じたハヤテは彼女からそっと離れると、他の負傷者と病人のところに行った。シャガも涙を拭いてハヤテの後に従った。
 故郷の村人の顔を見るなり、シャガは嬉しそうに言った。
「海が荒れてたそうで大変だったわね。でも、無事に着いて良かったわ!」
 そして、やや申し訳なさそうに付け加えた。
「……ごめんね、あたしも迎えに行けなくて。」
 それに対して、彼らは笑顔でこう言った。
「いいってことよ。」
「そんなお腹で荒海を渡って来られたら、かえって困っちまうよ。」
 病人のうち衰弱の激しい何人かと腰の負傷者が、戸板に乗せられて運ばれて行った。
 ハヤテはシャガの腹を見て尋ねた。
「どうじゃ?」
 シャガは嬉しそうに言った。
「うん、時々元気にあたしのお腹を蹴るのよ。きっと男の子だよ。」
 ハヤテは、左脚の負傷者に取り敢えず自分の左肩を貸した。
「ハヤテ兄ちゃーん!」
 五人の幼い弟と妹たちが、口々に叫びながら駆け寄って来た。その後から、ナミ、トヨ、リョウ、キクも駆け寄って来て、みなでハヤテを取り囲むと、矢継ぎ早に尋ねた。
「怪我したん?」
「大丈夫かえ?」
「痛くない?」
 ハヤテは微笑んで言った。
「矢が刺さったときは、どつかれたげであまり痛うなかったが、抜いてからチクチクとえらぁ痛うなった。今は痛うない。笑うと痛い。ハハハ……イタタタ!」
「もう、わざわざ笑うて見せんでもええに!」
 母のキクが嗜めるようにそう言ったが、傷が重傷ではなく彼がいつもの笑顔を見せたので、みなはホッと安心した。しかし、自分も負傷しているのにもかかわらず、ハヤテは別の負傷者に肩を貸していたので、リョウがその兄に向かって言った。
「兄ちゃん、代わらんか!」
 そしてリョウは、その負傷者に向かってこう言った。
「ハヤテの弟のリョウです。どうぞ、肩につかまって下さい。」
 リョウがその脚の負傷者に肩を貸すと、その中年の漁師は彼に礼を言った。
「一人で歩けないこともないんだが、そうして貰えると助かるよ。ありがとう……。」
「あ! 父ちゃんと婆ちゃんたちだ!」
 サブとタネ、ケンとヤスが桟橋の上をこちらに歩いて来る姿を見た子供たちは、そう叫ぶが早いか今度はそっちへ駆けて行った。キクがシャガの村の負傷者と病人に言った。
「初めまして、ハヤテの母キクです。その節は息子がえろうお世話になりました。これより歓迎の宴(うたげ)がありますが、まずはお医者様の所へ行きませんか。」
 リョウは母に向かって言った。
「わし、案内するわ。」
 そして彼は、シャガの村人たちに向かって、
「みなさん、さあ行きましょう。」
 と言うと、足の負傷者に肩を貸しながら一行を連れて、桟橋を陸の方へと歩いて行った。彼はこの村の様々な建物をあれこれ指差して一行に説明しながら、診療所へと続く坂道をゆっくりと登って行った。
 坂の途中あたりに差し掛かったところで、リョウに肩を支えられた漁師は、彼の横顔を見ながら言った。
「ハヤテはお母さん似で、リョウちゃんはお父さん似なんだなぁ。」
 リョウは驚いて言った。
「えー!? 親父(おやじ)のこと知ってなさるんですか!」
 リョウたちがこの村にやって来たのは、カヂの死後だったので、自分たち親子以外でその父のことを知る者は、そのとき一緒に来たごく少数の仲間だけだと、今までリョウは思っていたからだ。
「ああ。会ったのは、たった一度っきりだが。琵琶と歌のうまい立派な父さんだったよ。」
 カヂが既にこの世の人ではないことを、ハヤテから聞かされていたその漁師は、しんみりした口調でそう言った。しかし、亡き父のことを知っている人が現れたことに感動したリョウは、目を輝かせて言った。
「そのときのお話し、詳しう聞かせて下さいませんか。」
 その漁師は緩やかな坂を登りながら、ハヤテを連れ戻すため仲間と共に村に現れたときのカヂの様子、その夜浜で行われた宴(うたげ)の際の様子と、カヂが披露した琵琶の弾き語りの内容などを語った。それらの話しは、兄のハヤテを始め、タネやシャガからも聞かされて知ってはいたが、亡き父を慕うリョウにとっては、初めて聞くように新鮮に感じられた。
 一方、キクたちはそのまま桟橋を歩いて、今度はタネとサブ、ケン、ヤスを迎えに行った。タネたちは、既に五人の子供たちに取り囲まれていた。「お帰り」と声を掛けたキクたちに向かってタネは、自分の横に杖をついて立っている白髪の老婆を紹介した。
「キヌ叔母ちゃんだ。これから厄介になるよ。」
 ハヤテが微笑んで言った。
「あの村ではキヌ婆さまが、おかあの代わりしてくれんさったけんのぅ、わしの恩人中の恩人じゃ。」
 キクは、キヌに向かって深々と頭を下げて言った。
「キクと申します。キヌさん、息子がその節は大変お世話になりよったそうで、ほんに有難うございました。」
 ナミも丁寧な口調で言った。
「ナミと申します。兄のお世話して下さったそうで、ほんに有難うございました。」
 ナミも母と同じように頭を下げると、キヌは眉を寄せて言った。
「いやいや、もう礼はいいよ。オレも一人で淋しかったところに、孫ができたみたいで丁度良かったんだ。今度はこの年寄の方が世話になるが、まぁひとつよろしく頼むよ。
ところでウミヒコ、いや、ハヤテもナミちゃんも器量良しだが、ハヤテはあんたに似たんだねぇ。」
 キクの顔をまじまじと見てキヌがそう言うと、キクはポッと頬を染めて言った。
「またまたお上手ですのぅ。家に案内しますけん、どうぞこちらへ。」
 タネとサブがいるので、キヌの案内は彼らに任せ、これから行われる歓迎の宴の支度の続きをしに戻らねばと思っていたキクだったが、そう言われて思い直したようだった。そのキクに向かって、タネが悪戯っぽい顔をして言った。
「キクよ。キヌ叔母ちゃんは、オレに輪をかけてお茶目だから気を付けな!」
 それを聞いたその場の一同は、みな大笑いした。
 その後キクたちはキヌを家に案内し、ハヤテは診療所へと赴いた。また、シャガとトヨは自分たちの見た夢が正夢であったことを嘆きつつも、それによって無事にこちらに来ることができた故郷の村人一人一人を出迎えていた。
 一方、アカネとショウ、太助とキョウそして平次は、北の国から来た大勢の子供たちに、この村の中をあちこち案内してあげようと張り切っていた。

 港から真っ直ぐに伸びている大通りの緩い坂を登りきると、風通しの良い小さな広場に出る。この広場の周囲には、この村の公共の建物がいくつか建っており、診療所もその中の一つであった。そこに常駐している医者は、明(ミン)国出身の張耀昌(チャンヤオチャン)という名の先生だ。村の者はみな、張(チャン)先生と呼んでいた。
 病人と怪我人が港から続々と詰め掛けたので、診療所の入口前の広場には、たちまち症状が重い順に患者の行列ができ上がった。この診療所の南側に隣接している庭には、この寒い時期にもかかわらず、さまざまな種類の珍しい植物が栽培されているのが見える。きっとどれも薬草として使われるのだろう。
 明々と明かりがともされ、火鉢でよく温められた診療所の室内では、地味で古風な中国の服を着て、中国風に髷を結った大柄の張先生が、この村に来てから娶(めと)った和人の小柄な妻を助手にして、居並ぶ患者を順に診察し、てきぱきと処置を施していた。妻の名はカヨ、元漁師の娘だ。
 間もなく、飛龍丸と白鷹丸に船医として乗船していた、先生の弟子の二人がそれぞれ来て手伝ったので、その速度は更に上がった。二人とも、やはりこの村出身の和人の若者だ。
 この部屋の四方にある、窓や出入り口以外の壁には、いくつもの棚が設けられており、そこにはたくさんの小さな壷や瓶が所狭しと並んでいる。多分薬が入っているのであろう。また、巻物や分厚い書物が並んでいる一角もあった。天井はなく、剥き出しの屋根裏からは、乾燥した植物や、得体の知れない小動物の干物がいくつも紐で吊り下げられてある。
 新しい仲間たちにとっては、みな始めて目にする物ばかりだ。順番を待ちながら彼らは口々に言った。
「おい、この部屋は全部床があるよ。」
「こんな立派な診療所見たの初めてだよ。」
「この薬のいろいろあること! 北の町の祈祷師とは大違いだなぁ。」
 中国に比べて日本は湿気が多いので、薬の保存のためにはちゃんとした床を張った方がいいと、診療所の建設にあたって先生がそう進言した。そのためこの診療所は、この村では珍しく全面床張りだった。しかし張先生一家は、この建物の隣に建っている土間のある小さな家で、他の村人と同じような質素な生活をしている。
 さて、日本には古くから中国の医学や中国経由でインドの医学が入って来ていたが、僻地(へきち)では医者の数が少なく、その恩恵を被(こうむ)るのは主に金持ちや身分の高い者であった。その一方、主に庶民の病気や怪我の治療に従事していたのは、日本古来の医術を身に付けた祈祷師や呪(まじな)い師や拝み屋といった人々だ。
 彼らは薬を調合するということをあまり行なわず、胸焼けには千振(せんぶり)を、血止めにはヨモギをというように、それぞれ単独で用いることが多かった。また彼らは、薬よりもむしろ霊的な力や精神的な力を用いて治療することの方が多かった。例えば、火を焚いて祈祷したり、太鼓を叩き神楽(かぐら)を舞うことによって魔物を祓ったり、このお札(ふだ)にはご利益があると言って患者を暗示に掛け、その自己治癒力を高めたりするのである。
 この時代以降一旦廃れたこれらの療法は、現代においては心霊治療や音楽療法などと呼ばれ、その一部はむしろ見直されてきているようだ。ただ、治療の成果を科学的に証明することが困難であるため、一般の医療として法的に認可されていないのだろう。だから、このような治療法そのものは、決して間違ったものではない。
 問題は、このような医療に従事する人たちが、「これを拝めばこの病気が治る」とか、「あれを拝めばお金が儲かる」などという迷信を真(まこと)しやかに人々に吹聴し、それに対する拝観料を徴収していたことが、往々にしてあったということだ。この行為が日本の一般人の信仰を、単に人の物欲をかなえるためのご利益信仰へと堕落せしめ、彼らの医療活動に対する不信感をも生み出すという結果を招いた。そのため、この時代から後には、理論を背景とした臨床医学である中国やオランダの医学が庶民のあいだでも急速に脚光を浴びていくのである。但し、そのような医学によっても解明できないような病気は、依然として霊的な力などで治療されていたということも事実である。
 中国ではかなり古くから、天体も含めた大自然の現象と人の体の健康や運命の現象とを綿密に観察し、それらのあいだの因果関係を体系的に分析した結果、世界は「陰陽五行(いんようごぎょう)」という要素によって成り立っているという仮説を立てるに至った。それに基づいて、占いなどのさまざまな学問が発生したが、その一部はいくつかの分野の医学となり、この時代では既にかなり高度な発展をとげていた。
 また、人間の食べ物と健康には歴然とした因果関係があるという考え方、「医食同源」という発想は、古くは古代インドまでさかのぼり、その影響を受けた中国においても独自の発展をとげていた。
 それまで黙々と患者の治療をしていた張先生が、突然こっちを向くと、太く大きな声でこう言った。
中国の歴史古か。人も多か。その分、戦争も病気も多か。ばってん薬も多かとよ!
 それを聞いた患者たちは、最初自分たちが怒られたのかと思ったが、先生の顔は穏和に微笑んでいたので、この人は元来こういう大きな声の持ち主なんだということがわかった。ちなみにこの先生は、医者であると同時に中国拳法の達人でもある。
 新しい仲間たちに向かってハヤテが説明した。
「患者一人一人の体の質に合うた調合してくりゃるけん、ここの塗り薬も飲み薬もよう効くんじゃ。この先生がこの村にみえてから、病気や怪我で死ぬもんがめっきり減った。
先生のお父さんもお医者さんだそうじゃが、なんも悪いことしておられんのに、牢獄に入れられてそこで亡くなられたそうじゃ。先生も囚われそうになったが、その寸前で長崎に逃げて来られ、そこでしばらく住んでおられた。白鷹丸つくるときに先代の頭と知り合うて、わしらの趣旨に賛同して下さり、ここの仲間に入る言うて下さったげじゃ。ほんに有り難いことじゃ。」
 この診療所の特色として、もう一つ挙げられることがある。それは医師への報酬が、診察や治療に対して支払われるのではなく、主に患者の怪我や病状が回復したことに対して支払われるということだ。
 だから、例え無一文の者が病気になっても、ちゃんと診察を受けて薬を貰うことができるのだ。もし、その患者の病気が回復して村の仕事に出れば、その仕事の給金からそのときの医療費が一旦天引きされ、医師には村から基本報酬が支払われるという仕組みだ。
 医師へのその報酬の額は、怪我や病気の種類と程度の差によって事細かに決められている。しかし、薬を一匙(さじ)飲ませても百匙飲ませても、治療に一日掛けても百日掛けてもその額は変わらない。この点、現代の日本の医療制度とは著しく異なっている。
 このような制度なので、医師としては、なるべく少ない量の薬で短期間のうちに治療しようとする。その方が患者への金銭的負担も少なくて済むし、医者は手間を省けるからだ。そのため、ただの風邪なのに何種類もの大量の薬を渡され、どれが何に効くのかも説明されず、思っていたよりも高い医療費を請求されて患者が困惑するといったような問題も起こらない。
 その極端な例。
「ただの風邪とよ。大蒜(にんにく)と生姜と南蛮(唐辛子)、油で炒めて、そいで人参と大根と鶏と豆腐と葱入れた味噌汁つくって、たんと飲んですぐにぬくうして寝んしゃい。汗かいたらすぐに体拭いて着替えるよ。そい何回も繰り返す。あんたの場合、そいで風邪じきに治っとよ。」
 張先生はそう言って、その患者を手ぶらで帰してしまうのである。先生は、薬を使わなかったことを明記して医療費の請求を行なうので、その患者の仕事の報酬からは薬代の天引きは行なわれない。しかし患者が完治すれば、それに対する基本報酬が村から先生に対してちゃんと支給されるのだから、先生は損をしているわけではない。患者は特別な薬を用いずに自分の体質に合った食事療法を身に付けられるし、医者にはちゃんと収入があるし、これで目出たし目出たしということになるのである。その費用は村が負担することになるわけだが、村人の労働によって得た村の利益がこうして還元されるのだから、これは原始的な社会福祉のシステムと言ってもいいだろう。
 しかもこの村では、村人に対して仕事の皆勤賞制度があるのに加え、病人が一人も出なかった月には、張先生に対しても、「没病賞(ぼつびょうしょう)」という賞金が頭から授与されるのだ。そのためこの村では、医師と患者が連携して、病人を出さないようにするために日頃から知恵を働かすこととなるのである。患者の治癒というよりも、むしろ病気の予防というところに重点が置かれているというわけだ。
 その結果、一般の村人たちまでもが必然的に基礎的な医学の知識を身に付け、病気にならないような生活習慣を心掛けることとなる。これも、不健全な生活習慣による病気が後を絶たない日本の現状とは大きく異なっているところだ。
 さて、シャガの村人の上陸と共に、彼らの家財道具や農耕と漁に使われる様々な道具類も、飛龍丸から彼らの新居へと移された。家財道具といっても、もちろん冷蔵庫だの洗濯機だのテレビだのがあるわけではない。大きな物といえば、箪笥と機織機(はたおりき)、ぐらいだ。箪笥はともかく、この時代の木製の機織機は分解して一つにまとめれば、かなり小さくすることができる。だから、それよりもむしろ、飲み水を入れるための大きな瓶(かめ)、洗濯や行水に使う桶、そして味噌、醤油、酢などの発酵食品を仕込んだ樽(たる)や瓶などの方が幅をきかせていた。
 現代の都会の家庭では、調味料を一升とか一キロといった単位で店から買うのが普通だ。しかし、この時代の農村漁村の人々は、これら一年分を毎年自分の家で製造し、保存しておくことが当たり前だったので、それに用いる容器は、大家族の食卓を支えるだけの分量に対応する容量を必要としていた。
 また、レトルト食品や缶詰などもちろんないので、漬物や熟鮨(なれずし)などといったある程度保存がきく食品は、食べ飽きしないだけの種類も必要だった。
 だが、それらも飛龍丸から伝馬船に積み替えて彼らの新居の裏の浜に漕ぎ付け、そこから大人と子供がみなで手分けして運ぶだけだったので、時間も手間もさほど掛からなかった。農耕や漁に使う道具類も、各家庭が所有する小舟に一式積んであるので、それを海に浮かべて同じようにして運び、あとは各家々の納屋に収納するだけだ。
 荷物を運び終えた彼らは、港の横の浜に設けられた宴会場へと案内された。やがて村の者みなが出揃うと、歓迎の式典が始まった。丁度正月の祝いと時期的に重なっているため、それは盛大に行なわれることとなった。
 まず頭の喜助が、この村を代表して挨拶を述べた。
「このたびは、わしらの村に良う来てくれました。仲間が大勢増えて心強いことじゃ。商いも仕事のうちじゃが、わしらは普段は漁や野良仕事をしとるけん、あんたらも、この村にはじきに慣れることでしょう。」
 次はシャガの村の者を代表して、今は亡き宗吉の後任となった村長(むらおさ)が挨拶をした。
「俺たちを迎えに来てくれ、仲間に入れてくれて、ほんとに有難うございます。ここの仲間に入れてもらうからにゃぁ、俺は村長の役を退いて、村民一同ここの頭(かしら)を長(おさ)として仰ぎ、この村の掟に従がおうと思います。何卒よろしくお願い申し上げます。」
 挨拶が済むと、犠牲になった宗吉を始めとする十人の村人の冥福が改めて祈られた。
 次いで飲食が始まると、そのあいだ、新しい仲間が各家庭ごとに次々と紹介されていった。
 それが終わると、今度は白鷹丸船長ロクによる戦(いくさ)の報告になった。敵は昨年の惨敗に懲り、丘の上に見張りを立てて水軍も増強していたので、今回はかなり苦戦しそうになった。しかしタネの予言によって、陸と海からの敵の襲来に早めに対処することができた。また、こちらの船が二艘だったため、戦闘と村人の救出を分担して行なうことができたので、負傷者は出たが惨事に至らなかったということが冒頭で述べられると、そのタネの予知能力と、二艘で迎えに行くことにした喜助の判断に対して、みなは改めて賞賛の声を送った。
 また、町の者の家に嫁いでれば真っ当な人生を送っていただろうに……と前置きして、サブの元妻トクを発狂させるに至った、十人の仇(あだ)討ちの話しを聞いた女たちの多くは涙しながらも、「町の者が村の者と夫婦(めおと)になるのは悪いことではない」、「嫁ぎ先の家と村を蔑むことが悪い」と口々に言っていた。
 新しい仲間が土産に持って来た海産物の干物や燻製の多くは、このあたりのものと種類が違っていたので、その魚の習性や捕り方の説明になった。また、北の海では冬になると気候は厳しいが豊漁が続き、生活が潤うという話題にもなった。
 続いて、大陸や南蛮から近頃伝わった揚げ物などの料理は、新しい仲間たちがみな始めて口にする物だったので、その食べ物の説明や異国の話しなどが披露された。新しい仲間たちはみな興味深そうに、それを聞いていた。
 その後も飲食と会話が大いに弾み、この宴会はなんと三日三晩続いた。

 こうして人口が一挙に増えたこの村は、前にも増して活気が溢れた。
 もともと勤勉な彼らは、漁と農耕と商いに精を出し、しばらくは平穏な年月が過ぎていった。

<続く>
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