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文字列の部屋

高度成長期

2002.9. 田野呵々士
2009.3.3. 更新

 小学校四年生のS君が住んでいる埼玉県中南部は、江戸時代中期に大規模な農地改革が行われたことがある。
 一戸当たりの農地を細長く区切り、その端に屋敷を建て、もう一方の端に雑木林を設けることが定められ、当時はまだ目新しい作物であった甘藷(かんしょ)の栽培が奨励されたのだそうだ。その後日本各地を何度か飢饉が襲ったが、この地方の人々はそれによって飢えから救われたのだということを、S君は学校の授業で教わった。甘藷とは、今で言うサツマイモのことだ。
 その雑木林は隣同士でいくつも連なっているために広大な帯状の森を形成しており、それから三百年近く経った今日でも、それはこの地方に計り知れない恩恵をもたらしている。冬になるとこの地方を吹き荒れる季節風によって、畑の表土が持っていかれるのを防ぐという、防風林の役割を果たしているだけではなく、そこに生えている落葉樹は優れた燃料となり、その葉は良質の堆肥となるのだ。その上、そのドングリの森は、多様な生物の豊富な糧と良き住みかを提供しているため、そこに住む人間の子供たちは、カブト虫やクワガタ虫などを好きなだけ捕まえることが出来た。

 そんな森に囲まれて暮らしているS君は、ある日いつものように自宅のアパートを出ると、大好きな木の香りとは対称的な匂いを感じた。何かが不自然に腐っているようだ。
 昼でも薄暗い森の中、その強烈な匂いを辿って行った末、彼は見た。野球のボール程の大きさの立派な蕪が、木立の間にトラック一杯程の山となって放置されているのを。
 普段から、ご飯粒一つ残しただけでも「勿体ないからきれいに食べなさい!」と大人たちから厳しく言われている彼は、そのわけを親や学校の先生に問いただした。するとその答えは、
「野菜を出荷し過ぎると値段が下がって儲からなくなるから、余った物を農家が自分の林に捨ててるんだろう。」
 という淡々としたものであった。大人の感覚からすると、「その人が作った物をその人の土地に捨てるのは、その人の勝手だ」ということで、別に悪いことではないのだろうが、土地の所有という概念が無かった当時のS君には、それが理解できなかった。食べ物を粗末にすることは悪いことだと思ったし、自分の遊び場が汚されたように思えたのだ。そんな彼に対して、
「子供には難しくて解らない事だ。」
 と付け加えるその大人の顔に、あの腐った蕪が重なって見えた。

 近頃東京から同じ組に転入して来たH君と、S君は一緒に遊ぶことが多い。
 この日も二人は、森の木に空けられた蟻の巣の穴に爆竹を突っ込んで、それを破壊することに熱中していた。テレビで連載している、アメリカ製の戦争ドラマだとか、連日のようにニュースで報道されているベトナムへの爆撃の様子を見て思い付いたのだ。
 やがて二人は、捨てられた蕪が山になっている例の場所に来てしまった。
 それを見ながらS君はこう言った。
「こんなに沢山捨てて、もったいないよなぁ。」
 H君もそれを見ながら言った。
「どうせ、農家の勝手で捨てたんだろ。」
 S君は無言でその中の一つに大型の爆竹を深く突き刺すと、マッチで導火線に点火した。そして、その葉を素早くつかんで振り回し、森の梢(こずえ)高く放り上げた。すると、その蕪は空中で爆発し、丁度テレビや漫画本で手投げ弾が炸裂するのとそっくりになった。それを見た二人は、思わず目を丸くして顔を見合わせてしまった。
 さあ、それからは、生き残っていた蟻は命拾いすることとなり、その身代わりとなった蕪の破片が、その周辺に散乱することとなった。まだ腐っていない固い物ほど、炸裂したときに迫力があることもわかった。それは当然食べられるわけだが、その廃棄された物を彼らは既に食物とは見做していなかった。

 それから何ヵ月か経った、ある秋の夕暮れのこと。
 二人は、学校帰りにいつも通る畑の中の近道を自宅目指して歩いていた。見渡す限り草一本生えていない広大なその畑には、虫一匹付いていない緑の葉を無機質的に光らせた薄い橙色の人参が、まるで戦争映画の兵隊のようにきちんと整列して並んでいる。何気なくそれを見たS君は、とんでもないことに気が付いてしまった。普段から見慣れているその人参が、突然食べ物ではなく思えてしまったのだ。
「こんな人参ばっかり作ってどうすんだ!」
 S君がそう言うと、それと同じ事を感じていたらしいH君が、吐き捨てるようにこう言った。
「どうせ、また森に捨てるんだろ。」
 それを聞いた途端S君は、持っていた学校のカバンを無言で土の上に置くと、一本の人参の葉を掴んで引き抜くが早いか、すぐ近くにあった境界の目印のコンクリートの柱に、思いっきりそれを叩き付けた。人参は無残に砕けて、その周辺に飛び散った。
 二人は、あの時の蕪のようにそれに熱中した。すると、たちまちそこに橙と緑の山が出来上がった。普段大人たちから食べ物を粗末にするなと言われている彼らは、この時なぜか妙に納得のいく気分を味わっていた。
 あたりは既に武蔵野特有の赤黒い夕闇に包まれていた。荒い息をしながら手を止めて、足元の残骸を見下ろしたH君が呻くように言った。
「……農家の手間を省いてやったぜ。」

 地球のあちこちで多くの人が飢えているということを、この国の人たちは知ってはいた。しかし、余っている穀物や野菜をその国の人たちに分け与えるという発想には、ついに至らなかったようだ。特に米などは余り過ぎて、古米、古古米、古古古米と称した物が国の倉庫に高々と積み上げられていた。
 ある夕方、その映像と飢餓のために痩せ細ったアフリカの子供たちの映像が、立て続けにテレビのニュースで放映されたのをS君は見た。それは、意図してそうなったのではなく、たまたまそうなってしまったというところがまた不思議だった。
 要するに、彼の周囲の大人たちも、テレビ局の人たちも、そのようなギャップに対する問題意識を持つという感覚が麻痺していたのだろう。その当時のS君の頭では、そのように整理して考えることは出来なかったが、今でもそのテレビの映像だけは鮮明に記憶している。それは彼にとって、それほど奇妙で不可解な現象だったのだ。
 そのわけを大人たちに尋ねても、「子供には難し過ぎる」と言って、それ以上答えてくれないことは、もうわかっている。そのくせ、子供たちには「食べ物を粗末にするな」と説くのである。それからのS君の頭の中には、常にこのような疑問が渦巻くようになった。
『それが大人なの?』

 それから三十年以上経ったつい最近、好天に恵まれたため過剰生産となったキャベツを、全国で七千トン以上廃も棄処分することになったという報道をS君は耳にした。また北海道では、1000トンもの生産過剰の牛乳を廃棄処分することになったということも聞いた。
 その一方では、発展途上の国々を支援するために、日本政府がそれらの政府に資金援助しているということも、昔から何度も報道されていることだ。しかし、果たしてその札束の何割が、飢餓で苦しんでいる人たちの食料となるのだろうか。
 S君は以前スリランカを旅行で訪れた際に、現地のある人からこのようなことを言われた。
「そうか、あんた日本から来たのか。近頃日本の援助でコロンボ(この国の首都)にテレビ局が出来た。きっと日本は次にテレビを売りに来るんだろう。」
そう言いながら自分に対して向けられている、なんとなく冷ややかな眼差しを、S君は痛いほど感じていた。
 日本は戦後の貧困から急速に抜け出したのは良いが、食物が余って困るなどということは、敗戦当時は誰も予測し得なかったことだろう。しかも、それを廃棄処分するということに至っては、食物は生命であるという認識すら失なってしまっているとしか思えない。そんな経済成長とやらに大人たちが夢中になっている最中、H君とS君も人として盛んに成長している時期だった。
 そう、人として、生命として……。

 先に述べたような農地改革をあの地方で成し遂げたのは、「文明」開化より百年以上も前に生きた人たちだ。その時代には現代のような土木関係の重機や、科学技術など無かったはずだが、それは何代も後の私たちにも多大な恩恵をもたらしている。
 ところが、その恩恵にあずかっている私たちは、今のこの「文明」を、何百年も後の人たちの利益になるようにして残すことが出来るのだろうか。もし、世界的な異常気象や戦争で、日本に食料や石油が供給されなくなればどうなるのか。日本円はただの紙切れ、パソコンも自動車もただの箱、そして都会の高層ビルは廃墟と化すのが関の山だろう。
 いや、そもそも、顔も見たことのない子孫のために何かを残そうなどどいうことを考えること自体が、今の時代では馬鹿げていることなのかもしれない……。
 年々増えていく稲を植えてはならない田んぼ。青いまま刈り取られる稲。僻地の過疎化と農業人口の減少、それによって更に放棄されていく農地。山林の荒廃。それに反比例して増加する輸入農産物。多額の経費と大量の二酸化炭素を排出して焼却される残飯や生ゴミの増加。このような現象は、三十年以上の時を経て、高度経済成長がとっくに終わった今日でも、速度は緩めたものの進行することを止めてはいない。
『文明開化以前にこの地方で生きていた人たちがこれを見たら、一体どう思うんだろう?』
 ラジオの報道番組に耳を傾けながら思わずそう考えてしまう、いまだに「大人」になれていないS君であった。

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