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文字列の部屋

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2002.5. 田野呵々士

 我が家の納屋の外壁に付けてある郵便受けは手製だ。受け口は開放したままだし、郵便物を取り出すときには、上に乗せてある重たい板の蓋をわざわざ取らなければならぬという不便さ。シンプルでもその機能さえ果たしてくれればそれで良い。というのは言い訳で、実は手を抜いただけに過ぎない。その手抜きが一つの小さな事件を引き起こした。それは5月半ばのある朝のこと。
 昨夜は近所で飲み会があり、私は二日酔いの朦朧とした頭のままで郵便受けの中を覗いた。すると目に飛び込んだのは、いつもと違う鮮やかな緑色だった。それは苔のようであった。一つまみ手に取ってよく見ると檜の葉を縮小して柔らかくしたような美しく珍しい苔だ。それに付着している小さなダンゴムシが慌てて足をバタバタさせているのを見て、私は我に返り少し不機嫌になった。
 鷲掴みにしてそれを取り出す。量にして両手に山盛りほどもあったが、土が底に残っている。これでは郵便物が汚れてしまうので、掃除機で吸うしかない。昨夜のメンバーの顔が一瞬頭をよぎったが、わざわざ早起きをして丁寧に苔を摘み取り、ここまで歩いて持って来るような人が、その中にいるだろうか。

 翌朝もまた同じ物が入れられていた。悪戯にしても少々度が過ぎている。私はそれを取り出しながら今度は少し腹が立ってきた。こうなると犯人を捉まえてこの行為を止めさせなければならない。
 2時間程して郵便配達の人が来たようだったので、郵便受けを覗くと、なんとまた苔が敷かれていて、その上に郵便物があった。ところがよく見ると、来て間もない封筒の上に苔が一片乗っているではないか。謎は深まるばかりだ。
 究極の特別企画「新緑の宅配サービス」。民間参入に恐れをなした郵政省、ついに血迷ったか。などと勝手なことを思いながらまた全部取り出す。今度は片手に一掴みだし、根元に土が付いた部分だったりして、その量も質も低下していたが、一貫して殆ど同じ種類の苔しか入っていない。
 次の朝、私が郵便受けに近寄るや否や二羽の小鳥が慌ただしく受け口から飛び出して行った。雀と同じくらいの大きさで、頭が黒く背中が灰色。喉から白い腹にかけて黒いネクタイのような線があるので、この仲間のうちでは比較的識別が容易だ。それはシジュウカラだった。つがいでここに巣を作ろうとしていたのだ。これでようやく謎が解けた。
 小鳥は枯草や小枝で人の手の届かない場所に巣を作るという思い込みがあったし、苔の量が半端でなかったため、これがその仕業だとはすぐには思い付かなかった。しかし、よく考えてみれば、このように苔を一片一片むらなく敷き詰めることは、人間が悪戯半分で出来るような業ではない。

 お陰で殆ど忘れかけていた十年程前の記憶が甦ってきた。それは、道の水銀灯の鉄柱に開いている地面から七センチ程の高さの穴の中に、この鳥が巣を作っていたということだった。嫌な予感がしていたら案の定、数日後にさほど大きくもないシマヘビが現われて、私の見ている前であれよあれよという間に穴に頭を突っ込んだ。蛇に恨みはなかったので、後を振り返らずにその場を去る他なかった。
 私は急遽受け口に紙をあてがい、その上だけ画鋲で止めて覆いを作った。これなら人間にはめくれても小鳥にはめくることが出来ない。そして納屋を探し適当な大きさの木箱を見付けると、それを元にして巣箱を作り、郵便受けから少し離れた2メートルほどの高さの所に取り付けた。これなら蛇はもちろん、半ば野良化した我が家の巨大な猫でも飛び付けない。
 見慣れない箱が出現したため、小鳥は警戒してしばらくの間姿を見せなかった。ところが3日も経つと、郵便受けの紙の覆いの端が食い破られ、またもや大量の苔が敷き詰められているではないか。私は覆いの紙を分厚い物に交換したが、しばらく間をおいて見に行くと、今度は画鋲が一本抜かれていて覆いは宙ぶらりんになっていた。予想以上に頑固で、賢く力持ちであった。
 今度は画鋲ではなくビスで紙をしっかり固定した。これでも侵入するならもう好きにするがいい。この箱の口を、小鳥には入れても郵便物が入れられないように狭め、「小鳥さんのおうち」と書いた貼り紙をして、郵便受けは新しく別の場所に作ろうと覚悟を決める。
 夕方見に行くと、巣箱の中でガサガサ音がして、あの小鳥が顔を覗かせ、私を見ると「ツーチチチチ」と鳴きながら飛び立った。新しい家に移ってくれたのだ。小さな事件はこれで一段落した。

 地球に国境の線が引かれているということ、この土地が私の住まいの敷地であるということ、あの箱が郵便受けであること、そんなことは、あくまでも特定の人間同士の取り決めであり、他の生き物の知るところではない。その侵入を許すような郵便受けを作っておきながら、私は小鳥に気付かず何度も苔を取り出した。せっかく集めた巣の材料がいつの間にか消え失せたり、入り口が突然塞がれたりして、シジュウカラにとってはさぞ災難だっただろう。
 斯くして小鳥の巣と郵便受けは、我が家の納屋の外壁で共存することになった。

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