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はたけ

趣味の放任園芸[概要]

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2004.4. 田野呵々士

ここにたどり着くまで

 私が有機農法、自然農法の存在を知ったのは、17歳のときだった。当時、共同体で生活していた際に、全共闘世代の人達から伝え聞いたのだ。それは私にとって、まさに「目からウロコ」だった。
 共同体を離れ、田舎に家を借りて住んでから、畑も借りて、自分の好きなように野菜や果物を作るようになった。
 目標は自然農法だが、これを生業にすることは、なかなか容易ではない。本も読んだし、実際それを行っている知人もいるが、土作りから始まって、販路の確保まで、それこそ並みの苦労ではできないことを私は知っている。もちろん生態系に関する勉強もきちんとしなければならない。
 不精者の私にできることといえば、自分の食べる物を自分のやり方で確保していくことだけだ。確かに私のやり方は、時には土さえ耕さず、肥料も与えず自然に任せている。だが、世の有機農法、自然農法による農家のご苦労を考えると、自分のやり方を「自然農法」などとは、おこがましくて呼べない。
 そこで、「趣味の放任園芸」と呼ぶことにした。

コンセプト

 猫は、労せずして餌を確保できれば、遊びとしてのものは除いて、日常的に狩をしなくなる。それと同じように、野菜にしょっちゅう水や肥料をやっていると、根っこが上を向く。根を地中深く下ろして僅かな水や養分を吸い上げる努力をするより、定期的に上から降りてくる水や肥料を、待っている方がいいからだ。
 また、口当たりがよく「甘い」味に改良(改悪?)された野菜の品種には、虫が集中するので、農薬を用いて「予防」することが前提となっている。本来植物に備わっている、天然の虫除け成分「苦味」が欠落しているからだ。このようにして、虫や病原菌を植物自身の力ではなく、人工的に取り除き続ければ、そのうち全ての野菜がそれらに対する免疫を無くすだろう。

 そんな、軟弱な食物の創造を支援するような追肥や「予防」の手間や経費、そして自分の精神的苦痛を考えると、ガソリンを使って車を20分ほど走らせ、海へ出て晩酌のつまみにする魚を釣りに行った方がずっとましだ。だから私は、農薬や化学肥料は全く使用しないし、水遣りや追肥は極力控えるようにしている。その反面、私が土から「野菜」という形で奪い取った養分を、人糞による元肥という形で還元する労力は惜しまない。
 また、野菜や果物の種子はなるべく自分の畑で採れた物を使うようにしている。客土もしないし、土質改良、極端な品種改良も行わない。私がこの土地で毎年作物を作ること自体が、既に土質改良であり(改悪になっていないことを祈る)、この土地で育った品種を代々栽培していくこと自体が品種改良なのだ。そして、この土地で採れた物を食べている私も、当然変化していく。それ以上のものは求めない。言い方を変えれば、一方的な変化を土や野菜に対して強要しないということだ。

 「科学」という武器によって、私は今まで大いに繁栄した反面、どれだけ大地から搾取し、地球を痛めつけてきたことかわからない。この「科学」を、これからは武器としてではなく、病んだ地球と私のための「治療薬」として用いるという発想の転換が必要だ。私は科学者ではないが、時には科学によって自然の理を解釈し、冷蔵庫や自動車などの科学技術による機器を用いて生活する1人の人間として、切実にそう思う。

 以上のような「野菜の自立促進」と養分の「循環」、「私が土と作物を変える」のではなく、「私と土と作物が互いに影響し変化し合う」という発想の転換が、我が家の園芸の仕方の根幹を成している。
 たとえ野菜の収量や外見の良さを犠牲にしてでも、私はこの考え方を今後も貫き通したいと思っている。地球のため、そして私のために。

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