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はたけ

趣味の放任園芸[特徴]

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2004.05.21
2010.05.07 更新

特徴

畑のイタリアンパセリ


  1. 殺虫剤、除草剤は使わない
  2. 化学肥料は使わない
  3. 天然素材以外の支柱、紐等は使わない
  4. ビニールハウス、ビニールのマルチは使わない
  5. その土地に合わない作物は無理して作らない
  6. そこの気候に合わない作物は無理して作らない
  7. 季節に合わない作物は作らない
  8. その土地の作物を食べた人の糞(下肥)を肥料として用いる
  9. その土地で刈った草を肥料として用いる
  10. その土地で取れた作物の食用でない部分を肥料として用いる
  11. その土地で伐採した木の木灰を肥料として用いる
  12. その土地で育った作物から取れた種や苗を用いる

 以上をご覧になってお解かりになると思うが、この方法で出来る作物の種類は限定されてくるし、それを口に出来る時期も限られてくる。
 しかし、町に住み、会社勤めをしていた頃ならいざ知らず、今となっては雪が降る時期、生のトマト胡瓜を食べたいとは思わないし、真夏の鍋物の薬味に柚子を使いたいとは思わないので、問題はない。私の食に対する趣向が、この土地でのこの生活によって変化したのだ。
 たとえ、生のトマトを真冬に食べるということは出来なくても、トマトを保存してしまえば、トマトを使ったピザやパスタなどの料理は、いつでも食べることが出来る。

解説

1. 殺虫剤、除草剤は使わない

 日本の一般的な農家なら、殺虫剤除草剤の使用に疑問を持たなくて当然だ。「必要な物だけ残す」という発想は、入試に重点を置いた日本の教育制度から始まって、政府、企業などを含む一般社会ではごく当然の理論だからだ。
 殺虫剤も除草剤も、駆除する対象の種が絶滅しても構わないという前提で作られている。一定の数を駆除すれば、あとは効かなくなるというような、殺戮を制限する仕組は、何ら施されていないからだ。この「人間にとって必要でない生物は殺すという薬品を大地に撒く」という発想は、我が家の発展に果たして寄与するのか、私は大いに疑問を持つ。
 まず、現時点の私の知恵では、全ての生物に関して「必要な生物」か「必要でない生物」の判断を下すことが出来ない。例えば、一般に「害虫」と呼ばれている、アリマキという虫の全てが絶滅した場合、私を含めた生態系への影響を正確に予測できるだろうか? アリマキがいなくなると、自然界に多大な影響力を持っている蟻に、確実に何かが影響することは予測できる。その蟻の変化が私にどのような影響を及ぼすかが、全く予測できない。私にとって「益」となるか、「害」となるか、見当がつかないのだ。よって、アリマキは、「必要でない生物」だと断定することはできないのである。
 また、「この世から葬り去るという薬品を大地に撒く」ということは、特定の固体に対するものではなく、不特定多数の固体と種そのものに対して行う無神経な殺戮だ。昆虫や植物の立場からすれば、無差別爆撃と同じだ。殺された生物の中には、私たちにとって必要な生物が含まれている可能性が多分にある。
 私は野菜を食べたヨトウ虫を見つければ踏み潰すし、野菜に付いている青虫は指で摘まんで潰す。草むしりもよくする。しかし、これは特定の固体に対するものであり、不特定多数の固体や種そのものに対するものではない。だから、小松菜の横に生えている草を食べる虫まで殺したりなどしない。
 殺虫剤の使用によって野菜を虫が喰わなくなれば、たしかにそのときの収量は増える。そして私は得した気分になる。しかし、それによって乱された生態系の影響を蒙るのは、私ではなく、むしろ私の子孫なのだ。あいにく私は、自分の子供の将来を犠牲にしてまで、自分が得しようなどという、強靭な神経は持ち合わせていない。
 というわけで、「人間にとって必要でない生物は殺すという薬品を大地に撒く」という、殺虫剤と除草剤の発想は、世間では通用しても、私にとっては通用せず、我が家の発展に寄与しないと認識している。よって、我が家ではそれらは使用しない。
 薪ストーブで取れた木酢液を野菜と周辺の土に撒いたりするが、これは虫除けであり、殺虫剤ではない。
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2. 化学肥料は使わない

 化学肥料だけやり続けると、その土地は確実に痩せていく。これは私が今まで接したプロの農家の方々も口を揃えて言っておられるので、間違いないことだと思う。
「補助的に使うのならいいのでは?」
 ということになると、化学肥料を使用しなければまともに収穫できないような野菜が栽培されることになる。そのような野菜に限ってまた虫が好んで食べる。その虫を駆除するために殺虫剤が必要になってくる。
 ところが私には、化学肥料や殺虫剤を買う予算と、それらを使用する手間ひまが無い。もしあっても、そんなことに費やすなら、わざわざ車を走らせて町へ出て、農薬を使った一般の野菜を買いに行く方がましだ。よって、化学肥料は最初から使わないことにしている。
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3. 天然素材以外の支柱、紐等は使わない

 例えば、茄子の茎を支柱に括り付けておいたビニールの紐を使い終わると・・・

  1. 風化しているため再利用はできないので、支柱から除去する。
  2. 「燃えるゴミ」の袋に入れる。
  3. ゴミの集積場へ運ぶ。
  4. 焼却場に運ばれる。
  5. 輸入された化石燃料を使って焼却される。
  6. 二酸化炭素その他が排出される。

 このような工程を踏む。この「燃えるゴミ」の袋は市で指定されている有料のもの。つまり捨てるのにお金がかかるのだ。一方、藁などの天然の素材を使用すれば・・・

  1. 支柱から除去する。
  2. その辺に放っておく。
  3. 微生物やダンゴムシなどが分解する。
  4. 畑の肥料になる。

 このような工程を踏むことになる。
「ビニールの紐やプラスチックの支柱だって、要らなくなればその辺に放っておいてもいいじゃないか。」
 ということになると、そのうちその辺がビニールやプラスチックだらけになり、野菜を植える場所が無くなってくる。これらは生物が分解してくれないからだ。そのため、私は後者を選んでいる。
 但し、苗を作るためのビニール製のポットは、何回も再利用が出来るため使用している。
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4. ビニールハウス、ビニールのマルチは使わない

 この理由は2つある。1つは3.と同じ、廃棄処分の問題だ。もう1つは、野菜と自然の空気を遮断する、土と空気を遮断するということに抵抗を感じるからだ。科学的な根拠はあまり無い。そういうことって、どうでもいいことかもしれないが、重要なことだ。例えば「ビニールでできた家に住め。」と言われたら、私は断る。理論的には生きていけるはずなのだが、私は木でできた家に住みたい。
 野菜だって育ちはするけれど、あまり気持ちのいい思いをしていないのかも知れない。
「野菜の気持ちなんかどうでもいい。ちゃんと出来ればいいんだ。」
 と言う人は、真冬に生のトマト胡瓜を食べることに全く抵抗を感じない、強靭な神経の持ち主だろう。私も以前はそうだった。ところが、縁あってこのような生活をしだしてから、そうではなくなった。悲しいかな、その「どうでもいい」ようなことが気になってしまうのである。
 しかし、私は窓ガラスなどを利用して育苗箱を作ることがある。寒冷地なので、イタリアントマトなどの種を通常のままで蒔くと、実が青いまま秋を迎えることになるからだ。
 また、畝の敷き藁や敷き草は、保湿、保温、草の発生の予防のために、よく行っている。
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5. 土地に合わない作物は無理して作らない

 日本の一般的な農業では、よく売れる物を作った方が儲かる。そのため、その土地に合わなくても土質改良などして換金作物を栽培している。しかし、私がやっているのは、あくまでも趣味であるので、そこまでする必要が無い。
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6. 気候に合わない作物は無理して作らない

 日本の一般的な農業では、よく売れる物を作った方が儲かる。そのため、そこの気候に合わなくてもハウスなどを使用して換金作物を栽培している。しかし、私がやっているのは、あくまでも趣味であるので、そこまでする必要が無い。
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7. 季節に合わない作物は作らない

 今の日本の一般的な農業では、季節に合わなくてもハウスなどを使用して換金作物を栽培しなければ食べていけない。むしろ、トマト茄子胡瓜茗荷などは、家庭菜園で手に入らなくなる真冬の方が、高い値段を付けても売れるので儲かる。買う人がいるから生産者は高いコストをかけて、苦労してでも生産するのだ。買う方は汗水垂らして働いたお金を、そのような貴重品につぎ込むことに喜びを感じているのかも知れない。そういう点で日本という国はかなりユニークな国だ。
 あいにく私は野菜を食べて、一噛み一噛みでその季節を味わい、それを楽しみながら生きているので、季節外れの生野菜は必要ないから当然作らない。
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8. その土地の作物を食べた人の糞(下肥)を肥料として用いる

 江戸時代、江戸の都市生活者は人糞を処理業者に引き取ってもらっていたという。その後人糞は近郊の農家に肥料として売られ、そこで生産される作物が都市生活者の胃袋を支えていたのだそうだ。見事なリサイクルシステムである。
 日本に「文明」が入ってくると、これが崩れ始める。そして現代の都市では、人糞はお金を払って下水道に流され、処理場でお金をかけて処理されたあげく、海や川に捨てられるようになってしまった。
 そのため、現在の日本の一般の農家が農作物を生産するためには、肥料を高いお金で購入しなければならず、その分農作物も当然割高になってしまう。しかし、外国産の安い食材に対抗するためには、価格を下げなければならず、結局そのしわ寄せが日本の農家に回ってくることになる。そうすると、そのような農家の後を継いでいこうという人は減り、農業人口はますます減少していく。その結果、都市生活者は外国産の農産物にも頼らざるを得ず、海外の農家が潤う。これが日本の現状の一つの側面だ。
 あいにく私には、我が家の人糞を処理する予算が無い。しかも、肥料を買う予算も無い。また、野菜が畑の養分を吸い取り、その野菜を私が食べているので、私の糞がもし処理場に持って行かれれば、我が家の畑からやがて養分は無くなってしまうという理屈になる。
 我が家では、毎朝の味噌汁には昆布と魚の粗のだしを使い、通常の晩酌には限りなく薄く切ったチーズ一切れと、小さな鯵を2尾ほどを食べる。えこのみ焼きでは、卵を使うし、肉は縁があれば食べる(正規の値段ではとても買えない)。動物性の食物はこの程度だ。こんな人糞など大した肥料にはならないのかも知れないが、無いよりはましだろう。
 もっとも、動物性の物はもちろん、この土地以外の場所で取れた植物性の物を摂取することもあるわけで、そういった意味では人糞を肥料にするのは不自然なのかもしれない。しかし、鳥が食べた木の実が、遠く離れた場所に落ちて種が発芽するという現象や、肉食性の動物が、自分の縄張りに糞をするということは、太古から綿々と続いてきた自然現象である。
 また、比較的塩分が多い人糞を畑にやるのは問題があると思われるかもしれないが、我が家では基本的に追肥はせず、元肥しかしない(植え替えすることのないイチゴと、米のとぎ汁を渓流に流すことが出来ないので、胡瓜だけは例外)。元肥では浸透作用のため塩分は早くから拡散して希釈されるためか、肥え負けなどの問題は今のところ全く無い。
 そして当然のことだが、人糞は窒素成分が比較的多いので、豆類などの葉の徒長が危惧される作物には与えないようにしている。
 まあ、そもそも人為的に特殊化された「野菜」という植物を、人間の食料として成り立つ量にまで生育させるには、天然の養分だけでは足りないという現実がある。
 これらの理由で、我が家の畑には必要に応じて、我が家の人糞も肥料として用いられている。
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9.~11. その土地で獲れた野菜のくずを肥料として用いる

 8. と同じように、野菜も草も我が家の畑の養分を吸い取っている。それらをもし別の場所へやってしまったら、我が家の畑からやがて養分は無くなってしまうという理屈になる。そのため、極力これらを実行するようにしている。
 例えば、収穫の終わった豆の葉や茎は、なるべく元のところに埋めて元肥にするというように。
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10. その土地で育った作物から取れた種や苗を用いる

 この土地で育つことのできた作物、そして実をつけることのできた作物は、当たり前だが、この土地に向いているということだ。連作の問題は別として、代々作っていけば、そこの気候風土に合った遺伝子が残っていくという理屈になる。
 しかし、これはあくまでも理想だ。現実は厳しい。なぜなら、一般で市販されている種の多くは、一代雑種であり、子孫を残せないものが多いからだ。
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