私は小学校低学年まで静岡市に住んでいた。1960年代の終わりごろのことだ。その当時、この都市ではスーパーマーケットというものはあることはあったがまだ珍しく、食品関係の店は、米屋、魚屋、八百屋というように分業化しているのが普通だった。江戸時代以前から続いているシステムだ。
その八百屋さんの店頭に並んでいる大根には、どれにも青々とした葉が付いていたように思う。母がそれで作ってくれた漬物の味は今でも忘れられない。
その後東京に引っ越したのと、より多く換金できる物を優先させて他は切り捨てるという当時の社会的風潮のせいだろうか、小学校三年に進級するころから、その大根葉の漬物が口に入らなくなってしまった。
その後、経済の仕組みをある程度理解することができるようになると、その理由を推測することが出来るようになった。要するに、葉から水分が逃げてしまって商品価値がすぐに下がるので根菜類は、葉を切り取って販売するようになったのだろうと思う。
でも、何かがおかしい。
リンゴの葉やミカンの葉といったものは食べられない物なので、それをわざわざ本体に付けておく必要はないと思う。しかし、蕪や大根の葉は食べられる。一般には知られていないが、人参の葉だって食べられるのだ。それらを廃棄してしまう流通システムに対して、私は大いに疑問を感じているのである。
前置きが長くなったが、都会から離れて生活している今の私は、幸いにして大根の葉を得る機会に恵まれている。そこでまず思い付くのがこれだ。
かつて母が作ってくれたのは癖のない浅漬けだったが、この画像のものは乳酸菌によって発酵しているので、見た目も味もどこか野沢菜漬の本漬けにも似ている。酸味があり独特の香りにやや癖があるので、淡白な味をお好みの方は浅漬けのうちに食べてしまうことをお勧めする。しかし漬物好きの人なら、この古漬けを一度食べたら忘れられなくなるかもしれない。
だいどころ 客間