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暮らし

停電

2009.02.01
更新 2011.03.23

2009年1月26日 未明

間取り図
我が家1階の間取り図。中央の「おまえ」という部屋が、冬季には客間、居間、仕事部屋、食堂、寝室の全てを兼ねている。

 真っ暗闇の寝室。薪ストーブの火は既に燃え尽きているらしく、空気はかなり冷え込んでいる。
 喉が渇いて水が飲みたくなったのと、小便がしたくなったので、猫と共に寝ている寝床から起き上がった私は、部屋の中央に吊られている電灯のスイッチの紐を手探りで引っ張った。この先に付いているロータリースイッチは接触が良くないので、一回転しただけでは点灯しないことが多いのだが、それを何度やり直しても一向に点灯しない。
『あれ? おかしいな。』
 半分酔っ払っていて、半分寝ぼけている頭ではあったが、このような仮説を立てることが出来た。
『もしかして、電気が来てないのかも?』
 仕事場にしている小さいコタツの方を見ると、付けっ放しにしているはずのブロードバンドモデムのランプが消えていて真っ暗になっている。それは、その仮説を裏付けるための有力な証拠だった。
 私は、防災用に置いてある手回し発電式の懐中電灯を手に取ると、それで照らしながら、冷え切った古い木造家屋の中を台所に向かって進んで行った。
 そこにたどり着いた私は、土間に降りて壁のブレーカーを確認してみたが、それはどれもみな上を向いている。ということは、少なくともこの停電の原因は屋内ではなくて屋外にあるということになる。それなら、この地域では年に何度かあることだ。
 用を済ませた私は、
『どうせ、朝になったら来てるんだろう。』
 ぐらいに思い、さっさと寝床に戻って寝てしまった。

26日 朝

 目が覚めたら既に外も室内も薄明るくなっていたが、依然として電気は来ていなかった。
 寝床から出た私は、その原因として一番考えられる箇所を見てみることにした。居間兼寝室を出て玄関に降り、戸に手を掛けてみたが、それは微動だにしなかった。どうも、屋根から落ちて来た大量の雪が圧迫していて開かなくなっているようだ。
電線の危機
前日(25日)に外から写しておいた画像に文字と矢印を加えた
 仕方なく、そのガラス窓から外を覗くと、中庭の木や竹には物凄い量の雪が積もっおり、その重みで竹がしなっていて、電線と電話線にもたれ掛かっているという状況が部分的に見えた。昨年、保安協会の方から指摘されて竹をかなり切ったのだが、ここまで倒れてくるとは思ってもいなかった。線はまだ切れてはないようだが、これはかなりヤバい状態だ。
 しかし、腹が減っては戦(いくさ)は出来ぬ。私は食事の支度に取り掛かった。我が家の朝食の調理に電気を使うことはまずないので、それはいつもと全く変わらなかった。
 コタツは電気ではなく豆炭だし、ニュースや天気予報も、手回し発電式ラジオで聞くことが出来る。ノートパソコンもバッテリーで動くし、いざというときのためにダイヤルアップ接続を出来るようにしてあるので、食後のメールのチェックや事務的なことを、私は次々と済ませることが出来た。
 しかし、この停電がうちだけなのか、それとももっと広い範囲なのかが、さっぱりわからなかった。もしうちだけなら、電話をして工事の要請をしなければならない。
 10時頃、電話機を停電用の黒電話器に繋ぎ変えた私は、
「お世話になっております……」
 と、電力会社に問い合わせてみた。すると、電話に出た女性は次のように答えた。
「お客様のお住まいの地域では、確かに本日0時55分より停電が発生しております。ですが、その原因と規模については、まだよくわかっておりません。現在調査中です。」
 それがわかっただけでも良かった。それなら、こちらからわざわざ断線箇所の調査と復旧を依頼しなくても、そのうち電気が来るというのがいつものパターンだ。ところが、今回のそれはいつもとかなり違っているということが、これから少しずつわかってくるのである。

26日 昼

玄関の雪  正午過ぎ、雪が少し溶けたと思われる頃を見計らった私は、力ずくで玄関の戸をなんとか開けることが出来た。しかし、この有様だ。
 この家に住んでから、このようなことは初めてではないので、私は別に驚きはしなかったが、このままではここから出入りすることが出来ない。まあ、今日この家を訪ねて来る人はいないだろうから、雪掻きは後回しにして、私は昼食の支度を始めた。
 それも朝食同様、いつも通り済ませることが出来たのは良かったが、コタツに入って再び仕事に取り掛かって間も無く、ノートパソコンに警告の表示が現れた。バッテリーの残量が僅かしか無いというのだ。慌てて各プログラムを終了させた私は、パソコンの電源を切った。
 私は、自分が普段あまり電気に頼らない生活をしていると思っていたが、これによってそれが部分的なものでしかないということがわかった。確かに、テレビや調理器具などの家電製品に対する依存度は低いが、事務的な部分では全てパソコンに頼っているので、これが無ければ全く仕事が出来なくなる。
 この家に引っ越して来てから前にも一度、長時間の停電があったが、その時は現在ほどパソコンに依存してはいなかった。また、その季節は夏だったので、冷蔵庫の温度が上昇して中の物が腐ってしまうという恐怖はあったが、今回の気温は摂氏5度前後なので、今のところそれは全く無い。冷凍庫の中の物も2~3日は凍ったままだろう。
 ところが、前回には気が付くことの出来なかなかった問題に、私は直面した。チェーンソーと言えば、ガソリンで動くエンジン式のものが一般的だが、我が家では安全性と取り扱い易さの点から電気式を購入したので、このままでは唯一の暖房器具である薪ストーブ用の薪を作ることが出来なくなってしまう。暖房は電気式ではないのに、その燃料は電気が来ないと作れないとは何とも皮肉なことだ。
 その焦燥感によって、私の視線は再び黒電話器に移ることとなった。
「お世話になっております……」
 その問い合わせには、先程とは違う女性が出たが、その答えの内容は先程のものと殆ど変わっていなかった。
 まあいい。それなら読書でもしようかと思い、以前購入したフォトレタッチソフトのマニュアルを基礎から読んで勉強し直してみることにした。仕事場のコタツの上に置かれている、断熱材を敷いたノートパソコンの閉じられた蓋の上にその本を置いた私は、早速それを読み始めた。
 そして、時間は刻々と経過して行った。

26日 夕

 午後3時過ぎ。暗くなってきたので、マッチで蜀台の蝋燭に火を付け、それを本の後ろに作った台の上に置いて読書を続行した。
 午後4時過ぎ。家庭の主婦なら夕食の献立に思いを馳せる時間帯だ。我が家の場合は「主夫」だが。
 今夜は鶏肉と椎茸のポモドーロソースを作ろうと思っていたので、冷蔵庫の中には昨日から鶏胸肉とトマトが解凍してある。ポモドーロソースとは、イタリアのトマト料理の基礎的なソースのことで、シンプルではあるが私の大好物だ。そこに鶏肉と自家製の肉厚椎茸が加わると、なかなかゴージャスな味わいとなる。
『そうだ! 夕食の準備で出来ることを、今のうちにやっておきゃいいんだ!』
 そう思い付いて蝋燭の火を吹き消した私は、コタツから立ち上がると、薄暗い台所に赴いて野菜を切ったり、調理の際に蝋燭を乗せる台を作ったりした。
 それも済ませた午後4時30分頃、蝋燭に再び火をともしてコタツに入った私の心に、一つの迷いが生じた。
『もし今夜電気が来ないなら、そんな時にわざわざ寒い台所で調理するよりも、この部屋のストーブの上で煮物をあっためるだけにした方がいいんじゃないか? この気温じゃ、冷蔵庫の物はしばらく腐ることはないだろうし。』
 魚介類の煮汁で野菜を炊いたものが既に土鍋の中に入っているので、それを温めれば一品出来上がりだ。それで足りなければ、そこに餅を放り込めばいい。
 しかし、大好物への未練を捨て切れなかった私は、台所で調理をするならするで、まだ明るいうちから取り掛かりたかった。そこで、せめて今夜電気が来るのか来ないのかだけでも、はっきり知りたくなった。
 何度も問い合わせられる電力会社も可哀そうだと思ったので、それをホームページ上で確認するという名案を思い付いた私は、パソコンの電源を入れてインターネットに接続した。先ほども述べたように、これのバッテリーはもう残り僅かになっているが、その情報だけダウンロードするくらいなら何とかなるだろうと思ったのだ。
 ところが、電力会社のホームページをブラウザで確認してみた私は、やや唖然とした。その賑やかなトップページには、現在の停電の情報に関するリンクが見当たらないのである。何年か前に起きた地震のときの停電に関する情報へのリンクがあったので、一応そこをクリックして一通り見てみた。
『……なんだ、これじゃ現在進行している災害への対策には全然役に立たないじゃん。』
 そう思った途端、パソコンで動いていたOSが、殻の中に入るカタツムリの如く休止状態に入ってしまった。バッテリーがついに底を着いたので、自動的に電源が切れたのだ。このようにして外部との通信手段の一つを奪われてしまった私は、何だかスカを食らったような気分になった。
『離島の過疎地域だと思って、軽く見てるんじゃねーのか?』
 一瞬そうは思ったが、それは言わないことにして、また黒電話器の受話器を取った。
 今度は若い男性が出た。先程の思いがあったためか、私の問い合わせの第一声は、「お世話になっております」ではなく、自然に「あ、あのー……」になった。
 彼の答えはやはり、いつ復旧されるのかは全くわからない状況だというものだった。しかし、先程までと違っているのは、「現在作業に取り掛かっている」ということが付け加えられている点だった。それなら、少しは進展しているということだ。しかし、外はもう暗くなり掛けてきている。彼に向かって私はこう確認した。
「それでは、今夜は電気が来ないということですね?」
 すると彼は、ややムッとしたようにこう言った。
「ですから、それは現在全くわかっていない状況なんです。」
 それに対して私はこう言った。
「でも、暗くなったら作業は出来ませんよね?」
 すると彼は、やや鋭い口調でこのように言った。
「それでは、これからそれを確認して、折り返しお電話差し上げますので、失礼ですが、お客様のお名前とお電話番号をお聞かせ願えませんでしょうか?」
 言葉は丁寧だったが、まるで『どこのどいつだ?』とでも言っているような感じだ。
 私がそれに答えると、彼は続いてこう言った。
「出来れば、詳しいご住所もお伺いしたいんですが。」
『住んでる地域はさっき言っただろ? なんで詳しい住所が必要なんだよ!』
 そうは思ったが、知られて困るような物は何も無いので、私は素直に答えた。
 この電話を切ってから一分もしないうちに、電話器のベルが鳴った。
『おぉ、早いな。』
 と思って受話器を取ると、そこから聞こえて来たのは先ほどの若い声ではなくて、近所に住んでおられる男性の聞き慣れた声だった。彼の家は今年、自治会の広報係りを担当している。
 それによると、電気は今夜は来ないということであった。市か電力からか、自治会にそのような通達が行ったようだ。これで、私が一番知りたかった情報が得られたわけだ。
 その電話を切って5分くらいしてから再びベルが鳴った。今度こそ電力会社の名を名乗ったが、やはり先程の声ではなく、それより明らかに年配と思われる太く小さな声だった。このとき丁度、この家の裏の屋根から大量の雪が滑り落ち、その内容が聞き取れなかったので、私は普通の口調でこう言った。
「あのー、電話遠いんですけど。」
 すると、その人はこのように言った。
「いやー、遠いんではなくて……」
 その人は言葉を続けたが、その音量はあまり大きくならなかった。
「……今回お客様には、多大なご迷惑をお掛けしておりまして、誠に申し訳ございません。調べましたところですね、やはり今のところ回復に付いては全くわからない状況なのでして……」
 そしてその人は、それをやや詳しく説明した。それによると、被害はこの島南部の広い範囲に渡っており、本州側でも出ているとのこと。復旧作業のために新潟からも応援に駆け付けているのだが、「言い訳するようですようですが……」と前置きしてから、この島の道路の除雪状態が良くないということも挙げておられた。そのことは良く理解できるし、最後にまた本当に申し訳なさそうに謝られたので、そこまでされると却ってこっちの方が申し訳なくなる。
 私は、『謝るのはもういいよ』という口調でこう言った。
「わかりました。わかりました。それなら、その間なんとかしますから。お返事どうもありがとうございました。……はい、どうもー。」
 急いで電話を切ってから私は思った。
『さっきの若い人、きっと俺が怒ってると思って、上司に返答を代わってもらったんだな。』
 そんな面倒なことをするのなら、ホームページに停電情報コーナーを設けて、そこに一言「現在停電している〇〇地域の今夜の回復は見込めません。」とでも書いておけばいいのに。
 電気が来ないことに腹を立てても、それによって復旧が早まることなどないことくらい、馬鹿なこの私でも解っている。但し、来ないなら来ないなりの対処をしなければならないので、それをある程度はっきりさせておかねばならない。だから、復旧のめどが立たないなら「わからない」ではなくて、素直に「復旧のめどが立たない」とか、「回復の見込みがない」と答えてくれた方が有難いのだが……。

26日 夜

 よっしゃ! そうと決まれば、もう飲むしかない!
 ちゃんとした調理を諦めた私は、柚子スライス入りの焼酎のお湯割りを作ると、ストーブの上で温めた煮物を摘みながら、仕事場のコタツに入って早速飲み始めた。目の前では、暖かい色の蝋燭の炎がゆらゆらしている。
蝋燭の炎  いつもなら、料理を作ったりしながら飲むのだが、この状況では他にすることがないので、飲むペースはいつもより速かった。
 7時前のローカルニュースの時間になってラジオを付けると、期待通りごく簡単ではあったが、今回の停電のことを男性のアナウンサーが報じた。
「~~電力からの情報によりますと、現在〇〇市と△△市の一部の地域で、約670戸が停電になっており、復旧のめどは立っていないということです。」
 前回の長時間の停電のときには、このようなラジオの報道はもちろん、自治会からの連絡も無く、確か24時間余りで復旧したと思った。
『この報道のされ方だと、こりゃちぃと長引きそうだな。
でもストーブの薪、昨日少し作っといて良かったな。明日一日分くらいなら、なんとかなりそうだから。』
 先ほどの、しらふの時の焦りはどこへやら。「アルコールが入ると人間気が大きくなる」というのは本当だ。
 いつもなら、この後FM放送で音楽番組を聞くこともあるのだが、今夜は必要な情報を得たら、早々とラジオのスイッチを切った。
 すると、私はあることに気が付いた。
『静かだ……。』
 このような静寂感を味わうのは、本当に久し振りのような気がする。いつもなら、電気による何らかの音がどこかで絶えずしているからだ。
 ラジオの声と音楽そして雑音。時折回転するノートパソコンのファンの音。台所の冷蔵庫が思い出したように立てる、低く大きな唸り声。そして、微かだが絶え間なくしている汲み取り式便槽のファンの音。
 しかし今聞こえるのは、雪を被った木々を通り抜けて来た風が、古い木製のガラス窓を時折り小さく揺するガタンという音と、膝の上の猫の微かな寝息だけだ。私は、再びしみじみと思った。
『あぁ……静かだ……。』
 やがて、煮物に飽きた私は、別の蝋燭に火を移すと、それを持って台所へ行き、ニンニクと玉葱のスライス、チーズ、胡椒、一味唐辛子を和えた簡単なサラダを作って戻って来た。そして、それを摘みながら更に飲んだ。
 しかし、この蝋燭の炎というものは見ていて飽きないものだ。
『以前インドやネパールで、このような炎を囲み、様々な国の様々な人々と語り合ったこともあったっけ。』
 そのような時の記憶が蘇えって来たり、それが別のことを想い起こさせて、記憶のあちこちに飛んでみたりして、私は時空を超えた深い世界に入って行った。

26~27日 深夜

蝋燭の炎  ハッとして目を開けると、そこには依然として炎があったが、その光でぼんやりと見えている柱時計の針は、12時半前を指している。どうやらコタツに入って座ったまま、うたた寝をしている間に日が変わったようだ。しかし、その前どのくらいの時間飲んでいたのかは、さっぱり覚えていなかった。確かなのは、かなり酔っているということだけだ。
 これを後から思い出した私は、身の凍る思いがした。
『もし、眠っている間にこの蝋燭が倒れたなら……。』
 その周囲にはメモ用紙や封筒などの引火し易い物が散乱していたので、あっという間に火の海になっていただろうから……。
 このとき猫は、そんな私に身を寄せて、腹ばいになっていた。私が目を覚ますまでは、きっと彼女も寝ていたのだろう。ここで、この猫について少しご説明しておく。
 一軒家で飼われている猫といえば、普通は家の内と外を自由に行き来することが出来るようになっていると思うが、我が家では私が一々窓を開け閉めして、寝室兼居間の一室だけに出し入れしてやっている。それは、この家の内外の環境が特殊だからだ。
 まず、台所には粘着式のネズミ取りが仕掛けてあって、以前これの兄弟猫が掛かって大騒動になったことがあった。
 また、以前飼っていた別の猫は、その土間の土をトイレにして、それが癖になってしまったこともあった。台所に糞尿の臭いが染み付いては困る。
 そして、現在メス1匹しかいない我が家に猫用の出入り口を作ると、そこから野良猫が侵入して来て家の中を荒らす可能性が極めて高い。
 その結果この猫は、家に入りたい時は外から私を呼び、外に出たい時はやはり声で知らせるということになっているのである。
 この部屋のストーブの近くには布の掛かっていないコタツが一つ、ちゃぶ台の代用として置いてあるのだが、蝋燭のほのかな明かりで照らされているその上には、土鍋の中に入れて食べようと思っていた餅が2個、手付かずのままで置いてあった。
『そうか、酔っ払ってしまって、結局食べなかったんだな。でも、もういい。早くちゃんと横になって眠りたい。』
 私は蝋燭を持って台所へ行くと、水を飲んでから勝手口を開け、そこから小便をして「おまえ」に戻った。そして仕事場のコタツの上に蝋燭を戻すと、いつものように寝床を広げ、蝋燭の火を吹き消して布団の中に入った。

27日 未明

 喉が渇いて起きた私は、真っ暗闇の中、手探りで懐中電灯を手に取ると、その明かりを頼りに台所まで行き、再び冷水をがぶ飲みして、いつものように土間の勝手口から外に向かって小便をした。いつもなら、これですっきりするのだが、これを境になんだか体の調子が変になってきた。
 寝床に戻って布団に入った途端、心臓の鼓動がやけに大きく聞こえて呼吸が浅くなった。それに何だか寝苦しく、汗が出て来た。こんなことは初めてだ。体が確実におかしくなっている。しかし、どこがどうおかしいのかがよくわからない。
 体の上に乗っている掛け布団が邪魔なので払い除けるが、このまま眠ってしまうと上半身が冷え切ってしまうと思い、厭々ながらそれを元に戻す。楽な姿勢になるように寝返りを打ってみる。そんなことを何度も繰り返したので、同じ布団に入っていた猫には申し訳なかったが、彼女はそれをあまり気にしていないか耐えているかのどちらかのようで、そこから逃げ出すようなことはなかった。
 不安のために眠れなくなった私は、目を閉じたままであれこれと思い当たる節を探した。
 まず最初に疑ったのが、さっき飲んだ水の中に、何か変なものが混入したのではないかということだった。しかしその味は、特別変わったようには感じられなかったのだが。
 以前、自家製のじゃが芋を皮ごと加熱して食べたら、このような呼吸困難になったことを思い出した。しかし、その時の症状とは少し違っている。
 いや、これにもう少し近いことが以前あったことを思い出した。それは、まともなものをろくに食べず、アルコール飲料だけたっぷり飲んで寝た翌日のことだった。体が痙攣してまともに立てなくなっていたのだ。どうやら、それのようだ。昨夜飲み過ぎたのと、最後に餅を食べていなかったのが悪かったのだろう。

27日 朝

 やがて、縁側の障子が明るくなってくると、布団の中の猫がソワソワし始め、いつものように朝がやって来た。しかしこの家の中は、いつものようにはならなかった。
「(早く起きる)ニャー。」
 猫から可愛らしい声でそう言われるたびに、寝床から起き上がろうとするのだが、それが全く出来ないのである。こんなの初めてだ。真冬でも、いつもなら遅くとも8時前には起きて食事の支度を始めるのだが、私は意識を朦朧とさせたままで、それから30分また30分と時間が過ぎて行った。
 そうしながらも、私は自分のこの症状にピッタリ当てはまる言葉を捜していた。
『……動悸?
……息切れ?
…………目眩?
……そうだ、これは貧血に近い症状だ…………』
 ある程度納得したが、
『……もしかすると、このまま死んでしまうのかも……』
 私の脳裏を、そんな思いがよぎった。それなら何が何でも猫だけは外に出してやらなければならない。近所の家から毎日餌を貰っているようなので、例え私がやらなくなっても生き延びられるはずだから……。
 いつものように私が反応してくれないので、次第に苛立ってきた猫の声が大きくなり、そこには悲壮感もこもってきた。
 しかし、私の体はいうことをきかない。どうも、腕や脚の筋肉が麻痺しているようだ。
 猫が鳴くたびに、かすれた声で「……ちょっと、待って……」と返事はしたが、私は布団の中でもがくしかなかった。声もまともに出なくなっている。このままだと、どんどんと衰弱していって、やがて完全に動かなくなくなってしまうのだろう。
『何とかしなくては。こんな私のために猫を餓死させては、余りにも可哀そうだ……』
 そう思って奮起しようとするのだが、依然として起きられない。
 しかし人間、やれば出来るものだ。
『俺はどうなってもいい! 猫を外に出さなけりゃ!』
 そう決意を固めた私は、渾身の力とありったけの気力を込めて頭と尻と踵を使い、仰向けのまま布団から出ると、そのままひっくり返った芋虫のようにして畳の上を進んで行き、なんとか障子を開けて隣の部屋に出ることが出来た。そして、そこに設けられている出入り口に腰掛け、震える手で縁側の窓をほんの僅かだけ開けてやって猫を脱出させることに成功した。窓を閉めた私は、来た時と同じようにして仰向けのまま布団の中に戻ると、そのまま泥のように熟睡した。

27日 午後

 目を開けると、見慣れた古風な天井板が映った。
 それによって私は、自分がまだ生きていることを知った。
 顎を上に向けて頭を仰け反らせると、今度は柱の時計が上下逆さまで目に映った。その針は12時半過ぎを指している。
 口の中はカラカラに乾燥していた。きっと、口を開けっ放しで眠っていたのだろう。しかし、それは今回に限ったことではないので、何か変だ。しかし、目眩は幾分回復しているように思えたので、私は試しに布団から起き上がってみた。
『おぉー! 起きれた!』
 とても嬉しかった。軽い目眩は残っていたが、なんとか布団の上に立ち上がることが出来たからだ。しかし体は冷え切っているし、全身の筋肉はまだヘロヘロ状態で、思うように力が入らない。
 コタツの傍に置かれている、1.8リットル入り25度の焼酎のパックを試しに手で持ってみた。これは昨夜の飲み始めに開封したので、半分以上無くなっていることがわかった。ということは、いつもの倍の量を飲んでいたことになる。それなら体調を崩して当たり前だ。
 柱に掛かっている寒暖計を見ると、摂氏5度を示していた。それなら慌ててストーブを焚く必要はない。震える手で縁側の障子を開けると、ガラス窓越しに外の景色が見えた。雪の量は相変わらずだったが、そこには陽が射している。
 とにかく腹に何か入れなければならないと思った私は、玄関へと続く戸を開けて台所に入った。そこで私は、清水が入っている薬缶を手にした。この山間地の簡易水道の水の味は、塩素臭がしなければ最高なので、いつも前の日から薬缶に入れておき、塩素をある程度飛ばしたものを飲んでいる。
 待望の水を口に含んだ私は、激しい違和感を覚えた。水が接触するたびに、舌の奥がヒリヒリと激しく痛むのである。こんなの初めてだ。
『もしかすると、唾液が乾燥してしまっていて殺菌効果を失い、雑菌が繁殖してしまったのかも知れないな……。』
 何となくそんな感じがした。
 薬缶を元の場所に置いた私は、震える手で七輪の中に着火材と燃料を仕込むと、マッチで着火材に火を付け、その上に小さな鍋を掛けた。この中には、カレーが入っていた鍋を濯いだ汁が入っている。それを捨ててしまうのは勿体無いということもあるし、そのような油と塩分と多量の有機物を含んだものは、この下の渓流に住む生き物にとってあまり良い影響を及ぼさないので、下水に流さないようにしているということもある。
 それが沸騰したら干蕎麦を入れて茹でこぼさずに煮込むと、汁にややとろみが付いて、ややそれっぽいカレー蕎麦になるのだ。いつもは入れないのだが、このような状況なのでビタミンCを多く含んでいる白菜をそこに加え、体力を付けるために生卵も入れた。
 それが出来上がったので居間兼寝室に運び、冷え切ったストーブの傍の布の掛かっていないコタツの上にそれを置いた私は、その前に胡坐をかいて座り、それをフーフーしながら食べた。先ほど水を飲んだ時と同じようにして口の中がヒリヒリと痛んだが、その暖かい汁は、私の冷え切った体に染み渡って行くようだった。
 食べたらまた少し元気が出て来た。外で待っていた猫に餌をやり、デジカメで家の外の表と裏の様子を写すという心の余裕も出て来た。

母屋の表母屋の裏
母屋の表母屋の裏

 しかし、冷え切っていた私の体の全てが、まだ温まっているわけではなかった。私は、それを外仕事によって温めることにした。
 まだヘロヘロの体に鞭打って仕事着に着替えると、私は台所の土間で長靴を履き、メインのブレーカーを落とした。もし不在中に電気が来ると、スイッチを入れたままの電灯や機器が作動するわけで、無駄な電力を消費することになる。しかも、それがアイロンのような電熱系の機器の場合だと、勝手に加熱されて大変危険なことになる。簡単なことではあるが、これは停電時に外出する際の基本中の基本だ。
 台所の勝手口の前は比較的雪が少ないので、私はそこを開けて外に出た。しかし母屋の前を通った際には、吹き溜まりにはまって腰まで沈んだ。
 さあ、まずは電線に掛かっている竹だ。これを根元から切ると、全荷重が電線に掛かってしまうことになるので、先の方からなるべく太い方に背伸びして切る。これはバネが縮んだような状態になっており、切れた拍子に勢い良く跳ね上がるので注意しなければならない。
 次が、道路に覆い被さっている10本ほどの竹だ。これがあると除雪車はそこから先を掻いてくれないので、これは根元付近から切って、道路脇の山の中に捨てなければならない。
 そして、母屋の玄関から人が出入り出来るようにしなければならない。地面まで掘り起こすことは、かなりの労力が要るので、衰弱している今は出来ないが、せめて雪の上を人が歩けるような道だけでも作っておこうと、私はスコップで雪を掘り、そこを踏み固めた。
 そのようにして竹や雪と格闘しているうちに全身が温まって来たが、喉の痛みだけはどうしても取れなかった。どうやら風邪を引いてしまったようだ。

27日 夕

 外仕事から帰って来た私は、台所のブレーカーを上げて電気がまだ来ていないことを確認すると、居間で着替えて濡れた作業着をストーブの横に吊るした。コタツに入ってようやくホッと一息吐いた私は、昨夜から朝のことを走馬灯のように思い出した。
『ふー、死ぬかと思ったぜ……。』
 落ち着いて頭の中を整理することが出来ると、ここでまた新たな疑問が浮上して来た。人間という生き物は、このような邪念を取り払えるようになった時、初めて悟りを開けるのだろうが、この時の私にとって、それは遥か遠い先のことのようだった。
『うちは中庭があの通りの状態なんで断線してるけど、他所ではもう来てるんじゃねーのか!?』
 しかし、電力会社に問い合わせるのはもう厭だったので、昨日の夕方連絡を下さった近所のお宅に電話してみることにした。それには奥さんが出られた。私の母親と同じくらいの年齢の方だ。
「はい、〇〇〇です。」
「もしもし田野です。
あ、どうも。どうです? 電気来ましたか?」
「うん、さっき〇〇〇〇通ったら工事しとったよ。」
 〇〇〇〇という地名はこの近くなので、希望の光が見えてきた。私は確認した。
「お宅には、まだ来てないんですね?」
「うん。」
 私はこう言った。
「いやー、ヤボだなー。早う来て欲しいもんだ。」
 ヤボというのは、「大変」というような意味の方言だ。彼女はそれに同意した。
「ほんと、そうだな。」
 電話を切った私は、しばらくコタツで温まりながら、ついにあることを決意した。
 それは、昨夜作るのを断念した料理を、まだ明るいうちに作ってしまおうということであった。風邪気味になって疲れてはいるが、まだ熱が出る段階ではなく倦怠感は無いので、今ならそのパワーがある。しかも、こういう時にこそ、栄養価が高く旨い物を食って抵抗力を付けなければならない。
 台所へ赴いた私は、早速その製作に取り掛かった。
 それから約1時間後、私の大好物の料理が完成した。
 停電ということもあるし、一旦は死を覚悟してから立ち直ったということもある。こういう時にはせめて、普段は出来ないスペシャルイベントで自分の心を慰めたいものだ。私は、秘蔵していた350mlの缶ビール1本を台所から持って来ると、それを蝋燭がともっているコタツの上に置いた。経済的な理由から、普段は発泡酒とか第三のビールしか飲めないのだから。
 そして、茹で立てのスパゲッティ-を丼に盛り、その上に熱々の鶏と椎茸のポモドーロソースを掛けたものも持って来ると、それをビールの近くに置いた。お客さんがいればともかく、自分独りの時には、たとえ洋風料理であっても、私はそれを丼や箸で日本風に食べている。
 缶を開けて、その中の黄金色の液体を愛用の大きな湯呑みに注ぐ。静寂の中、ビールの泡が弾けるシュワーッという音が鮮明に聞こえる。膝のコタツ掛けの上では、猫が丸くなって小さな寝息を立てている。私にとっての、ささやかな至福の一時だ。
 湯呑みを手に取り、期待に胸を弾ませながら、その中の液体を一口喉に流し込んだ途端、私のその期待は裏切られた。炭酸の泡が喉と食道をチクチクと刺激し、ビールが入った途端今度は胃が驚いて、それを逆流させたのである。それを無理に飲み込んだ私はこう思った。
『そうか、こういう状態の時に炭酸飲料を飲むと、こうなるんだな。……勉強になりました。』
 しかしこの問題は、ビールをいつものようにゴクゴクと喉では飲まずに、静かに流し込むことによって回避することが出来た。料理の出来栄えも我ながら上々だった。
 大好物の料理を味わって食べる滋養の効果は覿面(てきめん)だ。これによって、私の体調は昼食のとき以上に回復していった。
 しばらく飲み食いしてビールを飲み終えた頃、傍らに置いてあった電話機のベルが鳴った。私は箸を置くと、その受話器を取った。
「はい、田野です。」
「もしもし、〇〇〇です。」
 それは先ほどの奥さんだったので、私は即座にこう言った。
「あ、どうも。お世話様です。」
 彼女は意外と明るい声でこう言った。
「今夜も、電気くらせんちゅうわ。電線の上に木が倒れとって、あちこちで切れとるそうだし。
今、工事やっとるとこだっちゅうけぇものぅ、〇〇さんとこの古い田んぼのあたりが一番ヤボだっちゅうわ。」
 要するに、今夜も電気は来ないということだ。私はやや残念そうに言った。
「そうですかー。」
 彼女はこう言った。
「だもんし、『もうちと辛抱しとくれ』言うとったわ。」
 今度は明るい口調で私はこう言った。
「はい! 蝋燭ともして頑張ります!」
 彼女はそれが可笑しかったかして、私の期待通り電話の向こうでケラケラと笑った。私も同じように笑ってからこう言った。
「ご連絡、どうもありがとうございました。」
 この電話を切ってから30分ほどして、再び電話のベルが鳴った。受話器を取ると、今度は私より年配と思われる聞き覚えの無い男性の声がこう言った。
「もしもし、田野さんのお宅ですか?」
 それは、市の社会福祉協議会からで、食料や暖房など足りているか、調理などに不自由はないかとのことであった。それに対して私は、食料は足りているし、調理は蝋燭をともせば何とかなるので大丈夫だ。しかし、うちのチェーンソーは電気式で、暖房は薪ストーブなので、このまま電気が来ないと、暖房に支障が出て来ると言った。するとその方は、要請があれば石油ストーブを支給するので、その時は連絡して下さいと申し出て下さった。それはありがたいことだし、いよいよ災害が本格化してきたということも感じた。
 この方に尋ねみたところ、この島の南部山間地域の広範囲に渡って、各所で電線が切断されており、340世帯が停電したのだそうだ。18時現在では、S集落(この島の中でも冗談で「秘境」などと言われている)と、我が家のある集落のみがまだ残っているともおっしゃっていた。山奥ほど雪も深く、その分作業が難航するのであろう。

27日 夜

 暗闇の中、コタツの上に置かれた蝋燭のほのかな明かりを前にしながら、焼酎のお湯割りをチビチビと飲んでいた18時過ぎ。この家の前で人の声がした。
『おや? 今時分誰だろう?』
 聞き耳を立てると、それは地元の人が歩くのに難儀している時に漏らす声であった。先ほども述べたように、家の前には簡単な雪道しか作っていなかったので、その人には申し訳ないことをしたと思いながら、私は蜀台を手に持って立ち上がった。すると、縁側の障子越しに懐中電灯の光が見えた。
 私が玄関へと向かっている途中で、外から聞き慣れた声がした。
「ごめんください。」
 玄関の戸を開けると、私が持っている蝋燭の光によって、この件で先ほどから電話の遣り取りをしている〇〇〇さんの奥さんの白い顔が照らされた。小高い雪の道に立っておられる彼女は、私に向かって身を屈めつつ、嬉しそうに微笑んでこうおっしゃった。
「電気、じきに来るっちゅうぞ。今は工事で止めとるけぇも、それ済んだらのぅ。」
 私はこう言った。
「おぉ、そら良かった!」
 彼女は腕にさげていた袋の中から、小脇に抱えられるほどの小さな箱を取り出すと、それを私の方に差し出しながらこう言った。
「電力がデンチくれるってさ。」
 デンチとは、懐中電灯のことだ。私は喜んで言った。
「おぉ! そらありがてぇ。」
 それを受け取りながら、私はこう言った。
「さっき社共の人が、『大丈夫か?』って電話くれたとこです。」
 すると、彼女は笑ってこう言った。
「ハハハ! それにゃぁオラ、こう答えたさ。『みんな、お粥とか餅食べて待っとるから大丈夫だよ』って。電気釜使えんすけんのぅ。」
 この地域独特の、その皮肉を込めたユーモアを私も笑ってこう言った。
「ハハハ! そりゃ正解だ!」
 我が家では1週間分のご飯をまとめて炊くし、電気釜は元から無いので、電気が来ていても朝食は、おじやとか雑炊にすることが多い。それが当たり前に思っていたのだが、世間では電気釜で普通のご飯をその日の分だけ炊くのが当たり前なのだということに気が付いた。そして、最後にやや申し訳なさそうにこう言った。
「どうもありがとうございました。雪ヤボで済みませんでしたなぁ、お世話様でした。」
 彼女が引き上げたので、コタツに戻った私は、蝋燭の炎を見詰めながらこう思った。
『自分は世間の風潮とは逆行して、昔風の暮らしに近付こうとしてきたけど、近頃のお年寄りは意外にも、便利な家電製品に囲まれた暮らしをしてるんだな。特にこの集落は、お年寄りだけの世帯が多いから、電気が来なけりゃ我が家どころの不便さでは済まないんだ……。』
 それから約30分後の18時53分、家の中が急に明るくなり、暮らしはまた日常のものに復帰することとなった。
 約42時間に渡る、大雪の中の大停電であった。

喉の痛み

 私の場合、風邪はまず喉の痛みから始まる。普通ならその炎症は、その後2~3日中に鼻に拡大し、気管支にまで勢力を伸ばすこともある。それには、痰と鼻水、頭痛と発熱、そして重い倦怠感が伴う。
 ところが今回の酔っ払い事件による喉の痛みは、なんと胃の方に拡大した。これも初めてのことであった。喉と同じような炎症による胃上部の痛みが、28日から30日に掛けて続き、31日には収まった。
 喉の痛みの方は、それよりも長く続いたが、30日に缶ビールを飲んで見たところ、喉は痛くとも、もう27日のようにチクチクすることはなかった。そして、2月の2日になると、痛みは殆ど無くなっていた。その間には、痰から始まる先に述べたような症状は、殆ど見られなかった。
 このような症状の出方と収まり方は、私にとって初めてのことであった。そのため、
『果たしてこれは風邪だったんだろうか?』
 という、この停電で残された最後の謎となった。

―― 終わり ――

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