学名:Rhinolophus ferrumequinum、コウモリ目(翼手目)キクガシラコウモリ科キクガシラコウモリ属。
2000(平成12)年9月、まだこの家に入居する前の工事をしていた頃のこと。
「南10畳」に置いてあったミシンの上に、見慣れぬ動物の糞が数個散乱していることに気付いた。それは、直径約1mm長さ約5~6mmの円筒形をしており、ネズミのものとも、トカゲのものとも、ヘビのものとも違っている。やや粘性があって赤褐色をしているその糞の匂いを嗅いでみたところ、明らかに動物性の物だけを食べている獣のものだと思われた。
それは日ごとに数を増したが、その真上の天井を見ても、そのような物が落ちてくる穴は開いていない。試しに「居間」と「仏間」の間の襖を閉めて様子を見たところ、その堆積はピタッと止まった。
そのミシンの高さが90センチほどあることから、それが地を這う動物のものではなく、宙を舞う動物のものだと確信した私は、「囲炉裏部屋」に入って、天井が無いその高い屋根裏を見上げてみた。すると、その南側の土壁がなんと崩れていて、そこには天井裏へと通じる大きな穴が開いていたではないか!
それによって、あの糞の主は普段この中に住んでいて、その下の部屋に入って来ては糞をしていたのだということを私は確信した。そして、それ以前にしていた糞の山が、天井裏にあるのではないかという恐怖が脳裏をよぎった。その後「西二階」から天井裏へ入れるルートを発見し、そこを探検してみたところ、恐れていたその山が無かったので安心したが。
この時期の我が家には、まだパソコンもインターネット接続も無かったので、コウモリについて百科事典で調べてみると、冬眠するものもあると書かれている。なるほど、少なくとも我が家がある地域では、この動物の餌となる空中を飛んでいる虫の大部分が、冬には卵か幼虫の状態で地上か地下にいるはずだ。そこで私は、冬眠中のこの動物を起こさないよう、「囲炉裏部屋」と「居間」を閉め切り、家の中で煙は出さないようにした。
その年が明け、4月になってこの家に入居した。それからしばらくは、コウモリのことなど全く忘れていたのだが、梅雨のある日、当時はまだ離婚もせず同居もしていた妻が、開かずの間の襖を開けるなり叫んだ。
「わーーっ! カビだらけになってるーーっ!」
それによって私の目に映ったのは、閉め切っていた「囲炉裏部屋」と「居間」の、床、柱、梁、天井といった木材の全てが、白いカビで覆われているという、おぞましい光景であった。いずれはここも居住空間にしようと思っていたので、これはなんとかしなければならない。それからは、家全体に風を通すようにして、薪で焚く風呂の煙もそこを通すようにした。それには、抗菌と防虫の成分が含まれているからだ。
そんなある日、風呂を焚いていたら、一匹の大きなコウモリが屋内から飛び出した。上の画像は、そのとき井戸小屋の天井に逃げ込んだところ。その周囲の茶色の物はハチの巣の跡だ。飛んでいるときの両方の翼を広げた長さは、30cmくらいはあっただろうか。多分、和名でキクガシラコウモリ、学名で Rhinolophus ferrumequinum という種類だと思う。これがきっと、あの糞の主だったのだろう。
夕方から夜間にかけて飛び回り、蛾などの虫を捕ってくれる有り難い生き物なのだが、この風呂を焚くときの煙が嫌いなようなので、その後どこかへ去ったと私は思い込んでいた。
ところが、その後も毎年夏になると、思い出したように人間の居住空間にやって来るのだ。右の画像は、それから3年後に写したもの。風通しのために襖を開けておいたら、「囲炉裏部屋」から「南10畳」に入って来たのだ。大きさは上のものとほぼ同じだったので、もしかすると同じ個体なのかもしれない。この種類のものは20年くらい生きるそうなので、それは充分にあり得ることだ。
どうやら依然として天井裏に住んでいるようだ。
それからまた3年後の5月、「神棚の部屋」に置いてあるパソコンで仕事をしていたら、右の背後でネズミの鳴き声のような音がした。動物が嫌いではない私だが、ネズミだけはどうも苦手なので咄嗟にそちらを向くと、入居後も使っていない「居間」の天井にコウモリが止まるのが、風通しのために開けてある襖の隙間から見えた。それが、その声の主だった。
この動物は視力が弱い代わりに、物凄い機能を備えている。飛びながら口から超音波を発し、それが跳ね返って来る音をその大きな耳で受けて、暗闇の中でも物体の形状や性質などを識別するという、反響定位(エコーロケーション)ということが出来るのだ。そのことは以前から知ってはいたが、人間に聞こえる波長の音では鳴かないと思い込んでいた私だったので、その声を聞いたときには、ネズミのそれと聞き間違えたのだ。しかしそれは、ネズミのものより柔らかく軽やかで、やや音楽的ですらあった。
野生の鳥や獣は、あまり無駄な動きをしない。鳴き声一つにしても、そこには必ず何らかの意味が込められていると思う。だからこのコウモリが、わざわざ私のすぐ近くの、私に見える場所に来て、私に聞こえる音域で鳴いたということは、それが私に向けられている可能性を否定することは出来ないだろう。
しかもそのコウモリは、それから間もなくして、天井にぶら下がったまま毛づくろいをし始めた。それは、私のことを警戒していない証拠なので、少なくともその声が威嚇でなかったことは確かだろうと思う。
旧「台所」は狭かったので、入居前に一階北東の板の間を改造し、そこを台所にした。
2007年の、ある夏の夜のこと。
その台所でいつものように、ラジオを聞きながら立ったままで晩酌をしていると、頭の後ろに風のようなものを感じた。窓は閉めたはずなのに風とは不思議だと思って咄嗟に振り向くと、なんと一匹の大きなコウモリが、「神棚の部屋」の闇の中にヒラヒラと入って行くところであった!
我が家ではこの季節の日中、風通しのために窓や家の中の戸を全部開けているのだが、夜になると蚊の進入を防ぐためにその一部を閉めるので、そのコウモリは私の居住空間に閉じ込められてしまったのだろう。そして、出口を探すために家の中を飛び回っていたら、変な音のする明かりのついた部屋に人間の後頭部があったので、こっそりとUターンしたのだろうと思う。私も驚いたが、コウモリの方も、きっとビックリしていたに違いない。
これが鳥だと、バタバタと羽ばたく大きな音がするので、遠くからでもすぐにわかるのだが(但しフクロウだけは例外的に音を出さずに飛べるらしい)、コウモリが普通に飛ぶときには全く音がしないので、私はずっとそれに気が付かずにいたのだ。その後、「囲炉裏部屋」に通じる襖を開けておいたら、それは間もなくそこから出て行った。その部屋には煙抜きの穴があるので、そこから外に出れば私と同じように餌にありつくことが出来る。
しかし、もうビックリはご免だ。野生動物には独特の迫力があり、見慣れているとは言え、そのたびにドキッとする。そこで私は、その後家の中の襖を閉める際にコウモリが天井に止まっているのを見付けたら、長い棒で威嚇して、この生き物をその居住空間の方に追い遣るようにした。それで慌てて逃げる際には、それなりに翼が風を切る音がするということもわかった。