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パソコンの部屋

その1 馴れ初め

2008.10.2.
2008.10.27. 更新

マイキット
学習研究社の「マイキット150」
 私は小学生の頃から、電気回路を実験する変な玩具(玩具と言うには奥が深過ぎる)で遊んだり、壊れた家電製品をバラしていじくり回すことが好きだった。しかし、それらの仕組みを論理的に深く把握することは出来ていなかった。今でもまだ完全に把握していない。正確に言えば、覚えてもすぐ忘れてしまうのだ。例えば、トランスに電流を放り込むとなぜ増幅されるのかとか、ダイオードがなぜ一定の方向にしか電気を流さないかとかだ。
 そんな私が初めてコンピュータなるものに触れたのは、工業高校の「電気実習」という授業においてであった。1980年代前半のその頃は、まだ現在のような「パソコン」なる物はあまり普及しておらず、一部のマニアだけの物であった。しかも、学校の実習室の床に設置されていたのは、やかましい音を立てる脱穀機のような超旧式のマシンだ。それを操っている言語は、フォートランとかコボルとか言って、私のような浅はかな人間にとっては難解極まるものであった。しかもその入力は、キーボードなんていう便利なものではなく、紙に穴を開けて読み取らせるという、正にアナログと紙一重のタイプのものであった。

 ところが、卒業して間もない頃、近所の有志(たった3人だけ)が集まって、パソコン教室なるものを立ち上げ、私もその中の一人に加わっていた。その教師的存在の人が持っていたのが、SHARP の MZ-2000 という機種だ。それは、脱穀機のようなマシンしか知らない私にとっては、実に画期的なものであった。また、NEC の98シリーズが脚光を浴びてきたし、テレビにもパソコンのコマーシャルが登場するようになってきて、一般人や企業にも普及する兆しが見えてきた。
 そこで私は思った。
『なんや! こないに小さくて便利な物あるんやったら、あない化け物みたいなコンピュータ、学校で教えることないんちゃうの?』
 今思えば、それは浅薄の想定であり、これがそもそもこの躓きの第一歩であったのだ。
 ある雨の日曜日。よく利用していた私鉄の駅前のバス停で、一人の中年の男性が私に声を掛けて来た。
「すみません。突然で失礼しますが、あなたはパソコンに興味がありますか?」
 それに対して、私はこう答えた。
「ええ、少しなら。」
 それからその男は、私を近くの喫茶店に誘うと、持っていたカバンからパンフレットを取り出してその話しを始めた。よく聞けば、要するに「パソコンを買いませんか?」と言うことであったのだが、そのさりげない話術にまんまと引っ掛かった私は、そのパソコンと、それに付随しているパソコン学習のためのソフトを買うことにした。合わせてなんと50万円!!!

来夢来人  「来夢来人(ライムライト)」という洒落た名前が付けられている、その10数万円した日立製のハードのセットは、値段が多少高いということを除けば問題なかったのだが、ソフトの方は明らかに30万円以上するとは思えない、ちゃちな代物であった。それに気付いたときには、クーリングオフが出来る期間を過ぎていたので、泣き寝入りするしかなかった。
 しかし、私はこれで自分が完全に損をしたとは思っていない。CPUは8ビットで、メモリーは64KBしかなかったが、プログラミングの練習程度にはそれで充分だったし、採用されているメディアは、MZ-2000 のようなカセットテープではなく、5.25インチフロッピーディスクであった。テープとディスクでは、アクセスするスピードが格段に違う。これは私にとってまたもや画期的なことであった。ちなみに、現在フロッピーと言えば殆ど全てプラスチックのケースに入った3.5インチのものになっているが、この当時では、紙のケースに入った8インチや5.25インチのもが主流だった。
 このマシンが、私のパソコンの1代目となった。

 私はこれをパソコン教室に持参したりして、すっかりはまってしまった。仕事が終わると、パチンコをしていないときは、パソコンをいじくる日々となった。いずれも並べ替えれば一字違いだ(カンケイないか……)
 私は、これで自分流プログラムを次々と開発していった。その言語は BASIC だ。例えば、バスと電車の時刻表のデータを元にして、最適な外出と帰宅の時刻を割り出すものとか、お年玉年賀葉書の番号を入力すると当選したかどうかを検索し、もし当選していれば、その順位などの情報を派手なグラフィックで表示するものとか。
 ところが、それから数年後、会社を辞めてアジア旅行に出た私は、価値観が変わってしまった。
『どの業界でも似たようなもんやけど、新しい製品が出ると、古いのがカスみたいに思えてきよる。アホらし。よう付いて行かんわ。』
 要するに、今の産業や経済の仕組みに乗ることを拒んだのだ。そしてそのパソコンは、箱の中で深い眠りに付くこととなったのであった。

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