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パソコンの部屋

その3 悲哀なる情熱

2008.10.2.
2008.10.27. 更新

 2代目の故障によって落ち込んでいた私だったが、新たな目標を持つことによってその悲しみを拭い去ることが出来た。それは、自作の音楽を自費出版でCDにするということだ。
 そのマスター音源にしてもジャケットにしても、CDが焼けるパソコン1台があれば、かなりスムーズに出来るということがわかったのだが、2代目にはCDドライブは無いし、内蔵されているディスプレイはモノクロなので、カラーのジャケットの編集も出来ない。
 そこで、その修理を一旦断念した私は、CD製作に全力をかけるべく、そのためのパソコンを誰かから借りることにした。しかし、友人知人にそれを問い合わせてみたところ、その返答はどれもみな冷たいものだった。プライベートな情報などが一杯詰まっている物を、たとえ友人と言えども貸し出すということに抵抗があったのだろう。
 それなら、企業や店舗などが廃棄処分するような物を引き取って使うことにした。とにかく、以前大枚をはたいた苦い経験があるので、CD製作だけのためにパソコンを購入するなんて考えられなかったのだ。予算も無かったし。

 それから約1ヶ月間、私は町から町へと車を走らせ、パソコン関係の企業や量販店などを一軒一軒訪ね歩くこととなった。
「すみません。お宅に、処分するようなパソコンはありませんか?」
 と。
 しかし、そのようなものが出たら、どこもすぐに処分してしまうらしく、なかなか手に入らなかった。
 しかし、ある町の大型家電店で、ようやくそれが手に入った。そこの店員さんが、廃棄処分するはずのパソコン本体を奥から出して来てくれ、液晶ディスプレイに接続して動作確認をしてくれたのだ。富士通のデスクトップ型 FMⅤ DESKPOWER SⅤ235 だ。彼は快くそれを譲ってくれた。
 帰宅した私は、それを1代目のパソコンのディスプレイとキーボードに接続しようとしたが、コネクターの形状が全く違っていたので不可能だった。すぐに使えると思っていたので、とても残念だった。このようなことは、技術の進歩と共に絶えず付きまとうことなのであろうが、消費者にとってはそのたびに懐が痛むこととなる。しかし、私の懐は既に1代目のときに必要以上に痛んでいる。それをまた痛ませることはご免だ。
 それから数日後、私はまたあの店に足を運んだ。すると、今度は別の若い店員さんが、屋外の廃棄物置場に私を案内してくれた。多くは雨ざらしになっていたが、その中でも比較的まともそうな IBM のディスプレイとキーボードを選んだ私は、彼に尋ねた。
「これ、頂いていっていいでしょうか?」
 彼は二つ返事でそれに応えてくれた。
「ええ、どうぞどうぞ。」
 私は、心を込めて礼を言った。
「どうも、ありがとうございます。」
 彼は、にこやかに言った。
「いいえ、こちらこそ。捨てるのにお金が掛かるんですから、持って行ってもらえれば有り難いですよ。」
 良かった。これでハードが一応揃ったわけだ。
 しかし、最初の店員さんから後で聞いた話しだが、二人ともこのことで店長から叱られたのだそうだ。なるほど、私のような者が増えれば、それだけ新しいパソコンが売れなくなのだから、経営者の立場からすればそれは尤もなことだ。だが、今までこの地域には、このような常識はずれのことをする者はいなかったらしく、全く無防備だったのであろう。叱られた店員さんには申し訳ないが、そのご好意を無駄にしないためにも、私はこのシステムを立派に再生させることを決意した。
 帰宅した私は、まずキーボードを分解して、中に侵入している雨水を拭き取って乾燥させることから始めた。
Keyboard
 お次がCRT(ブラウン管)のディスプレイだ。こちらは完全に分解するわけにはいかないが、とにかく蓋を開けて中を覗いてみた。そこに水が入った形跡のないことを確認した私は、長い延長コードを使って部屋の外から遠隔操作でその電源を入れることにした。キーボードなどとは違って非常に複雑な回路だし、高圧の電気が流れる部分がある。もし、そのようなところに水が浸入していれば、ショートして爆発するということも有り得るからだ。
 私は、その延長コードを、部屋の外で恐々とコンセントに差し込んでみた。すると、最初は不気味な音が大きく聞こえていたが、それは徐々に静まって、結局爆発とか電源のブレーカーが落ちるなどといったことは起こらなかった。ということは、少なくともこのディスプレイの中で、不自然にショートしている箇所がないということだ。
 これとキーボードを元のように組み立てた私は、それらをパソコン本体に接続すると、再び恐る恐るディスプレイと本体の電源を入れてみた。すると、それまで真っ黒だった画面の中央に、メーカーの朱色のロゴマークが鮮明に映し出されたではないか!!!
 このときの感動は、今でも忘れられない。これが我が家のパソコンの3代目となった。
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 しかし、ここからが問題だった。この画面はしばらくすると消えてしまい、再び真っ暗になって左上の隅に、たしかこのような文字が現れたと思う。

Can not boot!

 そして、ここから先に一歩も進まないのだ。キーボードのキーをあちこち出鱈目に押したが、うんともすんとも言わない。何度電源を入れ直しても同じことだった。
 ところが、ロゴの画面が現れてしばらくすると、その左下に、

Enter Setup, Press F2 key.

 と表示されることがわかった。我が家の1代目と2代目のパソコンのキーボードには、いずれもそんなキーは存在していなかったので、その意味がわからなかった私は、今までこれを無視していたのだが、この文字に謎を解く鍵が隠されているようだ。私は「F」を押してから「2」を押してみたり、それらを同時に押してみたりと、愚かな行為を繰り返していたのだが、状況は変化しない。
 そのうち、このキーボードの上部には、「F1」から「F12」というキーが横一列に並んでいることがわかったので、私はその中の「F2」を押してみた。すると、しばらくしてから下のようなカラフルな画面に変わった。
BIOS UTILITY
 やった! 画面に進展が見られたので私は喜んだが、それはすぐに不安へと変わった。その文字は全て英語で書かれているのだが、そこに出て来る名詞の意味がさっぱりわからなかったからだ。
「BIOS? ビオス? バイオス? ギャオスの親戚か? そういえば、どっかのメーカーのパソコンでそういう名前があったよな? そうか、それは富士通のだったのか!」
 BIOS(バイオス)やのうて、VAIO(バイオ)! それも富士通のやのうて、ソニーのやっちゅうねん!
 無知というものは、時には悲哀なことだ。自分でも情けなくなってしまうが、その当時の私のパソコンに関する知識は、その程度のものでしかなかった。
 しかし、1代目の時代とは違って、今時のパソコンというものは、フロッピーディスクだけでは不充分で、ハードディスクやオペレーティングシステム(OS)なるものがなければ、その能力を充分に発揮することができないということぐらいは、2代目を使っていて知っていることであった。
『そういえば、あの店員さん、「ハードディスクは入ってませんけど」とか言ってたよな。』
 私は早速電源を切って、本体の蓋を開けてみた。すると予想通り、その中にはハードディスクらしきものは見当たらない。なるほど、これでは起動しないわけだ。

 車を走らせ、パソコンを頂いた店に赴いた私は、ハードディスクが置いてあるコーナーの前に立った。今度はただで貰うのではなく、恩返しの意味も兼ねてちゃんと購入するのだ。見れば、20GB(ギガバイト)から160GBといったものまで、メーカー各社の物が数多く並んでいる。
『2代目のハードディスクの800MB(メガバイト)という値にも驚いてたのに、GBなんて容量を一体何に使うんだろう?』
 それまで、音声や動画の巨大ファイルを扱ったことのなかった私は、単純にそう思った。ちなみに、1GB=1024MBである。
 私の目的は、音楽CDを作ることだ。それ1枚の容量は650MBなので、そのマスターを編集するだけなら20GBもあれば充分だ。私は、BUFFALO というメーカーの、DVI-UV20GT2 というものを買った。
 帰宅して、それを注意深くパソコンに取り付けた私は、一抹の期待を胸に抱いて電源を入れてみたが、最初と同じくメーカーのロゴが現れるだけだった。ハードディスクは空っぽで、起動させるプログラムが入っていないのだから、それは当然のことであった。
 それならばと、Mac で使っていたものや、果てはワープロで使っていたフロッピーまで、片っ端からディスクドライブに入れて起動させてみたが、いずれも、

Insert system diskette and press Enter key to reboot

 と表示されるだけだ。要するに、
「システムディスクやなかったら、起動せえへんで。」
 ということが言いたいのだろう。
 数日間途方に暮れてしまった私であったが、そこで救世主のような人が現れた。私の元妻の職場の親方が、私が困っていることを知って、Windows 95 が入っているご自分のデスクトップ型パソコン一式を貸してくれたのだ。ああ! なんというお慈悲だ!
 感涙に咽びながらそれを自宅に設置した私は、早速その電源を入れてみた。するとそれは、当たり前のことだが見事に起動した。2代目はモノクロの画面だったし、アプリケーションの数も数えるほどしかなかったので、私はまずその色彩の鮮やかさと、ファイルの数の多さに驚いてしまった。こんな膨大な量のファイルの、どこをどういじればいいんだろう?
「よし、それなら、慣れ親しんでいるフロッピーで起動してみよう。」
 私はそのパソコンを、それに付随していた Windows 95 の起動ディスクによって起動させてみた。するとそこには、私にとって懐かしい黒地に白いテキストの画面が現れた。1代目のプログラミングは、全てこのような画面で行っていたからだ。
MS-DOS
『もしや?!』
 と直感的に思った私は、そのディスクを今度は自分のパソコンのフロッピードライブに挿入して電源を入れてみた。するとそこにも、これと全く同じ画面が現れたではないか!!!
 こうして私はついに、自分のパソコンを起動させることに成功したのである。電気店の店員さんと、すし屋の親方に感謝だ。
 その画面の指示に従って、私はキーボード左上にある '半角/全角(漢字)' キーを押してみた。すると、このような文字が現れた。


106 キーボードが選択されました.

A:\>

 ところが、ここでまた問題が生じた。私はこれを動かしている言語を理解していなかったので、コンピュータがカーソルを点滅させて入力を待っているのにもかかわらず、そこに何をインプットしていいのかわからなかったのだ。
 1代目で私が使用していたのは、BASIC という言語なので、とりあえずその覚えているコマンド(命令)だけでも、片っ端から入力してみた。しかし、そのたびにこのような表示になった。


A:\>LIST

コマンドまたはファイル名が違います.

A:\>

 LIST とは、BASIC ではお馴染みの、ファイルを表示させるためのコマンドだ。このことによって、このコンピュータを動かしている言語は、私が使っていたものではないということが、少なくともわかった。
 ところが。偶然というものは、時として有利に働くことがある。滅茶苦茶にキーを叩いているうちに、突然フロッピーが回りだし、画面がこのようになったのだ。
MS-DOS
 'dir' というコマンド。これは、BASIC の 'LIST' コマンドと同じ結果で、現在位置のディレクトリにあるファイルと、その容量を表示するようだ。要するに「このフロッピーの中には、これだけのファイルが入っていますよ」ということなのだろう。これでまた一歩前進だ。
 私は早速、借りているコンピュータを使って、この起動ディスクをコピーして自分用のものを作った。今後はこれで起動させることにする。ファイルやディスクのバックアップを取るという習慣は、今までの数々の失敗によって癖になっていることだ。
 ここにリストアップされているファイルを、一つ一つ実行してみる。中には実行できないものもあったが、例えば 'FDISK' というものに注目した。これは、ディスクを壁で仕切るようにして分割するためのコマンドだ。そうすれば、膨大な量のファイルをある程度整理できて、ディスクのパフォーマンスも上がると思う。
 FDISK とコマンドすると、フロッピーが回って、次のようなメッセージが現れた。
FDISK
 ここで「4」を入力して「Enter」キーを押した私は、大きなショックを受けた。せっかく買ったハードディスクが、このコンピュータから認識されていないのである。
『おかしい。なぜなんだ???』
 接触不良だろうか? 基本的にアナログ人間の私は、まずそれを疑った。そして、ハードディスクドライブのコネクターを接続し直して何度も起動してみたが、何回やっても認識しない。
 疲れてしまった私は、攻め方を変えてみることにした。ハードディスクのオマケで付いてきたソフトを使ってみることにしたのだ。まず借りているパソコンのCD-ROMドライブにそのCDを入れて、「Partition Magic」と「Drive Copy」という二つのソフトの起動ディスクをそれぞれ作成した。前者は二枚、後者は三枚のフロッピーディスクが必要だった。そして、それらによって自分のパソコンを起動させると、それはいずれもハードディスクをちゃんと認識していたのである!
『やっぱりそうか。』
 そこに出て来る「論理」だとか「基本」だとか、「アクティブ」だとかいう単語は、私にはチンプンカンプンであったが、まずはやってみることにした。ちゃんとした知識無しでこのようなことをすることは、今思えば暴挙と言うべきことであるが、問題解決の道が開けて興奮状態にある私は、危険を承知で未知の領域へと突入して行った。
 私はとりあえず Partition Magic によって、ハードディスクを2GBずつ、10のパーテーションに分割してみることにした。それは難なく成功する。
 次に私は、借りていたパソコンの蓋を開けると、そこに設置されているハードディスクを取り外し、私のパソコンのディスクと入れ替えて電源を入れてみた。すると思った通り、私のパソコンはちゃんと起動し、そのディスプレイには、色鮮やかな Windws 95 の GUI(グラフィカル・ユーザ・インターフェイス)のデスクトップが現れたではないか!!! 要するに、パソコン自体が故障していたのではないということが、これで判明したのだ。
 さてその次は、Drive Copy を使って、このシステムを私のハードディスクにコピーしてみることにした。私は一旦電源を切ると、自分のハードディスクをセカンダリのマスターに接続して「Drive Copy」の起動フロッピーをドライブに挿入し、再び電源を入れて「F2」キーを押し、BIOS設定画面に入った。
BIOS UTILITY
 そして、「Basic Configuration」に入り、起動を「IDE Secondary Channel Master」の「Type」を「Auto」にして、セカンダリのマスターを使えるようにした。設定を終了させると、しばらくしてから「Drive Copy」が起動し、次のような画面になる。
DriveCopy
 あとは、このソフトの指示に従ってコピーするだけだ。それも難なく成功した。
 さて、いよいよ起動だ。フロッピーを抜いてシステムを再起動させ、「F2」キーを押して再びBIOSの設定画面に入る。そして、「IDE Primary Channel Master」を使えなくすると、設定を終了させた。あとは自動的に再起動されるはずだ。
『ややや!!! おかしい! ちゃんと起動しないぞ!?』
 しかし私は楽観的にこう考えた。
『ハハハ! そうかそうか。起動は「IDE Primary Channel Master」からじゃないと出来ないんだよ、きっと。』
 そう思って借りているハードディスクを外し、そこに自分のものを接続して、これを使えるようにBIOSの設定を変えて再起動してみたが、やはり駄目。
 数日間掛けた悪戦苦闘の末、プライマリに接続した借りているハードディスクから借り物の Windows 95 を起動し、セカンダリに接続している自分のハードディスクドライブを、「コントロールパネル」によって調べという技を発見した。すると、セカンダリのハードディスクコントローラが正常に作動しておらず、ファイルシステムが MS-DOS 互換モードになってしまっている。しかも、MS-DOS ではCD-ROMを認識しているのに、Windows では認識していない。これではCDは作れない。
 いやはや、一難去ってまた一難とは正にこのことだ。

 私は大きな壁にぶち当たったことを感じた。パソコンだけではなく、MS-DOS についても無知だったので、そのコマンドをちゃんと使いこなしてもいなかった。よく知りもしないのに変な命令を下すと、コンピュータが狂ったり暴走したりするということを、私は今までの数限りない愚行のためによく知っている。自分のものがそうなるのなら「仕方ない」で済ませられるが、借りているハードやソフトを破壊してはならない。そのためには、本を買うなどして勉強するしかないということを悟った私は、この地域で最も大きな書店へと、またもや車を走らせた。パソコンのお陰で、山奥から町を何度も行ったり来たりだ。CD完成の道程はほど遠い……。
 天野司著「Windows DOS プロンプト ポケットリファレンス」(技術評論社)という、小さいけれど役に立ちそうな本を買った。それによって、この MS-DOS のことが少しずつわかってきた。
 しかし、その本を読みながら二つのパソコンを並べて比較し、いろいろなコマンドを使ってその原因を探ったが、謎はさっぱり解けなかった。BIOS の設定もあれこれと変えてみた。ハードディスクに付いているジャンパスイッチなるものの設定を、色々と変えてもみた。それでも駄目だった。
 昼夜を問わずパソコンの前で悩み抜いている私を見るに見かねた元妻によって、再び救世主のような人が現れた。いや、こういうときの妻とは、しみじみと有り難いものだと思う。
 彼女の職場の同僚の男性(私も面識がある)が、Windows 98 の起動ディスクを貸して下さったのである! これはフロッピー二枚組だ。早速それをコピーした私は、それによって自分のパソコンを起動させてみた。それが終わってから1枚目のディスクを再び入れて 'FDISK' を実行すると、以外にも次のような画面になった。
FDISK98
 やや! これは Windws 95 の 'FDISK' には無かったメッセージだ!! ということは、98 では私のハードディスクをちゃんと認識しているということではないかーーーっ!!!
 だが待てよ。ハードディスクドライブを買ったときの箱には、ちゃんと Windws 95 って書いてあったぞ。疑問に思った私は、永いこと目にしていなかったその箱を手に取って見た。

■対応OS
 Windows Millennium Edition/98/95(OSR2以降)
       :
       :

 その行の末尾に目を奪われた私は、思わず叫んでいた。
なにーーーっ?!!! OSR2だとぅおーーーっ????
 Windows 95 にも種類があるなんて知らなかった!! 私は早速、借りていた Windows のバージョンを調べてみた。すると、Windows 4.00.950a であることがわかった。そして、OSR2なるものを本屋の立ち読みで調べてみると、Windows 4.00.1111 から上であることがわかった。
ガーーーーン!!!
 要するに、このハードディスクドライブが、このOSに対応していなかっただけのことではないか。つまり、ここ1ヶ月近く続いた私の悪戦苦闘は、自分の無知の産物であったのだ。
ガーーーーン!!!
 私は寝込んでしまいそうになったが、今まで空回りをしていたことを考えると、そんな時間など無い。
 とにかく、あちこち駆けずり回ってやっと手に入れたパソコンも、高いお金を出して買ったハードディスクも、どちらも生かさなければならない。あれこれ考え抜いた末、3代目に本来インストールされていたであろうOSを手に入れることにした私は、ハードのメーカーに電話を掛けた。そして、貴社のパソコンを譲り受けたのだが、これに付随していたOSなどのリカバリCDを販売して貰えないだろうかという内容のことを尋ねた。それに対して、その担当の女性はこう答えた。
「失礼ですが、機種は何ですか?」
 私はそれに答えた。
FMⅤ DESKPOWER SⅤ235 です。」
 その女性は、しばらくしてからこう言った。
「……はぁ、それはもう製造が打ち切りになっていますね。また、リカバリCDのみの販売というのも、当社では承っておりませんが。」
 私は困惑した声で現在の状況を説明し、大容量のハードディスクをこの機械で使えるようにしたい旨を述べた。すると彼女はこう言った。
「それなら、新しいOSを入れてみてはどうでしょうか?」
 あくまでも Windows 95 にこだわっていた私は、やや気の抜けた返事をした。
「はぁ。」
 ところが彼女は、それまでの事務的な口調から、自信のある、ややプライベートな口調に移行させてこう言った。
「たとえば、Windows Me を入れる。」
 その声。その声が、私の心の中で天使の声のように何度も鳴り響いた。
Windows Me を入れる……Windows Me を入れる……Windows Me を入れる……
 その後、私は自分が何を喋ったのか全く覚えていないが、この貴重な言葉を頂いた人に対して丁重に礼を述べたことだけは確かだろうと思う。
 このパソコンのCPUでは、新製品である Windws XP を動かすことは出来ないことを知っていた私は、OSを新しくするという発想にはならなかったのだが、XP より少し前に発売されている Me ならそれが可能なはずだ。とにかく、この一言によってこの問題が一挙に解決することを私は直感した。
そうだ!! Windows Me を入れればいいんだぁーーっ!!!

 その翌日、Microsoft Windows MIllenium Edition と、それに対応させるためのシステムメモリー(32MB しか入っていなかったので BUFFALO VSJ-256MX 256MB)を早速購入した私は、それらを3代目に無事インストールし、その数ヵ月後に自作CDを完成させた。それにはまた苦労話があるのだが、ここでは割愛する。
 その後呵々士は、そのパソコンを末永く愛用したとさ。めでたし、めでたし。
3代目の主な力量
CPUPentiumⅡ 233MHz
Motherboard ChipsetIntel 82440LX/EX
System Memory32MB + 256MB = 288MB(SDRAM)
Hard Disc20GB
光学ドライブCD-RW
CRT MonitorIBM 2236(947232737)
 但し、ハードディスクドライブとOS,増設メモリーとCD-RWドライブ、その他全てを合計すると、安い新品のパソコンが1台買えるほどの金額になったということも付け加えておこう。
 世の中、そう甘いもんやおまへんでーっ! もっと常識的にやれーっ!
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