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ペットの部屋

膝の上の産声(うぶごえ)

2013.07.14
更新 2013.07.25
2012年6月20日、生き残った3匹
チピン(上)、ペロ(左)、チチャ(右)。2012年6月20日撮影
ペロとチチャはまだ母猫が存命中の頃から、兄チピンの腹の毛に吸い付いて乳を飲む動作をするようになった。始めは嫌がっていた兄も、母猫が死んでからはそれを黙認するようになった。

チチャの妊娠とペロの失踪

 新猫文化で述べたように、我が家の居住空間で初めて子が産まれたものの、次々と伝染病に襲われた猫たち。その災難から生き残った2匹の子猫は、仮に付けていた名前をクロはペロ、ハナクロはチチャと改めた。そして逞しく成長しながら、兄のチピンと共に厳しい冬を乗り越え、春を迎えようとしていた。
 2013年2月6日、予期していたことがついに始まった。連日のように外出が増えていたチチャが、発情期の声を出し始めたのだ。
 2月7日、その声に応じてペロがチチャの上に乗り、交尾の格好になった。オス同士では何度か見たことがあるが、メス同士のを見たのはこれが初めてだ。
 2月8日、部屋の中でチチャがチピンに向かって声を出して挑発した。始めは「やめなさい」という兄さんらしい表情をしていたチピンだが、30秒ほどすると突然彼女の首を噛んで上に乗った。しばらくするとチチャが、もの凄い唸り声を上げた。ペニスが入ったのだろう。
 この2匹は異父兄弟だ。近親相姦は、病弱な子が産まれる可能性が高いため避けた方がいいのだが、家の中で私が禁じても外に出てしまえば自由だ。そうすると私は、この2匹から恨まれるだけだ。また、このあたりを縄張りにしている大きな野良猫はチチャの父親なので、遺伝的にはむしろチピンの方が遠い。そのため私はこの2匹の交尾を黙認というよりも、むしろ奨励した。
 チチャの腹が目立つようになっていた3月3日未明、私の布団の中に入っていた2匹のメスのうちペロが、私が寝返りを打った拍子に布団から出て家の外へ出た。今までこういうことは何度もあり、いつも朝までにはちゃんと戻って来るので特に心配しなかった。
 ところがペロは戻らなかった。その朝、薪小屋と納屋の間の雪の上にタヌキと思われる新しい足跡を見付けた。ペロはそれに食われたのだろうか? しかし、あちこち探してみたが血痕もないし死体もない。体調が悪かったり他の猫と喧嘩したのでもない。今まで我が家の猫がどこかに移住するときは、何度か戻って来てからいなくなるものだ。
 隣の家とを行ったり来たりしている我が家の猫を、隣の家の人が勝手に保健所に連れて行くようなことが今まで何度かあった。そのような時は、突然いなくなるのですぐにわかる。しかし、ペロの行動範囲は我が家の敷地内に限られていたようなので、今回それはあまり考えられない。
 謎だ・・・

2013年3月28日、仲良しのチピンとチチャ
2匹になってしまったチピンとチチャ。2013年3月28日撮影

ポン!

 4月13日5時33分頃、近畿地方で強い地震があった。
 朝食後そちら方面のあちこちにメールやFAXを送っていたのだが、その間チチャはいつも以上にナデナデを要求して鳴いた。最後のFAXをパソコンで送ってから、電話のモジュラーケーブルを片付けているときに、それは極め付けとなった。私の顔を見ながら、太く大きな声を連発し始めたのだ。こんな声は今まで聞いたことがない。なんだか、「そんなことしてる場合じゃないでしょ!」と叱られているようだった。
 しばらくしてチチャはコタツの中に入ったが、そこでも同じように鳴いている。「もしや?」と思った私は、段ボール箱の中にビニールと布を敷いたものを作って、部屋の北西隅に置いた。チチャが産まれたのもこの場所の、これと同じような箱の中でだ。
 私がコタツに戻ると、その中のチチャは胡坐をかいた私の脛(すね)に体を密着させて静かになった。しばらくしてコタツから出た彼女は、一度外に出る様子を見せたが引き返し、今度は私の膝があるコタツ掛けの上に乗ると、そこでリラックスしたように丸まった。
 まもなく、その胸から後足に向かって、波のようなゆっくりとした動きが繰り返されるようになった。それと平行して、彼女が自分の生殖器を舐め始めたので、出産関係の動きなのだろうと思った私は、『そのときの水でコタツ掛けが濡れるけどいい!』と覚悟を決めた。
 それから5分もしなかっただろうか。午前9時前、猫のお尻のあたりで「ポン!」という小さな音がした。パソコンを操作していた私が何気なくそこに目を移すと、そのコタツ掛けの上には、成人男子の手の親指大の、半透明の白い幕に包まれた不思議な物体があった。それを見るのが初めての私は、一瞬「何だこりゃ?」と思ったが、赤い色をした足らしきものをその中に見付けて、やっとそれが何かわかった。ちょっと鈍かったのは、「猫は人間の見てる前で出産しない」と、「猫の形で産まれてくる」という思い込みがあったからだ、という自己弁護(笑)
 母猫はすぐに自分の首を曲げると、その物体の鼻のあたりをしきりに舐めた。すると幕がそこから破れ、中の生き物の口が開閉を始めた。母猫はさらにあちこちを舐め続け、それと同時に幕を食べていった。
 パソコンを操作していた私は、一瞬カメラを取りに行こうかと思ったが、今自分が立ち上がってはいけないということを本能が制した。
 そのうちその小さな生き物は、小さく短い「ミー」という声を繰り返し出すようになった。産声(うぶごえ)だ! 体に密着していた濡れた毛は、母猫が舐めている間に次第に乾いてフワフワになってきた。するとまた、母猫のお尻の方で小さな音がした。見ると2番目登場!
 そのようにして1時間ほどかけ、4匹が産まれた。1番目と2番目が白黒系、3番目が白の部分が多い白黒系、最後が三毛だった。
 4匹産み終えた母猫はすぐゴロンと腹を上にし、産まれたての子猫たちは誰に教えられるともなくそこによじ登り、乳首を探し当ててそれを吸い始めた。これらの母子の絶妙な連携プレーは無駄がなく合理的で、しかも愛に満ちている。私はそれにすっかり感動してしまった。

出産直後
4月13日、出産直後

出産8時間後
4月13日、出産8時間後

 その夜チチャは、私が寝ている布団の中の足の方に子猫を全部運び込んだので、当分ここが彼らの巣となりそうだが、夜は冷える山の我が家ではそれで正解だ。子猫の排泄物は、母猫が全部食べてしまうので全く問題ない。私が寝返りを打つとき子猫を潰さないようにするのと、湿気が多いのに布団を敷きっ放しにしておかねばならないことがちょっと気になるだけだ。
 どこかへ出掛けていた母猫が、優しい声で子猫を呼びながら帰って来ると、布団の中の子猫たちは一斉に「ミーーー!」という声を上げる。音量は小さいが4匹もいるので、それはスーパースターのライブ会場の歓声みたいに私には聞こえた。

目が開く

4月25日、目の開いた子猫1"

4月25日、目の開いた子猫2
4月25日、目の開いた子猫

 その後子猫は順調に育ち、生後12日目の4月25日朝、4匹とも目を開けていることに気付いた。そしてごくゆっくりだが、布団の上をハイハイする。今までは温度と匂いを頼りにしてたようだが、これからは目でも母親を探して積極的に乳を飲みに行けることだろう。
 この季節の山の芽吹きに比べるとゆっくりだが、確実に成長していると感じる。

乳腺炎

 それは子猫の生後13日目、4月26日頃からだった。
 母猫は授乳を始めてしばらくすると、「ウ~」という低い唸り声を上げて立ち上がり、授乳を中断する。しばらくすると一からやり直し、それを1~2回しているうちに、子猫は満足するまで乳を飲んで眠ってしまう・・・そんなことが起こるようになった。でもその程度だったので私は、「子猫に歯が生えてきて母猫は痛がってるんだろう」くらいにしか思っていなかった。
 ところが5月1日になると、母猫が授乳をやめてしまう回数がかなり増え、子猫は満足に乳が飲めなくなってきた。そこで母猫をひっくり返して腹を見たら、6対の乳首のうち硬く赤黒くなっているのが3つほどあった。これに子猫が吸い付くと痛むので、授乳をやめてしまうということがわかったのである。

乳腺炎になった乳首。5月3日撮影
乳腺炎になった乳首。5月3日撮影

猫用ミルクと器具。5月3日撮影
猫用ミルクと器具。5月3日撮影

 母猫を動物病院に連れて行くと、重い病気ではなくただの乳腺炎だということがわかって一安心したのだが、母乳が足りなければ猫用ミルクで補わなければならない。いざという時のためにその場でそれを買い、猫用哺乳瓶は品切れだったので、ホームセンターへ行ったのだが、1軒目では取り扱っておらず2軒目は品切れ。仕方ないので、同じ棚にあった小動物用の薬を飲ませる器具を買って帰る。
 それから私は夜中にも起きて、子猫にミルクを与えるようになった。しかし人工ミルクには、細菌やウイルスに対する抗体が入っていないので、なんとかして母乳も飲ませることにした。炎症を起こしていない乳首は3つしかなく子猫は4匹いるので、3匹に乳を吸わせているあいだ1匹を別にしておくのだ。
 母猫は大抵、コタツに入っている私の膝の上で子猫に授乳させる。そこで、母猫が痛がる前に、その時点で一番元気そうなのを取り上げ、コタツの中か、コタツ掛けの上の別の面に移す。するとその1匹は母猫目指して、一目散に歩いて来る。それが母猫の近くに来たらまた取り上げ移動させる、ということを何度も繰り返すのである。可哀想なのだが、この1匹が加わると途端に母猫は悲鳴を上げて立ち上がり、4匹全てが飲めなくなるのだから仕方ない。その1匹は時々ローテーションさせるので、最後は全部が満足して眠ることになる。
 次に考え出したのが「ニャンツーニャン方式」。母猫が横になっている最中、遊んでいる子猫のうち、一番元気のないのを捕まえて、正常な乳首に鼻先を当てる。するとその子猫はすぐそこに吸い付くので、飲みたいだけ飲めるというわけだ。
 5月16日、動物病院で薬と猫用ミルクを買い、ついでに人間の食料などを買って帰ったら、いつも出迎えに来るチチャの姿が見えない。どうやら外出中のようだ。家に入ると、比較的成長の早い2匹はコタツ掛けの上でくっついて丸まっていたが、黒の背中に白の「1文字模様」があるのが、部屋の隅の畳の上で動けなくなっていた。どうやら、母猫に付いて歩いていてもずっと授乳を拒否され続けたため、そこで動けなくなってしまったようだ。「三毛」がその様子をうかがっていたが、これもかなり弱っていた。
 急いで今買ってきたばかりのミルクを作り、まずこの2匹に飲ませる。どちらも自力で飲む力が残っていたので、「三毛」は数時間後に、「1文字模様」は次の日には元気になった。

風邪と下痢

猫風邪の初期症状。5月13日撮影
猫風邪の初期症状。5月13日撮影

 飲み薬のお陰で、母猫の乳腺炎は2週間ほどで治ったのだが、その治療中に子猫は猫風邪または猫インフルエンザというものに感染した。それはまずくしゃみから始まり、次に目の周りが炎症を起こすのだ。上の画像はちょうど生後1ヶ月、5月13日のものだが、向かって左の子猫の片方の目が閉じ気味になっている。これが悪化するのと同時に、他の3匹に次々と感染し、数日するといずれも目が開けられないほどひどくなっていた。
 抗生物質と消炎剤の2種類の薬を毎日2回ずつ飲ませ続けなければならないのだが、子猫たちはみな薬嫌いで、子猫用に小さく割った錠剤を必ず吐き出してしまう。そのため、左手でこじ開けた口にピンセットでつまんだ錠剤を押し込み、その直後にすかさず猫用ミルクを流し込むという方法をとったら、ほぼ100%飲んでくれるようになった。
 残る3匹が治ったと思ったら、今度は最初に発病した1匹がまたくしゃみを始め、次のもう1匹もまた・・・となった。でもそれはそこまでで、結局1ヶ月くらいかかってやっと全部治った。いや~~大変だった!
 その最中に4匹とも次々と軟便や下痢をし始めたが、これはそれ以上悪化せず4日ほどで治ったので、もしかすると風邪薬の抗生物質が効いたのかもしれない。

命名と外デビュー

 5月19日、子猫に名前を付ける。黒い背中に白の「1文字模様」があるのを「ヒー」、白黒2色だから「フー」、「三毛」を「ミー」、白い背中に黒い斑が4つあるのが「ヨン」だ。
 6月4日、今までうっかり縁側から落ちたようなことがあった子猫たちだが、この日初めて本格的に外に出すことにした。
 朝食後、中庭に折りたたみ式のベッドを出し、その上に卓と座布団とパソコン一式を置いた私は、そこにビーチパラソルを立てて仕事を始めた。すると、昨年もこのようにしていたことを覚えている母猫のチチャがまず外へ出て、座布団の上で胡坐をかきパソコンに向かっている私の傍にゴロンと横になった。4匹の子猫は、それを家の戸の隙間から興味深げに見ている。
 40センチの高さを飛び降りれないことに気付いた私は、縁側から地面の間に踏み台を一つ置いてやった。すると、一番小さなミーがおずおずとではあるが、まず踏み台まで出た。続いてヒーもそこまで出て、しばらくするとどちらも地面に降りた。それを見たチチャは立ち上がり、その傍に行って彼らを守った。
 意外なことに、体の大きなフーとヨンはなかなか出ず、兄弟と母親の様子を眺めていたが、午後になると彼らも地面に降りて家の前の草の間を少しずつ歩くようになった。これで全員外デビュー完了だ。

6月6日撮影
左からヨン、ミー、ヒー、フー。6月6日撮影

 6月10日、子猫たちは、もう自由に家に出入り出来るようになっていたので、私はいつものように彼らを外に残して先に寝た。
 ところが、ふと目を覚ますと全員家の中にいない。時計を見たら翌日の0時半近く。この時間帯に母猫がいないのはよくあることだが、子猫までいないのは初めてのことだ。
 しばらくすると、母猫の悲しげな声が外でしたので見に行った。すると家の前に母猫がいて、ミーが竹やぶの中からじきに現われた。この子を家の中に入れた私は、懐中電灯を持って竹やぶの向こうにある隣の家のあたりを見に行ったが、残り3匹は見当たらなかった。これはもう母猫に任せるしかないと思って家に入り、ミーと一緒に寝る。
 その未明、母猫は残り3匹を無事に連れて戻って来た。
 ところがこの数日後、この猫たちにとって、とんでもない事件が起きたのである。

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