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ペットの部屋

猫文化

2009.08.25
更新 2013.04.24

 猫にだって文化がある。
 産まれたばかりの子猫が母親の乳首を探し当てて乳を吸うという行為は本能であって、ネズミの捕り方や大きな魚の木登りの仕方といった、親から子へと学習して伝えられていくことが文化なのだと思っている。そういう基本的な文化に加えて、我が家周辺の猫には次のようなオプションが備わっている。
「我が家で飼っている猫が、隣の家に行ってちょこちょこと餌を貰っているうちに、やがてそこに移住してしまう。もし雌がそこで出産して仔猫が歩けるようになると、それを我が家に連れて来て育てる。それが離乳する頃になると、母猫と共にまた隣の家に移住してしまう。」
 このパターンが親から子に伝えられて継承されているのだ。より具体的に言うと、我が家はまるで子育てのための別荘のようになっているのである。
 そもそも、隣の家の人が我が家の猫に餌を与えなければ、このような現象は起こり得ないのだろうが、隣の家の人にしてみれば、自分の家の猫に私が餌を与えていると思っているかも知れない。また、捨て猫が居付いたのが初代だった我が家の猫にしてみれば、美味しい餌が貰えて快適に雨風をしのげればどこで寝起きしても同じなのだろうから、結局のところ誰を責めるわけにもいかないのである。
 しかし、一つ不思議なことがある。隣の家とは違って我が家の方針だと、他所に移住した猫が餌だけを食べに戻って来ても、もう与えることはなくなるのだが、そのようになった雌猫が、産んだ子を連れてまた我が家に戻って来るということだ。
 その理由を推測するに、隣の家は四人家族で、そのお爺さんは猫が嫌いなのだそうだし、猫にとって知らぬ人の出入りが多い。しかも、毎年のように仔猫が生まれているが、それを毎回保健所に持って行って処分しているとも言っていた。それに対して我が家は猫好きの私一人しかいないし、それ以外の人の出入りがほとんどない。しかも、処分するほど猫が増えてしまうのなら、そうなる前に避妊手術を施してしまおうという考え方だ。そのため、母猫としては本能的に、仔猫をより安全なこちらの家に移してしまうのだろう。
 一度は縁を切った猫でも、そのようにして我が家に定住するのであれば、私は母子共にちゃんと面倒を見ることにしている。住居を提供し、水や餌を与え、仔猫が敵に襲われないように気を配り、時には遊んでやるということだ。
 しかし、我が家の猫の主食はドライのキャッとフードなのに対して、隣の家では猫の「ご馳走」である生の魚の頭や天麩羅だ。そのため、ある程度成長して親にくっついて隣の家まで行った猫は、その食生活の違いを知ると、ご馳走をより多く貰える方へと移住してしまうのだろう。今のところ、理由はそれしか考えられない。
 今までの我が家では、ほとんどドライのキャットフードだけで育てた猫もいるので、こちらの餌の与え方が間違っているのではないと思う。ただ、魚を与えることはあっても、一人暮らしなのでその量は限られているし、毎日のように刺身や天麩羅を食べるだけの、経済的時間的余裕がないだけのことだ。
 これはやはり、やがては自分の家に住み着いてしまうということがわかっていながら、他所で飼われている猫に餌を与え続けるという行為に、人間としての常識の欠如を感じる。それによって生まれたのが、この猫文化だ。

 先代から続いているこの文化を現在継承しているのが、このクミャクミャだ。

クミャクミャ
クミャクミャ。2008.5.28.撮影。

 2007年春生まれの雌。先天的に耳が少し遠いが、日常生活に支障はない程度だし、我が家周辺は自動車がほとんど通ることがないので、今のところそれによる事故もない。
 甘えて「クミャクミャ」という声を出すことがあるので、そう名付けた。
 2008年春、1ヶ月ほど姿を見ないと思っていたら、戻って来るなり我が家の使っていない蔵で初の出産をした。しかし何を思ったか、まだ目も開いていない仔猫2匹をそこから連れ出して、母屋北側の草の中に移す。僅か手の親指ほどしかない、こんな小さな仔猫を見たのは初めてだ。その毛並みと近所にいる雄猫の顔ぶれから推測すると、どうも自分の兄弟と交尾したようだ。
 しかし、母猫が隣の家に餌をねだりに行ってなかなか帰って来ないということを繰り返しているうちに、その仔猫はいずれも寒さか飢えのため、それから2日以内に死んでしまった。このくらいの仔猫だと、母猫が餌を食べたり用便をするとき以外は、ずっとそばにいてやらなきゃ駄目なのに。
 その2日後、蔵のそばを通り掛った私は、その中からまだ「チューチュー」という生まれて間もない仔猫の声がしていることに気付いた。急遽クミャクミャをその壁の穴から中に入れてやると、仔猫を1匹くわえて出て来た。彼女の場合耳が遠いので、離れてしまうとその声がよく聞こえず、どうやらそれは忘れられていたようだ。それにしてもまあ、よく生きていたもんだ。
 今度は、母屋南側の壁に立て掛けてある大きな四角い植木鉢の下にそれを入れて育てていたが、そこを空けている時間がやはり長過ぎたために、結局2日後にそれも死んでしまった。その直後、定位置である玄関横の窓に登って私を見下ろしたときの彼女の寂しそうな顔は、今でも忘れられない。隣の家で貰える僅かなご馳走を当てにして、そこで延々と待っているクミャクミャ。このような悪習がなければ、もっと仔猫の傍にいてやれたのに。
 そのクミャクミャには3匹の兄弟がいて、それらはもっと早くから隣の家に移住していたのだが、いずれも処分されたかどこかへ行ったかしたようで、秋になると母猫のモンニャ以外は姿を見なくなった。それさえも冬になると姿を見せなくなった。
 クミャクミャ1匹だけでは寒かろう寂しかろうと思い、夜は家に入れてやったので、私と一緒の布団で寝るようになる。それでも、隣の家とを行ったり来たりする習慣はなくならなかった。

コタツのクミャクミャ相手の雄猫
コタツのクミャクミャ。ホットドッグならぬホットキャット相手の雄猫

 その冬も終わり頃になると、大きな雄猫が頻繁に我が家を訪れるようになった。始めのうちはそれを無視していたクミャクミャだったが、そのうち外出が増え、ついには隣の家に移住してしまったので、我が家に来ても私は餌を与えなくなった。
 その後しばらく姿を見せないと思っていたら、まだ歩き始めの仔猫2匹を連れて戻って来た。前回に懲りたせいか、今度はちゃんと育てたようだ。というよりも、多分隣の家のどこかで産んだので、仔猫と一緒にいてやる時間が多く、死なさずに済んだのだと思う。

クミャクミャの子
我が家に移ってから数日後の仔猫、どちらも父ちゃん似の毛並みだ。2009.6.6.撮影。

 この仔猫が来た直後、隣の家に餌をねだりに行って帰って来たクミャクミャの頭の毛が濡れてクシャクシャになっていた。そこに鼻を近付けてみたら天麩羅の臭いがした。どうやら、隣の家から仔猫を連れ出したお仕置きに油を掛けられたようだ。それは、細かい毛の間に入り込んで、1週間以上も取れなかった。かわいそうに……。
 これで良くわかった。罪もない動物に対して、このような虐待をするということは、毎年のように猫に子を産ませては処分し、無邪気な仔猫の姿をずっと見ていたいという身勝手な願望がある証拠だ。
 しかし、私の母親よりご高齢のその人は、子宝にはあまり恵まれておらず、唯一の息子さんもご高齢になってから結婚されたので、お孫さんが一人もいない。それを思うと、その人のその異常な心理を私は安易に批判することが出来なくなる。むしろ、その人の天寿が全うされるのはそう先のことではないのだろうから、それまでは仕方のないことだと思って諦めている。処分される猫には申し訳ないことだが。

いずれも2009年6月9日撮影
授乳中
授乳中
母子
2匹が遊ぶのを見守っているところ。ちょろちょろと動き回る仔猫は、その天敵であるカラスや鷹(タカ)、甜(テン)などから狙われ易いので、このようにしていれば安心だ。

 この2匹は大の仲良しで、互いに無くてはならぬ存在だ。
 今の日本の社会人の感覚からすると、動物の子供が兄弟同士でじゃれ合っていることは、単なる遊びということになるのだろう。しかし、私はそうは思わない。それは、その成長にとって必要不可欠の仕事または鍛錬だ。いや、そう言ってしまうと何だか義務的な響きがあるので、「遊び」という言葉の定義そのものを変えなければならないと思う。つまり、それを「賃金労働」の対義語のようにするのではなく、自己の内側から湧き出でる芽のようなもの、必要不可欠なものとするということだ。
 それは人間でも同じことだろう。子供が何人か寄れば、やたら跳んだり跳ねたり走ったりして無駄な動きをしているように見えるが、それは決して無駄なことではなく、それによって仲間意識が育まれたり筋肉が鍛えられたりして、その子が本来生まれ持って来た通りの成長をすることが出来るのだと思っている。

 我が家周辺の猫文化からすると、隣の家の餌の味を覚えれば、この子たちもやがては隣に移住し、そこで飽きられれば保健所に連れて行かれることになるだろう。しかし、せめてそれまでの間だけでも我が家の庭でのびのびと遊び、心と体を鍛えて立派に育ってほしい。そして、できることなら、我が家にずっと定住してほしいと願っている。

客間


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