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ペットの部屋

謎の失踪事件

2013.07.25
更新 2013.08.07
このストーリーはフィクションです。描かれている場所や登場人物は、実在の場所や人物と一切関係ありません。

フー(左)、ヨン(右上)、ヒー(右下)
フー(左)、ヨン(右上)、ヒー(右下)
ミー(上)、母猫のチチャ(下)
ミー(上)、母猫チチャ(下)

 上の画像はいずれも、6月20日に外で遊んでいるところを写したものだ。ところが、これから間もなく信じられないことが起きたのである。

子猫がいなくなる

 6月10日の夜に子猫がいなくなったが、翌日の未明には全部無事に戻ったことは、膝の上の産声(うぶごえ)の最後の方に書いた。ところが6月20日の夜、またもや子猫がいなくなったのだ。
 夜9時頃、不審に思った私が隣の家の下まで探しに行くと、思ったとおり上で母猫チチャの声がした。呼んだらすぐに来たので、暗い中しばらく撫でていたら、母猫を呼ぶ子猫の声が上から聞こえた。チチャがそちらに向かって走って行くと、子猫2匹が納屋の裏から走って出迎えたのが、母屋(おもや)玄関の灯りのシルエットで見えた。居場所が分かったので一安心した私は、とりあえず家に帰ったが、寝付けないので焼酎を飲み始めた。
 それから1時間半ほどしてから、チチャだけ帰って来たが、餌を少し食べただけですぐまた出て行ってしまった。

 6月21日早朝、昨夜と同じ場所に行くと、子猫を呼ぶ母猫の声は、そこからかなり離れた場所でしていた。
 このときはまだ、『どうせまた戻って来る』と思い込んでいた私は、家に帰って朝食を作って食べ、いつものようにパソコンを中庭へ出して仕事を始めた。
 それからしばらくすると、またチチャだけ帰って来たが、その口先には棒か何かで叩かれたような真新しい傷があった。彼女はすぐまた急いで隣へ行ったので、これはただ事ではないと思った私は、そこへ様子を見に行くことにした。

 この家は古くからある農家で、くぼ地にある広い敷地の中に大きなビニールハウスが二つ、車庫、物置がいくつか、納屋、作業場、蔵、味噌蔵、そして一番奥に大きな母屋がある。我が家とはこの母屋が一番近く、そこへ通じる砂利の坂道があり、昨夜私が子猫のシルエットを見たのはその下からだった。
 ところが今母猫が鳴いているのは、それとは正反対に位置する正面入り口付近のようだったので、私はこの敷地をぐるっと取り巻いている舗装道路を登り、正面入り口の坂を下って行った。チチャの大きな声は、相変わらずこのくぼ地に響き渡っている。下を見ると、チチャは母屋に近い方のハウスの角で南の方を向いて鳴いており、杖をついたこの家のお婆さんがそれに向かって何か言ってから、踵(きびす)を反して母屋の方へ歩いて行くところだった。
 その母猫の様子から、どうやら子猫は4匹全部いなくなったようだ。
 私が敷地に入って行くと、それに気付いたチチャが寄って来て、甘えて足に絡み付いてきた。チチャを蹴飛ばさないよう、ゆっくりゆっくりと母屋へ向かった私は、その玄関を開けると大きな声で「ごめんください!」と何度も呼んだ。しかし、その正面の居間では、テレビの料理番組の音声が聞こえているだけで、誰も返事をしない。たった今、お婆さんがここへ向かって行くところを見たのに・・・ということは居留守か?
 それをいいことに、私は無言であちこち探し回った。ハウスも数ある建造物も扉が開放されているが、子猫の姿は見えない。その間、チチャは私の足にずっとからみ付いていた。寂しかったのだろう。
 そういえば、以前この家のお婆さんが、「飼っていた猫を保健所に連れて行った」と言っていたことを思い出した。さては、ここの息子さんが勤めに出るついでに、子猫を保健所に連れて行ったのか? それなら4匹一度にいなくなったということの説明が付く!
 私は急いで家に帰ると、市役所の担当部署に電話した。すると、「県の方にも問い合わせたが、近日中生後2ヶ月半くらいの猫が4匹一度に持ってこられたことはない」とのこと。ということは、まだ隣の家のどこかにいるはずだ。
 私はまた隣の家の正面から入って行くと、チチャは先ほどとほぼ同じ場所で、同じ方向に向かって鳴いていた。先ほどのお婆さんが、その近くで畑仕事をしていたので、私はそこに近付いて「子猫を見なかったですか?」と尋ねた。すると、お婆さんは一瞬嫌な顔をしたが、私がそれに気が付かないふりをすると、すぐいつもの笑顔に戻ってこういう内容のことを言った。
「3~4日くらい前に白いのと白黒の二匹が来たが、手に取れなかった。その2日ほど後に来た三毛は手に取ることが出来た。藁をゆらせたらそれで遊んだ。昨日今日は見ていない。」
 変だ。最初にいなくなったのは10日前で、2回目にいなくなったのは昨日だ。それ以外の時は、ずっと私のそばにいたのだから。しかし、この人を問い詰めてもらちが開かないと思った私は、表向きに「帰るのを待ちます」と言って家に戻った。

 中庭のパソコンで仕事をしていても、チチャの悲しそうな声がここまで聞こえてくる。ほとんど飲まず食わず眠らずで、子猫を探し回っているのだ。たまに帰って来ると、チチャは私の膝のあたりで死んだように眠るが、しばらくすると子猫を呼ぶ自分の寝言で目を覚まし、また隣へと出かけて行く。きっと、夢の中でも探しているのだろう・・・

その背景

 2006年の秋のこと。この山あいの集落の家々を巡回し、餌をねだっている4匹の猫がいた。人になついているので、多分町の人が来て捨てたのだろう。
 当時猫がいなかった我が家ではネズミの害がひどかったので、私は彼らを飼うことにした。一方隣の家では、お爺さんが猫嫌いなので飼ってはいけないことになっている。ところが孫のいないお婆さんと、子のいないその息子さんは猫が好きだ。そこで、時々やって来る我が家の猫に、生の魚の頭とか天麩羅とかを与えて楽しんでいたようだ。
 我が家では、ほとんどドライのキャットフードだけなので、猫たちにしてみれば質の良い餌をくれる方に滞在したかったのだろう。そのうち我が家にはキャットフードを食べに来るだけになった。

 翌2007年の春になると、手のひらサイズの子猫1匹が我が家の中庭で鳴いていた。どうしたのかと思って様子を見ていたら、昨年隣へ移住したうちのメス1匹が、その後間もなく同じような子猫3匹を次々とくわえて連れて来た。『ここに住んでくれるのならいい』と思った私は、その5匹に巣箱を提供して餌を与えたので、彼らはここに住み付いた。
我が家に住み着いた猫の母子
我が家に住み着いた猫の母子

 ところが、その子らが大きくなってくると、母猫に付いて隣の家に行くようになった。そして、そこで餌をもらうようになったようで、結局また全部隣へ移住してしまった。それに懲りた私は、そんな他所の家に住み着いた猫にはもう餌をやらなくなったので、そのうち彼らは食べに来なくなった。それは、猫騒動に書いてある。

 翌2008年の春、その子のうちの1匹が我が家にやって来て、使っていない蔵の中で子を3匹産んだ。しかし、母猫が隣へ行って長時間留守にしている間に死んでしまった。まだ目が開いていないような小さな猫だったので、低体温症になったのだろう。
 クミャクミャと名付けたこの母猫以外の猫は、この頃から全く姿を見なくなった。
クミャクミャ
クミャクミャ

 秋が来て、クミャクミャ1匹だけ外にいるのは寒かろう寂しかろうと思い、家に入れてやったら、夜は私の布団で眠るようになった。

 翌2009年の春、クミャクミャが小さな子を2匹次々とくわえて来た。きっと、隣の家のどこかで産んだのだろう。私はこの母子にまた巣箱を提供して飼うことにした。子猫はちゃんとその中に入り、母猫が留守の時はじっとしていた。それからしばらくして隣から帰って来た母猫の頭の毛が、何かの液体でぐしゃぐしゃになっていた。それは天ぷらの匂いがしたので、きっとそれを揚げて回収した油を掛けられたのだろう。これらのことは、猫文化に詳しく書いてある。
タマコロ(左)とキャ(右)
タマコロ(左)、キャ(右)

 しかし、それにこりずクミャクミャは隣との間を行ったり来たりするので、やがてタマコロとキャと名付けた2匹のオスの子猫も、それに付いて行くようになった。
 ある日、隣から帰って来た猫が臭いので調べてみたら、3匹とも足に灯油が付いていた。それから同じことが何度もあった。腹に黒い炭の粉を付けられていたこともあった。それは冬だったので猫は、昼はコタツに入っている私の膝の上、夜は私の布団の中に入って来る。それを想定した上での、極めて陰湿な嫌がらせだ。
 灯油はともかく、天ぷら油も炭も普通は台所に置いてある物だ。昔気質(むかしかたぎ)なこの家のお爺さんは、台所のことは女性に任せっきりのはずなので、天ぷらを揚げる油がどこに置いてあるかなど知るはずもないだろう。また息子さん夫婦は、どちらも明るくさっぱりとした性格だ。

 年が明けた2010年4月、クミャクミャは我が家の納屋で子を2匹産んだ。ところが、その時点でもう成猫になっているキャとタマコロは、ある日を境にしてパタッと姿を見せなくなった。
チピン(左)、クミャクミャ(中)、トラピー(右)
チピン(左)、クミャクミャ(中)、トラピー(右)

 今度の子のうちのチピンと名付けたオスは、母猫に付いて隣の家へ行くことは行くが、じきに帰って来て夜は私の布団で一緒に眠る。その一方、トラピーと名付けたメスは、隣の家で餌をもらうようになったようなので、我が家で餌をやらなくなったら隣へ移住し、それからおよそ1年後に全く姿を見せなくなった。
 その夏、クミャクミャは今度もまた我が家の蔵の中で子を3匹産んだ。いずれもオスで、チビマル、マロン、クロッピーと名付ける。
チビマル(左)、マロン(右上)、クロッピー(右下)
チビマル(左)、マロン(右上)、クロッピー(右下)

 翌2011年の春、クミャクミャはまた我が家の蔵の中で子を3匹産んだ。
2011年春生れの子猫たち
2011年春生れの子猫たち

 それが生後2ヶ月半になった頃の夜中、我が家の玄関横の巣箱の中にいた三毛のメスが、タヌキと思われる野生動物に襲われた。それからずっとどこかに隠れていたようで、朝戻って来たのを見たら、なんと片方の目玉が飛び出していた。急いで病院へ連れて行き入院させる。顎も骨折していたそうだが、治療の結果命は助かった。ところがこの猫が退院した日、その兄弟の茶虎のオスが隣の家のビニールハウスの中で食い殺されていた。
 その後、この三毛をミューミュと名付ける。
 秋になると、チビマルが突然餌を食べなくなり、数日後に行方不明となった。クロッピーも、そのすぐ後で行方不明になった。
 ミューミュの兄弟の白黒色のオスでボクと名付けた子猫は、年が明けてから肺炎で死んだ。病院へ連れて行ったが、既に手遅れだったのだ。

 ある日、自家製の野菜を持って来て下さった隣のお婆さんから、我が家の猫のその後のことを聞かれた。そこで私は、片目になった猫が、今では両目の猫と同じように元気に走り回っているということを話したら、顔をこわばらせて「ちくしょう!」と言った。何なんだこの人!?
 また、お婆さんが彼女の自宅で猫に餌をやっていたら、「癖になるからやめろ」と息子さんから言われたそうだ。それからは、隠れてやっていたと言うのだから、私は飽きれてしまった。なぜそうまでして我が家の猫にちょっかいを出すのか? しかもそれを堂々とこの私に言うのか? 私は、自分で「猫が好き」と言っているこの人の人間性がますますわからなくなった。

 2012年春、2011年生れのマロンが、2010年生れのチピンに向かって突然本気で喧嘩を仕掛けた。それまで仲の良かった2匹だったが、この時から険悪な仲になった。結局、後輩であるマロンが敗れて隣の家へと移住してしまい、じきに全く姿を見せなくなった。
 初夏になると、悪性の伝染病が我が家の猫たちを次々と襲い、最後には片目のミューミュとその母クミャクミャも死んでしまった。それを隣のお婆さんに話したら、「良かった!」と言った。
『猫が死んで良かった!?』
 自分の母親と同じくらいの年齢のこの人に対して、いつも穏やかに話していた私だったが、今度という今度は思わず目を見開いて「良くないよ!」と言い返した。この人は我が家の猫のことをたまに聞きに来る。私は今まで、それはこの人が猫好きだからなのかと思っていた。ところが、近頃ではそうでなくなってきたということが、これでわかってきた。

 以前このお婆さんは、生後3ヶ月くらいの猫を見て、「このくらいの時が一番可愛い」と言っていたことがある。
 この人には孫が一人もいない。その寂しさを猫で紛らわしていたのだろうが、子が産まれてもまだ小さなうちに、母猫がなぜかいつもどこかへ連れて行ってしまう。そしてついに自分の家で出産さえしなくなってしまった・・・その寂しさ、怒り・・・。逆の立場なら、私も同じように思ったかもしれない。しかしそのあとが違う。多くの人は、なぜそうなってしまうのかということを少しでも考えるはずだ。そして、もし自分にその原因があるのなら、それを直そうとするのではないだろうか。

 2代目の母猫クミャクミャは、死ぬ2ヶ月ほど前に私の寝室で3匹の子を産んでいた。我が家の、蔵ではなく居住空間で猫が子を産むのは、これが初めてのことだ。そのことは、新猫文化に詳しく書いてある。
2012年春、私の寝室で産まれた子猫たち
2012年春、私の寝室で産まれた子猫たち

 この子猫たちは母猫の存命中にもかかわらず、大きな兄チピンの腹に吸い付いて乳を飲む動作をしたり、実の母親よりも私やチピンの声によく反応した。自分の死期を知っていたクミャクミャがそう仕向けたのか、子猫が母の死期を察知していたのか、と思うのは勘ぐり過ぎだろうか。
 その中の1匹が3代目の母猫チチャ、2013年7月現在で1歳4ヶ月だ。

謎のままでいい

 母猫が呼ぶと、その声に反応して子猫が鳴き、母猫はその声を頼りに子猫を探し出す。場合によっては子から先に声を出すこともあるが、そのようにして離れ離れになった猫の母子は再会できるようになっているのだ。ところが、丸1日以上かけて母猫が大きな声で呼びながら懸命に探し回っているのに、子からの応答が全くない。それならダメ元だが、今度は私が呼んでみることにした。
 6月22日朝5時頃、私は隣の家を取り巻いている道を歩きながら、その敷地の中に向かって子猫の名を順番に呼んだが返事はなかった。
 一旦家に帰り朝食を食べ終えた私は、母猫と一緒に隣の家の玄関へと向かった。他人の家の敷地に無断で侵入すると、猫は罪にならないが、人間の私は訴えられれば住居侵入罪になるからだ。
 まず応対に出たお婆さんから、子猫を探す許しを得る。外出していてたまたま帰って来た息子さんは、チチャを見てこうおっしゃった。「これはたまに見るが、子はまだ見たことがない」と。自動車を運転して猫をどこかへ連れて行くとすればこの人なのだが、嘘をつくと顔に出る人なので、今回はどうも無関係のようだ。
 その息子さんからも許しを得た私は、味噌蔵から始まって建物のあちこちの戸を開け、時には中に入って子猫の名前を呼んで回った。私に付いて歩く母猫もその声に返事をして声を出すので、二重効果だ。しかし、子猫の声も姿もなかった。

 これだけ呼んで反応がないということは、聞こえない場所にいるか聞こえなくなってしまっているかのどちらかだ。私は、この家の人に礼を言って帰宅した。
 もうこの世にいないのかとも思ったが、どこかの草むらに身を寄せ合って隠れていて、母猫や私のことを待っている・・・そう思うと、ついつい隣の家の周囲に足が向いてしまう。そして、子猫の名を順番に呼んで歩いている私だった。
 朝昼夜となく1日2~3回、子猫たちの名を呼びながら、時には母猫と一緒に捜索する日々が続いた。
 そして一週間が過ぎた。たとえどこかにいたとしても、あの年齢の猫がこれだけの日数、飲まず食わずでは生きられないだろう。そう思った私は、この日をもって捜索を打ち切った。

 野生動物のしわざ?
 この近辺でその可能性があるのは、タヌキ、テン、タカの3種だ。しかし、これらはいずれも基本的に縄張りを持っている単独行動者なので、隣の家の敷地内という狭い範囲で、しかも夜9時から翌朝5時という短い時間に4匹が全部食べられるということはまず有りえない。
 子猫が自発的にどこかへ移動した?
 いや、あの年齢の子猫は、母親がいない時には自分の慣れ親しんだ範囲の外には出ない。そのような場所でなければ、ひとところにじっとしている。知らない場所をうろちょろして敵に襲われないようにするため、そのように出来ているのだ。
 これはもう、人間の仕業としか考えられない。犯人は誰だか見当が付いている。しかし、まさかあんな小さな猫にまで手を出すとは・・・今でも信じられない・・・
 ・・・いや、もうよそう。これを明らかにしたところで、子猫が戻って来るわけではない。また、隣の人との仲が険悪になれば、表面上で損をするのは他所から移住して来た私の方だ。しかし、この狭い村社会の中で恥をさらすのは、やった本人とその家族だろう。もういい。「謎」のままにしておこう・・・
 それにしても、様々な困難を克服してあそこまで育ったのに、こんな結末になったことが残念でならない。
 以前あるラジオのトーク番組で、猫に詳しい人が「猫は泣かない」と言っていたが、そんなことはない。子がいなくなって探している時の母猫の声、あれは涙こそ流していないが、明らかに泣いている。
 人間の私も涙を流して泣いた。でも、一番辛かったのは、未来への可能性を一杯持って生まれて来たのに、つまらぬことのために犠牲になった子猫たちだろう・・・

エピローグ

 無責任な人間によって山に捨てられた猫たち。そこには、ネズミの害に悩んでいた人間と、孫のいない寂しさを抱えた人間がいた。そのあいだを行ったり来たりしながらも、彼らは懸命に生きて子孫を残していった。
 やっと飼い猫らしく産まれるようになったと思ったら、その小さな芽が全部つまれてしまった。しかし、猫はまだ負けてはいない。子を探す母猫の悲しげな声は、発情の太くて力強い声に変わり、チピンは再びチチャの上に乗ったからだ。
 もし彼女が普通の猫なら、また子が産まれたとしても、もうあそこには近寄らないだろう・・・

四つの光
田野呵々士

蓮の花が開くような ポン!という音とともに

半透明のカプセルに包まれて

私の膝の上にやってきた四つの命

走ったり跳ねたり出来るようになったと思ったら

もう会えなくなってしまった・・・


たとえ邪悪な闇が その肉体を消し去ったとしても

魂に刻み込まれた光まで 消すことは出来ない

絶え間なく降りそそぐ母さんの愛

緑の梢の金色の光

魅惑的な月の光

初めて木に登れた時の青空

初めてカエルを捕まえた時の草の露のキラメキ


私たちは魂を洗い清めるため この世に産まれて来た

そのことを知らぬ者は過去の過ちを繰り返す

そして自らの罪によって あの世の闇の中でも

同じ苦しみをずっと味わい続けることだろう


四つの光よ永遠なれ

そしてまた

どこかの空の下に降りておいで

四つの光

客間


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