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神棚の部屋

縄文式土器

2009.07.21
更新 2009.07.23

縄文式土器とは

 縄文時代に作られた土器。その形状は様々だが、その最大の特徴は、表面に縄を押し付けた文様があるという点だろう。それに加えて、溝による文様や、粘土を貼り付けた立体的な装飾が施されているものもある。

縄文式土器 表


縄文式土器 裏
裏。黒いシミは、発掘後のものだと思う。

縄文式土器 上
上から

縄文時代とは

縄文式土器 横
横から

 日本の、紀元前14500年頃から紀元前1000年頃までの期間のこと。
 この時代の人骨には殆ど損傷が無いのに比べ、弥生時代になると途端に刃物で切られた跡などが顕著になるそうだ。要するに、縄文時代には戦争が殆ど無かったということが推測される。
 その理由はいくつか考えられるが、まず第一に、社会の仕組みが女性中心であったからではないだろうか。各家々の家長は女性であり、その家は代々女性が継いで、男性は他家に婿に出るのだ。
 また、一家の中央にある炉の火の管理は、その家の家長である女性の仕事であり、それは江戸時代まで続いたらしい。現在でも、日本の一般的な家庭の台所権は主に女性が握っており、その人のことを「おかみさん(「神」「上」という意味に通じる)」と呼ぶのは、その名残であろう。
 しかも、縄文式土器を作ったのは主に女性であったとされている。

この土器入手のいきさつ

 1971から1972年頃、東京都練馬区大泉近辺にて、私の叔母夫妻が自宅を新築することになった。
 基礎工事の際、そこに遺跡があることが判明し、発掘調査が行われた。そこから出土した土器の一部を、記念(謝礼?)として、その土地の所有者である叔母夫妻が(国から?都から?)譲り受けたということを、うろ覚えの記憶で覚えている。
 当時小学校中学年だった私が、科学大好き少年(学校の成績は悪かったが)であることを知っていた叔母夫妻のご好意によって、土器の破片の一つをお裾分けに頂いたのがこれだ。

作られた時期

 考古学に関して私は素人だが、乏しい情報に基づいた、おぼろげな推測ならできる。
 ネットで調べた画像などによると、円の曲線の完成度の高さの割りに、装飾が単純なので、多分後期から晩期のものだと思う。ということは、紀元前2700年頃から紀元前1000年頃までに作られたものだろうということだ。

復元シミュレーション

 この土器片の各部分を計測して推測しただけ。数学的に処理したわけではないので、あまり正確なものではない。
 大学の研究室などのようにはいかないが、この土器を画像処理ソフトによって、ある程度立体的に復元してみた。

復元

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