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不思議の部屋

不思議な柳の木

2005.03.04
更新 2005.05.12

雨漏りの大きな穴  我が家は今でこそなんとか雨露を凌げているが、入居前には何箇所かで雨漏りがしていた。中でも、裏口から井戸小屋へ続くコンクリの渡り廊下の上を覆っている鉄板の屋根と、母屋のトタン屋根とが直角に接合している部分のそれは特にひどかった。
 この部分の雨漏りの主な原因は二つあった。一つはこの屋根の構造自体で、もう一つは、そこに隣接して生えている高さ四メートル程の細い柳の木だ。これらがどのようにして雨漏りを引き起こしていたのかというと、まず、この柳の枝は屋根のこのL字型の部分の上に丁度覆い被さるようにして垂れ下がっていたので、その落ち葉が長期間にわたってそこに堆積した。そして、その堆積物が二つの屋根から合流した雨水を堰き止めるダムとなり、そこに溜まった水がトタン板の隙間からその下に侵入していたというわけだ。
 この家の他の部分の修理もそうだったが、工事を業者に発注する経済的余裕は無い代わりに、時間的余裕が充分にあった私は、この雨漏りの補修工事も自分で行った。工事が完成した数日後に大雨が降った際、この軒下を見に行ったが、あれほど激しかった雨漏りが、意外にもピタリと止まっていた。大工は素人だし、このような複雑な構造の屋根を修理するのも始めての私だったが、雪が降る前にこれを完成させることが出来たのでホッとした。

 やがて年が明け、その春には他の工事も完了させ大掃除も済ませて、なんとかこの新居に入居することが出来た。夏と秋が過ぎ、今度やって来た冬は例年にない大雪となった。畑には既に六十センチは積もっている。私は自分の修理した屋根のことが気になって、家の裏へと様子を見に行ったが、そこは雪で潰れてはいなかった。軒下も見たが、幸いにして水は漏れていない。次に屋根の上はどうなっているかなという何気ない好奇心で、私は軒下からヒョイと首を覗かせた。その私の目に映ったのは、本来そこにはあってはならない物だった。それは高さが人の背丈ほどもある、巨大な雪の塊りであった。
 この塊りは、以前私が屋根を補修した部分の上に乗っていたので、私はてっきり自分のした工事に手落ちがあったのではないかと思ったが、すぐにそうでないことがわかった。横に生えている柳の木の枝が、何本もその雪の塊りに巻き込まれ、雪が屋根から落ちるのを堰き止めているのが見えたからだ。雪が溜まり易いこの屋根の構造と例の柳の木の二つが、またもやその主な原因となっていた。

裏庭と屋根の雪  この上に更に雪が堆積すれば、膨大な量の雪を支えている建物の古い木材は、いずれその重みに耐えられなくなってしまうだろう。建物が潰れる前に何とかしなければならない。その方法はいくつか考えられた。
 まず、梯子を掛けて柳の枝を切るのが一番手っ取り早いのだが、もし切った途端にこの雪の塊りが落ちて来たら、私は梯子と共にもろにその下敷きとなる。自らの重みでコチコチに圧縮されている、この巨大な雪の塊りを身体で受け止めれば、屋根から落ちて来た普通の雪を被って、ワハハと笑い飛ばすようなわけにはいかない。
 次に軒下で火を焚いて徐々に雪を溶かす方法。これは実際にやってみた。建物に引火しない程度の火を焚き、十分二十分と待ったが、水滴一つ落ちて来ない。だが、こんな悠長なことをしている最中に、もし建物が潰れたら、自分はその下敷きになってそのまま荼毘に付される上に、家が火事になるということに気が付いて、慌てて中止した。
 屋根に上って湯を掛けて雪を溶かす。これは効きそうだ。しかし、まとまった量の熱湯を持って誰が雪の積もった屋根に上るかだ。誰かが上ってくれれば、きっと私は下から熱い声援を送るのだろうが、自分が上ろうとは思わない。人が上がって負荷が増えた拍子に建物が潰れても洒落にならないので、これも、あまり安全な方法とは言えなかった。
 この部分が居住空間ではないということと、この場所には私以外の人間が立ち入ることはまずないということで、これぞという対策が見付からないまま、この雪の塊りの除去は先延ばしにされていった。そして結局は、自然の力で雪を溶かすという、最も消極的ではあるが、最も地球温暖化防止に貢献する方法の選択を余儀なくされた。ところが、その冬も終わろうとしていたある日のこと、意外なことが起きた。柳の幹の上部が折れてしまったのである。雪の塊りは柳の枝を巻き込んだまま徐々に屋根を下り、幹がその力に耐えられなくなったのだ。
 春になってから、私は柳の幹の折れた部分をチェンソーで完全に切断し、屋根の上に掛かっている枝を全て取り除いた。建物を二度までも危険な目に合わせた木など、本来なら根元から切ってしまえばいいのだろうが、私はそれをしなかった。この木を失うのは惜しいと思ったからだ。
 我が家の裏庭は、裏山から染み出して来る水で、いつも池のようになっている。この水辺のこの柳の木が、初夏の陽射しの中で枝葉を風にそよがせている映像が、そのときの私の頭の中に一瞬現れた。それは風流で美しい風景だった。そのため私は、この木を根元から切ってしまうのが惜しくなったのだ。この映像は、この柳の木が発した、根元から切らないでというメッセージだったのか、その後起こる事件への私の予知だったのか、その両方だったのかは、未だにわからないが、後から考えてみれば、とても重要なものであったことに変わりはない。
 今後また柳の枝が伸び過ぎて今回のような支障が出そうになったら、その前にその部分だけ切るということで、この件は落着し、私はこの柳の木のことを三年近くも忘れていた。ところが最近になって、この木の存在を再認識せざるを得ない事件が起きた。

 当時、我が家の裏山には、大きな立ち枯れの松が何本かあった。そのうちの母屋に一番近い一本は、枯れてから相当年月が経っているようで、木の先端は折れて無くなっている。それでも、これがもし我が家の方向に倒れて来たなら、確実に屋根に当たるだけの高さがあった。このような危険な木は伐採しなければならないのだが、そこは笹や潅木が密生する急斜面なので足場が非常に悪い上に、倒す方向を誤ると、かえって家を壊すことになるため、私はこの一本の伐採だけはずっと先延ばしにしていた。すると前回の冬に、積もった雪の重みでこの木の枝が折れて裏庭に落下していた。それを発見した私は、この調子で徐々に枝が折れて、幹も自然の力で平穏無事に崩れてくれればいいなどと、またもや地球温暖化防止に貢献する方法に頼ろうとしたのだが、自然の力は、そう度々私の都合に合わせてはくれない。
 昨年夏の何度目かの台風が去った朝、裏庭を見に行った私は、とんでもない光景を目にしてしまった。それは、この巨大な立ち枯れの松が、よりにもよって我が家に向かって倒れている光景であった。最悪の事態になってしまったと思った私は、雨で濡れた屋根が乾くのを待って屋根に上ってみた。
 まず、この枯れた松は台風の強風で家に向かって真っ直ぐに倒れたのだが、その途中で、ある障害物に当たり、太いその幹はその部分から先が折れていた。そして、二メートル足らずのその折れた先が、屋根の上にドーンと乗っていた。枯れ木とはいえ太い幹だったので、こんな重い物が落ちた屋根には、さぞ大きな穴が開いているに違いないと思ったのだが、この幹に何本か付いている折れた太い枝がクッションの役割を果たしたらしく、屋根の損傷はトタン板と銅板が微かにへこんだくらいで済んでいた。
 これはまさに奇跡だった。その奇跡を起こした障害物に私は目をやった。それはなんと、以前この屋根の上の雪の塊りを自ら抱え込んで折れた、あの柳の木だったのである。
 幹を途中で切られて高さが約三メートルとなっているその柳の木は、直径十センチに満たないその幹の上に、直径三十センチ以上もある巨大な松の幹を乗せ、丁度そのつっかえ棒のようになっていた。一方倒れた松は、片方の端を裏山の斜面に、もう片方の端をこの柳の上に乗せ、水平に掛けられた丸木橋のような状態になっていた。松の幹が右か左にもう二センチずれて倒れても、このような状態にはならなかったはずだ。さらに、この柳をあのとき根元から切っていたなら、松の巨木は我が家を直撃していただろう。そうすると、屋根に穴が開くどころか、家屋の一部が潰されていたに違いない。これは、奇跡を通り越して不思議と言う他はない。屋根の上に散乱している、夥しい量の枯れ枝や幹を下に落としながら、私はそう思った。
 その後、この柳の上に乗っている松を取り除こうとして、私は横から長い棒で押したり叩いたりしてみたが、それはびくともしなかった。どうやら松の幹に柳の幹の先端が食い込んでいるようだ。これでは、ただ単に横から押しただけでは駄目だろう。松の幹の下に太い棒をあてがい、その下に車のジャッキを差し込んで松を浮かせるという方法も、脚立に登って松を下からチェンソーで切るという方法のいずれも、この状況では自殺行為である。また、松の幹のもう一方の端がある裏山は、笹が密生する急斜面になっており、私はここに入って作業することにも、やはり危険を感じた。この裏庭は狭いので、ユニック車もクレーン車も入れない。
 しかし今回の私は、この枯れた松の腐食が更に進行し、自然に折れて柳の木から落ちるのを待つという方法を、地球温暖化防止に貢献する方法などとは言いたくなかった。

 その夏が過ぎ、秋もあっという間に過ぎて、また冬がやって来た。
 雪が止むのを見計らった私は、作業着に着替えると、以前思いついたままずっと先延ばしになっていたあることを実行しに、暖かい家の中から屋外に出た。冬至を過ぎて間もない山の午後四時過ぎは既に薄暗い。この作業に必要ないくつかの道具を道具置場から持ち出した私は、そのまま裏庭へと回った。屋根から落ちた雪がうず高く積もっているそこには、自分の重さの何十倍もある枯れた松の幹を、依然として懸命に支えているあの細い柳の木があった。
 この横になった太い松の幹に今後さらに雪が降り積もれば、その重みで松は自然に折れてくれるかも知れない。しかし、今度一緒にかまくらを作ろうと約束した小学生の息子が、そのときその下にいたら、とんでもないことになる。またそれとは逆に、柳の幹が松の重みとそこに降り積もる雪の重みに耐えかねて、再び折れてしまうことも考えられる。前回とは違い、倒れた松から身を呈して我が家を救ってくれたこの柳の木を、折れるまで放置するわけにはいかなかった。
 これから行う作業は多少危険を伴うが、今まで思いついた中では最も安全な方法だ。もし駄目なら、また別の方法を考えようと思いながら、私はロープで投げ縄を作り、朽ちていつ崩れ落ちるかわからないこの巨木の下に立った。このような場合、普通ならロープはより頑丈な幹の方に掛けるものだが、私はなんとなくそれを避けて、幹に付いている太い枝の方に狙いを定めた。この松の幹にロープを回すという行為に、理由はわからないが、そのとき多大な恐怖を感じたからだ。
 私の投げ上げたロープは、天を向いている一本の太い枝の途中にうまい具合に引っ掛かってくれた。私はロープを引き絞り、ウインチのフックをロープのもう一方の端に繋いだ。そして、ウインチのワイヤーを数メートル離れた山の斜面に生えている強そうな木の根元に掛け、ウインチを回してその松の枝を横から徐々に引っ張った。水を吸った枯れ松は重く、柳の先端もその幹に相当深く食い込んでいるようで、なかなか動かない。ロープは張り尽くされ、ホームセンターで買った二トンまでしか引っ張れない小型のウインチが回らなくなってきた。そのうち、ロープを掛けてある松の枯れ枝が折れ、もの凄い勢いで私の方に飛んで来るという新たな危険が生じてきた。それでも私は手を休めることなく、じわじわとウインチを回し続けた。

柳と枯れ松 「これで死ぬなら、俺は死んでも構わない。」
 私はこのときそう思った。すると間も無く松の木は、まるで大きな風車のように、ゆっくりと回転しながら柳の幹の先端から抜け、地響きを立てて地面に横たわった。上を向いている枝を引っ張ったため、偶然にも梃子(てこ)の原理による力が加わり、この作業は成功したのである。定石どおり幹そのものを引っ張っていたなら、その力で柳の木は折れていたかも知れない。これは、作業を終えてみて初めて気付いたことだった。雪がまたちらついて来たので、夕闇の中、私は急いで道具類を片付けながら、このような作業の奥の深さを改めて思い知らされた。

 このようにして、枯れた松の重みからようやく解放されたこの不思議な柳の木は、翌年春になって、無事に新緑の芽を出していた。

柳と枯れ松

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