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文字列の部屋

赤い鍋

2000.3.9.
2008.8.28. 更新
このストーリーはフィクションで、実在する個人・動物・団体・地域・組合・市町村・国家とは一切関係ありません。
前置き

 その昔、人は朱鷺を食したそうな。
 その肉を鍋にすると、汁が血のように赤くなるため、敢えて闇の中で食べたという。そこまでして食べたということは、それなりに旨かったのだろうか。

 さて、1998年のある日のこと。
 たまたま私は仕事で、佐渡郡新穂村の道路を北に向かって車で走っていた。すると、この島では見たことのない黒塗りの大きな高級車が、中華人民共和国の国旗と日の丸をそのボンネットの両脇に掲げ、護衛のパトカーや報道関係の車数台を前後に従えて走って来るのに偶然すれ違った。空港から朱鷺保護センターへと通じる道だ。
 それを見た私は、一瞬その行列が何だかわからなかった。しかしその数秒後に、『朱鷺が日本に来る』ということをニュースで言っていたことを思い出した。すると、今度は一挙に興奮してきた。ちょうど憧れている有名人とすれ違ったときのあの感じに似ている。私は、家に帰ったらまず、かあちゃんに、「朱鷺の乗った車とすれ違った!」と、喜びを込めて自慢ぶってやろうと思った。何を隠そう私はミーハーだからだ。その気分は1時間近くも持続したように思う。
 だが、家にたどり着く前に、それは冷めてしまった。私は、あることを思い出してしまったからだ。以前私が海外旅行から帰って来て成田に降り立ったとき、国家はこんなふうに迎えてはくれず、私が何も悪いことをしていないのに、税関でカバンのすみからすみまで引っ繰り返して調べられたということを。この差は一体何なんだ?
 それはいいとしても、この朱鷺を野生に放して繁殖させるということは、現在の佐渡の自然環境では、はっきり言って不可能だ。たとえ何百羽放しても、結果は同じ事の繰り返しになるだろう。
 ただ単に自然が豊かであるということならば、佐渡に勝る場所は日本中いくらでもある。しかし、朱鷺の生態を読んだり中国での野性の様子をテレビで見たりする限り、朱鷺という鳥は、水田を餌場にしていて、人間との係わり合いが他の野鳥に比べて比較的大きいようである。つまり、ただ人間不在の自然があればいいのではなく、水田もある程度必要としているということだ。そのことと、人々の朱鷺を慈しむ心が、この島での朱鷺にとっては、かろうじて恵まれた環境だと言えよう。
 田んぼの泥によって人家の軒下に巣を作り、田んぼに飛ぶ昆虫を餌としている小型の渡り鳥の存在を、日本で知らない人はいないだろう。その鳥のように密接ではないにしても、朱鷺は人と共に生きてきたことは事実である。その朱鷺が絶滅しようとしているということは、私たち人類にとって非常に重要なことなのだ。

「強い者が生き残る」
 その通りだし、それでいいのだと思う。但し、ここで言う「強い」とは一体何かということになる。たとえば20世紀に入って世界の人類の数は急増した。しかし、人口が増え過ぎるということは、人口が減少するということとと同じくらいに危険なことだ。地球上の食料には限りがあるからだ。
 それなら、力が強い者は数が多いということではなく、変化していく環境に適応出来る者だという考え方も成り立ってくる。
「朱鷺は環境に適応出来なかったから滅んでいくのだ。それは仕方のないことだ。」
 と言う人がいる。たしかに適応できなかったのには違いないが、私はそれを仕方がないでは済ませられない。
 まず、朱鷺は先程も述べた通り、水田から餌を採っていた。それは南極の上空にオゾンホールが出来たというようなものではなく、環境の変化が直接私たちの目に見える形で現われているということだ。人類の生み出した物質文明が原因で起きた、この地球規模の自然環境の急変。それに対応できず滅んでいく数多くの生きものたち。科学技術に守られた人類は、それを対岸の火事のような目で見ているようだが、今の科学技術で守れるのはせいぜい人の居住空間周辺ぐらいで、食糧である膨大な量の生命、即ち穀物、野菜、魚介類、家畜等を支えている自然環境を異常気象等から守り通せるかといえば、そんな話は聞いたことが無い。
 次に、弱い者から先に滅んでいっても、その波がやがて強い者にも及んで来るということだ。即ち、弱い者の死によって起きた環境の変化が、強い者にも確実に影響を与えるということだ。
 例えば私が子供の頃、池でメダカやタニシを取ってきてバケツに入れておいたら、何日かして一番弱そうなめだかから順に死んでいった。そのうち魚の死によって水が汚れ、最後には元気だったタニシまで死んでしまったということがあった。今思えば、餌のやり過ぎによる水質の変化がその引き金だったのだろうが。
 だから、弱い者が死んでしまうということは、いずれ強い者にもそれが訪れるという覚悟をしておかねばならない。そういう意味に於いて、
「朱鷺の絶滅は、人類滅亡に対する生態系からの警告だ」
 と素直に受けとめることは、身の回りの環境の変化に素早く対応し、生態系の一部である私たちが生き残れるための第一歩なのだ。

SF(さりげないフィクションの略)

 ついに、その日がやって来た。
 それは人類滅亡の日ではない。ゲージから出たり入ったりしていた朱鷺を、完全に野に放つ日のことだ。
 そこに居合わせた人々の間に、緊張と感動の入り交じった空気が流れた。とくに直接朱鷺の飼育に携わった人の中には、涙ぐんでいる者さえいた。それは、朱鷺との別れに対する涙なのか、嬉し涙なのか、今までの苦労を思い出して出た涙なのかは定かではないが。
市長
「飼育係の皆さん、本当によくやってくれました。全島はもとより、全世界の人がこの日を待ち望んでいたのです!」
飼育係の一人
「まずは中国政府のお陰です。ユウユウが生まれてから20年が過ぎ、死んでしまったものもいましたが、その間にも元気な若鳥が次々と送られてきました。
そして無謀だとか、馬鹿げているとか反対の声が寄せられる中、このプロジェクトの一端を担うと共に、地道な公報活動をして下さった佐渡市、そしてそれに協力して下さった島民の皆さんのお陰ですよ。」
中華人民共和国大使
「お礼を言わなくてはならないのはこちらの方です。地球温暖化による水害対策としての高地、寒冷地での朱鷺を使った水田の普及という、佐渡で生まれたこのシステムの導入により、人口増加による食料不足や、環境汚染、そしてエネルギー不足といった我が国の問題が、これで一挙に解決することになるのですから。」
 人々の間から拍手が湧き起こった。そして、自力で餌を取ることと求愛行動、並びにヒナを育てる訓練を受けた若い朱鷺の雄と雌が、次々と元気良く大空に飛び立って行った。彼らはすでに保護センターを寝ぐらとして、島内のあちこちの水田で餌をあさっていたので、特別戸惑いはしなかった。ただ、今日からは巣を自分で作り、伴侶も自分で見付けて自然の中で繁殖し、本当の野鳥となるのである。
 この朱鷺を見送る人々の中に、朱鷺が捕食の訓練をするために最初に餌場にする為の田の設計に始まって、稲刈りに終わるまでの監督を任された佐渡出身の若者がいた。彼は、また後ほど登場することになる。

 ここまでに至る20年間は、関係者にとって試行錯誤と苦難の連続だった。動に対して必ず反動があるからだ。ところが、米の等級の基準が、従来のカメムシの刺し傷の割合によるものから、農薬やダイオキシン等の含有率によるものに変更されることになってから事態は急変した。それをきっかけにして、完全有機農業化の最大の難関であったJA佐渡が、全国のJAに先駆けて、家庭や飲食店等から出る生ゴミを買い取り、有機肥料の生産と販売に着手し、それまでの経営不振から脱却することに成功すると、その動きに拍車が掛かった。
 それまで処分するのにお金や手間がかかっていた物が、逆に僅かでもお金になるし、有機肥料がより安く購入できるというので、それはあっという間に全島に普及した。また、合鴨による有機栽培の水田の除草を奨励、その合鴨を「おけさがも」というブランドでJAの販路を通じて主に関東地区に出荷したところ、多少値段が張るにもかかわらず、大好評となった。一般のブロイラーは、抗生物質などの薬品漬けの飼料で飼育されているため、消費者が敬遠しつつあったからだ。
 また、無農薬有機栽培に切り替える農家に対して、国から補助金が支給されることになった。佐渡の農業が完全に有機化されるのには、それから10年かからなかったという。
 この頃の世界の人々の食品に対する価値観はすでに「安くて旨いもの」から、「安全で旨いもの」に変わっていた。それほど環境の汚染は深刻化していたのである。特にアジア各国は、日本がかつて辿ってきたように、経済発展の代償として、過剰な開発による環境汚染と、森林伐採等のため国土の自然環境を著しく荒廃させていた。そのため多少値段が高くても、せめて子供には安全な食品を食べさせたいと願う母親が急増していた。
 佐渡産の農作物、近海の海産物は、そのうちアメリカやヨーロッパのオーガニック協会からも認定され、国内は元よりアジア各国の企業がこぞって高い値で買い求めるようになった。「SADO」のロゴマークがパッケージに付いているだけでプレミアが付くようになり、まがいものまで出る始末だ。
 このときは、いつも腰の重たい日本政府が、意外にも迅速に対応した。全国的に、全ての農産物、魚介類、畜産物に対して、環境汚染からの安全性に基づく新たな基準を設け、厳しく取り締まることにしたのだ。そして、自然と人間が最もバランス良く共存しているということで、佐渡を「新第一次産業モデル地区」とし、「国立新第一次産業大学」が佐渡に設立されることとなったのである。
 新第一次産業とは、食品の流通システムの大幅な改善によって生まれた言葉だ。従来の第一次産業のように第三次産業に主導権を握られ、目先の利潤の追求のみに明け暮れるようなものではなく、綿密な生態系の調査により、百年、千年先までそれを継続させるよう、消費者と共に考えていく産業のことだ。
 この大学には、地元はもちろんのこと、日本全国そして海外からも多くの若者たちが入学を求めた。
 自然環境をまず第一に考えるこの新しい流れは、いつしか世界的な広がりを見せるようになっていた。それは19世紀のイギリスに端を発する、人間の欲望を満たすためには手段を選ばない「産業革命」を、質的に凌駕していたために、「新産業革命」と呼ばれるようになった。
 それと時を同じくして、絶滅が危惧されている生物を調べていたある大学の研究所が、ダイオキシンの影響を受けやすい種ほど固体数の減少が著しいという研究結果を発表した。その中でも朱鷺は、ダイオキシンだけでなく、人体に対して毒性が指摘されているすべての物質に特に敏感で、平均して人のガンの発生率の百分の一の量で発癌するに至るということが判明し、そのことも合わせて発表された。朱鷺の固体数がある程度増えたことにより、朱鷺による動物実験が特別に許可されたためである。
 この発表をニュースで知った佐渡の市民団体が、ある「一つの目標」と、それを達成するためのプロジェクトの原案を国に提出した。しかしそれは、荒唐無稽なものとして全く取り上げられなかった。
 ところが、それをその団体がインターネットで公開したところ、アメリカの科学者たちが高く評価し、実際にアメリカのある州で別の動物を使って実用化され、その成果が認められるに及び、ようやくその「一つの目標」に向けてのプロジェクトを組むことが、国会で審議されることになった。日本で何か新しいことを始める時にはよくある、逆輸入のパターンだ。
 この日から朱鷺はただの哀愁のこもった特別天然記念物から、人間には無くてはならない生きものの一つに数えられるという道を歩み始めたのである。
 では、その「一つの目標」とは何か。そしてそのプロジェクトとは何だろう。ここで、一人の老人の半生を辿りながら、それを見ていくことにしよう。

 彼は、中国から二羽の朱鷺が最初に贈られたとき、まだ小学生だった。その後ヒナが次々と誕生し、近親交配を避けるため新たに数羽の朱鷺が日本に贈られることになる。その後佐渡に農業の大改革が起こり、ついに新しい農業、漁業、林業、自然科学などを教える国立の大学まで出来ることになった。それが先ほど述べた、新第一次産業大学だ。
 高校を卒業した彼は、一旦東京の企業に就職したが、だめで元々と、試しにその大学の試験を受けてみると、家家が農家だったこともあって見事合格した。彼はすぐに退職し、故郷のその大学に入学した。
 卒業後、大学で知り合っていた女性とめでたく結婚。実家の有機農業化を進める一方で、「有機農業技士」の国家試験に合格する。先ほど朱鷺を放鳥する際に立ち合っていた、餌場の田の担当の若者がこの頃の彼である。この後、何人かの人達とチームを組んで日本は元より世界各地にその知識と業を伝えて回ることになる。
 地球温暖化でアルプスの雪解け水の害に悩むスイスに、その水を逆に利用して米を作る方法を教えに行ったときには、「その昔、近自然工法を学びに日本から来た人たちがいたが、今度はこっちが教わった」と言われてとても感謝されたりもした。
 朱鷺が環境汚染に極めて弱いという実験の結果が発表されると、それならそのことを逆に利用して朱鷺に環境汚染のセンサーの役目をしてもらってはどうかという提案が島内のどこからともなく出てきた。最初は馬鹿な話しとして島の人々の噂に上る程度で、それはすぐに忘れられてしまった。ところが、このことを国家的事業として取り上げることが国会で突然審議されることになった。
 それに対して地元佐渡では、当初は反対者の方が多かった。彼の父もその一人だった。水田に入った朱鷺を追い払うと罰せられるという条令が、そのプロジェクトの中に盛り込まれていたからだ。
「稲の害虫を食べるのならともかく、ドジョウを取るだけのために田植えの後の田に入り苗を倒したりする害鳥だ。その鳥を追い払って罰せられるということは、受け入れるわけにはいかない。」
 と言うわけだ。
 息子は大学で学んだことや、世界各地で見て回ったことを父に話して聞かせ、説得を試みるが、なかなかうまくいかない。
 ところが、朱鷺が三年以上継続して餌場にしている田んぼの米には、国から補助金が出るということになると、「採算が合うなら良い。」とあっさりと賛成に回った。他の反対者も同じようにして、次々と声をひそめていった。
 そして、住民投票の結果、賛成が僅かに反対を上回り、この奇妙なプロジェクトが動きだすことになった。
 それから20年も経過した時点では、「一つの目標」は既に達成されていた。朱鷺が佐渡全土に野性の状態で生息するようになっていたからだ。当然のことながら、それを見るために、日本はもとより世界各地から観光客が訪れるようになっていた。そのため政府は、佐渡を新しいスタイルの保護区に指定することにした。
 それは、今までの動物園などのように、檻の中でじっとしている鳥を見るとか、人が檻の付いた車の中に入って見て回るといった発想ではない。一旦は絶滅した野鳥が、人間と共に生きている姿を見て、自分もその中で生活を体験で出来るという、世界でも類を見ない区域なのだ。それは、佐渡の新しい観光資源となった。
 ここで目標は充分達成されたはずだが、新第一次産業大学出身の彼としては、気になることが一つあった。保護されて増えすぎた朱鷺を、今度はどうするかということだ。単一作物を同じ地域に蜜生させることは、昔の価値観では大量生産の手法として当たり前のことだったが、新しい農業を勉強してきた彼にとっては、生態系のバランスを崩して、結果的にはその種の絶滅の引き金にもなるという恐ろしい現象であった。
 「間引き」は人間の手によるにしても、そうでないにしても、しなければその生物の遺伝子が腐っていく。実際にはそうでないけれども、感覚的にそんなふうになると彼は信じていた。
 彼は環境庁にその危惧を進言した。これはとても辛いことだったが、朱鷺のためを思えば仕方のないことであった。
 彼のその意見が影響し、ついに朱鷺から特別天然記念物の看板が降ろされ、増えすぎることを防ぐために繁殖期以外での市町村による捕獲と、なんと食品としての売買が佐渡島内に限り許可されることになったのだ。
 当初佐渡の人間で、その肉を口にするものは誰もいなかった。高価だということもあったが、むしろ今まで可愛がってきた犬猫や小鳥を食べろと言われても、急には食べられないというような心理が原因だ。
 そんなわけで、まず朱鷺を食べても良いということで色めき立ったのは世界の食通と料理人達だった。フランス料理と中国料理、とりわけ広東料理の反応が早かった。いずれは他の地域でも食品としての朱鷺の売買が許可されることを見越して、その味見と調理の実験をしておくというわけだ。この世界での「元祖」という看板には、とても重みがある。アイデアを生み出し、誰よりも先に発表することがその店の発展につながるからだ。
 それを求める人々が、我先にと佐渡にやって来ると、それによって佐渡が一挙に国際化した。それまでにも、トライアスロンをはじめとする国際的な催しはいくつかあったが、食用朱鷺1羽が当時約20万円したのと、佐渡で土地を買って料理店を開店してしまう者が出てきたり等で、佐渡に落ちていくお金のケタが違っていた。
 次に、この騒ぎがテレビや雑誌で紹介されると、グルメと自称する一般の観光客が殺到した。そこで、元からある飲食店やホテル、旅館などでも少しずつ朱鷺料理をメニューに加えるところが出てきた。とにかく朱鷺を食べたい人はまずは佐渡に来なければならず、観光業者の嬉しい悲鳴は止まることを知らなかった。今までのように魚介類を直接東京の市場へ卸してしまうやり方とは違い、来訪者が落としていくお金は、宿泊や飲食以外でも当然のことながら各方面にとって莫大な富をもたらした。
 古くなった店舗などを改築する業者が相次いだ。
 コンクリートで覆われてただの水路と化していた多くの河川は、朱鷺の増産をはかるため、災害の対策も兼ねて新しい工法で復元され、朱鷺の餌となる多くの生物が住めるようになった。
 海岸の景観を損ねていたテトラポットも見た目が美しく且つ魚貝類が住みやすく、しかも防災にも優れているものに置き換えられていった。建築業界は大忙しとなり、島内だけでは足りなくなった労働力を補うために、島外からの出稼ぎが流入した。
 まさに「♪佐渡へ佐渡へと草木もなびく」状態になった。都会での失業者は佐渡に職を求め、佐渡から、ついに「過疎」という言葉が消えた……。

 朱鷺と水田の組合せは、日本の他の地域にも広がっていった。環境調査用朱鷺の島外への持ち出しが許可されたためだ。また、中国でもすでに食料増産対策として、それまで不毛の地と思われていた場所に水田が作られるようになっていたが、環境調査用の朱鷺が不足したため、ついに日本から朱鷺が輸出されるようになった。中国での環境汚染は、一時期の日本よりも深刻で、朱鷺の力は是非とも必要だったのだ。
 世界各国から、寒冷地での水田の技術指導を求める声が相次いだ。
 そのうち佐渡島内で、あるブームが巻き起こった。黄金ブームだ。この言葉は、かつてのゴールドラッシュを連想させる。それは、佐渡から金が流出するという現象だったが、これはむしろその逆である。裕福になった島の人達の間で、身の回りの物に金製品を用いることが流行したのである。金の腕時計、ネックレス、ピアスに始まって、椀、箸、皿、酒器等にも豪華絢爛に黄金が用いられた。その中で一番多かったのは、朱鷺の形をした金細工だ。
 東京からこの島を訪れている篠原智之(しのはらともゆき)39歳と、今炬燵をはさんで、彼の目の前に座っているこの話しの主人公の老人の杯も、やはり黄金で出来ている。老人の家のこの客間には、他にも金で出来た朱鷺の置物などがさり気なく配置されている。
「貴重なお話しを聞かせていただきまして、ありがとうございました。」
 その老人の話しが一段落したので、篠原はひとまずその礼を言った。
 ある雑誌社から派遣され、朱鷺のことで以前にもこの島に取材に訪れている篠原は、既にこの老人とは面識がある。今回は、「今世紀最大の謎 黄金の島復活の秘密」と題した記事の取材であった。
 それまで表に出ることはあまりなかったが、この老人は、佐渡で起きた新産業革命における中心的な役割を果たした人物の一人だ。その彼が、眼鏡の奥の温厚そうな目を和ませ、謙虚な口調でこう言った。
「いいえ。私の話しがどれだけお役に立つかわかりませんが。もっと詳しく知っている人が、この島にはまだ他にいますので。」
 大きな皿に乗った食材を、台所から持って来た彼の妻が、それを炬燵の上の鍋の横に置くと、空いている席に座って言った。
「待たせました。」
「はい、ごくろうさん。」
 妻に向かってそう言った老人は、火に掛かっている鍋の中に鍋の具を次々と入れてから、一旦蓋をした。
 篠原は、ここに来る途中、ごく普通の酒屋で「佐渡で一番飲まれている酒をください」と言ったら出てきた、佐渡産無農薬米で造られた純米酒を差し出して言った。
「お口に合うかどうかはわかりませんが、鍋をご馳走していただくとお聞きしていたので、差し入れに持って来ましたよ。」
「いやいや、そんな気を使わなくてもいいのに。それはあなたがお土産に持って帰りなさい。実は、私も普段はそれを飲んでいるんですが、今日は折角ですから、ちょっと違うのを飲むことにしましょう。」
 老人はそう言うと、たった今彼の妻が運んで来た酒の封を開けた。それも佐渡の酒だが違う銘柄だった。こちらにも佐渡産無農薬米100%と書いてある。
 老人は、その酒を金製の徳利に入れると、篠原に勧めた。
「私の独断ですが、この鳥の肉は、この酒との相性がいいみたいです。
……さあ、どうぞ。」
「はい。では、お言葉に甘えまして……。」
 篠原は、輝く黄金の杯を手に取った。薄く出来ているが、純金なので思ったよりずっしりとした手応えがある。冷酒専用とのこと。
「それでは、いただきます。」
 篠原はそう言って、その酒を口にした。彼は酒のことはよくわからないが、普段東京の飲み屋で飲んでいる大手メーカーの酒とは全然違う、ふくよかで濃厚な味を感じた。甘味もあるが、それはだらっとした甘さではない。
 やがて、鍋がぐつぐつと音を立て、穴から湯気が立ち昇ると、老人は鍋の蓋を取って微笑んだ。
「では、始めましょうか。どうぞ召し上がって下さい。」
 篠原は、その鍋の中を見た。その汁は血のように赤い色をしている。話しには聞いていたが、彼は一瞬たじろいだ。しかし、これも仕事のうちだ。彼は勇気を出して、その中の肉一切れを食べてみた。
 旨い。味噌仕立てだ。もっと癖があるのかと思ったが、生姜が入っているのと薬味の葱で臭みを消してあるようだ。これは、はっきり言って癖になるような旨さだ。
 老人が微笑んで尋ねた。
「いかがですか?」
「おいしいです。最初はちょっと抵抗がありましたが、想像をはるかに超えるおいしさです。東京でも食べれるようになればいいと思います。」
「その気になれば食べれますよ。実は今、うちの倅が都心耕地化計画の技術指導員として皇居のお堀周辺に10年前に放した朱鷺の調査に行っているところですが……。」
 空洞化、過疎化した都会の中心部を耕地として再利用するという試みがすでに日本各地でなされていた。地球温暖化によって海面が上昇し、それに伴って地盤が緩み、基礎が不安定になったため、使用されなくなった住居やビルを解体、撤去し、そこを水田などの耕地にしているのである。
 世界的な異常気象に伴う食糧難により、それまで大部分の食糧を輸入に頼っていた日本は、米の生産を増やして輸出することが効率よく外貨を得る方法となっていた。そのために水田耕作はむしろ奨励されており、減反という言葉は当時すでに死語になっていた。
 その際、永年のあいだ蓄積された土壌の有害物質を、土壌そのものを調べるだけではなく、そこに生息する生物を捕食する動物の健康状態や、体内に蓄積されている汚染物質の量を調べたりして、人体への安全性を確認するという方法がとられていた。その実験動物の一つに朱鷺が使われていたのだ。
 これこそ、このプロジェクトで最も重要な部分なのである。この老人の次男は、現在その現場で指揮をとる立場にあるとのことだった。
 老人は微笑んで言った。
「島外でも、調査のための解剖で出た死骸は保護動物とは見做されないので、調査の人達は有害な物質が安全基準をクリアしている物に限り、ゴミの減量に協力するとかなんとか言って鍋をつついているようですな。
法律に触れるようなことではありませんが、周りの人が羨ましがるので、あまり大きな声では言えないことですが。あなたさえ良ければ息子に話しておきますから、今度お宅までお届けしますよ。」
 篠原はちょっと慌てた。解剖した動物を食べるということに、何となく抵抗を感じたからだ。
「いえいえ。それは調査員の特権なのですから私は遠慮しておきます。東京の市場に出回る日を待つことにしますよ。」
 彼は、話題を変えることにした。
「……ところで、これは私個人としても持っている素朴な疑問なんですが、佐渡での黄金ブームはなぜ起きたとお考えですか? また、それは朱鷺とはどのような関係があるのですか? 他の地域の人々は、羨望の眼差しで見ているようですので。」
 老人は、黄金の杯の中の酒を少し飲むと、その問いに答えた。
「金製品を収集するのには、人それぞれの理由があると思うし、私はそれを一人一人に聞いて回ったわけではないので、ブームという言葉で一概に語ることは出来ません。ただ、なぜ私が金を集めたかというご質問にしていただけるなら、それにはお答えすることができます。」
 篠原は鍋を食べながら黙って頷き、老人も鍋をつつきながら話しを続けた。彼の妻もやはり、食べながらじっとその話しに耳を傾けている。
「黄金を集めて更に一儲けするつもりだろうとか、財産を他人に誇示しようとしているだとか言って、島外の人はよく誤解しますが、誰でも生活が豊かになれば趣味その他にもお金を掛けますよね。私の場合、たまたまそれが黄金だっただけのことなんですよ。このような歳になった私にとって、財産だの名誉だのということは、もうどうでもいいことなんですから。
現金を黄金に換えるというこの作業は、自分の財産を残すためではありません。黄金の価値が高いからでもありません。3人の子供たちはこれからも私の財産など必要とせずにやっていけるので、子供たちのためでもありません。『佐渡のために』と言うのが一番近いかもしれませんね……。」
 老人は、ほんのりと頬を赤くしながらも、しっかりした口調で話しを続けた。
「まず、ここ20年来の日本の農業景気で裕福になり、それで我が家の母屋も納屋も改築することが出来ました。娘は嫁に行くし、二人の息子は独立するし、夫婦で海外旅行もしたが、溜まっていくお金の使い道を考えているうちに、はっと思い付いたんです。それは、島外の友人を相川の金山に連れていった時のことでした。」
 老人は、杯の酒をまた少し飲んでから話しを続けた。
「その、見慣れた『道遊の割れ戸』を見上げているうちに、『全部掘って持って行かれてしまったんだな』と思ったが、そのうち、『そうか、失った物は元に戻してやればいいんだ!』と思ったんですよ。
私個人として、物質的には、もう充分なほどに満たされています。でも、まだ何かが足りないとずっと思っていました。その心の空白が、今まで何だかわからなかったけど、この時、そのことがようやくわかったんです。」
 篠原は黙って頷いた。老人は、彼の黄金の杯に徳利の酒を満たしてから言った。
「かつて佐渡に埋まっていた金は、時の権力者に掘られてどこかへ持って行かれ、その後には観光名所が残っただけです。それを今まで疑問に思ったことはありませんでした。ところが、自分の心の中にある空白を象徴しているのが、実は『道遊の割れ戸』の、あの形だったことに気づいたんです。」
 そして老人は、やや真剣な顔になってこう言った。
「取材中なのに、こんなことを言うのも何ですが、先日ある場所に金をまとめて埋めてきたところでね。誰にも知られないように。私が死んでしまえば肉体は灰になるだけですが、埋めた金はごく僅かですが佐渡の一部となって残ります。そのうちこの家にある金は残らずどっかに埋めてしまおうと思っています。」
 篠原が苦笑いしたので、老人は笑って言った。
「ハハハ! 冗談だと思ってますね。」
 篠原が、やや真剣な表情になって目を見張ったので、老人も真剣な表情になって言った。
「馬鹿だと言われればそれまでですが、私はそうせずにはいられないのです。
ハハハ、変な趣味でしょう?」
 最後に老人は笑ったが、篠原は呆然として言葉を失った。
「ハハハ、やっぱり冗談ですよ。そんなこと、本当に出来るはずがないでしょう!」
 老人は再び笑ってそう言ったが、これは冗談などではないと、篠原は直感した。
 老人がやや早口で言った。
「まあ、今のは気にしないで下さいよ。」
 そして彼は、元の口調に戻って話しを続けた。
「さて、次に朱鷺と黄金との関係についてですが、さっきの話しの補足も兼ねて、お話ししましょう。
私が子供の頃の科学技術は、単に目先の欲望を充たすためのものでした。それがこの半世紀で、人間が滅びるのを食い止めるためのものに変わりました。それは、人類にとって最大の危機が、さまざまな面から予測されたからです。その危機を防ぐためにまず行なわれたのが、人類は地球の気象や生態系の中の一つの要素であるということの自覚です。
そのことは、あなたも学校で習ってご存じの事だと思います。自覚の出来る賢い人は世界中に増えていきましたが、自覚だけでは物事を変えることは出来ません。
まず、それまでばらばらだった農業、漁業、畜産業、林業、工業、土建業、商業、観光業、自然科学、医療、教育、行政、その他すべての物事がある「一つの目標」に向かってまとまりました。これはちょっと間違うと大変危険なことになります。私の祖父が子供の時分にそんなことがあったそうです。しかし、戦争中の暗く悲惨な時代を知っている賢い人達が、『同じ過ちを繰り返すな』と絶えず戒めてくれたために、間違った方向には行かずに済みました。
さて、その目標とは「朱鷺を再び野性に帰す」ということです。そして、国がそのための予算を組んでくれました。
次に様々な改革がなされました。しかし、『自然と戦う』時代に育ってきた人達にとって、最初はなかなか理解できないことも多かったようです。当然のことでしょう。『自然の一部であることを認識する』ということは、それと戦ってきた人にとっては、負けを認めるのに等しいのですから。そこで、その人達には『自然を上手に利用する』という言葉を用いることにしました。その結果、多くの人の理解と協力を得ることが出来たのです。
お陰で佐渡にも本当の自然が甦り、人々はその中で生活する術を取り戻し、逆にそれを世界に向けて発信出来るようになりました。他の地域に先駆けて佐渡でこの革命が実現したのは、他ならぬ朱鷺のお陰なのです。朱鷺が『近々絶滅する』と、目に見える方法で警告を発してくれたためです。そして、その警告に素直に耳を傾け、様々な改革を実行し、このプロジェクトの実現を決断した勇気ある佐渡の人々の存在も忘れることは出来ません。」
 話の途中ではあったが、篠原は思わずこう言った。
「その朱鷺をこうして食べるということは、なんだか申し訳ないような気がしますが。」
「そうですね。それは人間として当然の気持ちだと思います。しかし、あなたは野菜一つ一つに名前を付けたり、申し訳ないと思いながら食べたりしますか?」
「いえ。空腹を満たされたときは、それに感謝する程度です。」
「そうでしょう? それでいいのです。それもまた人間としてごく当然のことです。何か食べるたびに一々申し訳ないなどと思っていたら、そのうち病気になってしまいますよ。
また朱鷺にとっても、増え過ぎることは良くないので、間引いてやることも必要なのです。私もこの肉を最初に食べたときには、かなり抵抗がありました。しかし今となっては、名の無い野菜も、この名前の付いていない朱鷺も、同じことです。おいしいと思うだけですよ。」
 このとき、鍋の中の具がなくなっているのに気が付いた彼の妻が席を立つと、篠原に向かって微笑んで言った。
「まだまだありますからね。お若いのだし、沢山食べて下さいよ。」
 次の鍋の具は既に用意してあったらしく、妻はすぐにそれを持って来た。
 篠原は、彼女に向かって言った。
「ありがとうございます。美味しいので、ついつい食べてしまいます。」
 老人は、鍋にその具を足しながら言った。
「絶滅しかかった種が元の数を回復するには、それ相応の時間と労力が必要になります。ですから、人類は、朱鷺のことを教訓にして、全ての生き物に対して注意を払っていかねばならないのです。二度と同じ過ちを繰り返さぬためにも。
また、鉱物資源を掘り尽くしてしまえば、元に戻すことは不可能に近いことだ……」
 ここで一旦言葉を切った彼は、鍋に蓋をして卓上炭コンロの火を強めると、杯に残った酒をぐいと飲み干した。篠原は金の徳利を持ってそこに酒を満たした。
 窓から眺める外はすっかり暗くなっており、部屋の照明が舞い散る雪を照らしている。
 老人は、話しを続けた。
「警告を発してくれるのは、なにも朱鷺だけではありません。人間を含めた全ての生き物が、必要に応じて警告を発しているのです。大事なのはそれを聞き取る耳、感じ取る心です。
また、その警告は、絶滅に対するものとは限りません。異常気象や地震の警告であったりもします。」
 篠原が言った。
「地震の前にナマズが騒ぐとか?」
 老人は笑って言った。
「ハハハ、そうそう。」
 そして、真剣な表情になってこう言った。
「だから、私たちの身近にいる、他の目立たぬ生き物のことも忘れてはなりません。部屋の中に入って来たアリ一匹の動きにも注意を払うのです。それが基本です。朱鷺の場合は、たまたま、その肉を食べることが出来、そして色が美くしいということで特に目立っただけなんです。」
 老人は一旦言葉を切ると、再び杯の酒で口を湿らせ、掛けていた眼鏡をはずしながら言った。
「昔、佐渡にもゴールドラッシュがあったそうで、確かにその当時は人口も多く町も賑わったようです。しかし、掘られた金そのものは、佐渡には殆ど全く残りませんでした。そして金を掘らなくなってからは、賑わいも徐々に衰退していきました。
ところが、今度のは違います。『佐渡の者の、佐渡の者による、佐渡の者のための真の黄金』が朱鷺によってもたらされたのです。ここで言う黄金とは、ただ単に目先の欲望を満たす黄色い固まりではありません。安心して食べられる農作物や魚介類、畜産物を、半永久的に育んでいける自然環境のことです。黄金そのものは、その象徴でしかありません。」
 彼は、この客間の正面の戸棚の上に飾ってある、翼を広げた朱鷺の姿を象った金細工を指差して言った。
「私がこのような朱鷺を象った金細工を特に好むのは、その一番大事なことを忘れないようにするためなのです。だから、朱鷺を食べはしますが、感謝の気持ちを永遠に忘れることのないように、腐食することのない24Kを使っています。」
 ここで老人は話を止めた。家の外では風の音がしている。彼は、一瞬その音に耳を澄ましたが、また話しを続けた。
「あなたはご存じないと思いますが、私がまだ子供の時分にキンという名の朱鷺がいました。この名前に込められた思いは、決して無駄にはならなかったと思っています……。」
 彼はまた黙ってしまった。そして、少し遠くを見るような目付きになった。外でまた風の音がした。
 老人がなぜか沈黙してしまったので、篠原は不審そうに尋ねた。
「どうなさいました?」
 老人は目頭を押さえると、声を詰まらせて言った。
「生まれ変わったこの佐渡の姿を見せてやりたかった……。キンにものぉ……。」
 雪の中、どこか遠くで一羽の朱鷺がひっそりと鳴いているのが聞こえてきた。

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