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文字列の部屋

命綱

2006.4.17. 田野呵々士

 2004年10月23日午後5時前、自宅の机の上のパソコンで仕事をしていたら、窓の外で「ドーン」という低い微かな音がした。山鳴りのようだったが、近くの山ではなく、ずっと遠い彼方から、というより地球そのものが鳴っているように聞こえた。その瞬間、私の頭の中に「大きな地震がある」という映像のようなものが現れた。それは文字や言葉のような間接的なものではなく、もっと直接感じるものだった。しかし、その直後に地震は無かったので、単なる気のせいだと思い、そのことはすぐに忘れてしまった。
 ところがそれから一時間ほどして、本当に地震があった。今まで経験したことが無いほどの激しい揺れだったので、「ここでこんなだから、震源地はもっとひどいに違いない」と私は咄嗟に思った。間も無く二度目の揺れが来たときは思わず机の下に入り、初めて「恐ろしい」と思った。我が家は古い木造二階建てなので、揺れが半端ではない。パソコンの周辺機器のいくつかが下に落ちた。
 その後一時間たっても大小さまざまな揺れが数分おきにやって来たので、大きな揺れが来るたびに屋外に逃げた。火を焚くことも出来ず、畑のトマトやピーマン、缶詰の豆でサラダを作って空腹を満たした。
 ラジオで、震源地は中越だと知った。長岡周辺には知人が何人かいる。その人たちのことがまず気になった。しかし、地震の直後に電話すると回線の混雑を助長してかえって迷惑になるし、避難して自宅にいないかもしれないので、四日ほど待ってから電話した。一回目はつながらず、それから一時間に後に再びかけたらつながった。
 全員無事で、足を切った程度の怪我で済んだとのこと。但し、生活空間が滅茶苦茶になり、電気と水道は昨日ようやく来たが、ガスはまだ来ていないとのこと。それなら避難しているのかと訊ねたら、避難所は一杯なので、車の中で寝泊りしていると彼は答えた。水や食料は足りているかと訊ねたら、皆が沢山持ってきてくれているので、それは足りているとのことだった。

 この知人の言葉とラジオの報道で、電気、ガス、水道が止まれば、都市部の人は日常生活が営めなくなるということを改めて思い知らされた。ライフラインという言葉を直訳すれば「生活線」になるのだろうが、「命綱」というふうにも訳せる。
 しかし、良く考えてみれば、この「命綱」が切れると、都市部だけではなく山奥に住む私も同じようなことになる。そのため、これは人事ではない。我が家ではガスは全く使わず、薪と炭だけにしてから既に一年以上になる。また、先の台風十六号で十時間余りにわたって停電した時は、冷凍庫の物が解けてきて困ったが、それが直接命に及ぼす影響は無かった。パソコンが使えなくなったら、パソコンが手に入る前の状態に戻ればいい。問題は水だ。
 昔、インドとネパールを旅したとき、現地の人と共に生活していたことが何度かあった。私は皆と同じように泉の水を飲み、川で体を洗って洗濯し、町の市場で穀物と野菜を買ってきて、それを山の木を燃やして調理して食べた。もちろん現地の料理だ。暗くなれば蝋燭の灯りで本を読んだ。このとき私の命は大地と繋がり、「命綱」は地球によって握られていた。
 ところが、今は都会から遠退いて山奥に住んではいるが、インドやネパールでの生活とは事情がかなり異なっている。我が家の裏の井戸水は安心して飲めない。以前この水でインスタントラーメンを作って食べたら、金属の錆の味がした。井戸の上の山での公共施設で長年にわたって焼却されたり廃棄されたゴミの成分が、この水に混入している可能性があるからだ。草木や紙のような、微生物によって分解されるような物質だけなら問題ないのだが、ビニールやプラスチックなどを燃やして発生するダイオキシンや、電池や蛍光灯に含まれている物質は大いに問題がある。
 また、近くを流れる渓流の水も安心して飲めない。日本全国同様、殆どの水田には農薬が散布されているからだ。そのため、わざわざ加熱して塩素の匂いを飛ばした簡易水道の水を飲むしかない。
 私の「命綱」は今、地球から断ち切れて、市役所の手によって握られている。

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