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ペットの部屋

猫騒動

2007.12.11
更新 2021.07.04

 昨年秋に来た四匹の野良猫、結局我が家で飼うことにしたのだが、冬になったらめっきり姿を見なくなってしまった。しかし、餌だけは毎日ちゃんと食べている。
 変だと思った私は、ある夜懐中電灯をともして納屋に赴き、その一角に作ってやった段ボール箱の寝床を見に行った。するとそこは空になっていた。その翌朝、猫たちは何事も無かったようにして餌を食べに納屋に現われた。彼らがいなくなってしまったと思って落ち込んでいた私は、それで一挙に嬉しくなり、いつものようにたっぷりと餌をやった。だが、その晩も彼らは寝床におらず、その代わり私が勝手に「ボッパ」と名付けた、ヨモギ模様の巨大な雄の野良猫が「のほほ~ん」という顔をして入っていた!
 頭の回転が遅いこの私にでも、これで事の成り行きがよくわかった。我が家の四匹の猫たちは、どこかへ引越したのだということを。
ペン
ペン
 この四匹のリーダーはペンと名付けた黒っぽい雄猫だ。彼は野良猫ボッパとの喧嘩にはいつも負けるが、自分の仲間にはとても優しく、彼らが食べ終わるのを待ってから自分が餌を食べる。だから、他の三匹からの人望ならず「猫望」がとても厚い。また頭も極めて良く、人間の様子をよく観察している。我が家の台所に侵入してゴミ箱をあさった結果、私が世間並みの食生活をしていないということを看破し、すぐさま隣りの家に餌をねだりに行くという行動をとるだけでもそれがよくわかる。ここに来る前まで世間並みの人に飼われていた彼としては、我が家の食生活に対して不安を感じたのだろう。
 以前、飼っていた猫を自分の不注意で餓死させてしまったことがある私は、今度の猫たちには充分過ぎるほどのキャットフードを与えており、ペンをはじめとするこの四匹は丸々と肥えていた。それでもペンは、より多くの「ご馳走」をくれる家を住処として選んだのである。
 一人住まいの私が魚を買うのは、月にたった二~三回。一方、世間並みの家では人数も多いので、猫の「ご馳走」である魚の頭や粗は毎日のようにあるのだろう。実際、我が家の猫たちに魚の頭をやったということを、隣りの家の人から直接聞いて私は知っている。一度そのような「ご馳走」を与えれば、猫はそこを定期的に訪れてそれをねだるようになる。そして寝場所があれば、そこに居着くようになる。我が家の猫たちは、そのようにして移住して行ったのだろう。リーダーであるペンが野良猫との勢力争いに負けたということもあるのだろうが。
 自由な彼らにしてみれば、ただ単に自分たちの寝場所を変えただけのことなので、文字通り何食わぬ顔をして我が家へキャットフードを食べに来ていたというわけだ。だからペンは、猫のリーダーとして申し分ないのであろうが、それを「飼っている」と思っている私にとっての彼は、自分勝手で薄情で恩知らずの猫だった。
 それでも一人暮らしで寂しかった私は、この猫たちに対して愚直に餌をやり続けた。

 今年の早春になって、そこに一つの変化が訪れた。この四匹の中で私に最もなついている雌猫モンニャは、私にナデナデされるたびに甘えてごろんとひっくり返るのだが、その腹に二列三対のピンク色の乳頭が出ていたのだ。妊娠している証拠だ。相手はもうわかっている。野良猫ボッパだ。 『雌でも身体の大きなモンニャと巨大猫ボッパは、お似合いのカップルだ。目出度し目出度し、万々歳!』
 そのときの私は、軽い気持ちでそう思っていた。
 ところが、それから三ヶ月近くが過ぎたある日のこと。我が家の近くで、仔猫の鳴く悲しげな甲高い声が何度も繰り返し鳴り響いた。外に出た私は、その声のする方へと足を向けた。すると、勝手口近くに置いてあるコンクリートの大きな水槽の陰に、その声の主を発見した。それは片手の平に収まる程の大きさしかない三毛猫だった。それが、こんなに悲しそうな声で泣き叫んでいるのにもかかわらず、そのすぐ近くにいる他の猫たちが全くそれに関わろうとしなかったのは何とも不思議なことであった。
 しかし、やがて隣りの家の方から優しい鳴き声がしてモンニャがここに姿を現わすと、その仔猫の鳴き声はピタリと止んだ。猫同士での暗黙の了解のようなものがあって、親以外の猫たちはこの仔猫に近寄らなかったのだろう。これでこの仔猫はモンニャの子であることがわかった。
 モンニャはそれから二~三日のうちに、まだよちよち歩きの子を一匹ずつ我が家に連れて来た。仔猫は全部で四匹になった。
 以前養蜂を試みたことがあった私は、その巣箱が空いていることを思い出し、それをこの母子五匹の家として提供することにした。野良猫がまた納屋に侵入しては困るので、今度は納屋の横の軒下にその箱を置いた。私がその前に立ってモンニャを呼ぶと、それを新しい住処としてすぐに認識した賢いこの母猫は、仔猫たちをその中へと誘導した。
 我が家に住み着くようになった仔猫たちは母猫の乳もよく飲むが、キャットフードを与えたら、これまたよく食べる。するとここで問題が生じた。我が家の仔猫たちが餌を食べていると、隣の家から餌を食べに来た猫のうちの雌一頭が、うちの三毛の仔猫の背中を前足で叩いたのだ。叩かれたその仔猫は仰向けに引っくり返ってしまった。
『こんなに小さく無防備な子供に手出しするなんて!』
 そう思った私は咄嗟に棒をつかむと、仔猫を叩いたその猫を餌場から追い払った。その後、これらの猫たちがちゃんと餌を貰っていることを隣りの家の人から確認した私は、他所から来る猫を棒で威嚇し石を投げて追い払うことにした。そのためしばらくすると、他所の猫たちは我が家に現われなくなった。これで私は、自分の家に住んでいない猫に毎日餌をやり続けるという奇妙な状態からやっと解放された。

猫の母子
4匹の仔猫(左)と母猫(右)

 仔猫たちが私に慣れるようにするため、私は巣箱を母屋の玄関脇の軒下へと移した。始めは私を恐れていたその猫たちも、そのうち慣れてきて、私が玄関を出入りしても逃げなくなった。
 初夏の日差しの中、飛んだり跳ねたりじゃれ合ったりしながら成長していく仔猫たち。そして、彼らに乳を与えるかたわら、蛙や蛇や鼠などを取ってきては与える母猫。まるで野生動物の生態を写した記録映画を見ているようだ。しかも私は、それと同じ空間で生きている。彼らに触れ、草の穂でじゃらして共に遊びながら、美しい日々が流れて行った。
 しかし、私の場合いつもそうだが、良いことはあまり永く続かない。だからこそ、それは余計貴重に思えるのかもしれない……。
 夏が過ぎると、まとわり付いてくる仔猫たちをまず母猫が疎むようになった。子育てが終わった鳥や獣の世界ではごく普通に見られる光景だ。そして、モンニャは再び我が家から家出した。多分仲間の三匹がいる隣りの家に戻ったのだろう。そして彼女はまた、我が家に餌だけ食べに来るようになった。『まあ仕方ない』と思った私は、家出したこの猫にだけは特別に餌をやることにした。
 キャットフードを食べ終わったモンニャはすぐにプイといなくなってしまうのだが、我が家の猫たちがそれに付いて行ってしまうのには閉口した。モンニャに悪気はない。むしろ仔猫と別々に暮らしたいと思っているのだから。我が家の猫たちにしてみても、広い我が家周辺でいつも仲良く遊び、食生活にも特別不満は無いようだった。それしか知らないのだから。ところが、母親が隣りの家と我が家とを行ったり来たりするので、何でも真似をしてみたい彼らは、それに思わず付いて行ってしまうのだろう。これは仔猫の習性なので、彼らを責めるわけにもいかない。
 だが私としては、猫に家出されるのはもうご免だった。そのため、この問題の源であるモンニャを棒で叩いて追い払わなければならなくなった。私からそんなことをされるモンニャも悲しいだろうが、そうしなければならないこの私だって同じくらい悲しいのだ。
 モンニャが我が家に来なくなることによって、仔猫たちが隣りの家に行かなくなったのは良かったが、今度は隣りに行っていた前の四匹のうちの二匹が、なぜか我が家の猫の餌を横取りしに来るようになった。「ご馳走」は豊富にある隣りの家だが、キャットフードは三匹分しか与えていなかったのだろう。モンニャは性格も体力も強い猫なので、それに餌を取られたこの二匹が仕方なく我が家に来るようになったということは、ごく自然に推測できることであった。すると、我が家の猫たちの安全を確保するためにも、私は再び外来の猫を追い払わなければならなくなった。う~ん、疲れる。
 その奮闘の成果あって、その二匹が来なくなってしばらくすると、今度はモンニャがまたもや我が家に姿を見せるようになった。しかし以前とは違い、あまり食べていない様子で、腹はぺしゃんこになっている。隣りの家からも追放されたのだろう。これからの寒い季節、これではもたないと思ったが、彼女に餌をやると仔猫たちがまた付いて行ってしまう。
 ところがある夜、仔猫たちと共にモンニャが我が家の巣箱の中に収まっているのを発見した。それなら話しは別だ。我が家に定住している猫になら餌をやって当然である。私は仔猫と共に、モンニャにもたっぷりと餌をやった。だが、その深夜。小便をしに外に出た私は、巣箱の中を見て思った。
『騙された!』
 そこには冷え切った空気だけしかなかった。猫にしてみれば何気ない行為なのだろうが、私にしてみればそれは裏切りだった。このとき私は、モンニャに対して初めて殺意を抱いた。野良猫として保健所に連れて行こうと思ったのだ。しかし、「処分」されるときの彼女の顔を想像した途端、その思いは掻き消えてしまった……。

 この問題を解決する方法としてまず考えられるのは、モンニャに縄を付けて我が家に定住させる方法だろう。しかしそれは、今まで自由に野山を駆け巡っていた猫に対して「犬に変身しろ」と言うようなものだから、生理的にも精神的にもかなりの負担を強いることになる。また、我が家の猫がモンニャの後に付いて行かないように躾けるという方法もあるが、仔猫たちが母猫の行動に関心を示さなくならない限りそれは実現し得ないことだ。また、「ご馳走」で釣るという常識で考えれば最も手軽な方法がある。しかしこの私の生活水準で、それは全く不可能なことであった。
 小雪が降る夕闇の中、我が家の玄関脇に置かれた巣箱は今日も空になっている。仔猫たちはついに母猫の行動を学習してしまい、隣りの家から我が家に餌だけ食べに通うようになったのだ。私は不要となったその巣箱を暗澹たる思いで撤去した。また一からやり直しだ。但し前回の失敗に懲りたので、私は「他所の家の猫には餌を与えない」という方針を貫き通すことにした。隣りの家の人が我が家の猫を追い払うことにより、仔猫たちが自分たちの住むべき家を再発見するようになるまで。この季節、彼らにとってかなり辛いことになるし、私にとってもかなり根気の要る戦いになるだろうが。

 でも私は忘れないだろう。私のことを信頼したモンニャが、初めて生んだ子を我が家に連れて来たということを。そして、若葉がきらめくほんの一瞬、その猫たちの青春が私と共にあったということを。

客間


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