我が家の食卓に梅干は欠かせない。おにぎりの中身として、カレーの付け合せとして、弁当の材料として、魚の煮物の調味料として。そして、何と言っても胸焼けしたときの特効薬として絶大な効果を発揮する。
梅を入手した場所と年月日、各材料の重量、漬け始めた年月日、土用干しを始めた年月日と終了した年月日などの記録を残しておくと、その後の参考資料になる。
塩漬けにしている段階で、水から上に出た梅の表面にカビが発生することがあるが、慌てるべからず。慌てて掻き回したりすると、かえってカビの菌が拡散し、事態を悪化させてしまう。こんなときはカビの生えた梅だけをそっと箸でつまんで取り出して捨てる。これで大体解決する。
もし、それでもカビが拡散してしまったら、土用干しの際、カビの生えた梅は捨て、梅酢は鍋に移して弱火にかけ、沸騰させないようにして、70度2分くらいで低温殺菌する。カビの生えた容器は水洗いして、よく乾燥させる。殺菌した梅酢が冷めたら、またその容器に戻し、土用干しが終わったら梅をそこに漬け直す。私の経験では、この後この梅干は数年経ってもカビが全く発生していない。
この種の殻の中に入っているアーモンドのような物は、「天神さん」とか「天神様」と言われている。生の梅のこれにはアミグダリンという物質が含まれており、それが体内に入ると猛毒の青酸が生成される。しかし梅干にすると、それがほぼ無くなってしまうそうなので、食べても問題ない。栄養がありそうだし旨いので、私はいつも食べている。
種の割り方 梅の種には、下の図のように縦に筋が入っている。それに対して矢印の方向に力を加えると筋に沿ってまっ二つに割れる。歯が丈夫な人なら、これを奥歯ですることが出来る。
インドを旅したときに、梅干にまつわる面白い体験をしたことがある。
私と同行していた日本人の親ごさんから、食料品などの入った小包が送られてきた。その中に梅干もあった。その後私たちは、ラジャスタン州のプシュカルという町で正月を迎えることとなった。
滞在していた宿の一室に炬燵のような物を作り、その上に日本の食料品と、現地で手に入る蜜柑などを並べて元旦の雰囲気を出した。これが、現地の人には何か特別の儀式でもするように見えたのだろう。開け放してあった戸口から、宿の経営者の10歳前後の息子が、その友人と二人で興味しんしんに眺めていた。
「その赤くて丸いのは何なの?」
その少年が英語で尋ねてきた。インドの小学生は英語が達者だ。それに対して私は、下手糞の英語で答えた。
「これは日本の漬物で、ウメボシと言う。食べてみる?」
彼は目を輝かせて答えた。
「うん!」
これは面白い機会だと私は思った。日本の伝統的な漬物である梅干に対して、インドの子供がどういう反応をするかが見ものだからだ。梅干2~3個を小皿に取った私は立ち上がると、彼のもとにそれを運んでからこう言った。
「とても酸っぱいから、ちょっとにしておきな。」
彼は、それをつまんでちょっと齧ってみると、即座にこう言った。
「これは食べられる。」
そして彼は、その友人と分け合って、見る間にその梅干を種だけ残して全部食べてしまった。
私は驚いた。日本の子供でも、梅干単独ではここまでしないだろう。
しかし、よく考えてみると、インドにはアチャールという酸っぱい漬物があって、それはこの国の食卓には欠かせないものだ。食堂で定食を注文しても、アシュラムというヨガなどの道場で支給される食事にも、必ずといっていいほど付いてくる。その点丁度、日本の梅干や漬物と同じような存在である。北インドには油っこい料理が多いが、このアチャールと共に食べれば、まず胸焼けをすることはない。
しかし、日本の漬物とは、素材も製法も大きく違っている。ニンムーという外見は酢橘のようなレモン、マンゴー、ジャックフルーツ、青唐辛子など様々なものを素材として、それぞれ単独で用いられるのである。まず素材が大きなガラス瓶に詰められ、そこに大量の油で熱せられた塩と調合された香辛料が入れられて、直射日光のガンガンに当たる窓辺に置いて醗酵させるのである。ただし、その塩分濃度と酸っぱさが、ちょうど日本の梅干に似ているのだ。そのため彼らは、梅干を抵抗無く食べることが出来たのだろう。
日本とインドの文化はかなり異なっているように見えるが、元のところは同じなのかもしれない。また、梅干は海外でも通用するということがわかった私は、なんだかそれがとても嬉しかった。