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ペットの部屋

新猫文化

2013.07.06
出産間近のクミャクミャ
出産間近のクミャクミャ

猫の巣箱にはいったクミャクミャ
出産前日、猫の巣箱に入ったクミャクミャ。

 「猫にだって文化がある」ということは、「猫文化」のところで述べた。その我が家固有の猫文化に変化が訪れた! 我が家唯一の雌猫クミャクミャがついに母屋で、しかも私の寝起きしている部屋で出産したのだ!!! 2012年3月22日午後10時過ぎ、産まれたのは3匹だった。

3月22日、出産当日 出産翌々日
3月22日、出産当日 出産翌々日
3月26日、3匹そろって 4月14日、お母さんと一緒
3月26日、3匹そろって 4月14日、お母さんと一緒
5月17日、3匹そろって 5月27日、兄さんのおっぱい
5月17日、ハナシロ(左)、クロ(右)、ハナクロ(下) 5月27日、兄さんのおっぱい

 ところが4月に入って間もなく、我が家の6匹の猫たちを次々と伝染病が襲った。
 まずは、「くしゃみと目の周りが炎症を起こす」風邪にチピンがかかった。それは次々と他の猫に感染していったが、病院で買った抗生物質と消炎剤の投薬によって順に治っていった。
 次に、クミャクミャとミューミュが、「咳をして、よだれを大量に流す」風邪にかかった。これも抗生物質と消炎剤の投薬によって治った。

 ところが私は、最も恐ろしい「吐く風邪」の存在を知らなかった。
 5月22日の朝、クミャクミャとミューミュが相次いで餌を食べなくなり、そのうち胃液を少し吐くようになったが、猫が吐くことはよくあるので、私は「どうせ何か変な物を食べたんだ、2~3日絶食すれば治るだろう。」くらいにしか思っていなかった。
 この2匹は、隣の家と我が家の間を毎日何往復かしており、長い時間姿が見えないこともよくある。そのため、自然に治る病気ではないことに私が気付いたときはもう手遅れだった。
 5月24日の朝、猫を病院に連れて行こうと決意した私はその2匹を探した。クミャクミャが好きだった母屋の横の池のあたりを見に行くと、草の間に彼女の死に顔が見えたのでドキッとしたが、よく見ると落ち葉だった。
 ミューミュは納屋の横の道の途中で、衰弱して歩けなくなっていた。病院に連れて行ったら猫インフルエンザとのこと。黄色い液の入った太い注射を首に打ってもらって帰り、家の中に入れる。
 次はクミャクミャだ。近頃お気に入りだった畑と竹薮の間の木陰を見に行ったら、果たしてそこに横たわっていた。しかし良く見ると胸が動いていない。頭を撫でたら既に冷たく、体も硬くなっていた。金バエが数匹体にとまっていたので、死んだのは昨夜だろう。穏やかな死に顔だった。そのすぐそばの竹の生えていないところに埋める。
 やっと歩ける状態のミューミュは、しばらく寝場所をあちこち変えてから外へ出たいと鳴いたので、危険だとは思ったが、この際何でも言うことをきいてやることにして、外から猫の出入り口を開けてやる。しばらくそこに倒れていたが、目を閉じているその顔は満足そうだった。
 10分くらいしてから外に飛び降りるが、よろよろっと歩いて倒れてしまった。しばらくその場所に寝てから起き、80センチほど進んでは寝て進んでは寝てを繰り返す。どうやら隣の家の方を目指しているようだ。玄関前で倒れていたとき、体に金バエが一匹とまる。それでもう助からないのかと思ったが、水入れの水を少し飲み、それからは金バエがとまらなくなったので、まだ望みはあると思った。
 ミューミュが便所の汲み取り口に頭を乗せて寝ていたときには、そこが死に場所になっては可哀想なので、抱き上げて前に進めてやる。ミューミュは母屋の前の石段の端付近まできた。「もし助かるなら、ここから先に行くのは体力の無駄遣いだよ。」と言い聞かせて抱き上げ、母屋に入れようとしたら、玄関前で鳴いたので、猫の木箱の台にしているプラのコンテナの上に下ろす。そうしたらそこで眠ってしまった。それからしばらくして木箱の中へ入った。
 夕方、外は冷えるだろうと思ってミューミュを自分の掛け布団の上に運んだら、なんとそこで水を少量吐き絶命してしまった。ショック・・・夕闇の中、クミャクミャの北東隣に埋める。
 3匹の子猫も感染している可能性があるので、前回の薬の残りを飲ませる。

 5月25日朝、子猫にまた薬を飲ませるが、その約1時間後にクロが吐き、薬が未消化で出ていた。これじゃだめだ。
 12時半、動物病院へ3匹を連れて行く。やはり先に死んだ2匹と同じ嘔吐系のインフルエンザだそうで、嘔吐が治ったら血便に移行するというたちが悪いものだそうだが、猫インターフェロンで治るとのこと。黄色い液の入った太い注射を、クロとハナクロ半匹分ずつ打ってもらう。
 5月26日、夜中から、クロとハナクロは1~2時間おきに吐いている。
 11時過ぎ、また3匹を動物病院へ連れて行く。ハナシロだけ食べても吐かないと言ったら、「まだ抗体が残ってるのかもな」とおっしゃっていた。クロとハナクロだけまた昨日と同じ注射を打ってもらう。
 15時頃、クロが水を少し舐める。
 5月27日朝、クロが少し餌を食べて水を飲んだ。その一方、ハナクロはちょっと口を付けただけだった。
 11時過ぎ、また3匹を動物病院へ連れて行く。今日は3匹とも昨日と同じ注射を打ってもらう。
 クミャクミャが死んでから子猫3匹は、チピンの腹にやたら吸い付くようになっていたが、今日のチピンは横になって母猫が乳をやる格好になっていた。
 5月28日、朝からハナシロが餌を全然食べなくなった代わりに、ハナクロが少しだけ食べた。
 11時過ぎ、また3匹を動物病院へ連れて行く。今日はハナシロだけ注射を打ってもらう。
 家に帰ってからクロは本格的に食べるようになった。
 5月29日、ハナシロは依然として餌を食べず吐くようになった。ハナクロも少ししか食べないし、一度吐いた。
 8時過ぎ、ハナシロが外の水を飲んだ。しかしかなり元気がないし、呼吸が速くなっている。これは他の猫には見られなかった症状だ。
 11時過ぎ、また3匹を動物病院へ連れて行く。今日はハナシロとハナクロだけに打ってもらう。「治ったのと一緒にしない方がよい」と言われたが、そんなことは無理だ。ハナシロの呼吸が速いことを伝え、「もしかして肺炎ですか?」と訊ねたら、「なることもありますね」と言って腹をポンポンと触ったただけで、何の対処もされなかった。
 5月30日夜中、眠っていたら猫の悲鳴で目が覚める。灯を付けてみたら、ストーブ横の餌場のところに鼻白が倒れていて悲鳴を上げていた。息がかなり苦しそうだったが、しばらくして止まってしまったので、胸を何度か押してやったらまた再開された。そんなことを何度か繰り返しているうちにそれは次第に弱くなり、何度押しても動かなくなってしまった。午前1時半前だった。やっぱり肺炎だったのだ。昨日動物病院で適切な処置をしていたらこんなことにはならなかったのに・・・
 朝になってから、クミャクミャの南西隣に埋める。

 たった6日間で3匹(妊娠中だったミューミュとクミャクミャの腹の子を入れるともっと)の猫を失ってしまったなんて、我が家では始めてのことだった。しかも、今まで多くの猫を産み育ててきたクミャクミャが逝ってしまうなんて・・・
 しかし、彼女は新しい猫文化と、それを継承することが可能な子を残してくれた。生き残った2匹は、どちらもメスだったからだ。


客間


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