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文字列の部屋

アマエビ

2004.11.12
更新 2015.12.14

 晩秋から冬を経て春先まで、人間が寒くて縮こまっている季節、海の生き物は逆に元気になるようだ。その証拠に、スーパーなどの冬の鮮魚売り場は、様々な海産物で賑やかになる。
 我が家の冬という季節は、庭も畑も雪で厚く覆われ、空は鉛色という陰鬱な日々ではあるが、店でこれらの海産物を見ているだけでも私は元気になる。
 しかし、一昔前に比べると、その種類と量はかなり減ったように思う。人間が生き物を捕り過ぎれば、その分、海は痩せていって当然だ。
 それでも、我が家の庭の雪が少しずつ溶け始める頃になると、生ワカメやナガモといった海藻類が例年の如く市場に出回ってくる。私は、生ワカメかナガモの味噌汁を食べて、長かった冬の終わりをまず予感する。その後、雪が溶けて姿を現した庭先に出るフキノトウと、冬越しした自家栽培の椎茸天麩羅(てんぷら)にして食べると、今度は春の到来を感じる。
 この地方に移り住んで十六年が経ったが、このような旬の海の幸、山の幸を目にすることの歓び、口にすることへの感謝の思いは、いまだに初めて来た頃と変わらない。そのような海の幸の一つにアマエビ(甘蝦)があり、山の幸の一つに野蒜(ノビル)がある。
 内陸部の都市で育った私が野蒜の存在を知ったのは、恥ずかしながらなんとこの地方に来てからだ。一方、甘蝦の方は比較的早く、二十歳になるかならないかの頃だった。それは、勤務先の同僚一人と共に旅した、晩秋の能登半島でのことだった。

 このとき宿泊した民宿の食堂に、私たち二人が夕食を食べに入ると、食卓には既にコップと箸、刺身皿と醤油、焼き魚や酢の物、揚げ物などが用意されていた。私たちが席に着き、ビールを注文してそれを酌み交わし始めると、冷蔵庫で冷やされた、手のひら大の刺身皿が出された。そこには、つまの上に盛り付けられた、ハマチやイカの刺身と並んで、私たちの知らぬ物が三切れあった。細長い薄桃色の胴体に、鮮やかな赤い烏帽子(えぼし)を被ったそれが何なのかを、私は宿の女将さんに訊ねたら、「アマエビです」という答えが返ってきた。蝦の頭が付いていなかったので、そう言われるまでそれが蝦だとはわからなかったのだ。
アマエビ
画像はイメージです
 早速それを山葵(わさび)醤油で食べると、その名のとおり確かに甘い味がした。赤い烏帽子はその尻尾だということが、食べてから初めてわかった。蝦を刺身で食べるのは生まれて初めてだったし、果物ならいざ知らず、動物性の食物でこんなに甘いものがあるということを知って私はとても感動した。それは、能登の澄んだ海の水を思わせる味わいだった。これはすぐに私の好物となった。
 そしてその翌朝、またもや民宿の食堂にて。
 朝食を食べ始め、見た目はごく普通の豆腐の味噌汁をすする。
アマエビの味噌汁
画像はイメージです
 ところが、それには今まで味わったことのない濃厚なだしが使われていた。まるでススキの穂の波打つ晩秋の能登の海岸風景を思い起こさせる味わいだ。その量がある程度減ると、その椀の底に蝦の頭が沈んでいるのを発見した私は、昨夜のように女将さんにそれが何かを尋ねると、女将さんは今度は笑って、「それは昨夜のアマエビの頭です、ちょっと硬いけど食べられますよ。」と言った。
 私は、この刺身を食べたときと同じくらいの感動を覚えて、その味噌汁を飲み終えると、底に残った蝦の頭を箸で摘んで齧った。それは確かに柔らかい物ではなかったが、鯛の骨のような硬さではなく、よく噛めば食べられる。向かいの席の、今回の旅の道連れである私の同僚は、一つは吐き出し、あとの二つには箸を付けようとはしなかったが、私は自分の椀の中の三つ全部を食べた。
 地元の人からすれば、昔からごく当たり前に作られている味噌汁なのであろう。しかし、使い捨て文化の中で少年時代を過ごしてきた私にとっては、食材を余すことなく使ったこの味噌汁がかえって新鮮で、とても尊いものに感じられた。

アマエビ

 このような出会いをした私のこの好物が、現在住んでいるこの地方では容易に手に入るのが嬉しい。そこらのスーパーでアマエビが、内陸部の都市では信じられないような鮮度と価格で売られているのだ。発泡スチロールのトレイ一つに蝦が20尾ほど入っていて、なんと200円以下!
 私はそれを見つけると、二つぐらいまとめて買うことにしている。それらを全部刺身にして、一人で一度に食べようなどという大それたことをするのではない。一つは新鮮なうちに早々と冷凍保存してしまう。もう一つは、まず刺身で食べるのだが、一食に5~6尾も食べれば満足してしまうので、翌日の夕食も同じくらい刺身で食べたら、あとの残りは全部唐揚にしてしまうのである。刺身で取り除いた蝦の頭は、もちろん翌朝の味噌汁だ。
 唐揚にしてしまえば冷蔵庫で一週間くらいはもつため、その間毎日のように蝦の唐揚を二つか三つずつ、頭から尻尾まで丸ごとサクサクと食べる喜びに浸れる。
 唐揚を食べ尽くしてから何週間か経って、また蝦が食べたくなれば、冷凍しておいたトレイから必要なだけ蝦を解凍し、また唐揚を作ればいい。加熱すると甘蝦特有の甘味は激減するが、唐揚は刺身とはまた違った美味さが楽しめるので問題ない。
 これは、酒のつまみになるだけではなく、当然ご飯のおかずにもなる。そこで、晩秋から早春の海の幸である蝦と、春の山の幸である野蒜の調和によって、季節の移り変わりを楽しむことのできる、「蝦野蒜丼(えびのびるどん)」というレシピが産まれたのだった。

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